歩行者には逆らえない

緊急搬送中も、大型車は意外にじゃまにならない。大型トラックやバスがぎりぎりに幅をよせて道を譲ってくれる様子は、後ろから見ていて神業にさえ見える。
搬送の妨げとして一番大きいのは道路を横断する歩行者ではないかと思う。救急車が接近してきていても横断を始める。気づいていないのか、気づいていてもまだ遠方だから十分渡りきれるとお思いなのか、あるいは歩行者が青信号なんだから当然渡る権利があるとお思いなのだか。
当方としては減速せざるを得ない。しかし救急車が減速しつつ接近してきていても、横断を断念して後退される歩行者のかたは実は少数派である。さすがに平然と渡り続ける方も少数だが、しかし後退する人よりは多い。大半の人は、立ち止まる。立ち止まってこちらをじっと見る。保育器の脇にいる私と目が合うことさえある。進路に立ち止まられている限り緊急車両でも減速せざるを得ない。こちらが十分減速するのを見定めて、おもむろに渡り続けられる。誰かが渡り続けると、それでは自分もと後から後から続いて渡る。運転士がマイクで「歩行者のかた道を譲ってください」と呼びかけてはじめて、自分にも道を譲るという選択肢があるのだとお気づきになるご様子である。
道路を横断中に立ち止まって接近中の車をじっと見るというのは、猫には往々にして見られる行動である。それでは彼らも猫並みの知性の持ち主ばかりなのかどうか。だとすれば、京大の講義は猫語で行わねばならぬ。まあ、工学部や理学部・農学部といった入試に国語がない人らが横断する今出川通りで、そういう大学生が頻繁に出没するのはまあ仕方ないと思う。彼らはたぶん法律の文面が読めないんだろうから。しかし、あろうことか、いちど東山近衛(北東が京大教養部・北西が医学部基礎・南西が京大病院)の角で大学生らしき男が自転車で救急車の目前に飛び出して横断していったことがある。こいつの写真が撮れていたら学部長に送りつけて処分を求めるところだったのにと、今でも思う。小児科の卒試受験資格永久停止とか。残念である。
むろん、そういう人をはねても良いとは思わない。道義的に許されないのは無論のことである。が、そんな当たり前の議論に深入りするのは野暮だから勘弁してよねということで読者諸賢にもご納得いただいたことにする。加えて卑近な面でもはねるのは非実際的である(例えば犬や猫なら思い切ってはねる方が急ハンドルや急ブレーキで人を巻き込む事故を起こすよりまだマシであるというレベルでの実際性のお話で)。はねたらさすがに救護義務は生じることだろうから、その場に足止めで、搬送の迅速さにも影響する。外傷のプレホスピタルケアなんて慣れない仕事を求められたあげくに、交通事故の責任に加えて外傷の治療の仕方が悪いから医療ミスだなんて責められる羽目になるのは御免である。
以下無用のことながら、緊急走行中の救急車による事故で奪われる命も一般の乗用車の事故で奪われる命も、命として貴重さに変わりはないと思う。というか、命の貴重さの比較などする不遜さを私は持ち合わせない。しかし、その命が損なわれたことに関する責任のとらえ方とか心情のありようについては、違いがあるものだと思う。あって欲しいなと思う。まるで違いなしと言われたら救急医療の存続は困難である。現行の制度でもたしかそのような思想になっていたと思う。
例えば充実した人生を送り老衰で大往生を遂げた命と、泥酔した運転手に衝突されて夜の海に突き落とされ亡くなった子どもの命と、命には違いがないが残された人の心情とか責任のありかたとかには違いが生じるように。