朝日と毎日は今度は何を煽るのか

奈良の妊婦死亡、産科医らに波紋 処置に賛否両論なる記事が本日の朝日新聞に載った。書かれていることは、まっとうだと思った。書かれてあることは、だ。たしかに、捜査には不安を持ってる。拮抗してるとは決して思わないけど、賛否両論たしかにある。行政に対する批判も大きい。
でもね、この記事に、書いてないことがありやしないか?
「6時間”放置”」はどうなったんですか?「1時間以上放置」に修正しただけですか?引用符を取り払っちゃって大丈夫なんですか?
私らが不安がってるのは、捜査だけではない。こういう浅慮かつ扇情的に報じられる報道もまた、私は大変に不安である。朝日新聞は、自分たちの記事が医療を追い込んでいるという自覚があるんだろうか。いつまでしらばっくれて、無色無臭の傍観者の振りをしているのだろうか。自分たちの報道が歴史の方向を変えるくらいの力があるという自覚を、なぜ持てないのだろうか。
端的に言って、朝日新聞は、戦前の所業を忘れたのだろうかと、私は訝っている。
朝日新聞はときおり、戦時の報道に関する反省特集を載せる。太平洋戦争のころの、大本営発表の鵜呑みを強制された時代のことばかり言ってるかのような印象がある。「あんな時代だったし私らも憲兵が睨んでたんで書きたい記事も書けなかったんです。私たちも被害者だったんです」と言っているかのように。
しかし朝日は(毎日もまた)、満州事変勃発の時は、軍部と結託し、戦争を積極的に煽りに煽ったのである。最終的に国をも滅ぼすに至ったような、時代の転回点で、この二紙は先頭に立って、歴史をあの方向へ引っ張った過去があるのである。
昭和史 1926-1945
半藤 一利 / 平凡社 
本書において半藤氏は語る。

一方、日本国内では、この日の朝刊が—当時は朝日新聞と東京日日新聞(現在の毎日新聞)がダントツの部数でした—ともに俄然、関東軍擁護にまわったのですよ。繰り返しますが、それまでは朝日も日々も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、二十日の朝刊からあっという間にひっくり返った。たとえば東京朝日新聞ですが、十九日の論説委員会で、これは日露戦争以来の日本の大方針であり、正当な権益の擁護の戦いであるということが確認され、二十日午前七時の号外は「奉天軍(中国軍)の計画的行動」という見出しで、特派員の至急報を国民に伝えます。これはほかの新聞もほぼ同じで、つまり軍の発表そのものであったということです。
「十八日午前十時半、奉天郊外北大営の西北側に暴虐なる支那軍が満鉄線を爆破し、わが鉄道守備隊を襲撃したが、わが軍はこれに応戦した云々」
とあり、「明らかに支那側の計画的行動であることが明瞭となった」と書いています。よく読めば少しも「明瞭」ではないのですが、これがそのまま大変な勢いで国民に伝わります。 (p72)

この方略でうまく国民をリードするには、例によって新聞を使うことです。彼らは新聞を徹底的に利用して、満州独立の構想を推進しようと考えます。戦争は、新聞を儲けさせる最大の武器なんです。だから新聞もまた、この戦争を煽りながら部数を増やしていこうと、軍の思惑通り動きました。
満州事変の本格的な報道は十月からはじまるのですが、それから約六ヶ月間に、朝日も毎日も臨時費約百万円を使いました。ちなみに当時の総理大臣の月給は八百円です。いかに新聞が金を使ってやったか—朝日の発表によりますと、飛行機の参加は八機、航空回数百八十九回、自社制作映画の公開場所千五百、公開回数四千二十四回、観衆約一千万人、号外発行度数百三十一回、と大宣伝に大宣伝を重ねたんですね。すると毎日新聞が、負けるもんかと朝日以上の大宣伝をやりました。当時の政治部記者、前芝確三という人が後にこんなふうに語っています。
「事変の起こったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に”毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争”などといっていましたよ」
つまり、この戦争は毎日新聞が後援しているみたいなもんだというくらいに、報道の上で太鼓を叩いたんです。現地に行く新聞記者、特派員も各新聞がエース、名文家を送り出して徹底的に書きまくりました。(p80-81)

