市場原理が医療を亡ぼす アメリカの失敗

市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗
李 啓充 / / 医学書院
ISBN : 4260127284

本書には、市場原理がアメリカの医療をいかにダメにしたかが、克明に解説されている。株式会社が病院チェーン経営に参入したら何をするか、民間の医療保険会社はコスト削減しか考えず、ベンチャー企業と営利的に結びついた研究者がルールを無視し、その他諸々。
中でも、私にとっていままで全くの盲点であったのが、「負担の逆進性」の問題である。米国では負担が二重に逆進的になっているという。健康保険の自己負担分は、企業内での地位が高くなるほど安くなる。そうやって有能な人材をスカウトするネタにするんだと。重役クラスでは自己負担なしが普通だそうだ。出世するほど収入も増えるのはむこうでも同じなんだろうから、してみれば収入が増えるほどに健康保険の自己負担は減るということになる。
加えて、医療費負担の逆進性というのがある。

財力のない人ほど(無保険の人ほど)、ひとたび病気になった場合に、医師や病院から高い医療費を請求されるのである。というのも、市場原理の下では大口顧客ほど価格交渉力が強いのが当たり前なので、保険会社が医師や病院と交渉して大幅な値引きを迫ることができるのに対し、無保険患者の場合は「誰も交渉してくれる人がいない」ので、「定価」で医療費を請求されるからである。しかも、病院が決める「定価」がリーズナブルなものであればまだましなのだが、医師や病院が、どこかの国の悪徳酒場と変わらないような「法外」な料金をふっかけることが常態となっているから、無保険者にとってはたまったものではない。

なるほどそういうことになるのかと、目を開かれた思いである。どうも寡聞を恥じてばかりいるブログでよろしくないが。
要するに日本の医療に市場原理を導入してビジネスチャンス云々と生臭いことをいっている面々は、そんなことをしたら医療がめちゃくちゃになるなんて全然心配しなくて良いのである。そういう「勝ち組」な彼らは、出来高払いで医療内容に制限なし(とうぜん保険料は馬鹿高い)の金持ち用医療保険に加入する。その保険料は会社が支払うから自己負担はなし。
勝ち組じゃない私たちは医療内容制限付き(あんまり高い医療行為には保険がおりません)の廉価版医療保険に加入する。あるいは、購入できる医療保険がない。廉価版ったって勝ち組な面々とは違って自己負担分を支払わなければならず懐が実際に痛む。無保険だと痛むどころじゃ済まない。しかも、勝ち組の人らの医療保険会社が私らのよりも交渉力がタフだったりしたら、彼らの医療費を値引きした分が、我々の医療費に上乗せ請求されることになるのだ。

事故機を事後にシリーズの1号機と命名する

Remembering Apollo 1
1 月27日はアポロ1号の事故があった日だそうだ。地上で訓練中であったアポロ1号に火災が発生し、3人の宇宙飛行士が犠牲になった。
このNASAの写真に付された解説ではじめて知ったのだが、もともとこのミッションはAS-204と呼ばれていたそうだ。犠牲となった宇宙飛行士の未亡人たちの求めにより、この、ついに宇宙空間に到達しなかったミッションをアポロ1号と命名し、以降のアポロ計画の飛行は2号以下に連番されることになった、とのこと。
犠牲を追悼するのに適切な方法だと思う。こういう痛ましい事故に際して、関係者の心理には、忘れてしまいたいという願望が強く働くものだ。これは例外的な事例なのだからと、系列外の特別な呼称を振り当てるとかして、計画のその後の進行においてはなるだけ想起したり言及したりしないで済むようにしておこうとするものだ。まして国家の威信をかけて「60年代のうちに人類を月へ」などとぶち上げた大計画である。事故機をその1号と呼ぶことにするってのは勇気が要ることだと思う。そりゃあまあ勇気が無くては月への有人飛行などできるものではないにせよ。
我々は病棟で亡くなる全ての赤ちゃんに対して、彼らを追悼するのに、NASAの面々に比肩するガッツをもって追悼できているだろうか。自分たちの力の及ばなさを痛感させられたあとであっても。
Wikipediaを参照すると、彼らはこの事故の原因を子細に究明し、公開しているようだ。

