息子は夏休み前に中学校の授業の一環で数日間の勤労体験に出た。以来、ナスを見ると「上向き3個・下向き2個、トゲに気をつけて」と言うようになった。そういう注意を受けながらナスの袋詰めでもやっていたものとみえる。わりと真面目にやったらしくて受け入れ先にも好評だったと聞く。これなら福祉就労ではなくて一般就労を目指すと宜しい、とかご意見を頂いて親としても嬉しかった。まあ、そういう業界用語を使ってご講評いただけるような受け入れ先だったのだなとは思った。全く自閉症なんて知らないよというような受け入れ先でしっかり仕事をして好評を頂いたというのが理想なんだろうけれどもね。それはさすがに贅沢ですね。
その数日間は市バスで「通勤」していた。自宅からバス停数個の近距離なのだが、彼が一人で公共交通機関に乗るのは初めてのことなので、それもよい勉強になった。本人もすっかり自信をつけたらしく、夏休みには一人で新幹線に乗って長崎へ行くんだと言い出した。娘は受験があるので今夏は京都に居残りだから、今夏の帰省では息子を一人で動かさねばならない。妻はためらったようだが、彼が冒険心を起こすなど滅多にないことでよい機会だと思って、行け行けと私が背中を押した。内心は不安であったが、たぶんこういうときに思い切るのが父親の役割なんだろうと思った。
こうなってみると京都から長崎まで直通の寝台特急「あかつき」が廃止になったのが残念ではある。新幹線だとどうしても博多で乗り換えである。やらせればたぶん息子はうまく乗り換えるんだろうと思う。物事が絶対的に予定通りに進行すると仮定するなら、彼には平均的な定型発達の中学生よりも信頼が置けるかも知れない。しかし突発的な予想外の事態への対応、たとえばうっかり乗り換え損ねたとかダイヤが乱れたとかのときのリカバリーが上手くいくかは極めてあやしい。見知らぬ土地でパニックを起こされたらと思うと、その先は想像もしたくない。
そこで行きは義弟に頼んで義弟の車とフェリーで移動することになった。京都への帰路で、博多まで祖母に付き添われて出てきて、新大阪どまりの新幹線に乗せ、新大阪で母親が待つという段取りになった。京都まで新幹線ということになると、うっかり乗り過ごしたときに名古屋以遠まで持っていかれてしまう。捜索範囲が名古屋・横浜・東京と広がるのはどうにも安心できない。いちおう車掌さんにもそういう子が乗っていると耳に入れてはいたのだが、それでもね。
実際には新神戸あたりから携帯で母親に連絡してきたりして、予想外にしっかりしたものだった(ちゃんとデッキに出たかどうかまでは分らない:隣席のどなたかご迷惑を掛けていたらすみません)。今回の成功で自分でもさらに自信を付けたらしくて、今でもテレビに新幹線が出ると「一人で乗ったね」とか言う。まあ一人で乗ったには違いない。どれだけ周囲を入念に固められていたかはとんと気に掛けていないようだが。まあ中学生なんだからそうやって一人でやった気分に浸るのもけっして悪くないと思う。しかし一方で、一人でやれると言ってもどれだけ周囲のお世話になっているものなのか、もう少し大人になってからでいいから気がついてほしいものだと、親としては思う。確かに彼は自閉症なのだが、それでもやっぱり、感謝ということを知らないでは、幸せな人生とは言えないと思うので。
