あのころ君は馬鹿だった

【50、やり直せるならどの時点から人生をやり直したい?】
実は高校時代の同窓生にこのブログがそうとうリアルばれしている様子なのだが、いったい彼らは私が小児科医(しかも赤ちゃん専門)になることをどれほど予想していたか、ちょっと知りたくはある。いや、知りたくはあるけど恐いから実際のコメントは要らないよ。実は高校の同窓会には教養部時代の1回きりしか出ていないので、その感想は聞けてない。かのガリ勉な彼に、他所様の赤ちゃんを抱いてあやす将来像を誰が想像したろうか。
つうか、まあ、彼の将来なんて誰も興味なかっただろうけど。自分でなきゃ私も興味ない。
高校の吹奏楽部だった折に、まるで「たわばさん」や「鳥坂先輩」みたいに卒業後もしょっちゅう部室に顔を出す先輩が居て、新しい土地で友達ができないんだろうかと気の毒だったし、なにより鬱陶しかったので、卒業したら高校とはいい加減に縁を切らにゃあなあ、と当時から自戒していた。その後も京都にいるせいか、南座の看板とかで舟木一夫の学生服姿が目につくのだが、彼もいいトシして高校三年生の呪縛から逃れられないのが気の毒である。彼は商売でやってることだし、私がとやかく言うことではないけれども、でも彼の高校生姿を見てると、「それっきり何にも良いことが無いんで高校時代を懐かしむしかない初老の男」という、物悲しいとか哀れを通り越して一種グロテスクな戯画を見せられているような気分になる。そういう演目はイッセー尾形がやるのかな。
妻もクラスは違えど高校の同窓生ではあるし、言ってみれば家庭で毎日同窓会してるようなものだから、今さらという感も無いではなくて、他の同窓にはあんまり縁を求めなかった。娘は関西弁と長崎弁のバイリンガルだったりします。
ただ、いまの自分の境遇に比べれば、「あのころの未来」は味気なかったと思う。
あの頃の自分に合うことがあったら、何と言ってやるだろうか。色々な意味で単純というか一途というか、一言でいえば「お馬鹿」だった彼に、かける言葉はなにかあるかと考えてみる。いま君が欲しがってるものは基本的に何一つ手に入らんよという、彼にとってはかなり冷酷であろう事実を告げるべきかどうか。君がいま目指している大学には君は入れない。君がいま好きな女の子と君はいまの距離以上には近づけない。あのころ目指していたもののうち、実際に手に入ったものは医師免許くらいだ。博士号とか研究とか留学とかからも完全にドロップアウトしてるし。
あるいは、君は真面目を自認してるけど悉く中途半端だよと冷酷に指摘するべきかどうか。君の勉強の仕方は、手近なところを囓っては投げ出すばかりで、地道に一カ所を囓り抜く根気に欠けているとか、大学へ入ってから後のことは具体的には何も考えてないとか、彼女をデートに誘ってみる気概も無いとか。
一番伝えたいことは、「君の人生は君が思ってる以上に多彩で面白いものになる」ということではある。君は自分で求めたものは何一つ得られないけれど、必ず、求めた以上のものが手に入るからと。君自身の予想以上に君は良い縁に恵まれているからと。
しかし、多分、彼は何を言われてるのかさっぱり分からないだろう。なにさま、彼はそれほどの「お馬鹿」だから。本人が言うんだから別に名誉毀損にもあたらんだろう。どういう風に話したら彼にこういう話を理解させられるのか、さっぱり分からない。多分に、もしもあの頃にタイムスリップすることがあったとしても、通学のキハの中で居眠る高校生の自分を遠目に眺めるだけで帰ってくるのが最善だろうと思う。
もしも過去の私と話すとして、この日には大きな地震があるから絶対に神戸にいてはいけない、と、伝えるべきなのだろうか。それが最大の難問。答えを迫られないのが何よりである。

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