ここに挙がった朝日と毎日が、そのまま、現代の医療に関して先鋭的な、有り体に言って些か無茶な記事を書く新聞であるのは、偶然の符合なんだろうか。かつて満蒙を侵略せよと煽りに煽って、最終的に亡国に至る方向へ国を曲げたことを、彼らは本当に真摯に反省してるんだろうか。いま医療不信を煽りに煽っていることが、いまの彼らには「正当な権利の擁護の戦い」に見えてるんだろうけれども、私には、彼らの態度は、売り上げに血眼になって満州事変を煽った恥ずべき社史を、性懲りもなく繰り返しているかに思われる。

上級者は他者への評価をすぐに表に出さない、らしい

「上達の法則」 岡本浩一著・PHP新書 p114より

以上数項目にわたって述べたように、上級者は、他者への評価判断が早く、しかも、明瞭にできるのがふつうである。それにもかかわらず、その評価をすぐに口にしたり、表に出したりしないのも、また、上級者の特徴である。

医療「過誤」がマスコミに論われるとき、識者のコメントとして、当該科の専門医がどう言ったとか、どこそか大の助手がああ言ったとか、紹介されることがある。
大概、そのようなコメントは、仲間うちでは批判的に扱われているように見える。良いことを言ったという評価はあまり聞かれない。積極的評価はおろか、擁護の声すらも。まあ、医者批判の記事の論旨を補強するためのコメントに、医者の大勢が賛成するようなコメントが採用されるってのもあんまりなさそうなことだが。あったら凄い記事だろうな。読売の鈴木敦秋記者なら書けるかもしれないな。
それは医者業界の批判されることに対する耐性の無さを露呈したものだと思っていた。内部批判をただちに裏切りと解釈してしまう頭の悪さ、などなど、ある意味見苦しいお話だと思っていた。しかし本書「上達の法則」の一節を最近思い出して、考え直している。案外と、この「識者」叩き的な態度にも五分の理くらいはあるんじゃないかと。全面的に正当化できるとまでは言いませんがね。
個別の案件を思い返せば、私自身も、「識者コメント」には批判的なことが多かった。「何じゃこいつは」と呆れさせられることも再々あった。それはたまたまそこに出てきた識者がスカなんだろうと思っていた。あるいは識者氏がどんな慎重な意見を述べても、取材者側で編集しちまうという場合もあるんだろうと。
しかしそういう個別の事情を越えて、構造的に、こういう、マスコミに追いつけるほどの脊髄反射的速度でコメントを出せる識者というのは、しょせん中級者止まりでしかありえないという、原理とか法則みたいなもんがあるんじゃないだろうか。
本書「上達の法則」によれば、上級者は他者の力量を読めるから、黙っていても自分の力量が同僚に読み取られていると分かっている。従って、他者の評価を口に出すことで自分の力量を誇示したいという願望は薄くなっているという。
さらに、上級者は上達のしくみが理解できてるから、上達の途中にある自分の評価を永遠のものとしないだけの謙虚さを弁えているという。

・・・上級者まで来るプロセスのなかで、ものごとを評価する際の認知スキーマが何度か革命的に自分のなかで変容したことを自分が経験している。したがって、いま自分が見ている他者への評価は、いまの自分の心に映る評価であって、自分がこの先、さらに進境があれば、その評価スキーマそのものが変わる可能性のあることを心の片隅で承知している。同時に、自分が評価を表明すれば、自分よりもさらに境地の進んだ他者の目に、自分の認識システムの成熟度をさらすことになることもわきまえており、それも留保の材料となる。それは、現時点での評価が明瞭に行われているという現象と併存する心理的留保なのである。