丹波哲郎的回診をめざせ

丹波哲郎さんが亡くなった時に、追悼インタビューで、Gメン75の共演者が語るところによると、
台本を読んでこない丹波さんに、監督もストーリーなんて語らず、
犯人役については
「あいつは悪い奴なんです。」
「そうか、悪い奴なのか。どれくらい悪い奴なんだ」
「ものすごく悪い奴なんです」
「そうか、ものすごく悪い奴なんだな」
で、丹波さんは「ものすごく悪」相当に厳しく対処する。
被害者役の人についても
「この人はかわいそうな人なんです」
「どれくらいかわいそうなんだ」
「少しだけかわいそうな人なんです」
で、丹波さんは「少しだけかわいそうな人」を「すこしだけかわいそう」相当にいたわる。
案外と、回診もこのようでなければならないのかも。
私ら現場ががんばって赤ちゃんを診る。
もう主治医受け持ちを持たなくなった偉い人に対しては、
在胎週数とか体重とか感染とか慢性肺疾患とかうだうだ言わず、
「この子は良くなってるんです」
「そうか、どれくらい良くなったんだ」
「とっても良くなってます」
そんなふうに済ませるのが理想なのかも。
それが現場の心意気だし、
ひょっとしたら香港ロケとか連れてってもらえるかも。
   ・・・いきなりカンフーマンと対決するのは願い下げだけど。
今日は軽症か重症かどっちか1.母体搬送は可(だったはず。確かめてくるの忘れた・・・)。

ただいま帰宅

17時。5時に帰れりゃ定時じゃないかって、いや今日は日曜日ですから。世間では。
出勤したのは午前8時。昨日のね。
その前に帰ったのは23時。
出勤の義務がない日は次は11月12日。3週間連勤になるのかな。
NICUは軽症1/重症1/母体搬送可。今夜は自宅待機番。また呼ばれるかな。
そんなものだよな。
とりあえず寝ていよう。

「責任者出てこーい」というセリフは昔は笑うところだったんだが

「責任者出て来ーい!」が持ちネタの漫才師がおられたように記憶する。いわゆる漫才ブームのころだったか。最近とんと漫才を見なくなったので、ご健在なのかどうか寡聞にして存じ上げない(彼を過去の人あつかいにするのは本旨ではない。ご容赦願いたい)。
昔はこのセリフは笑いを誘うセリフだったんだよなと、ふと思った。むろん責任の所在を追求するにはあまりに他愛ない題材であってこそという一面はあろう。しかし、子供のころの私は、彼が生真面目な顔で「責任者出て来い!」と叫ぶだけで、前段がどうあれ、おおいに笑わせていただいたものだった。その言葉それ自体に、何とも生真面目な滑稽さが内在しているような気がしていた。
いまはこのセリフは笑えるセリフではない。テレビを見ても新聞を開いても、陰に陽にこのセリフが並んでいる。全ての記事がこのセリフで締めくくられているようにさえ思える。
もちろん、責任の所在を問うことが重要な問いとなる場合というのは幾らでもあろう。しかし昨今の風潮は、あまりに、「責任者出て来い!」に収束しすぎてはいないか。他に問うべき重大な質問が幾らでもあろうに、他のことは放り出して、性急に「責任者出て来い!」という結論にもちこんで、それで良しとする論が多すぎないか。

