それでは俺が過労死するのは俺のせいなのか

若者はなぜうまく働けないのか? (内田樹の研究室)
内田先生の説諭で、かつての俺か過労死しかかってたのは「自己責任」だったということがよくわかった。俺は自分でも知らないうちにイラクに行っててムジャヒディンな諸君にとっつかまってたらしい。やれやれ。
正確に言おう。若い人が過労死しても団塊の世代の奴らは自己責任だとしか言わないってのが、よおおおおおおく分かった。実によく分かった。自己責任だと言えばいい理論武装が着々と進んでいるんだ。戦慄の事態だね。もう一つ、倫理的な正しさと論理的な明快さというのが全く別物だと言うことも、内田先生に教えていただいた。全くこの先生には学ぶところが多い。いろいろな面で。
内田先生の論理が通用するのは、職場のみんながみんな一人前以上に働くという前提があってのことじゃないかな。無人島に流れ着いた一家なら家族の皆が皆それなりに働くだろうが。各々の良心を各々が信頼できるだろうがね。スイスのロビンソンが全くの赤の他人ならあそこまでまとまれたかね。赤の他人なら各々が必死になって貝殻を探してきたんじゃないかね。食器がないから巧く食えませんなんてお行儀のいいこと言ってなくて、さ。家族全員分の貝殻を拾ってくるくらいの智慧が自分に働かなかったことを恥じろよ親父!(とか言いながらその親父の職業が医者だったことを思うと私は穴があったら入りたい)。
そんなぬるい小説だからクルーソー氏の漂流記ほど売れなかったんじゃないかね。
無人島に流れ着いて自分らで働かないと食い物すらないって時に、のほほんと寝てる奴が居るような状況ならどうよ。寝ていた奴らに、必死に働いた人間が、寝ていた奴らの分まで働かなかったからとなじられたらどうよ。必死に働いてようやく一人喰っていけるかどうかの食料をかき集めたときに、「努力の成果は占有してはならず、つねに他者と分かち合わなければならない」とかなんとか言ってそのかき集めた食料を寝てた奴らに強奪されるのが、それが「社会のルール」なのか?

「お前は当直中に回診しておくと明けには効率よく休めることに気づいたのだね?」
当直医は誇らしげに「そうです」と答える。
すると診療科長は厳しい顔をしてこう言う。
「では、なぜお前は患者を全員回診しようとせずに、自分の分だけ回診したのだ。お前には当直明けに休む資格がない」

私は39歳くらいの現在でもこんなエピソードにでくわしたら、「がーん」とするだろうね。たぶんほかの業界の人でも、内田先生とか雑誌社の人に「うまく働けない」責任が自己責任だよと言われた人には、がーん、とするひと多いんじゃないかな。
とか何とか書いておいて読者諸賢には拍子抜けされるかも知らんけど、私自身はこれまでけっこう戦ってきたから、いまじゃそれほど臍をかむ思いはしなくて済むようになってはいる。NICU入院患者全員を一人で受け持たされてた時分にはつらかったですよ。むしろ今後はパラサイトミドルにならんように自戒せにゃならん年代なんだけれども。いやいや内田先生の説諭は実に勉強になる。でも内田先生の今回の記事が、若い人らの生き血を吸う奴らに力を与えることのないように、切に願う。それが「一般ルール」だと言うのなら、変えるべきはルールのほうである。

無礼の乱打

CS講演の続き。思い出しているうち腹が立ってきた。久々のフラッシュバック。
まず内田先生のお言葉を引用しておく。

これからはお客様である志願者や保護者のニーズを第一に配慮して・・・
でもさ、そういうことを言っている当のコンサル諸君は、キミたちの「お客様」であるところの大学人を「第一に配慮」なんかしてないじゃないか。
「食い物」にしているだけでしょ。
自分がやる気もないことを他人に要求するというのはよくない。

