我々に与えられるのは「彩雲」なのか

未熟児:死亡率に差…専門病院間で0~30% 厚労省調査
の記事にある、「死亡率の低い病院の治療を普及させて、全国的な死亡率低下を目指す。」という下りが気になる。どういう治療法が出来上がるんだろう。そりゃあまあ、さぞや優秀なマニュアルが出来上がるんだろうけれども。
呼吸管理は慢性肺疾患の少ないこの施設の管理法を、急性期の循環管理は脳室内出血の少ないこの施設の管理法を、と、各施設の継ぎ接ぎになるんだろうか。それとも、際だって優秀な特定施設の方法論をまるごと各施設へ移植するものなんだろうか。
そういう、天から降ってくる絵には、胡散臭さを感じる。この絵を飾ればうまく行くはずだと言われそうで、うまく行かない時は功徳とかヤマトダマシイとかが足りないとも言われそうで、その絵って「彩雲」じゃないでしょうねと突っ込んでみる。国力の無さを秘密兵器で逆転しようと画策した敗戦前の軍部と、同じ発想にはまりつつあるような危うさを感じる。
「彩雲」は旧海軍が設計した偵察機である。設計上は極めて優秀な飛行機なはずだった。南方の飛行場も航空母艦もつぎつぎに失って、本土から長距離の偵察機を飛ばさざるを得なくなった日本海軍にとっては救世主なはずだった。しかし実際に現場に降ろしてみると、生産しにくく故障はしやすく、戦場で信じて飛ばせる飛行機ではなかった。事情は以下のサイトに紹介されている。若干過激なところのあるサイトだから、よい子の目のある場所では開かない方がよいかもしれない。
反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ): 日本海軍の傑作偵察機「彩雲」は飛べない飛行機だった!
孫引きになるが結論部分を引用する。

『性能第一主義は機体、発動機、プロペラなどの組み合わせを、それらに実用性があるとないとに拘らず、性能上最も優秀なものを選んでしまい、とにかく安全に飛べる飛行機を早く大量に作ることを忘れていた。その結果、競争用の飛行機や展覧会への出品機ならともかく、戦争に役に立たない飛行機が出来てしまった』(日本航空学術史1910-1945より)

戦争のアナロジーで医療を語るのは些か下品かも知れないが、僕らだってNICUで競争や展覧会をやってるんじゃないんで・・・そりゃあ医療をやってるんだけど、臨床は展覧会よりもどちらかといえば戦争なんで。