訂正記事

さきの朝日新聞の記事には訂正記事が出た。およそ医療関係の報道に訂正記事が出たのを初めて見たように思う。いかなる内容であれ、訂正記事が出たこと自体は大きな進歩だと思う。しかもその記事内容も謙虚な書きようで、他分野で見かけるアリバイ的なそれではなかったように思えて、好感を持った。
この訂正記事は決して本ブログの記事がきっかけになったわけではなく(当たり前ですが)、朝日の取材を受けていた当のNICUから相当に厳しい抗議がなされての結果である。
その訂正記事を読んで、しまったと臍を噛んだのだが、「三日三晩」という表現は元記事には使われていない模様であった。「三晩」が余計であった。陳腐な表現だと腐しておいて、実は陳腐なのは自分のほうだったということで、我ながらお粗末であった。
この点については朝日新聞に、とくにくだんの記事を書かれた記者氏には深く、お詫び申しあげたい。およそ文筆を生業とする諸氏にとって、表現が陳腐だというのは相当な侮辱であろう。礼節を欠いたことをしてしまって、大変に申し訳ありませんでした。むろん大朝日に比べればこんなブログなど蟷螂の斧で、朝日新聞を対等に見ての謝罪記事など噴飯ものかもしれないが、しかし私は「自分は弱い立場なんだから強い相手には理不尽なことをしても許されるんだ」みたいな根性を好まない。ここは真っ当に、お詫びさせて頂きたい。
また読者諸賢にも深くお詫び申し上げます。いい加減な記事を書いてしまいました。本件で当ブログ全体の信頼性が損なわれたと思いますが、覚悟して甘受致します。多くの方々に真摯な御反響を賜りましたので申し添えますが、決していわゆる「ネタ」「釣り」の意図があって誤記を装ったものではありません。単純に、ケアレスミスです。
元記事を読んでもやもやした気分であれこれ考えたことを、後になって記事に書いたわけですが、実際にブログ記事を書いた時点で元記事を直接参照しなかった。失策ですね。どうせウエブで読めるさと、元記事をスクラップせず捨ててしまったのが原因です。実際にはウエブには公開されず読めなかったので、記憶で書いてしまいました。記憶で書いたにしては居丈高な文章で、返す返すも至りませんでした。
図らずも、ネット時代も新聞は必要だという教訓にもなりました。ときどき各紙でキャンペーンしてますよね。考えてみればウエブ記事など刻々修正が入り旧版は破棄されるわけですから、批判する当の相手のウエブサイトを頼りに批判記事を書くってのは、ナイーブで危うい態度ではあります。「俺はこの元記事を読んで書いたんだ」と言えるような物的証拠を保存しなければならない。紙媒体はその点で捨てがたいです。たしかに、ネット時代も新聞は、あるいは正確に言うなら「新聞紙」は、ぜひにも必要ですね。
それはそうと、本当に修正するべきなのは、こういう美談を大げさに書いたら取材対象も悪い気持ちはしないだろうという認識なんですけれどもね。しかしそういう「認識の修正」は訂正記事じゃあ寸足らずでしょうね。

リンクのないトラックバックは受け付けませんの設定

トラックバックを下さろうとしてうまく行かなかったというコメントを、さいきん複数回賜りましたので事情をご説明申しあげます。ご迷惑をお掛けしたみなさまにはお詫び申し上げます。
スパム対策として、「リンクがないトラックバックを受け付けない」をオンにしてます。エキサイトによると、「トラックバック送信元記事にこのブログへのリンクが存在しない場合はトラックバックを受け付けません。ただし、エキサイトブログ同士のトラックバックには適用されません。」なのだそうです。トラックバックを頂く際にご留意頂ければと存じます。
手の内を明かしちゃってスパム対策になるんだろうかという気もしますが。すみませんです。