先の講演でコンサルさんがおっしゃるには、東京ディズニーランドで男女の客(恋人かどうかは定かではない)が施設内にカメラを忘れたんだそうな。閉園直後にそれを申し出られて、ディズニーランドスタッフがそのカメラを忘れた場所まで二人をエスコートしたんだと。その道中、別のカメラを二人に渡して『いまディズニーランド全体があなた方二人のためだけにあるのです』とか言ってあちこちで記念写真を撮りながら忘れ物の現場まで行ったんだそうな。
これを見習えとのことだ。病院も。
私たちはすでに、「閉園」などあってないも同然の時間外救急を夜通し行っている。「いま当院はあなた方二人のためにあるんです」どころか、救急外来には時間外の患者さんがひっきりなしだし、新生児搬送の依頼があれば24時間いつでも出かける態勢でいるし。いったい東京ディズニーランドではスタッフが日勤のあと当直で時間外の顧客の相手をしたあと翌日の日勤に出ているとでも言うのか。ネズミの中の人がじつは寝不足で過労死寸前だとでも言うのか。
コンサルさんは顧客としての病院の現状をちょこっとでも調べてからやってきたんだろうか。調べてないとしたら語るに落ちる。病院の現状をわかった上であんなご垂訓ぶりだったとしたら、悪意をもった挑発をうけたとしか思えない。かすたまあ・さてぃすふぁくしょんなんていったいどの口で言えたんだと思う。
医療も崩壊しかかって医療事故という疫病神にとりつかれやすいってのは確かにそうなのだが、ほかにも、弱目を見せると群がってくる手合いというのがあるようだ。ものは何であれ、腐りかけると、腐ったものが好きな獣や虫や菌類が寄ってくるんだよな。分解者というのは生態学的にはたいそう重要なものだと大学で習ったが、しかし日の当たるところに出ても見栄えのよいものじゃないんだよね。ハイエナにしてもシデムシにしても。
ディズニーランドのお話はたしかに感動的だとは思う。本当にあった話ならなおのこと感動的だと思う。閉園後の施設内ってどういう施設でも迷いやすいものではあるし、それとなく監視も必要だろうし、いらぬところに触るなといちいち注意するよりは要所要所で記念写真と称して行動をコントロールしたほうが上品だろうし。さすがは東京ディズニーランドだと思いますよ。ディズニーランドに他意はありません。

病院職員は電気ネズミの夢を見るか

勤め先の病院が全職員対象に、環境変化におけるCSの重要性とか称した講演会を開催した。3回繰り返してやるからどれかに必ず出席することというお達しで、事前に出席予定の調査まであった。なんだか詰まらない予感がしたんで、さっさと済ませるに限ると思って、先の金曜日に開催された初回に登録しておいた。
確かにCSは重要である。適切なタイミングでcesarean sectionに踏み切らないと母児ともに危険にさらされる。これだけ周産期医療をとりまく環境が厳しくなったご時世では正しく帝王切開を行うことは病院の死活問題である。死活問題ではあるがしかし、全職員を集めて地方銀行の関連企業が講演するってのは何か不釣り合いな気がした。
実際にはCSというのはCustomer Satisfactionの略であった。読者諸賢にはご明察の通り、東京ディズニーランドの接客が理想として語られた。ネズミの一派を見習えというご託は私はもう聞き飽きた。コンサルってみんなそう言うんだよね。枕詞はCSだとか何だとか(以前のはみんな忘れたよ)いろいろ変わっても。いったいコンサル君たちは東京ディズニーランドの接客を指導しとるのは自分だとでも言うのだろうか。他人の手柄を他人の職場で自慢して銭は自分がいただくけれど後の顛末は他人の責任でってのは、それはまっとうな商売というのか?そもそも君ら自身は俺ら顧客の満足を考えてるのか?
それでも、俺も出世したことだし、たまにはよゐこな面も見せなければならんなと、前半の講演は我慢して聞いていた。我慢ばかりだとやられ放題な気がして、この人は説教臭すぎるのが原因で銀行から関連企業に左遷されたんじゃないかなとか考えてみたら多少は気が晴れた。そのうち、私のお話はこれくらいにしてとようやく言ったので、やれやれこれで帰れるぜと席を立ったら、後半ではお互い同士で挨拶の練習など実際に行いますなどと言い出した。なんだかもう一刻もその場の空気を吸ってられないような気分になった。まだ帰るところではありませんよという声が羽虫のように背中にまといつくのを振り払って、そそくさと帰ってきた。
しかしこうして病院にやってくる面々の誰もが病院は東京ディズニーランドを見習えと言うってのは、なにか世間に広く根源的な認識として、病院はディズニーランドたるべしという暗黙の要求が出回ってるんではないかと思った。健康保険証という入場パスを買って入場したら、あとは無料で希望通りのアトラクションに入れて、アトラクションでは黙って座ったら座席が勝手に動いて100%安全保障のお楽しみを味わわせてくれて。多少は行列で待つことがあっても職員が完全無欠の笑顔でパレードしてるから全然退屈しなくて。病院にもかくあれと求められているのだろうか。理解できそうな気もするし、医療ってそんなものではないだろうと腹が立つような気もするし。なんだかなあ。
Customer Satisfaction についてはその後、内田樹先生の論評を拝読した。ネズミ話よりもよほどためになったので書き留める。

