赤ちゃんとの縁を切らない

先だって院内電話で、産科の先生から。
「緊急母体搬送の依頼があったんですが、病状はかくかくしかじかで、NICU空いてますか?」
空いてますかって、朝から既に院内出生の早産児を3人受け入れてるんですけど。
うち1人は人工呼吸管理中なんですけど。
空床なんて無いでしょう、普通。今朝から4床以上空いてるって言いましたか俺は?
でもまあ・・・産科も立て続けの帝王切開にめげず頑張ってるんなら、ここはNも心意気かと。
「空いてます」こう答えるにもけっこう腹を括ったんですが。私はなにせ小心者でね。
「そうですか。それでは受入について産科部内で相談します」 ・・・え?
何か順番間違ってないかと思いつつ待ったところ、果たしてその数分後、
「産科では母体搬送の受入は無理ですので、出向いて分娩立ち会いの上で新生児搬送入院でお願いします」だそうだ。
はあ(ため息混じり)。
きみらが頑張るのを前提で、院内緊急用のとっておき空床を使うことにしたのに。
そういうの他人のフンドシで相撲を取るって言わないか?
なんか釈然としないなあと思いつつ、依頼元に連絡をして搬送に向かう。緊急帝王切開の娩出には何とか間に合って、予定通りの新生児搬送入院となった。当日は、その後は院内緊急分娩のケースは生じなかった。とっておきの空床を潰したことによる不都合はなし。例によっての綱渡り、結果オーライの自転車操業。でも、まずは、よかった。
冷静に考えてみれば、今日びの周産期に、他人のフンドシを借りない潔癖さなど薬にもならない。自科の満床を理由にしてこの赤ちゃんとの縁を切ることを潔しとしなかった、産科医師の志や善しとなされねばならぬ。

白い壁

新しいNICUは窓からの眺めがよくない。そもそも外が見えない。昔のNICUは三面が外壁だったから船の艦橋みたいに三方がみわたせたけど、今のNICUはまるで潜水艦だ。
白い壁に広々とした風景を壁画にでもしてくれんかな。狭いのは苦手だ。ふすまと障子と縁側の家で育ったから、そもそも壁というものに慣れないんだよね。未だに。
世の中にはホスピタルアートというものがあるらしいが。遠景に壁が消え去りそうなエックス線撮影室ってのを講演のスライドで見た記憶がある。すぐ近所には芸大もあるし、ああいうのやってくれんかな。でも芸術家気取りな落書きをされては取り返しがつかんしな。

セカイにはばたけ石原慎太郎

いじめが原因で「11日に自殺する」との手紙が文部科学省に届いた問題で、石原慎太郎都知事(74)が10日、「あんなのは大人の文章だね」と手紙が“偽物”であるとの見方を示した。また石原知事は、いじめを苦にした自殺が相次いでいることについて「甘ったれている」などと指摘。問題解決のために「もうちょっと親がしっかりしたらいい」との持論を述べた。


