結局今年も夏休みをとらなかったなあと8月を回顧する。
父が夏期に忙しくなる仕事をしていたせいで、こどもの頃は家族で夏休みという経験がない。というか大人に夏休みがあるなんて知らなかった。
妻には、あと2~3年もしたら娘が相手にしてくれなくなるよと言われてしまった。たしかにそうかもしれない。
月: 2007年8月
隙を見せると静脈留置針をすり替えられる
テルモが静脈留置針のカラーコードを変更した。小児科で常用している24Gのパッケージは紫から黄色に変更された。まあそれはそれでよろしい。
しかし病院上層部はこの外観変更に乗じて、またも静脈留置針の無断変更を仕掛けてきた。いつのまにかサーフローフラッシュがただのサーフローに変えられていた。先日サーフローフラッシュからインサイトに無断変更された際はもとに戻させたのだが、全く懲りてない様子である。
静脈留置針の銘柄が変更されてもそれで点滴が入らなくなりましたなんて今さら駆け出しじみた恥ずかしいことも言えまいと、今回もしばらく高楊枝を決め込んでいたのだが、入院中の重症な小児患者に点滴をさんざん手こずってしまって我慢が切れ(いや一番我慢が切れたのはこども本人と親御さんであろうが)、翌朝小児科部長に直訴した。この針では点滴が入らない。ここで超未熟児が生まれても救命できない。云々。
部長もさっそく上層部に掛け合ってくれたのだが、上層部曰く、看護部から各病棟の看護師に了解を取って変更したとのこと。それを聞いてますます我慢ならなくなる。いったいNICUで点滴とってるのは誰だよ。こんど超未生まれたら看護師が点滴とるってのかよと。むろんNICUの看護主任はまるで訳が分からないと言う。医師に確認とらずにそんな了解を出すほどの愚か者にNICU看護主任はつとまる訳がない。看護部の偉い人はNICUなんてちっぽけで意見を聞くまでもない些末な部門だと思ってるらしい。
部長の尽力で(そりゃあ超未熟児の救命できませんなんて脅迫されて怖かっただろうね)小児科の関わる各病棟にまたサーフローフラッシュ24Gが再配置された。廊下で事務長に呼び止められてすみませんでしたねと言われた。すみませんでしたね、か。故意に不良な弾丸を納入した業者はゴルゴに殺されてましたがね。
たとえばこんな一夜
午後8時 点滴漏れで一般病棟からコール
午後9時~12時 NICUに新入院
その間午後11時 救急外来で肘内障整復(まあこれは単純に済む仕事ではあった)
午前2時半~3時 救急外来
午前4時~5時半 一般病棟で点滴漏れ再コール:大格闘の末に再確保
午前5時半~7時 救急外来から一般病棟へ入院
午前7時半~8時 NICUに新入院:朝回診を経て午前中のNICU担当へ引き継ぎ
大変な一夜だったように思うがこうして書き出してみると薄い。もうちょっと仕事を素早くやれよということかもしれない。入院1件に何時間かけてるんだよとか自分につっこみをいれてみる。いやちょっと珍しくて難しいケースだったしと言い訳もしてみる。
ちなみにこれは8月16日夜から17日朝にかけての当直の内容である。むろん16日は朝から出勤してNICU担当とか帝王切開立ち会い(うち1件はNICU入院)とかの平日業務をやってたわけだし、17日は午前も午後も外来担当だったし。
もう少し要領よく寝れば良かったのだろうけれど、睡眠時間は2時間だか3時間だかだった。でも病棟でも私がもうちょっと寝ただろうと思っているだろう。いやいやもうすぐ四十郎な私が苦労を分かってもらえないなんて言っても愚痴にしか過ぎないわけですが、しかしたぶんNICUの看護師たちは私が午前0時過ぎて7時近くまで寝ていただろうと思ってるわけだし、一般病棟の看護師は私が宵の口から午前4時までは眠れただろうと思っているし、外来看護師は午後11時から(あいだに1回起こされたにせよ)5時半くらいまでは寝てられただろうと思っているだろうし。誰も彼もが私が5時間くらいは寝てられただろうと思ってるだろうねということで。
少子化担当大臣がひとり靖国を参拝する
高市早苗氏が閣僚ではただ一人靖国神社を参拝したそうな。少子化担当の大臣が、全閣僚が尻込みするなか単独で靖国を参拝するというのは、何だかあまりにもベタにできすぎた話で、上品さを尊重する私としては言及するのもはばかられるのだが。ここで「この人は子供を増やすことで何を目指しているんだろう」とか突っ込んだら負けなんだろうか。
医学が好きで好きでたまらぬ医学生っているのだろうか
もやしもん―TALES OF AGRICULTURE (1) (イブニングKC (106))
石川 雅之 / / 講談社
ISBN : 4063521060