朝日と毎日は今度は何を煽るのか

奈良の妊婦死亡、産科医らに波紋 処置に賛否両論なる記事が本日の朝日新聞に載った。書かれていることは、まっとうだと思った。書かれてあることは、だ。たしかに、捜査には不安を持ってる。拮抗してるとは決して思わないけど、賛否両論たしかにある。行政に対する批判も大きい。
でもね、この記事に、書いてないことがありやしないか?
「6時間”放置”」はどうなったんですか?「1時間以上放置」に修正しただけですか?引用符を取り払っちゃって大丈夫なんですか?
私らが不安がってるのは、捜査だけではない。こういう浅慮かつ扇情的に報じられる報道もまた、私は大変に不安である。朝日新聞は、自分たちの記事が医療を追い込んでいるという自覚があるんだろうか。いつまでしらばっくれて、無色無臭の傍観者の振りをしているのだろうか。自分たちの報道が歴史の方向を変えるくらいの力があるという自覚を、なぜ持てないのだろうか。
端的に言って、朝日新聞は、戦前の所業を忘れたのだろうかと、私は訝っている。
朝日新聞はときおり、戦時の報道に関する反省特集を載せる。太平洋戦争のころの、大本営発表の鵜呑みを強制された時代のことばかり言ってるかのような印象がある。「あんな時代だったし私らも憲兵が睨んでたんで書きたい記事も書けなかったんです。私たちも被害者だったんです」と言っているかのように。
しかし朝日は(毎日もまた)、満州事変勃発の時は、軍部と結託し、戦争を積極的に煽りに煽ったのである。最終的に国をも滅ぼすに至ったような、時代の転回点で、この二紙は先頭に立って、歴史をあの方向へ引っ張った過去があるのである。
昭和史 1926-1945
半藤 一利 / 平凡社 
本書において半藤氏は語る。

一方、日本国内では、この日の朝刊が—当時は朝日新聞と東京日日新聞(現在の毎日新聞)がダントツの部数でした—ともに俄然、関東軍擁護にまわったのですよ。繰り返しますが、それまでは朝日も日々も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、二十日の朝刊からあっという間にひっくり返った。たとえば東京朝日新聞ですが、十九日の論説委員会で、これは日露戦争以来の日本の大方針であり、正当な権益の擁護の戦いであるということが確認され、二十日午前七時の号外は「奉天軍(中国軍)の計画的行動」という見出しで、特派員の至急報を国民に伝えます。これはほかの新聞もほぼ同じで、つまり軍の発表そのものであったということです。
「十八日午前十時半、奉天郊外北大営の西北側に暴虐なる支那軍が満鉄線を爆破し、わが鉄道守備隊を襲撃したが、わが軍はこれに応戦した云々」
とあり、「明らかに支那側の計画的行動であることが明瞭となった」と書いています。よく読めば少しも「明瞭」ではないのですが、これがそのまま大変な勢いで国民に伝わります。 (p72)

この方略でうまく国民をリードするには、例によって新聞を使うことです。彼らは新聞を徹底的に利用して、満州独立の構想を推進しようと考えます。戦争は、新聞を儲けさせる最大の武器なんです。だから新聞もまた、この戦争を煽りながら部数を増やしていこうと、軍の思惑通り動きました。
満州事変の本格的な報道は十月からはじまるのですが、それから約六ヶ月間に、朝日も毎日も臨時費約百万円を使いました。ちなみに当時の総理大臣の月給は八百円です。いかに新聞が金を使ってやったか—朝日の発表によりますと、飛行機の参加は八機、航空回数百八十九回、自社制作映画の公開場所千五百、公開回数四千二十四回、観衆約一千万人、号外発行度数百三十一回、と大宣伝に大宣伝を重ねたんですね。すると毎日新聞が、負けるもんかと朝日以上の大宣伝をやりました。当時の政治部記者、前芝確三という人が後にこんなふうに語っています。
「事変の起こったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に”毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争”などといっていましたよ」
つまり、この戦争は毎日新聞が後援しているみたいなもんだというくらいに、報道の上で太鼓を叩いたんです。現地に行く新聞記者、特派員も各新聞がエース、名文家を送り出して徹底的に書きまくりました。(p80-81)

ここに挙がった朝日と毎日が、そのまま、現代の医療に関して先鋭的な、有り体に言って些か無茶な記事を書く新聞であるのは、偶然の符合なんだろうか。かつて満蒙を侵略せよと煽りに煽って、最終的に亡国に至る方向へ国を曲げたことを、彼らは本当に真摯に反省してるんだろうか。いま医療不信を煽りに煽っていることが、いまの彼らには「正当な権利の擁護の戦い」に見えてるんだろうけれども、私には、彼らの態度は、売り上げに血眼になって満州事変を煽った恥ずべき社史を、性懲りもなく繰り返しているかに思われる。

上級者は他者への評価をすぐに表に出さない、らしい

「上達の法則」 岡本浩一著・PHP新書 p114より

以上数項目にわたって述べたように、上級者は、他者への評価判断が早く、しかも、明瞭にできるのがふつうである。それにもかかわらず、その評価をすぐに口にしたり、表に出したりしないのも、また、上級者の特徴である。

