猫殺しの小説家の一件に関して

なんとかいう作家が常習的に子猫を殺していると新聞連載のコラムに告白した一件に関して。
このニュースに接しての感想は、このコラムは将棋や囲碁で言うところの「無筋」、つまりはあまりに下らなくて考慮に値せぬ手筋ではないかということ。囲碁にしても将棋にしても、ある程度に上達すると、この手は先を読むまでもなく何の意味もない着手だということが、直感的に分かるという。あるいは、骨董の鑑定なんてやってるひとが贋作を見た場合には、何とも言えぬ奇妙な感覚を感じると聞く。自分のこれまで得てきた鑑識眼の何処にも「引っかからない」、「語るにも言葉がない」というのか、その奇妙な言葉で語られる、そういうものかと思っていた。
まあ、平たく言えば、語るに落ちるからほっておこうと思った。俺も語るに落ちるものが直感的に分かるようになったんだなあと、おかしな自己満足が無かったとは申すまい。猫飼いの一人としては猫を殺すって言われるだけで直感的に腹が立つんですけどね。
子猫を産まれる片端から崖下に投げ捨てる行為の、どこが生命の
多分にこの人は猫を殺すと告白したところで失うものは何もないんだろうなという勘ぐりもある。作者は自分の飼い猫が子猫を産む片端から崖下の空き地に投げ捨てて殺す人ですって、そういう前振りがあったほうが作品の売れ行きが伸びるような、そういう類の作品をお書きのようだし。

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