海を自由に旅したい―単独シーカヤッキング(カヌー)日本半周旅漕記
東条 和夫 / / 文芸社
ISBN : 4835571851
一読して後悔している。というか前書きを(数ページにわたって「シーカヤックに出会うまでの著者の自伝」が書いてある)読んだ時点で気持ちが萎えた。買う前によくよくamazonに掲載された本書の表紙を見ておくべきだったと思う。『「夢への挑戦」少年の夢が中年男を海へといざなう』という赤い字の惹句にもうすこし警戒感をもつべきだったと思う。俺が俺がが強すぎる。海やカヤックではなく「カヤックを漕ぐ自分」のことを語りすぎる。語ってはいけないというわけではないが、バランスというものがある。
中国四国九州の海岸線をほとんど周回するような単独長距離シーカヤッキングが、珍しい体験であるのはよろこんで認めよう。月並みさなどかけらもない、実に興味深い体験である。それに惹かれて私も本書を購入したのである。しかし、まだ俺は若いと主張する「中年男」など珍しくも何ともない。自分を少年になぞらえるなど月並みすぎて痛々しい。自虐だと分かってやってるなら芸風かもしれないが。
食材も道具も一流のものを揃えた「男の料理」を、作った本人の自慢話を延々聞かされながら喰わされたような読後感である。食材が良いから不味いとは言わない。しかし料理番組の紹介には「素材の良さを生かした」と評される類の味ではある。プロの料理ではない。
本書は自費出版なのだろうか。まともな編集者は付いてなかったのだろうか。著者が文筆業を専門としていないのは経歴からも明らかだし、素材じゃなくて自分が語りすぎるってのは素人にありがちな陥穽だと思う。それが著者をおとしめる理由には決してならないが(貶める資格が自分にあるとも思えないが)、しかし編集者の職業意識を疑うには足ると思う。
日: 2007年10月26日
約束の地で
約束の地で
馳 星周 / / 集英社
ISBN : 4087748782
暗い短編小説集だった。半端に暗いと読んでいて暗澹とするばかりなのだが、本作のレベルまで暗いと読後に不思議な余韻が残った。不快感は残らなかった。当直明けの、どこか頭の芯に澱みが残ったような午後に読んだのだが(週休で運良く帰れたのですよ)、むしろ浄化されたような読後感であった。
誰も幸せにならない。将来に幸せが待っている見込みもない。誰の未来もことごとく閉塞している。みんな懸命ではあるのだが、しかしその懸命さが有効で実践的な方向に働くことがない。ご都合主義的な奇跡も起きない。やるせないと言えばまことにやるせない。
物語の脇役のひとりが次の短編の主人公として登場するのだが、最後の短編に最初の主人公が脇役として登場するものだから、短編小説集そのものが円環状に閉じている。
著者の作品を読んだのは実は初めてである。暗黒小説の書き手であるという。その能書きからして不道徳な作風なのかと思ったが、本作は意外にストイックな感じがした。暴力礼賛は気配すらない。暴力が目的を達成する話はこの短編小説集にはひとつも出ない。
この著者は、暴力に晒された内臓や神経が精神をどれだけ裏切るかを正確に知っている。殴られる痛みが感覚的な痛みにとどまらず殴られた者をどれだけ奥深くまで浸食するかを知っている。知っていて正確に描写するが、それが告発調を帯びるほど饒舌でもない。その一歩を踏み外さぬ節度が感じられた。
私ごときが身の程知らずな言い方かもしれないが、この著者の描写力は群を抜くものがある。舞台となる北海道の深山も、寂れた町や造成地も、読んでいてそこに吹く風にこちらの体温まで奪われるような感じがした。過酷で陰鬱で、そこに住んでいるだけで気持ちがすり減りかじかんでいくような土地。