満床御礼

満床だね今日の双胎はどこに入るんだと案じながら出勤したら、夜勤のうちに看護師たちが保育器をあっちこっち動かして、なんとか2人分の余地を作っていた。とは言っても無い床面積が湧いて出るわけではなくて、保育器に入ったままGCUへ2人ほど押し出されていた。
医療機関は満床を希求する。満床でないと喰っていけない。しかし満床だと新たに新規入院を受け入れる余地がない。毎日退院があってそのぶんだけ新入院があれば理想的だが、NICU入院の半数以上は緊急入院だから、そうそう予定が立つわけでもない。ときには満床を越えて受け入れる。ときには閑をかこつ。いろいろ。
ちなみに満床でないとこんなことを言われてしまう。理想の第一とするのは、いつでも空床がある安心感か、フル回転で儲かってる黒字経営か。どっちも実現しろってのはけっこう難しい要求だと思うんだけどな。「ぼちぼちでんな」のバランス感覚は大阪でしか通用しないものだろうかね。
で、当然の如くに今日も0/0.

風邪か?

どうも倦怠感が抜けない。鼻水も咳も出るのでたぶん風邪なのだろう。声が変わってると外来の看護師さんが心配してくれた。とりあえずマスクを持ってきて貰った。こどもの口を開けさせるのに自分がまず口を大きく開けてみせるという手が使えず、今日のこどもたちはみなレスポンスが悪かった。
ウイルス感染症は小児科医には職業病だ。色々と貰う。さすがにインフルエンザは予防接種をするが、それでも貰う時は貰う。10年の上からやってるんだから、世の中に出回るウイルスはたいていもらい尽くしたんじゃないかと思うが、しかし思い出したように風邪を引く。新しいウイルスが次々出回ってるのかも知れない。シマンテックあたりがワクチンソフト作ってくれたら良いのに。
初期研修を終えて、外来に毎日出るようになった後期研修のころ、やたら気分が重い日々が続いた。当時の上司とどうにも折り合いが悪かったので、たぶん鬱なんだろうと思っていたが、案外と、繰り返し風邪を貰って体調が悪かっただけかも分からない。そうであれば当時の上司は悪口の言われ損だった。申し訳ないことをしたのかもしれない。
全国で小児科の後期研修医をあずかる指導医の方々は、同様の、不当な悪口を言われているかも知れない。私はまだスーパーローテート医をときどき面倒みるだけだから、まだ安全。
昨日3人も入院があって、今日も1人入院があって、NICU空床は0/0.明日の帝王切開予定の子が入る余地があるかどうか戦々恐々。産科も満床で母体搬送もNO.

良い医者のふりをする

土曜から泊まって日曜で明け、また自宅待機番。今日は妻子が自閉症協会の行事で出かけてるんで、どうせオフでもやることがないから、それはそれで良いのかも。
夜間は来院が少なくて、よい医者のふりができた。内心はすごく狭量で厭な奴だってのが自分でも分かってるんだけど、さすがにこの歳になると、気さくで友好的で優しい小児科医ってのはこういう風に振る舞うもんだという、仮面的なお行儀を身につけてきたので、目一杯、「良いおいしゃさんのふり」を演じてみる。来院のお母さん達も、私のそういう意図を知ってか知らずにか、「良いおいしゃさんに出会えた幸せなお母さんのふり」をして下さる。定型発達のひとたちってこういう「共演モード」に自動的に入れるんだよなと感心至極ではある。
いや、演じている云々と皮肉る意図は毛頭ない。私のほうの尻尾はたぶん隠しおおせず見え隠れしてたはずなんで、たぶん皆さんその尻尾を見ないふりしてくださってたんだろうと思う。ありがたいことである。
良い医者のふりをして、「ああ俺は良い医者だなあ」と錯覚混じりにも思ってみる。錯覚だ自己陶酔だとは分かっていてもなお、それは快いことである。それを報酬として夜をポジティブに明かせれば、それはそれで有意義ではなかろうか。逆に、「本当の自分に正直に」とか言って、知恵も遠慮もない振る舞いをしても、何の益もない。だいいち来院のこどもたちやお母さんにとっては、私が本当はどんな奴かなんてどうでもいいことなので、どうでもいいことでお互いに不愉快な思いはしたくないじゃないか。
今日も空床は2/2。産科は満床。京都市内では母体搬送の空きはあるので、まあよいとしよう。

