重症心身障害学会

今年も日本重症心身障害学会へ行ってきた。
今年は熊本で開催された。博多からつばめじゃなくてかもめに乗ったら故郷だよと、ホームシックが少し出掛かった。帰省したら半日もしないうちに尻が落ち着かなくなるくせにね。
学会で印象に残ったのはパーカッションベンチレーターのお話、腕頭動脈気管瘻の防止策のお話、膝が屈曲拘縮した人のおむつ交換で下腿を梃子に持ち上げると大腿骨が顆上骨折するよというお話。ちなみにズボンや靴下を強引に脱がせると頸骨の上端が骨折するらしい。あれやこれや。さすがに、重症者にCPAPかけると楽になりましたみたいなプリミティブなお話は今回は出なかった。それなりに内部批判があったのかな。私は辺縁にうろうろしているだけだからよく分からない。
呼吸ケアとか外科的治療とかてんかんの話とか、熊本って重症児ケアがけっこう充実してるよねと思った。京都で学会をやったとして、この陣容が揃えられるかどうか。
茂木健一郎という人の講演もあった。感情というのは不確実性に対処する大変に高次な脳機能なのだと仰る。感情を押し殺すってのはせっかくの脳機能を抑制してるってことなんだな。なるほどなるほど。それにしても、ああいう賢い人の特異な恰好ってのは、本人が好きでやってるのか周囲がプロデュースしてるのか。とくに髪型は何だかよく分からない。だぼだぼの緩いズボンは楽そうでよかったが。
妹夫婦が熊本にいるので会食。3人で酒を飲んだので帰路の運転代行を頼んだら、店が代行料のうち1000円を負担すると言う。飲酒運転に戦々恐々だね。正当なことなのかどうか、今ひとつよく分からない。飲酒運転の幇助だなんて警察から突っ込まれるくらいなら1件1000円くらいは必要経費のうちかもしれん。しかしタクシーで帰る人とかの飲み食い代金にもその1000円は入ってるんだよなとも思う。でもまあ世の中から飲酒運転の事故を少しでも減らすには、それをあんまり不平に言わんほうがよいのかもしれん。
焼酎って意外に旨いよねというのは、よく分かった。

鉄道旅行

さきの連休では、どういう偶然でか2日間も病院から解放されました。当直も自宅待機もない2日間。教習所は大学生の予約で一杯で路上教習にも行けず、病棟には重症の患者さんも受け持ちがないから自主出勤の必要もなし。土曜夜の自宅待機が明ける日曜午前9時から、祝日を挟んで火曜午前8時30分まで、まる47時間のオフになりました。
そこで、かねてから心の隅で考えていた鉄道旅行に行ってみようと思い立ちました。普通列車を乗り継いで、飛ばさない旅。青春18きっぷの期間が過ぎていてちょっと残念ではありました。
たった2日間で漂泊でもないものですが、しかし「行く先を特に定めない気分次第の旅ごっこ」もしてみたいと思いました。息子もそろそろこういう旅に連れて行けるかなと、試してみたい気もありました。そこで息子に「電車に乗りに行くぞ」と声を掛けてみたら、ハリネズミ人形を一個持ってついてきました。
北へ行くか南へ行くか、ちょっと迷ったのですが、何となく北西へ。山陰線を進むだけ進んでみようと思い立ちました。
京都発園部行きの快速で園部へ。わりと混んでいました。保津峡は新線になって大半がトンネルになりましたが、それでもトンネルの合間に美しい渓谷が垣間見えて愉快な線路でした。亀岡の駅で筋骨逞しい作業服姿の人々が降りていきました。保津峡下りの船頭さんたちだったようです。落石事故でいまトラブル中なのですが、復興がんばって欲しいものです。
園部から福知山行き各駅停車。JRには気の毒ですがかなり空いてきたので、ボックスシートを息子とふたりで使わせて頂きました。通路を挟んで、大学生らしいグループが乗り合わせてました。あんまり体力はなさそうな、化粧っけもなさそうな、銀縁眼鏡でしゃべり方の平板な面々。これは御同輩のテツな人々かと思ってたら、福知山駅を見て「無駄に大きな駅だ」と小馬鹿にしたようなコメントを出したので、志向の違う人々だと判明しました。
福知山は山陰や丹後あるいは中国山地と京都や阪神を結ぶ鉄道交通の要衝です。広大な福知山駅の敷地はかつては沢山の機関車が集まる重要な機関区でした(って見てきたようなコメントを出しますが)。テツならば、ちっとは敬意を持った感慨があるもんじゃないかと。ただ、いまの福知山駅は高架化され、かつてのホームは更地にされてました。何か再開発でもされるのでしょう。その更地の向こうに、北近畿タンゴ鉄道の小さなホームがぽつんと残って寂しそうでした。
福知山で昼食をとって、福知山から豊岡へ。延々と山が続きます。本州の田舎の奥深さには参ります。故郷の大村湾沿岸が、まるで箱庭かスペースコロニーかのように思えてきます。駅は大半が無人駅でした。ワンマンカーで、運転手さんは車掌や駅員の役目までしなければなりません。いちど、割引切符だか何だか、無闇にややこしい切符を持ち出してきた団体さんがあって、その処理でなかなか発車できず、結局は豊岡駅での接続に間に合いませんでした。車掌さんが居て車内検札を済ませてあったら定時運行も可能だったはずですが。人件費を削ったばっかりに正常運行もままならず、いっそう客離れが進む。JRは大丈夫なのでしょうか。せめて、こんなしょうもないダイヤの乱れが原因であの運転手さんが処罰されなければ良いと願います。
豊岡から城崎温泉へ。豊岡あたりで息子も私もくたびれてきて、とくに私は温泉の誘惑に耐えがたく、天候も台風の雨じみてきて何だか怪しくなったので、城崎温泉で一泊しました。息子は豊岡駅に止まったラッセル車を見て感動していました。

