モジモジ君の日記。みたいな。 – 育児の事、「結局カネの話ではないのか」経由で、北沢かえるの働けば自由になる日記 - 書いて置けよ、わかるようにを読んだ。以下、言い尽くされた感想かもしれないけれども、心覚えとして書き留めておく。
・すくなくとも私の息子(自閉症ですが)には、やっちゃいけないことを教えることは可能なので、「障害児だから『分からない』」と一括りにされると、彼には傍迷惑な話である。この言説が人口に膾炙すると、「障害児」と呼ばれる子供のなかには息子同様に迷惑する人が多いんだろうなと思う。あんまり「障害児だから」という括りはして欲しくないものだと思った。
・あるいは、その場ではもっと具体的に障害の内容を説明されてたのかもしれなくて(相手の心に届く状況だったとは思えないけど)、北沢かえるさんが相手の個人情報のことを考えて詳細を書かれなかっただけかも知れないけれども、でもそうだとしたらそれはそれで息子にとっては迷惑だな。どういう意図にせよテキストは自走するものだし。って、釈迦に説法か。
・うちの息子に関しては、規範を教えることよりも、いったん身につけた規範からの「適切な逸脱」を教えることの方がよほど難しい。たとえばクルマが一台も走ってこない休日の赤信号も彼はぜったい渡らない。同じことをしてあるときは叱られあるときは放置されるとなるとかえって彼には混乱とストレスの元だろうなとも思う。どういう場面にせよやっちゃいけないことをしたら画一的に叱られる方が彼にとっては理想じゃないかと思う。世界の見通しが立つという点で。
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「自分の子なのに、『わからない』って決め付けるなよ」って気持ちもあったな。
という言葉は私にとっては激励的に、有り難く響く言葉である。このお子さんが具体的にどれくらい「わからない」子なのかは知りようがないし、この子の親御さんが無為無策だと責めるつもりは毛頭無いが、しかし、社会性の障害を持つ子の親や関係者の大概は、規範を身につけさせるべくかなりの努力をしているので、この北沢さんの記事を読まれた方々に、「発達障害児の親は子の躾もせず社会に無条件の寛容を要求している」などと思われるようでは大変な誤解である。そういう思い込みで障害者攻撃の波をおこすのは止めて欲しいものだと、関連するあっちこっちのサイトを見て思った。
・北沢さんが気にしておられた、「弟くん」が私も気に掛かる。この子のほうは典型的な「障害者のきょうだい」としての苦境に居るように思われる。彼には相応の配慮が必要だ。
色々書いたけどもやもやして未完成だな。