先日、息子の小学校の卒業式があって出席してきた。半日だけ休みをもらった。午後から極低出生体重児が双胎で分娩の予定であったから、全日の休みは無理だった。
息子は無事に壇上へ上がって卒業証書をもらって降りてきた。証書を折りたたみはしないかと冷や冷やしたが無事だった。本人は淡々としたもので、「卒業」ということに関して特別な感慨がなんらかあったのかどうか、よく分からなかった。おそらく、単に小学校へ行く最後の日だという事実認識があるばかりで、最後だからどうだという意義付けはとくにないのだろうと思った。散々お世話になった幼稚園の担任(ちなみにすごい美人)に数年ぶりに出会ったときも、彼女が当時と同じ腕時計をしているかどうかしか感心がなかった人だし。
式の最中もなんとなく午後の分娩が気になっていた。校長先生やPTA会長が訓辞で生命の大切さとか云々されたが、具体的な生き死にのかかる予定を午後に控えていると、命が大切な理由というのを力説する必然性が今ひとつぴんと来なかった。震災の年の2月に神戸から京都に出てきた折に、ここは何故にこんなに平穏なんだと戸惑ったことを思い出した。
仮にも1000gあるんだから生きるの死ぬの大袈裟なことを言わず淡々と救えよと、仰られたらもう返す言葉もないのだけれど、でも12年したら今日の子らも卒業式に出てるんだよなと思うと、その連続性がちょっと意外な発見であるような気がした。
保護者代表謝辞というのを読む役割を仰せつかっていた。妻がPTAの仕事で卒業対策委員とやらをやってて(特殊学級で生徒数少ないからやたらと役をこなさねばならない)、学校のことは妻に任せきりでなにもしてなかった罪滅ぼしにと思って引き受けてみた。人選の苦労なと多少は減るだろうし。
せっかく特殊学級の保護者が読むんだからと、障害のある子なのに全くいじめを受けることもなく過ごせたことを強調した。時節柄、来賓のあいだでは小学校の先生達の株が上がったんじゃないかと思う。
実際、この6年間、学校でのいじめを問題にすることは全くなかった。長女に言わせれば、妹としては「見てるこっちがむかつく」ことが無いわけでもなかったらしいのだが、言葉の当てこすりは当人まったく理解できないんで、いじめとしてカウントするほどでもなかろうと思った。
自分の息子が平穏に過ごせたから良かったというばかりではなく、障害をもった友人をいじめない6年間の生活というのは、他のこどもたちにとっても、またとなく貴重な経験であったと思う。弱みをもった人間はいじめられるしかないんだという認識を人生の初期に刷り込まれると、後々の生き方がかなり貧困でナイーブなものに限局されてしまいそうな気がする。親しくしていただいて、級友達には感謝至極なのだが、そう言う意味ではうちの息子もけっして一方的に恩を受けてばかりというわけではなかったと思う。