妻が買ってきたので面白く読んだ。
学内自治寮にすむ2回生が研究室に入り浸るシーンがあって羨ましかった。医学部ではこれは困難だよなあと思った。使われてない教室に勝手に入り込んで酒を醸造してましたみたいな出発点から研究室に入り込むってのはねえ。ひたすら講堂に座ってノートをとってポリクリに回っての受動的な日々だった。ときに研究室をのぞきに行くこともあったけど、ここまで濃密に入り込んではいなかった。
百姓仕事が好きでたまらず農学部に行くとか、機械が好きでたまらず工学部に行くとか、好きが昂じて専門に勉強するというのはどの学部でもあるんだろう。とくに文学部なんて、文学なんか知らんぞと言う人間は決して行かないだろう。それなりの素養があってみんなその学部を選ぶんだろうけれども、医学部だけは、俺は医者仕事が好きで好きで医学部に来ましたなんて人は原則あり得ない。そんな人は医師法違反だから医師免許が取れない。
法的な処罰を受けてなかったらOKなのかな。
医学部に入ったときに何で医者になろうと思ったかとさんざん問われたんだけれども、なるほど他の学部の奴らはそこに居ること自体が理由の主張になってたのかと今さら知った。仕事の内実を知らないまま、全く潰しの利かないタコツボ学部に乗り込んできて賢しらな顔をしている新入生なんだから、確かにそう聞いてみたくもなるよなと思った。
俺が学生時代には学部の勉強を熱心にやることがこれほど輝いて見えて漫画のネタにまでなるなんてことはなかったなあとも思った。ある意味、今のほうがよほど真っ当な時代だと思う。
もういっぺん大学行きたいなあと思った。
当直明けに頭が重い。
当直明け。頭がどんより重い。それでも今日は当直明けの日に午後の週休がとれたからなんぼかマシではある。
延々と中2日の当直が続く。続くと言っても当直表を組んでいるのは私だから自分でやってることではあるのだが。他人が組んだシフト表でこのペースなら昔の俺は腐るだろうなと思う。今月1ヶ月で病院に出る義務のないのは5日の日曜だけだったし。でも他の医師だって決して楽してるわけじゃないし。
自分でシフト表を組んでみるとつくづく、職場を切り回すというのは人に頭を下げて働いていただくってことなんだなと身にしみて思う。働かせてやってるとか勉強させてやってるとかではなくて。頭を下げる人が一番偉いんだよなと今は思う。俺が居なきゃ困るだろうとばかり頭の高い奴ってのは、結局その場に関する責任を本当の意味では担ってないやつなんだろうなと思う。
医師が増えて層が厚くてよろしいと喜んでいたのは昨年の暮れだったか。それから人が一人減り二人減り、今では私と若手と二人で中二日の当直をまわし、合間にはもう世間では定年退職する世代の先生にお願いしたり大学から応援を頼んだりしている。さすがに二人で交互に中1日当直はきつい。当直者が新生児搬送で病院を留守にするときなど呼び出しもあるわけだし。
それでも今月の私の当直は9回にすぎない。大学のひとたちは月に13回とか当直をしているという。大学病院の当直だったり、小児科当直を常駐させますと志したはいいが常勤医では回らん弱小病院の当直だったり。いや、うちもその一つなんだから偉そうなことは言えませんが、しかしそんな当直暮らしをするために彼らは大学院に入ったんだろうか。ぜんぜん勉強にも研究にもならんような気がする。
いったい医者はどこに消えていくんだろう。探せばどっかに居るんだろうけれども。うまくすれば「七人の侍」でここ一番に村人が出してきたご馳走みたいにわらわら出てくるんじゃないかと思うんだけれども。
赤ちゃん学の目指すところ
周産期新生児学会で感銘を受けた言葉。といっても、さっさと記録しておかなかったので詳細は違うかもしれないが。論旨を。
赤ちゃんの行動を研究しておられる先生が、「赤ちゃんの能力や行動の研究を通して、『結局は赤ちゃんってどう育てても育つんだ』ということが示せたらいいなと思っている。赤ちゃんはきわめて有能でタフなのから、ああだこうだと大人が小細工を弄しなくても本来の道筋をちゃんと育っていくのだということを、研究で示したい」という趣旨の発言をなさった。
いわゆる赤ちゃん学を見直したように思う。赤ちゃんの行動の研究には、「赤ちゃんはこれだけ有能で周囲のことも分かってるんだから、育て方を間違うと本来の成長ができませんよ」と育てる側を萎縮させるようなメッセージばかり出しているという印象を持っていた。相手を萎縮させ畏れ入らせるのって快感が大きいからねえ。学問的興味というよりはその快感にドライブされる学問じゃねえかなんて邪推していたのだが。
むろん、この発言のあったシンポジウムの座長は小西行郎先生であった。