医療「過誤」がマスコミに論われるとき、識者のコメントとして、当該科の専門医がどう言ったとか、どこそか大の助手がああ言ったとか、紹介されることがある。
大概、そのようなコメントは、仲間うちでは批判的に扱われているように見える。良いことを言ったという評価はあまり聞かれない。積極的評価はおろか、擁護の声すらも。まあ、医者批判の記事の論旨を補強するためのコメントに、医者の大勢が賛成するようなコメントが採用されるってのもあんまりなさそうなことだが。あったら凄い記事だろうな。読売の鈴木敦秋記者なら書けるかもしれないな。
それは医者業界の批判されることに対する耐性の無さを露呈したものだと思っていた。内部批判をただちに裏切りと解釈してしまう頭の悪さ、などなど、ある意味見苦しいお話だと思っていた。しかし本書「上達の法則」の一節を最近思い出して、考え直している。案外と、この「識者」叩き的な態度にも五分の理くらいはあるんじゃないかと。全面的に正当化できるとまでは言いませんがね。
個別の案件を思い返せば、私自身も、「識者コメント」には批判的なことが多かった。「何じゃこいつは」と呆れさせられることも再々あった。それはたまたまそこに出てきた識者がスカなんだろうと思っていた。あるいは識者氏がどんな慎重な意見を述べても、取材者側で編集しちまうという場合もあるんだろうと。
しかしそういう個別の事情を越えて、構造的に、こういう、マスコミに追いつけるほどの脊髄反射的速度でコメントを出せる識者というのは、しょせん中級者止まりでしかありえないという、原理とか法則みたいなもんがあるんじゃないだろうか。
本書「上達の法則」によれば、上級者は他者の力量を読めるから、黙っていても自分の力量が同僚に読み取られていると分かっている。従って、他者の評価を口に出すことで自分の力量を誇示したいという願望は薄くなっているという。
さらに、上級者は上達のしくみが理解できてるから、上達の途中にある自分の評価を永遠のものとしないだけの謙虚さを弁えているという。

・・・上級者まで来るプロセスのなかで、ものごとを評価する際の認知スキーマが何度か革命的に自分のなかで変容したことを自分が経験している。したがって、いま自分が見ている他者への評価は、いまの自分の心に映る評価であって、自分がこの先、さらに進境があれば、その評価スキーマそのものが変わる可能性のあることを心の片隅で承知している。同時に、自分が評価を表明すれば、自分よりもさらに境地の進んだ他者の目に、自分の認識システムの成熟度をさらすことになることもわきまえており、それも留保の材料となる。それは、現時点での評価が明瞭に行われているという現象と併存する心理的留保なのである。

「容疑者 室井慎次」にみる、「現場の知」への尊敬の欠損

昨夜、テレビで「容疑者 室井慎次」を観た。「踊る大捜査線」シリーズのファンに対しては、ネットでの評判が今ひとつのようだが、私は「踊る」シリーズを観ていないので、単発の映画としてそれなりに楽しんで観た。寡黙な人物が信念を貫く物語は好きだ。
ただし、本作の制作陣には、「信念を貫く」という態度、あるいは「現場の知」という概念に、あんまり尊敬を持ってないんじゃないかという印象を持った。