太陽の塔

太陽の塔
森見 登美彦 / / 新潮社
ISBN : 4101290512
昨日、当直あけの週休で、眠くて勉強する気にはならないが寝るには時間が半端だし気も立ってるしで、買ったまま置いてあった本書を読んだ。愉快な小説だった。京大生男子を描いて何がファンタジーノベル大賞なんだろうと思っていたが、過去と現在やら現実と夢の中やらがごっちゃに入り混じって、まさにファンタジーであった。のみならず、文体の韜晦ぶりも「キャッチャー」に始まる古典の引用も、その「ありがちさ」がいかにも大学生の書く文章の雰囲気を醸し出していて、巧い小説だと思った。
大学の頃ってこうだったなと思った。そうか俺はあのころファンタジーの世界に住んでいたのか。SFは好きだったけど、ファンタジーなんて因果律無視のご都合主義な物語なんか子供の読み物だと思ってたんだがな。主人公は過剰な自意識を相対化できているぶん、大学生の頃の私より偉いと思う。かつての私は、自分が自意識過剰だなんて思いつきもしないほどに重篤かつ深刻な自意識過剰ぶりであった。観念云々言って高橋和巳なんて読んでたし埴谷雄高にも手を出しかけてたし。でも男子学生の頭の中なんて「死霊」よりも本書に近いんだよなと思う。
小説の舞台がまさにいま自分が暮らしている土地だったのが、また特別な気分にさせられる。本書を買った本屋も小説内に登場する(とか何とか本屋が自称して平積みで売ってた)。主人公が行きつけのパン屋も実在である。実在ではあるが店の名前は赤毛のアンにちなんだもので、とうてい安下宿に逼塞する5回生が通う店名ではない。赤毛のアンにはマシューという登場人物もあることだし全く無縁とは言えないか。アルバイト先の寿司屋にも、たぶんあそこだろうなと思われる寿司屋がある(ちなみにかなり旨い寿司屋である)。映画の撮影をしていた廃墟ビルのモデルはこのまえ中台間の帰属問題でニュースになってた光華寮ではないかと思ったが、他にも訳の分からない廃ビルがひょこっと建ってたりする街だから明言は避けたい。避けたいとは言いながら、仁川先生って誰?
男汁がどうたらと女性に縁の薄そうなことを書いていたが、主人公の下宿から目と鼻の先にうちの看護学校があるのにと思った。学校には数年前までは寮もあって山全体が女臭かった。気づいてなかったんだろうか。縁なき衆生は救いがたいものである。
大文字山や鷺森神社もとうぜん実在である。散歩のついでに火床に登ったり鷺森神社まで行ったりするのはけっこう健脚だよなとは思う。さすが運動部員である。火床までの登り道は鬱蒼と木々が茂る昼なお暗い山道だから、よほど慣れないと少人数での夜間登山は危険である。まして夜中に火床で飲酒して帰るなど、あまり真似しないほうがよい。
鷺森神社の近辺からは叡山電車は見えないはずだ。あの辺では叡山電車は住宅地の隙間を縫って走るので、まず見えっこないと思う。だから見えないものがみえるあのシーンはファンタジーである。まあファンタジーなんだからいいんだけど。

予防接種の間隔について通達が来た

まず淡々と引用します。

                             平成19年3月28日
京都市予防接種協力医療機関 各位
                             京都市保健福祉局長
          予防接種の接種間隔について
 ジフテリア、百日せき及び破傷風の第1期の予防接種の初回接種については、「沈降精製百日せきジフテリア破傷風混合ワクチンを3週間から8週間までの間隔をおいて3回皮下に注射する」ことが予防接種実施規則で定められています。
 したがって、3週間未満又は8週間までの間隔を越えての接種については、予防接種法に基づく定期の予防接種ではなく、任意の予防接種となります。
 同様に、日本脳炎の第1期の予防接種の初回接種についても、「日本脳炎ワクチンを1週間から4週間までの間隔をおいて2回皮下に注射する」ことが予防接種実施規則で定められています。1週間未満又は4週間までの間隔を越えての接種については、任意の予防接種となります。
 これらの任意の予防接種の場合、健康被害が発生しても、国の健康被害救済制度の対象とはなりません。独立行政法人医薬品医療機器総合機構法に基づく救済制度(医薬品副作用被害救済制度)を活用していただくこととなりますので、該当者があった場合には、保護者に対してその旨を説明し同意をえたうえで接種を行ってください。