偉大なる文学者・教育評論家・政治家であられる我らが太陽(族)金正日石原慎太郎閣下が、いじめが原因で自殺すると予告した手紙に関して、舌鋒鋭くご指導の御言葉を賜った由である。我々凡夫平民は、あたかも月面の陽光の如くにあたり構わず物事の一面ばかりを照らす、閣下のご指導の御言葉を慎んで拝領し、あまねく世に広げるべきものであると愚考するものである。
私の如き凡夫には、いじめに苦しむ心情の吐露としか読み得なかった文章を、「理路整然とした」「大人の文章」と御見抜きになるあたり、その炯眼には畏怖せざるを得ない。閣下のごとく余人の遠く及ばざる深さまでお見通しになるご炯眼の持ち主が、日ごろ妄言妄想の輩との誹りをいかに退けておられるのか、小心者の小生としては些か不安を覚えるほどである。まして斯様な文脈で「理路整然」なる表現を敢えて用いられるに至っては、閣下の文学者としての名声に泥を塗る結果とならないかと、恐れるばかりである。
しかし私たち凡夫は決して、閣下のご分析を妄想と断じる愚を犯してはならぬのである。閣下は文学者としての名声を犠牲にしても、教育者の本分を貫いておられるのだ。「良いところを見つけて誉めて伸ばす」という方針の下、かの少年の文才を激賞しておられるのである。ふだん辛口で知られる閣下が「理路整然とした」「大人の文章」と仰るのである。破格の激賞と言わずして何と言おうか。「今の中学生にあんな文章力はない」とまでの激賞ぶりである。小生としては、閣下御自らそこまで仰るとは東京都下の中学生の国語教育は大丈夫なのかとか、卒業式の日の丸君が代にこだわっている場合かとか、またも不安が募るのであるが、閣下の如き大人物には、そのような些事はどうでも宜しいこと、言うまでもない。
閣下は文学者・教育者にして政治家であられる。名著「NOと言える日本」をご執筆になった、閣下の優れた政治思想家としての分析力を侮ってはならぬ。
閣下のご炯眼には、今回の手紙の主が現米国大統領のジョージ・W・ブッシュ氏であるということ一目瞭然なのである。常に米国にNOを言う心がけを片時もお忘れにならぬ閣下ならではの着眼である。中学生ほどのメンタリティを持つ大人であって、現在四面楚歌の境遇にあり、11月8日までに状況が好転しなければいよいよ絶望の淵に立たされる人物。いじめっ子キャラのラムズフェルド君に食い物にされた挙げ句の失政を積み重ね、11月8日に大勢の判明した中間選挙では大敗北を喫した、現大統領ブッシュ氏の境遇そのままではないか。
「もうちょっと親がしっかりしたらいい」。このご指導は、厳父ブッシュ元大統領に苦言を呈しておられるのである。テキサスの牧場に引き籠もりがちな甚六をもうすこし鍛えてホワイトハウスで頑張って働かせよ、ラムズフェルドの如き友達と一緒に遊ばせるなとの、有り難いご指導なのだ。まさに、教育と政治の両分野に渡って造詣の深い閣下でなければ発し得ぬ御言葉である。ブッシュ元大統領は、今からでも遅くはない、閣下の名著「スパルタ教育」を読み、蒙を啓かれるべきである。
敢えて閣下がブッシュ父子の名を出さなかったのは、かつてフランス語に関する御尊慮を表明して日仏間に物議を醸したご経験から、日米関係へのご配慮をなさったものと愚考する。閣下の学習能力を小生は少々侮っていたようである。小生も閣下に習い、「おともだちのわるくちをいってはいけません」という幼稚園の先生の御言葉を思い出しているところである。それにしてもいったい何故に米国大統領が日本国の文部科学省に自殺予告の手紙を出すことになるのか、小生には全く理解できず、不明を恥じるばかりである。
自殺に至る人の多くは、決行の前には周囲に自殺をほのめかすことが多い。この知見を敢えて無視し、「自殺なんて、予告して死ぬなって」との厳しいご指導の御言葉である。さらには、「死ぬの、死なないの?」と、首に縄をかけて迷う少年の踏み台を蹴り倒すような厳しい御言葉を畳み掛けておられる。まるで少年を実際に苛めている加害者そのままの言葉、自殺を楽しみに待つかのごとき口調に我々凡夫は慄然とするばかりである。
しかし、この浅慮極まる畜生の如きご指導も、閣下の御言葉であれば、閣下の優れた政治家としての姿勢を表す御言葉として輝きを増すばかりなのである。平素より「三国人」等々の表現を用いて少数派の排除にご尽力の閣下のことであるから、この御言葉も、少年を苛める多数派の加害者達へのご指導なのだと思わねばならぬ。閣下は熱い正義感を敢えて押し殺したふりをして、残虐な加害者になりきった台詞を吐いてみせておられるのだ。いじめがいかに醜く残酷なものであるか、閣下は身をもって表現して下さったのである。加害者の諸君は閣下の心情を正しく理解して、今後は決して閣下の言動を真似しないように、心して生活しなければならぬ。もしも今回不幸にして被害者の少年が自殺してしまったとしても、世間からの非難は閣下が身代わりに受けて下さる。閣下の政治家としてのこのお覚悟、その犠牲的精神には、不肖小生、感涙に咽ぶばかりである。
東京都民諸賢よ。諸賢は身の程を弁えねばならぬ。かくも偉大な人物を、東京都知事の如き雑務に忙殺するとは何ごとであるか。セカイに向けて羽ばたくべき人物を、一地方自治体に押しとどめておくなど、その才能の浪費は慚愧に堪えぬことではないか。次回の選挙を待つことなく、直ちに諸賢の総意で辞退申しあげねばならぬ。かような偉大な人物は世界を相手にしてこそ相応しいのである。閣下は本邦が世界に誇る大俳優の兄上であられる。閣下には北海道小樽市にある石原裕次郎記念館の終生名誉館長として、小粋にジャンパーを着こなし北辺の地から米国にNOと言う偉大なる指導者としての終生のご活躍をと、小生、切に希うものである。

あなたの手紙を読みました。

アンカテ(Uncategorizable Blog) – 人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。
もしもこの手紙を書いたあなたが、この記事をお読みになることがあるとしたら、
私からあなたに伝えたいメッセージは
「あなたの手紙を読みました」ということです。
他にも語ることはいろいろあったとしても、それらは全て些細なことです。
些細なことに気をとめられるような、余裕のある人どうしで語られることです。