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最後には健さんも切り込みに行く

前記事では言及しなかったけど、周知のこととして、最後の最後に健さんは日本刀を持って敵地に乗り込んでいく。
このラストシーンがあればこそ、それまでの忍従が映えるという一面はある。
一面どころか、このカタルシスがあればこその人気ではあろう。
俺らはいつごろどこに切り込んでいくのだろうと、ときどき考える。
忍従を重ねていた時の健さんには、敵がここまでやったら切り込んでも善かろうみたいな類の計算高さはなかったと感じられる。忍従している間は心の底から無期限・無制限に忍従するつもりなのである。それがある一点で、ふと、先代に禁じられていた刀を手に取るのである。
その一点での変化はまさに相転移である。転移する前の彼には、転移後の冷徹な容赦無さは感じられない。拳銃を持った敵に「ここを狙えよ」と自分の胸板を叩いて切る啖呵や、あるいは学生服姿の先代の実子に「実子、5代目の言うことが聞けねえんですかい」とその軽薄さを叱りつけるドスのきいた声に、この人は怒ったら恐いんだろうなとは容易に想像つくけれど、まさか敵を情け容赦なく下っ端一人残さず斬り殺す人だとまでは予想できない。
転移後の彼の姿にも、転移前の姿は微塵もない。この修羅のような人に、かつて卑怯な敵からの挑発を耐えに耐えた時期があったとは到底思えない。まあ、さらに言えば、こんな恐い人を挑発する馬鹿がいたとも到底思えないんだが。
しかし転移後も彼自身は自分を失ってはいない。けっしてキレてはいないのである。転移前の彼も彼、転移後の彼も彼。であればこそ、池辺良も健さんとともに切り込みに行くのである。ここまで忍従したんだから等と詰まらぬ御託を吐いて健さんを止めようとはしないのである。健さんも、池辺の荷担を一度は止めようとするが、池辺が怯まないのでそれ以上は拒まない。
それは健さんが(池辺もまた)この切り込みの必然性:「やむにやまれなさ」を確信しているからである。それに、彼らは恐らく敵の矮小さを見切っていた。自分たちの戦闘力や胆力を信頼していた。だから生還率はともかくも、目的の遂行という点ではかなりの成功率を見込んでいたのではないかと思う。意識的な計算ではなくとも、皮膚感覚として、これは勝てると「感じて」いたのではないか。
こういう、「キレる若者」のカリカチュアとは水準の違った奥深い人物造形を見せることで、網走番外地という物語も成立するのであろう。
さて。健さんに見習うとすれば。私に健さんの気高さは及びもつかないにしても。精々があの映画に出てくる松方弘樹に及べば上等な程度の胆力しか無いにしても。初級者であればあるほどに、よいお手本が重要であるということで、健さんが自分だったらと考えるとすれば。
俺らが切り込むのは何時か。切り込む先はどこか。切り込む手段は何か。
切り込んだ後で尚、網走番外地的な後日談が成立するだろうか。
まあ、忍従のフェーズでそんな事を考えること自体、健さん的人物が決してやらないことなんだろうけれども。
少なくとも、組を捨てて姿を消すことは、健さんの選択肢には無い。まして、逃散を切り込みと同一化することは論理的にあり得ない。俺が居なくなったらお前ら困るだろうみたいなケチな魂胆はない。
条件次第で敵に流れる売人たちを責め立てることも、健さんはしない。
むしろ、「売人の皆さん方にはご心配なく」と頭を下げる。
容赦するのではない。自分のほうが寛恕を請うのである。
それは決して卑屈な態度には見えない。むしろ誇り高く見えた。
さらに言えば、健さんはたぶんブログを書かない。
何も言わない、何を考えてるか分からない、ということには戦略的意義もあるんだろうけど。むろん、彼が意識的にその意義を計算してるとは思わないけれども。
じゃあお前も黙ってろよ、との読者諸賢のお叱りはごもっとも。でもまあ、私もこう書くことで自分に言い聞かせてる面って多分にあるんですよ。