DPTを3週間未満の間隔で接種してくれと言われた経験はないんだけれど、つい風邪が長引いたり仕事が忙しかったりあれこれの事情で接種間隔が8週間を越えてしまうってことはよくある話だ。
この通達が言ってるのは2点。一点目は、DPTは8週間を越えたら有料だよということだ。ちなみに消費税込み4620円。2点目は、何らかの健康被害が生じても予防接種法による手厚い救済はしないよということ。普通の医薬品と同じ程度の救済だよということである。
京都市保健福祉局長ったって行政の素人じゃないんで、こんな通達を独自の方針で出してくるわけがなくって、これは中央の厚生労働省が予防接種をそんなふうにやりますよと考えてるってことなんだろう。
でもなあ。この方針のおかげでDPTの接種率は下がるんだろうなと思う。事前の問診でいきなり4620円だとか言われたら、財布に持ち合わせがないからと中止を余儀なくされる事態も生じるだろう。ふつう無料だと思って来ますからね。いやうちの病院はデビットカード使えますしってのは決して完全な対策じゃないよね。
あるいは、いま仕事が忙しいから初回接種の1回目をやっても2回目をうまいこと8週間でやれるかわからんしと、初回接種の開始そのものを見合わせるおうちなんかも、あるかもしれない。いや逆に、いま行かないと実費になるんですとか言ったら、予防接種に行くための休みをとるのに説得力が増すのかもしれない。動機づけとしてマイナスばかりには働かないかもしれない。どう転ぶかな。
健康被害が生じても救済しませんってのはまた何とも。救済制度から外すことに医学的な理由がなにかあるんだろうか。経済的な理由ならたくさんあるんだろうけれどもさ。言うとおりにワクチンを打たない悪い子は痛い目にあっても知らないよとお上は仰るのだろう。世の中そんないい子ばかりではないんだけどな。いい子だけを相手にしてるんでは公衆衛生なんて成り立ちはしないと思うのだが。
やれやれ今後のワクチン外来が気鬱でいけないや。

小遣いをくれるおじさん

数日間の入院でもときに民間医療保険のための診断書なんて書くわけだが。書くのは退院サマリーの二番煎じみたいな薄い内容だし(「輸液と抗生物質の投与で軽快した」みたいな)いまさら仕事の負担なんてものでもないんだけれども。いちおう一枚いくらで病院の収入にもなってるわけだし。でもテレビのコマーシャルでスッポンのトシさんとかへんなアヒルとかが宣伝するのを聞いたりするたびに、違和感を覚えはするわけで。
民間医療保険をありがたがって健康保険(「国民皆保険」を形成しているあれね)を軽視するような宣伝をされるってのは、ちょうど、貧乏なお父さんを粗末に扱って、たまにやってきて小遣いをくれるおじさんばかりをありがたがる馬鹿息子になるようにと説得されてるようなものかななんて思ったりもして。馬鹿息子は苦労して飯を食わせて服を着せて学校にやってくれるお父さんには砂をかけつつ、羽振りのよさげなおじさんにはしっぽをふるわけだが。そもそも生活費全般とか学費とかの一切合切と、子供の小遣い銭と、どっちが高額なんだとか考えもせず。
しかしそのおじさんも小遣いをくれるから善人だとはかぎらないわけで。いやいや世間のたいていのおじさんは善人ですよ。小遣いはくれても、息子がお父さんに親不孝な言動をしたら、おまえちょっとここへきて座れと怖い顔で呼んで説教の一つもするってのが正しいおじさんですね。たいていのおじさんはそうですよね。
時にそうではないおじさんがいますがね。息子の親不孝を陰で助長するようなおじさんが。たいがいお父さんの財産をねらってますよね。おじさんの口車に乗せられた浅慮な息子が、お父さんを見限っておじさんを頼ろうとしても、おじさんがいい顔をみせるのは息子をいいように利用してお父さんの母屋を乗っ取るまでのことですよね。乗っ取った後は、息子は学校もやめさせられて丁稚奉公に出されてしまうわけですが。
でも案外と息子が「貧乏なのに無用な学校にうだうだ生かされないで実社会に出してもらえて、実力本位で生きていけるようになった」とか言ってかえっておじさんに感謝したりしたら怖いわけですが。いや、君はなけなしの遺産をむしられてしまったんだよと。
スッポンのトシさんは七曲署ではいい刑事さんだったんだけどな。