あなた自身に、どうしても伝えたいことは、
私もまた、あなたの手紙を読みました、ということ。
あなたの手紙を読み、
あなたの苦しみに、慄然としています。

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彼は背広を着るべきだった

万波医師は背広を着て登場するべきだった。彼の、胸元のはだけた手術着姿は、見る人の余計な攻撃心をあおってしまったように思える。私など不徳の至りでなんとなく横山弁護士を思い出してしまったんですがね。
徳洲会は早期に彼を紳士服の青山かハルヤマかにつれていけばよかったのに。まだ彼が「臓器売買に巻き込まれて困惑した医師」の立ち位置にあるうちに。耳なし芳一が全身をお経で守ったように、万波先生は背広で自身の気配を封じるべきだったのだ。そうすれば、臓器売買事件の取材に宇和島にやってきた面々も、もうちょっとこの医者をつついてみよう的な思惑を起こさず、すんなりと解散したんじゃないかと思う。
むろん、彼が行った一連の腎移植について、冷静に論じる必要はあろう。いっさい問題なしとは私も思わない。しかし、病的腎など以ての外と切り捨てる現在の論調もなんだかなあと思う。万波潰しが先に立ってるようで気の毒だ。もうちょっと冷静に議論がすすまないものかな。
健側腎がしっかり機能している人からなら摘出が適応の病的腎でも、両側とも腎機能がまるで廃絶している人にならいくばくかでも役に立つという可能性は、ほんとうにないのかな。病的腎なんて穢れたものを他人様の身体に入れるんじゃねえみたいな門前払い的議論ではなくて、本当にためにならないことだったのかを、個別の症例で見当するべきじゃないかと思うのだが。

あのころ君は馬鹿だった

【50、やり直せるならどの時点から人生をやり直したい?】
実は高校時代の同窓生にこのブログがそうとうリアルばれしている様子なのだが、いったい彼らは私が小児科医(しかも赤ちゃん専門)になることをどれほど予想していたか、ちょっと知りたくはある。いや、知りたくはあるけど恐いから実際のコメントは要らないよ。実は高校の同窓会には教養部時代の1回きりしか出ていないので、その感想は聞けてない。かのガリ勉な彼に、他所様の赤ちゃんを抱いてあやす将来像を誰が想像したろうか。
つうか、まあ、彼の将来なんて誰も興味なかっただろうけど。自分でなきゃ私も興味ない。
高校の吹奏楽部だった折に、まるで「たわばさん」や「鳥坂先輩」みたいに卒業後もしょっちゅう部室に顔を出す先輩が居て、新しい土地で友達ができないんだろうかと気の毒だったし、なにより鬱陶しかったので、卒業したら高校とはいい加減に縁を切らにゃあなあ、と当時から自戒していた。その後も京都にいるせいか、南座の看板とかで舟木一夫の学生服姿が目につくのだが、彼もいいトシして高校三年生の呪縛から逃れられないのが気の毒である。彼は商売でやってることだし、私がとやかく言うことではないけれども、でも彼の高校生姿を見てると、「それっきり何にも良いことが無いんで高校時代を懐かしむしかない初老の男」という、物悲しいとか哀れを通り越して一種グロテスクな戯画を見せられているような気分になる。そういう演目はイッセー尾形がやるのかな。
妻もクラスは違えど高校の同窓生ではあるし、言ってみれば家庭で毎日同窓会してるようなものだから、今さらという感も無いではなくて、他の同窓にはあんまり縁を求めなかった。娘は関西弁と長崎弁のバイリンガルだったりします。
ただ、いまの自分の境遇に比べれば、「あのころの未来」は味気なかったと思う。
あの頃の自分に合うことがあったら、何と言ってやるだろうか。色々な意味で単純というか一途というか、一言でいえば「お馬鹿」だった彼に、かける言葉はなにかあるかと考えてみる。いま君が欲しがってるものは基本的に何一つ手に入らんよという、彼にとってはかなり冷酷であろう事実を告げるべきかどうか。君がいま目指している大学には君は入れない。君がいま好きな女の子と君はいまの距離以上には近づけない。あのころ目指していたもののうち、実際に手に入ったものは医師免許くらいだ。博士号とか研究とか留学とかからも完全にドロップアウトしてるし。
あるいは、君は真面目を自認してるけど悉く中途半端だよと冷酷に指摘するべきかどうか。君の勉強の仕方は、手近なところを囓っては投げ出すばかりで、地道に一カ所を囓り抜く根気に欠けているとか、大学へ入ってから後のことは具体的には何も考えてないとか、彼女をデートに誘ってみる気概も無いとか。
一番伝えたいことは、「君の人生は君が思ってる以上に多彩で面白いものになる」ということではある。君は自分で求めたものは何一つ得られないけれど、必ず、求めた以上のものが手に入るからと。君自身の予想以上に君は良い縁に恵まれているからと。
しかし、多分、彼は何を言われてるのかさっぱり分からないだろう。なにさま、彼はそれほどの「お馬鹿」だから。本人が言うんだから別に名誉毀損にもあたらんだろう。どういう風に話したら彼にこういう話を理解させられるのか、さっぱり分からない。多分に、もしもあの頃にタイムスリップすることがあったとしても、通学のキハの中で居眠る高校生の自分を遠目に眺めるだけで帰ってくるのが最善だろうと思う。
もしも過去の私と話すとして、この日には大きな地震があるから絶対に神戸にいてはいけない、と、伝えるべきなのだろうか。それが最大の難問。答えを迫られないのが何よりである。