医療崩壊に関する昭和残侠伝的考察

医療崩壊をあんまり言い立てたくはないよなと思う。
品がない。
負け戦の陣中にあって負けだ負けだと騒ぐのは美しくない。負けが誰の責任だと言い立てるのは尚更だ。その分析は正解かも知れないが、その正解が尊敬を呼ぶとは限らない。敗軍の陣中に我が身があるのも、それまでの縁があり身の来し方があってのことだ。
先の休みに高倉健主演の「昭和残侠伝」を観た。健さんが格好良かった。
健さん演じるテキ屋が(ヤクザとは言いたくない)数年ぶりに復員してみると、組の縄張りは新興の愚連隊に荒らされ、相思相愛だった女は健さんが死んだものと諦めて結婚していた。それでも健さんは不平不満の一言も言わず、崩壊に瀕した組の5代目を継ぎ、愚連隊の横道な挑発にも乗らず、血気に逸る若い衆(松方弘樹とか梅宮辰夫とか)を押さえ、地道に組を立て直そうとする。
「誰が組をここまでじり貧にしたんだよ」とか、「もうテキ屋の時代じゃねえんだよ」とか、シンプルに「やってられねえよ畜生」とか、私なら多種多様な愚痴を垂れるばかりで全然動けないだろう状況を、健さんは何も言わずに引き受けるのである。仕入れのトラックを愚連隊に襲われて荷が売り物にならなくなっても、仕返しに殴り込みをかけようと主張する若い衆を諫め、配下の露天商たちには「ブツは私たちが責任持って明日までに何とかしますから、売人のみなさんがたにはご安心なさって・・・」と頭を下げる。おお、そこで頭を下げるか!と私など普段の頭の高さを反省しきりであった。
おそらくこの健さんのような人物が、日本の津々浦々で、今この瞬間にも地道に患者さんを診ておられるはずなのだ。そうして、図らずも巻き込まれた状況の責任を、みずから負おうとしている医者がいるはずなのだ。いるはずって言うとなんだか少数派みたいだけど、それは人前でケツイヒョウメイをやるには含羞が邪魔するからで、大抵の医者は健さんの唐獅子牡丹のような、ある種の秘められた覚悟を背負ってるんじゃないかと思う。
それをドンキホーテと揶揄し、個別撃破されるぞと冷やかしてみるのは、それは勝手であるが。日本国憲法でも表現の自由は保証されてることだし。でもね、「法律の話をしてるんじゃないんですよ。渡世には渡世のしきたりってもんがあるでしょう。」とは、これは健さんの台詞である。

「放置」は無いだろうと思うので

奈良県で緊急母体搬送を18カ所に断られたという報道があった。朝日のウエブサイトでこの報道に「6時間”放置”」との見出しがあった。記事を読むと、主治医が怠慢だったんだろうと攻撃することが主題になっている。本件の最大の問題点は延々18施設に緊急母体搬送を断られ続けたってところにあるんだろうに。「放置」と言うなら、放置したのは主治医じゃなくて奈良県の行政なのではないか?それに6時間放置ったって、奈良県大淀町から吹田市まで、決して近いわけじゃなし、国循に到着した時刻を放置終了時刻だと扱うのは、恣意的になるにも限度ってものがあるんじゃないかと思うのだが。
奈良の妊婦が死亡 18病院が転送拒否、6時間“放置” -朝日新聞-
他紙記事へのリンク(Google参照)
出産で意識不明、18病院受け入れ断る…1週間後死亡 -読売新聞-
処置遅れて出産後に死亡 – 神戸新聞 –
意識不明の妊婦、18病院が転送拒否 8日後死亡 -産経新聞-
出産で意識不明、18病院が受け入れず…1週間後死亡 -読売新聞-
[分べん中意識不明]18病院が受け入れ拒否…出産…死亡 -ライブドア・ニュース-
転送拒否続き妊婦が死亡 分娩中に意識不明 – 中日新聞 –
他紙報道では、本件の最大の問題点が奈良県の周産期医療のリソースの少なさにあると、正しく認識されている。帰宅して読んだ紙面では、朝日でも、「放置」の語が削られ、奈良県の周産期医療にふれた解説記事がつけてあった。恐らくはこのウエブ記事に何らかの批判があっての修正であろう。
それにしても、脳内出血を子癇発作と間違った、って、なんか変な話だ。子癇発作の挙げ句に脳内出血したという繋がりじゃないのだろうか。そういう因果関係もあり得るっていう話を頭に入れた上で、この大沢病院横沢一二三事務局長はコメントを出しておられるのだろうか。

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北日本民主主義人民共和国っていう可能性もあったんだろうか

核実験やっちゃったみたいですが。
戦後史の具合によっては、今ごろ私たちも「北日本民主主義人民共和国」と対峙することになってたりしたんでしょうか。新潟~福島あたりで本州を横断する非武装地帯を挟んで、仙台か札幌あたりを首都とする独裁国家とにらみ合ってたりして。日本軍国主義に果敢に抵抗していたと称する、実のところは「誰だよあんた」程度の初代国家主席の、凡庸な2代目3代目あたりが支配しているような国と。