1年という時間は十分な時間なのか

奈良の搬送中事故は残念な結末であった。赤ちゃんの冥福を祈るものである。
報道に大きく取り上げられたのはこれが奈良県であったからだろう。「また奈良だ!」といった論調で叩かれている。1年間何をしていたのかと、怠慢を責める声が大きい。しかし、これが奈良でなければニュースにもならなかったんじゃないかな。奈良県だけの特殊状況ならむしろ安心なんだけれどもねと私は思う。京都府庁には心胆寒からしめられるべき方々がおられるようにも思う。
しかしたった1年なのである。むしろ、本腰入れてみたら1年で立派なシステムができました等ということになったら、それこそ、気張ればたった1年でできることを今まで何故に放置していたのかと、怠慢を問われるべきであろう。
それにしても1年あればこのくらいの作業は進んでいるはずだよという声には、真摯に耳を傾けていただくにしても。

1年でなにができよう。医学部志望の高校3年生が浪人生なり教養課程1回生なりになる。臨床実習中の6回生が1年目のスーパーローテート研修医になる。2年目のスーパーローテート研修医が1年目の産科医員になる。うん、結構な進歩だよね。でもそれで奈良県の産科医は何人増える?
こういう症例を遅滞なく受け入れられる救急態勢を作り上げる時間としては、あまりに短い。
たくましいシステムは微々たるものの積み重ねでできあがっていくものだ。崩壊させるのは一瞬かもしれないけれど。今回の一件で救急隊員から「大淀病院の○○先生さえ居ていただけたら」とかいう声が、もしあがったとしたら空しいだろうなと思った。ベテランの先生に診ていただいて状況把握がもっと迅速に行われてさえいれば行く先がもうちょっと早く決まったのにとか。

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