スーパーローテート研修医に真顔で聞かれた・・・・・・・・
J J Paris, N Graham, M D Schreiber and M Goodwin.
Approaches to end-of-life decision-making in the NICU: insights from Dostoevsky’s The Grand Inquisitor. J Perinatol 26: 389-391なる文献について話していた時でした。文献の要旨としては、「回復の見込みのない赤ちゃんの人工呼吸を中止するなんていう決定は、とくに親としてそういう決定を求められるってのは人間一般の心情として過酷すぎる要求ではないか」というもので、多いに首肯できるものではありました。といいますか、これまで自己決定できない奴は自分の当然の権利を放棄する腰抜けだみたいな倫理観を世界中に押しつけておいて、この期に及んで今さら何を言い出すんだと苛立ちましたね。こういう議論はとっくに終わってるんじゃなかったのかね。
いやあ今さらカラマーゾフなんて持ち出してるけど向こうの奴らってカラマーゾフ読んだことがなかったんかねと、研修医に振ってみたんです。勉強が忙しくて古典なんか読めないんでしょうねという感想が当然頂けるモノだと思ってたんですがね。彼女の答えが、「先生、カラマーゾフって何ですか?」でしたね。
参りました。もう海の向こうの面々の倫理とか教養とかもう二の次です。私はいったいどういう若者たちをこれから相手にしなければならんのだろうかと、目眩がしました。
ドストエフスキーの小説じゃないかよと言われて、ああ、と思い出されるようならまだ救われたんですがね。いくら生命倫理の話をしてるったって、医局でいきなりロシア文学の話がでるなんていう文脈は読めなくても当然だし。でも「カラマーゾフの兄弟」って読んだことないの?と聞かれても手応えなし、どう見ても、そういう古典文学の存在を知らない様子でした。
いや読んだことがないのは別に恥じる事じゃないかもしれんですよ。確かに大部な小説ですしね。でも、その題名すら聞いたことがないってのは、およそ医学部を出て医師免許とった人間の一般教養としては、すこし貧しすぎるんじゃないかと思いますがね。知らないという告白も、もう少しおずおずと、恥ずかしげになされるべきものじゃないかと思いましてね。
2言目に、「いやドストエフスキーって暗いというイメージがありましてね」と続けられて、これで彼女がドストエフスキーを一冊も読んでないってのが明白になったんですが。
そりゃ貴様こそ大学時代にドストエフスキーなんて読んでたから今になってそんな場末のNICUで燻る羽目になるんだなんて言われたら、たしかに御言葉ごもっともではあります。彼女らが、ドストエフスキーを読む時間を潰して他の何かの教養を身につけておられるのなら、それはそれ、尊重するべきではあります。ひょっとして医学の修練のためにはドストエフスキーよりも為になるものを身につけてこられたのかも知れませんしね。でも、まあ、産科で干されてる間に本の一冊でも(カラマーゾフは新潮文庫で3冊だけど)お読みになってきたらと、嫌味がのどまで出かかったりはしましたね。