運動会

こどもたちの小学校で運動会。
9時から開会式なのに、しかも種目1番目にいきなりうちの子が出るのに、9時明けの当直なんて引き受けちゃってどうしようかとか思ってたけど、なんとか間に合った。開会式の校長先生のお話とか、音楽に乗っての準備運動兼全校ダンスとか、いろいろ天与の時間稼ぎがあったらしい。
入学したての頃には手を引かれないと走らなかった息子が、今日は100m走に加えて50mハードル走までやって見せた。出色の出来だった。およそ勝負とか競争とかいう概念は彼の辞書には載ってないので、予想通りのビリばかりの結果ではあったが。まあ、発達障害が無くても、我々夫婦の息子なら走るのは遅いに決まっている。むしろ娘の足の速いのに驚いた。
娘に限らず、こどもたちの様子を見ていると、クラス別対抗戦の結果にそうとう熱くなっていた。最近のこどもはこういう行事の対抗戦なんて冷めてるんだろうと決め込んでいたので、意外に思った。むろん好感を持った。斜に構えてるよりも、真っ直ぐに熱くなって集中したほうが、結局は充実した面白い生活ができるのだよ。

卒業検定

40km/h制限の道を45km/hで走ったら検定中止になりました。
何を緊張したのかメーター見れてなかったんですね。
最終的に指摘された時が45km/h。それ以前にはもっと出してたかも。
またがんばります。

被差別家族の人々

反米嫌日戦線「狼」(一輝まんだら): 【祝】「賊軍」の血を引くお世継ぎ誕生

不甲斐ない兄貴の方は、内定費として年間3億2400万円(父母含む5人家族)で宮内庁職員50人に対し、弟は皇族費として年間5490万円(家族5人)で職員は10人。
兄貴の方の家族は、医療費は使い放題なのに、弟は全額自腹。健保に加入していないので今回の出産費用は600万円と言われている。

宮内庁は金もださんと口だけは出しとったのか。呆れたものだ。
出産費用くらい自腹を切れんようでは将来の天皇に相応しくないってことだろうか。
それにしても・・・健保未加入だし、医療内容に偏見丸出しな介入はされるし、人間をこんな風に扱っても善いものだろうか。上野動物園の珍獣が出産したわけじゃないのだよ。

谷垣先生、地元ではお産ができません

漏れ伝わってくる政権構想は、御三方の中では一番信頼が置けそうに思うんですが、
だったらこんな事を書いて足引っ張っちゃあいけないんですけども、
谷垣先生、御地元では産科医療が崩壊してます。この地図はそのまんま、京都府下でお産が危機的な状況にある地域の地図ですぜ。
でもまあ、そういうことは国会議員の仕事ではなくて、地元の自治体の仕事でしょうね。国会議員が出世して地元に余録を落とすという構造をなんとかするのが、地方への移譲って話の根幹なんでしょう。いやしくも国政のトップを目指そうっていう政治家の政権構想なら、日本国中の津々浦々を等しく浮揚させる中で地元も結果的に浮揚しますってのが本来でしょうね。
将来、この地域のお産が立ち直るかどうかが、谷垣先生の「本物度」を表す指標となるかと。まあ、新生児科医としてはそんな見方をしてますってことで。