三日三晩働く医者が理想なのか

朝日新聞の「患者を生きる」という企画で、現在NICUが特集されている。関東地方のNICUが舞台なのだが、例によっての朝日新聞の医療記事である。ネットではまだ公開されていない。
そのNICUでは「完全主治医制」で、記事に登場する女医さんは「三日三晩」不眠不休で赤ちゃんの診療に当たったと、書かれてあった。主治医以外の医者は手を貸さずに三日三晩孤軍奮闘させるのかよ、今日日ずいぶんと非情なNICUだなと、呆れて読んだのだが、どうやらこれは誤報だという業界内の情報が伝わってきた。周囲も手を貸してるし主治医も休む時間はあった(そりゃあ9時5時とはいかんにしても)とのことだ。極端に休日が少ないような書き方をされていたが、実際は休暇もちゃんと配慮してあるとのこと。そりゃそうだよな。
まず三日三晩という表現がいかにも陳腐で、こりゃあ紋切り型の表現が先にあってそれに当てはまるような具体例を後から探したなというのは見え見えだ。そういうことをしてはいけませんよと著書「日本語の作文技術」に書いた本多勝一氏はどこの記者だったと、ちと問いつめてみたい気もした。
三日三晩不眠不休と報じても、その記事を書いた朝日新聞の記者さんには、それはあくまで美談と認識されていたようだ。「こんなに休み無く働かせては過労からの医療事故が生じるかもしれない」というような問題意識はその記事には感じられなかった。医療事故そのものはあれほど叩く癖にね。「完全主治医制って医師間の相互批判が無いってことかい?独善的な医師の独走をどう防ぐの?うっかりミスを防ぐようなフェールセーフは働くの?」みたいな疑問も持ってなさそうだった。「三日三晩不眠不休だよ、医者の鑑だね、そういう医者が働くNICUって凄いね」という認識のようだった。
これはいかにもお目出度い認識だ。新生児医療はそんなに甘くない。三日三晩で解決するような短期決戦はNICUではむしろ少ない。26週0日の超早産児は三日三晩経っても26週3日の超早産児なのだ。それに1人退院するまで新規入院が無いというわけでもない(テレビの医者番組では1人治るまで次の患者は来ないけれどもさ)。NICUでは三日三晩不眠不休で働いたところで4日目に休める保証は何もない。それよりは延々無期限に重症患者の集中治療が続く中で新規患者も続々入ってくることを前提として、それでも持続可能な態勢を作り上げるほうがよほど本質的である。どこのNICUでもそれを目指しているし、あちこちでその態勢が崩れつつあるからこそ医療崩壊が懸念されているのだし。
いやむしろお目出度いを通り越して、この一連の記事は新生児医療にとって褒め殺しと言うべきかもしれない。いったいこの記事を読んで、いまスーパーローテート中の若い医者達が「おお凄い!俺もNICUへ言って三日三晩不眠不休で孤軍奮闘するぞ!」と奮い立つだろうか。そんな非常識な職場へ行って過労由来の医療ミスをした挙げ句に朝日新聞に載るのは御免だと、若手に言われても返す言葉があろうはずもない。
先日の奈良の「6時間放置」の報道はこの認識の延長上にあるものだろう。三日三晩不眠不休なのが偉い医者で、重症患者が居るのに仮眠を取るのは唾棄すべき怠け医者で。さらにその延長上にあるのが「爆弾3勇士」とか「突撃ラッパを離しませんでした」の記事なんだろう。そういう戦場美談に、泥沼に嵌りつつある戦争の実態が塗り隠されていく。それでいよいよ医療が困窮してくると「欲しがりません勝つまでは」と来るんだろうから、銃後のみなさんもよくよくご用心されたがよろしい。まあ、それでも新聞は売れるわな。それで良いんだろうけれどもさ。彼らにはね。

認めたくないものだな 自分自身の若さ故の過ちというものを

年末の帰省は高校の同窓会に出るのが主目的だった。成人式のついでの同窓会に出たっきりだったのでもう20年近くになる。懐かしさに勇んで出かけたのだが、終わった今の感想は表題のとおりである。ガンダムの次回予告そのままの、思い込みの激しい美文調の心境で、待ちに待った会ではあったのだが、自分をシャアに喩える恥ずかしさまで含めて、今はこの台詞がすべてのような気がする。
むろん、どのみち同窓会の恥ずかしさなんてのは、高校時代の行いであらかた決まっている。私の場合は、自尊心を保ちたければ当時の旧友たちとは縁を切るに如くはないほどに、高校時代の賢しらさが後を引いている。実際、自分が賢いとか特別だとか勘違いしている凡庸で馬鹿なガキほど相手にしたくないものはないし、それが自分自身だったりするとなおさらだし。だからこんな文章を書いているとしても、決して同窓生や幹事を腐す意図はないのである。腐すのは我が身だ。
はてなの解説にいわく、「自分自身がまだ若く、管理能力に不備がある事への自虐の台詞だと思われるが、パロディでこの台詞が使われる場合は、なぜかある程度の年齢に達していて若いころの間違いを回顧するようなシーンで使われる場合が多い」 のだそうだが、自分の高校時代を回顧するという意味でも、同窓会での振舞いを省みる意味でも、その若さゆえの(この年齢になっては「未熟さゆえの」とより否定的な表現を使うべきであろうが)間違いを認めたくないものだなと思う。
 同窓生たちはみんな大人になっていた。そしてタフな職場でタフな仕事をしていた。いろいろと他業種のタフな話を聞いた。いろいろ言っても医者なんて甘いもんだよねとつくづく思った。彼らに比べて私はずいぶんとアマチュア気分が抜けずにいるような気がする。医者の中でも小児内科はけっこうナイーブな感があるし(俺だけか?)。
 恩師に会ったのは卒業以来だ。私を京都へ送り出してくださった恩人である。当時の口調そのままに、仕事に邁進して頑張れと檄が飛ばされた。それを聞いてると、「おおきくなりたいね」などという副題に象徴されるような、自分に未開発な成長の余地が潜在しているかの如き幻想は、たしかにもう捨てる頃合かなという気がした。「もう無限の可能性なんて信じるトシじゃあねえんだ俺は」ってなものでね。今の等身大の自分でフル回転する年齢なんだよな。副題かえなきゃいけませんね。
医者になった者が多い。満遍なく各科揃っている。まさか高校の同窓会で眼科医と未熟児網膜症の話をすることになろうとは思わなかった。対して、教師になったものが一人も居ない。わりと「偏差値の高い」高校の「偏差値の高い」クラスで、担任だった恩師もその後に県の教育行政の頂点近くまで出世したエリートだったのだが。このクラスの卒業生に教師になった人間が一人も居ないということに、現代社会が教育者に与えている尊敬の程度が現れているかに思えた。
今さらそんなこと言うんならお前自身が教職に就けば良かったんじゃないかというツッコミは無しで願います。定型発達じゃない私に教職は過酷でして。
翌日京都に帰って息子を自宅に送りとどけ、自分はその足でNICUに顔を出した。いや勤務先も徒歩数分なんでそれほど大層な話じゃないんですがね。家では妻と娘がまったり過ごしていた。そういえば高校時代からこの人の前では自然体で居たよなと思う。
NICUでは新しく超低出生体重児が産まれていた。ちょうど、私が同窓会でへらへらしていた時分に、若手はこの子の出生後処置で孤軍奮闘していたらしい。有能な後進に恵まれるのは有り難いことである。彼女がいなければ私は今回の同窓会には出られなかった。
帰ってから振り返って、同窓会の会場でさえ「高校生時代の自分」の鋳型に我が身をはめていたのに、改めて気づいた。そういうことが無意識にやっちまえるんだねと自分の社会性を少々見直しもしたが。あのころの仕立ての悪い学生服同様、あのころはずいぶんと身動きのしにくい「型」にはまっていたようだ。
ここでは肩肘張らずに済む。卒業後色々あったが、私は公私両面でright placeを見つけたようだ。結局、それを再確認したのがこの同窓会の一番の収穫だったか。それならそれで大きな収穫だよなと思う。幹事さんには再度感謝を。ありがとう。