空床

昨日のバックトランスファーで空床が一つ空いた。今日も午前中の外来を終えてNICUに戻ってみたら、短期入院の子がまた一人バックトランスファーで帰っていた。お母さんがこちらへ転院してきて病棟で母児同室入院になった子もある。なんのかのと、空の保育器が目につく。
正当な理由なく赤ちゃんを飢えさせてはならない(絶飲食は早めに解除しようね)。正当な理由なく母児分離を続行してはならない(この子は今日もまだ入院してなきゃならないの?)。正当な理由がなければ常に母親が正しい。その他諸々。小児科の経験的知恵。あるいは痛い眼の教訓。
早すぎる退院転院で治療が半端になってはならない。むろん必要な入院期間はじっくり確保する。けれども、NICUを埋め続けるほどでもない軽症の子に埋まって空床0ってのも、なかなか世間様のご期待に添えない話である。どこまで無駄な時間を切りつめられるか。早すぎず遅すぎずのタイミングをどれくらいの精度で見切れるか。
けっこうゆとりが出てきて、明日には複数の入院予定があり、今夜かもしれないハイリスク母胎があり、それでも今日も空床は1/1/可。たぶん少々の入院があってもこの1/1は消さずに済みそうである。

新生児搬送を白バイ先導で

府南部の病院まで新生児搬送。もともとその病院からの母体搬送でお預かりした赤ちゃんであった。当院で生まれて急場も乗り越え、退院までの目算が立ってきた。今では自宅から遠くて御両親の面会もままならないのが最大の問題。退院後に外来に通うにしても、生活圏内の病院のほうが何かと便利。何やかやの事情で、もとの病院へ送り届ける。業界用語ではバックトランスファーと言う。
今日は快晴。月末にしては交通量も少なく、滑らかに走れた。気持ちよいドライブ日和。ふだんの新生児搬送は、たいがい呼ばれて出向いて赤ちゃんを引き取って帰るんだが、往き道はまだ見ぬ赤ちゃんの状態が気になってしかたがないし、帰りは病態の落ち着かない赤ちゃんを実際に乗せてるわけで、往復とも緊張のしっぱなしである。今回は自分の責任で病状を落ち着かせた赤ちゃんだから、乗せてても余裕だ。帰り道に至っては空車である(さすがに鈍行で帰ったが)。ゆとりが違う。
途中、たまたま白バイに追いついたところ、先導して下さった。我々の前を行く車列の周囲をこまめに走り回って、上手に我々の進路をあけてくれた。トラックを退かせ普通車を退かせ、10台近くも先行車を誘導して下さった。最後のミキサー車を退かしたところで、行けと手を振って自分も脇に退いた。
このミキサー車の時は、対向車線も空いてるのに私らが追い抜いていかないものだから、怪訝そうに振り向かれた。当方の運転手が、拡声器で「赤ちゃんが乗ってますから鋲が踏めません」と申しあげたら、納得して、路肩の広くなったところにミキサー車を入れてくれた。あれはたぶんミキサー車の運転手さんにも聞こえたんだろうとも思った。
粋な白バイだった。ご協力に感謝します。
むろん、先導がなくてもああいう大型車の運転手さんはけっこう上手に道をあけて下さるものではある。そうは言っても限界はあって、こちらも小刻みに加速減速を繰り返すことになる。先導があると、先行車が我々に気付く直前の微妙な減速をしなくて済み、乗り心地が良くなった。なにせ私は保育器と対面して進行方向には横向きで乗ってるから、加速減速が繰り返されるとだんだん酔ってくるもので。
まあ、白バイの先導で新生児搬送なんて、もう金輪際ないだろうな。愉快な体験ではあった。
今日の空床情況はこの子が帰った分の空床で重症1/軽症1ってところか。木曜に入院予定があって1/1はちょっと苦しいかも。工面はつくけど。母体搬送可。