海を歩く

海を歩く―北海道一周シーカヤック旅航海日誌
堀田 貴之 / / 山と溪谷社
ISBN : 4635280500
自宅と病院のある町内から外へ出るときは搬送用救急車に乗っていくときばかり、という生活が続いて疲れると、こういう本を読む。シーカヤックで北海道を一周したお話。
自然の雄大さもさることながら、行く先々での人との交流が読んでいて好ましい。漁港に入り込んで作業を手伝っては漁獲物を分けていただいたりする。著者堀田氏の、いただくものを有り難くいただいて居丈高にも卑屈にならないバランス感覚が、絶妙だと思えた。
しかし、お気楽な旅のように見えて、実はずいぶんと気を遣う旅だったんだろうとも思った。むろん気苦労話やご教訓をこういう本で読みたくはない。そういう世間のしがらみの鬱陶しさを忘れたくて読むんだから。表面上はお気楽に徹してぜんぜん悪くない。
でも、読者の中には勘違いをする人間も出るんだろうなとは思った。
他書で、現在の北海道では漁港をシーカヤックが利用することを禁じていると知った。
推測かもしれないけれど、この本が(もともとアウトドア誌の連載だったと言うが)、その禁止に至る状況を作り出してしまったんじゃないかと思った。いや著者を糾弾しているわけじゃないですよ。でも本書の影響を受けた人たちが、大挙してシーカヤックに乗り、北海道各地の漁港に次々と入港する光景が目に浮かんだ。波間に見え隠れする程度の小さな船で漁船のじゃまをしながら港に入り込んで、あるいは自分でカヤックを漕ぐこともせず、車の背にカヤックを積んで波止場に乗り込んでいって。そしてごく当然のような顔をして、漁民に漁獲物を寄越すように要求したんじゃないかと思った。あるいは「安心していつでも寄港できる」港のシステムとかも。
やがて地元の人も、そのうち堪忍袋の緒が切れてきたのではないか。それなりに海を知った(著者はシーカヤックの専門書の翻訳にも関わったその筋の第一人者である)、しかも謙虚で愛想の良い一人二人なら、寛容に迎え入れたとしてもね。もともと海の怖さを知る人たちが、困っている他人を港から閉め出すなどと言う排他的な態度をとるとはとうてい思えないのである。それが漁港利用の禁止とは、堀田氏の紹介とはまったく異なる硬化ぶりである。その間に何があったのか。いろいろ推測してしまう。

やりがいのある仕事

内田樹先生の記事「この夏最後の出稼ぎツアー」より引用。

だが、この定義は若い世代にはもう適用できない。というのは、今ではどうやら個人の努力がもたらす利得を「私ひとり」が排他的に占有できる仕事のことを「やりがいのある仕事」と呼ぶ習慣が定着しているようだからである。

いや若い世代が求めているのは、「個人の努力がもたらす利得」を全部収奪せず私にも少しは残しておいてくれませんか、ということじゃないかと思うんですがね。内田先生がやり玉に挙げるような「若い世代」の人らが言いたいことは。
私の周囲で「若い世代」と言えばNICUの看護師たちだけれども、彼女らが「利得を『私一人』に占有できる仕事」なんて目指しているとはとうてい思えないんですが。どうにも、世間に攻撃されるような「最近の若い奴」みたいな劣悪な世代像と、彼女らのまじめに働く姿とが重ならなくて、かえって当惑する思いなんですがね。
そもそも、お世話をした赤ちゃんの成長なんて「占有」できるわけもなし。それとも彼女らの、ささやかな給料をもうちょっと上げてほしいという願いは、内田先生にとっては「個人の努力がもたらす利得」を「排他的に占有」しようとする態度なんでしょうか。私には純粋に経営とか経済とかの問題なんじゃないかと思えるんですが。
内田先生の仰る若い世代ってのは、ひょっとして神戸のお嬢様学校の生徒さんたちをみて形成された世代像なんでしょうか。それなら内田先生の学校に娘をやらないようにしなければいけないな。