11月は皆勤賞

11月に終日出勤義務のない日は2日間だけ。その2日間とも、重症児を抱えて結局は出勤してしまって、今後はもう月末まで寝坊の出来ない日程。出勤義務のないって言うより、とりあえずいつもより2時間くらい遅くまで寝てられる日という程度であった。それでも随分有り難いといえば、確かに、有り難い。
空床状況はNICUはいぜん2/2だが、産科病床がいっぱいで母体搬送がNOになった。でも今日は退院診察をした赤ちゃんがわりと多かったので、産科にもぼちぼち空床が出てくることだろう。空床状況表を見てると、母体搬送受け入れに×が目立ちはじめてるんで、うちくらい空けておかないといけない。

欲しい

ターボリナックス株式会社は、Linux環境を持ち運びできるメディアプレーヤー「wizpy(ウイズピー)」を2007年2月に発売する。価格は3万円を切る見込み。
ゆうこりんよりも機体の写真のほうにハアハアしている自分は救いようのない変態野郎だと思う。
ちなみにNICU空床は重症2/軽症2/母体搬送OK。3/3でもよいよという声もある。
なにが「ちなみに」なんだか分からないけれど。

さかなにはきをつけろ

タンク機関車トーマスが、同僚のタンク機関車ダックに忠告するエピソードがある。ダックは魚を積んだ貨物列車の後押しをすることになったのである。トーマスは、ダックに、魚にはくれぐれも気をつけろと言う。
「注意その一。もしも魚がボイラーに詰まったら、絶対にトラブるぜ。」
トーマスはいちど、水が切れて立ち往生した時に、川から水を汲んだことがある。その時に、タンクに水といっしょに入り込んだ魚が、ボイラーに詰まって、内圧が急上昇し、あやうく爆発するところだった。その記憶が頭にこびりついて離れないのである。
給水塔が故障してたのが全ての始まりである。バケツの底に魚がいるのも見えないような泥水を機関車のタンクに入れていいのかよという問題もある。しかしトーマスの頭に染みついた教訓は「魚はとにかく要注意」というものだった。
ダックは大西部鉄道(映画「ナルニア国物語」で主人公の兄弟達が疎開の際に乗ってた鉄道だ。側面に誇らしげにGWRと書いてある)出身の、気さくだがしっかりものの機関車である。当然、このトーマスの短絡的な教訓噺を笑い飛ばすのだが、しかし事故は起こるのだ。
ダックは上り坂で、大型機関車の引く貨物列車を後から押していたのだが、夜の霧の中で貨物列車の最後尾を見失ってしまう。押しているつもりが貨物列車から一時的に離れてしまい、迷っているところへ、ダックの後押しがなくなって失速した貨物列車が逆送してきて正面衝突する。貨車が壊れ、積み荷の魚が散乱する。辺り一面に生臭いにおいが立ちこめる。
このダックの事故の原因は貨車のテールランプが脱落していたことだった。それはソドー島鉄道のトップであるトップハムハット卿自ら認めたことである。お前の責任じゃないと、ハット卿はダックを慰める。しかしダックはしょげ返って、「やっぱりトーマスの言うとおりでした。魚は要注意だったんですね」とぼやく。
このとぼけた味わいが英国流のユーモアなのであろう。しかし、我が身を振り返ると、このエピソードは洒落にならない。トーマスやダックのボケにツッコミを入れる資格があるかどうか。
我々は医療現場で、魚に気をつけていないだろうか。給水塔やテールランプの保守管理をしっかりやる替わりに、「とにかく魚には要注意なんだ」という教訓を言い伝えていないだろうか。「魚がボイラーに詰まる」心配をしていないだろうか。あるいは、我々自身でなくとも、どこか権力に比して相対的に知識が少ない方面から、声高に「サカナニハキヲツケロ」とお達しがでてはいないか。
人格者トップハムハット卿は、トーマスのボイラーに詰まった魚をフライにして上機嫌に喰ってしまい「うーん旨かった。しかしトーマス、もう魚釣りはいかんぞ」と諭す。医療現場での偉い人はハット卿みたいに融通無碍な対応ができるだろうか。先頭に立って「魚には気をつけろ!」と怒り狂い、トーマスを処罰にかかるんじゃないか。「プロの機関車のくせに魚をボイラーに詰めるようなミスをした」廉で。