故郷の山は常緑であったはず

2泊3日で、息子を連れて故郷に帰っていた。
たちの悪いウイルスのように、魯迅の「故郷」が頭に居着いていて、帰省というといたずらに物憂い気分になる。「厳しい寒さをおかして、二千余里をへだて、二十余年間無沙汰をしていた故郷へ、私は帰った。」とか何とか。実際には、冬とはいえ長崎の陽光はさすがに強く、魯迅というより中島敦の南洋譚のような光景ではあったのだが。そして中島の南洋譚よろしく、強い陽光の下でじりじりと故郷は衰退しつつあった。
大村湾に突出した小さな岬のたもとに実家がある。実家の前は海、実家の裏山の向こうもまた海である。その岬に植わった木々が褐色に変色していた。一見して紅葉かと思ったが、しかし本来ここの山は常緑のはずだ。紅葉する木もあるにはあるが少数派だ。大多数の木は緑のままで年を越す山であったはずだった。
昨年の台風の影響だという。風ばかりで雨の降らない「風台風」だった。例年の台風なら塩をかぶっても雨で片端から洗い流されるのに、昨年は塩をかぶったままその後の2ヶ月ほど渇水に堪えねばならなかった。そのために例年になく山が枯れたのだと母は言う。
とくに岬の突端付近の変色が激しい。かつて子どもの頃に遊んだ道を登って岬の尾根に立ってみる。ここはまさに「二十余年間無沙汰をしていた」場所である。
海岸から登り詰めるとすぐ向こうに海が見える。向こう側は崖になってまっすぐ海へ落ち込んでいる。この尾根はこんなに細かったかとまず思う。それは私がもう小学生ではないからだろう。しかしこの尾根はここまで砂地ではなかったはずだとも思う。昔はクッション代わりに出来るほどに落ち葉が積もっていたような記憶がある。今は、植物が腐敗してできる系統の土がほとんど無くなっていて、岩石が砕かれてできる系統の砂地になっている。まるで黄河流域だ。
たぶん風がきれいに林の土壌を剥ぎ取っていったのだろうと思う。昔は木々が密生して風を遮り、尾根の土を保持していたのだろう。そう言えば、昔はこの尾根に登っても、岬の向こうの海は今ほどには見晴らせなかった。おそらく木々の防壁を破るほどの激しい風台風だったのだ。そして土を奪われた林は瘠せ、ますます風通しが良くなり、瘠せに拍車が掛かってしまっているのである。
こういうのを温暖化と言うんだろうか。国破れて山河ありと漢文で習ったような記憶がある。そんな漢文の授業を受けていた子供時代には、たしかに、この山が枯れるとは思ってもいなかったのだが。
そういえば今は「国勝って産科なし」の状況ですが。まあそれはさすがに温暖化とは関係なさそうですがね