敬語になれてしまっていると

私は医者だから大抵は敬語を使って貰える立場にある。家族を除けば私にため口をきく人間は居ない。ときおり若い御両親にため口をきかれることはあるが、そう言う時はこちらもため口にしてみても抵抗無く話が進むので、それはそれでよいと思う。
最近、偶然なのか、出勤時に、患者さんが警備員さんに案内を求める場面に何回かいきあたった。そのおりの患者さんの口調に、たじろぐ思いをした。初めて来た病院の職員なんだから初対面なんだろうけど、初対面の人間に対するにしては随分と攻撃的で尊敬の念に欠けた口調であった。ため口というにも些か乱暴なというか、同じ口調で返答したらたちまち「職員が無礼である」と投書に書かれそうな(或いは直接に医事課や病院長室に怒鳴り込まれそうな)、そういう口調であった。
当院は傾斜地にあって、駐車場から病院までの経路が、初めての人には少しく難しい。玄関まで階段も挟む経路を歩かされる苛立ちもお持ちなのだろうとは拝察する。それに事情はどうあれ、患者さんたちに礼儀云々という立場には、私はもとよりない。ただ、自分がたじろいだという、記事のテーマはそれだけである。自分が悪い意味で「お医者様」になって、貴族的にお高く軟弱になったのかどうか。平忠盛を下臈と蔑んだ貴族たちの轍を踏んで落ちぶれていく羽目になるのか。そっち方面を反省しておきたいと思った。
たとえあの口調が世間のスタンダードだったとしても、それはそれで平和だってことかも知れないなとは思う。相手が何者か分からぬうちは当方の懐のうちは見せない。言葉は敬語で丁寧に、態度はフレンドリーと慇懃の間のどこかにおいて、でないと相手がどう豹変するか分かったもんじゃない、というのが、自らを省みての私自身の世渡りスタンスではあった。それに20年前に関西に来て、こちらの人が話し相手にずいぶん簡単に阿呆と言うので驚いたことではあった。九州では恐らく喧嘩になると思った。何や彼や。
まあ、患者さんがお出でになる時間帯にはちゃんと業務を始めてろよという、ご叱責もあるかもしれませんが。すみませんです。

NICUに常時誰かが居る

午前も午後もNICU詰め。小児科医が増えて仕事がシンプルになった。一日NICUに居ればよい日。幸せな日であった。
中心静脈確保を一人でやっていると、新しく赴任してこられた医師が介助に入ってくれた。外来を2診たてて、一般病棟や外来の処置係を置いて、それでも複数の医者がNICUに居られるということだ。有り難いことだと思う。新任の先生は「一人で中心静脈を確保する(看護師の介助も無し)」という手技を初めて見たとかで目を丸くしておられた。私もずいぶん一人の手技に慣れてしまったが、無論、介助があった方が迅速に進むのは道理である。それも、自分でその処置をやり慣れた医師が介助についてくれると、思うところに適確に手が伸びてくるので、俺ってこんなに処置が上手かったかと思うくらいにうまく行く。
それに「NICUに誰かが常にいる」のは、実は初めての経験なのだが、安定感が予想以上である。今日も午前中にいちど外来に呼ばれて出向かなくてはならなかったのだが、その間にNICUの業務が止まる云々との気苦労をせずに済んだ。NICUに戻ってみると、何ごともなかったかのように業務が着々と進んでいた。
これは当院の態勢では小児科医6人(うち4人がNICU患者を受け持つ)となって初めて実現したことだ。5人(うち3人がNICU受け持ち)まででは実現できなかった。以前は小児科医4人(NICUは原則全員私が主治医)だったから、他の医師が常在するなど望むべくもなかったし。
新しく来られた先生は温厚で、若手の指導もうまい。今後はこの先生がうちの中心になるんだろうなと思う。こういう人を見ていると、人望を集めるってのは天賦の才だなと思う。