愛国心というものは

愛国心というのは喜んで兵役に行くってことだけだろうか。いったい今の日本に足りないのは兵隊さんなのか税収なのか。私見では税収のほうだと思うのだが。ならば愛国心に欠けるのは、日の丸に敬礼しない奴じゃなくて、節税とか抜かして海外移住しちまう奴らなんじゃないか?派遣社員を課税の対象にもならんほどの低賃金で使い捨てにしている財界の偉いさんは、「愛国心」なんて抜かしたら舌が融けるんじゃないか?君らが法人税率を下げろと言ってるのは、果たして是非とも本邦に税金を納めたい意思の発露なのか?
愛国心の涵養なんて教育基本法じゃなくて税法とか商法とかの前文にでも書いとけばいいのに。
日の丸ハッピーで徴兵OKのニートを量産するよりは、みんながそこそこ課税できる水準の所得を稼げるような社会にしたほうがよほどよいのでは?東京都の教育委員会も、卒業式で君が代を歌わない教職員を処罰してるひまに、自分がいじめられている現状を訴える手紙を書く文章力も身につけさせられないような国語教育しか出来てないことを(知事がそう公言してるよ)、自己批判するべきなんじゃなかろうか。
鼓腹撃壌、って、難しい漢字だけど、選挙管理委員会でこの熟語を正確に書けないと立候補を受け付けませんってのはどうかな。安倍さんは書けるだろうか。なつみさんが書けて晋太郎くんが書けなかったりしたら目も当てられないな。

徹夜仕事

前回の記事を書いて、早く寝ればよいものをうだうだと遊んでいたら、NICUから呼び出されて超低出生体重児の分娩後処置に入ることになってしまった。徹夜仕事になった。やっぱり自宅待機の夜は寝られるうちに寝ておくものだ。教訓教訓。
分娩立ち会いは当直医がやった。厳しい状況をよく蘇生したものだと思った。私は臍帯カテーテルを挿入する段階からの参加である。あんまり得意な処置じゃないので緊張する。この処置は明暗の差が大きい。上手くいくときは単純きわまる処置である。なんたって血管の断端がそこに見えているわけだから、単純にカテーテルを突っ込めばよい。上手くいかないときは全くうまくいかない。感染で臍帯がぼろぼろになってて、把持しようとしても片端から崩れていったりとか。
血管確保など当初の処置が終わったら、あとは人工呼吸器や輸液の調整。徹夜。上手くいってないわけじゃなくて、むしろ、サーファクテンを投与した後の肺は時間を追ってどんどん良くなってくるから、呼吸器の設定をほどよく緩和していかなければならない。高い設定のまま放っておくと気胸を起こしたり網膜症が悪くなったりとろくなことがない。かと言って、緩和が早すぎると肺血管がれん縮したりして失速増悪するから、あらかじめバッチ処理みたいな指示を書いて看護師任せに寝ているというわけにもいかない。
構造的に徹夜仕事と決まってるわけだから、翌日が休みでないと辛い。夜が明けたら土曜の混み合う外来で数十人の診察だなんて思ってては、徹夜のNICU仕事なんてとうてい不可能だ。私は土曜はNICU担当。外来に比べたら、大概の土曜日は平穏だから、この続きを12時過ぎまで頑張ったら帰って寝られると、そればかり念じての一日だった。今日が当直の入りだったりしたら地獄を見ることになったなと思う。

周産期ネットワークとは

緊急母体搬送に関して、産科もNICUも空床がある病院でなければ引き受け不可能との声も散見される。確かにそれが理想と言えば理想だが、しかし現実にこの忙しい業界で、産科もNICUもそろって空床のある病院なんて、そうそうあるものではない。
まず産科空床のある施設へ母を送る、その施設に現地集合でNICUから搬送チームを送り、赤ちゃんを蘇生して引き取って帰る。赤ちゃんの予後はNICUの前に分娩室や手術室でも大きく左右されるものだから、NICUに空きのない病院が母体搬送だけは受けるってのも、決して空手形ではない。新生児側としては、それは「あり」だ。少なくとも、搬送先を探して時間を空費されるよりはよほどマシだ。
むろん空床のないNICUには、自院の分娩室に蘇生チームを送り込む余裕すら無いことが多い。空床ありのNICUから搬送チームを送り、彼らが分娩に立ち会い、蘇生し安定化して連れ帰る。そのほうが何かと後あとの集中治療にも都合がよかったりする。過去に我々の搬送チームがどこの大病院の手術室まで入り込んでいったか、語り草にすれば面白いんだろうけど、信義に欠けるような気もして公表は止めておく。あるいは、産科医の一人二人も連れて行けば、母体を動かさずにその場で緊急帝王切開やって赤ちゃんを連れ帰るってことさえ可能ではないかとさえ思う。さすがに実際はそこまでやったことはないが。
例えばそうして私ら私立病院の人間が、例えばどこそか市立病院(京都市立病院とは限りませんよ)の分娩室で新生児蘇生をやったとして、その蘇生にかかる医療費はどこの病院が請求するんだとか(俺らはただ働きなのか?)、結果には誰が責任保つんだとか(事故の時は市立病院の院長はどう出るんだ?)、救急車をかっ飛ばして迎えに出向くときに赤信号に突っ込んで側面衝突でもされたら俺の治療費はうちの病院が労災申請してくれるのかとか、色々と調整することがたくさんある。そういう面倒くさい調整の一つ一つを解きほぐしていくのが、周産期ネットワーク構築の本質ではないかと思う。
元締め仕事も重要だ。いざ緊急だって時に、君のところは産科の空床が出せるのね、君のところは人工呼吸器が空いてるね、君のところの新生児搬送車はいま空いてるね、と次々と出すものを出させて、じゃあ君はここ、君はそこ、と割り当てていく仕事。各都道府県に一個ずつの総合周産期センターの役目なのかもしれんけど、そういう三次センターの当直医ってじつは青二才のことが多いから、説得力があんまりだったりする。行政の皆様にはなかなか理解できないことなんだけど、箱じゃなくて人の顔と声で動く仕事って世の中には多いんだ。そういう元締めの居るネットワークの構築って、行政に頼んでやってもらう事じゃないような気がする。
周産期ネットワークの整備と言って、各々の空床数を公示しあうだけ、電話番号を知らせあうだけって位しか想像つかないのはつまらない話で。一昔前のFAX自動送信機能を使っての情報交換時代ならともかくも、今じゃあ別に行政に頼らなくてもミクとかウィキとかブログとか使えば空床情報のリアルタイム公示くらいなら簡単にできるんで。行政には、むしろ、そういう情報交換に関しては、「いかがなものか」の一言をいわず飲み込めという一点しか、要望することはありはしないんで。(銭を出せ、という永遠の要望は別としてもね)。
無論、行政の皆様にやって頂く仕事には、私なんぞが想像もつかないような深遠な仕事もあるのだろうとは思います。彼らの名誉のためにこれは是非付記したい。たぶん、そういう仕事の一端を拝見しただけで、私など怖気を震うのでしょうけれども。