麻生首相が医師には社会的常識が欠落云々と発言した由。麻生内閣の環境保護政策についてはbogusnewsの記事に詳しい。世界的な経済危機の中で、環境保護など忘れ去られたかに思えたが、首相みずから率先して範を垂れるくらいだから、それも杞憂であったようだ。
新内閣は「環境保護内閣」を標榜─湿原保存に尽力 : bogusnews
今回、首相みずから「医師社会的常識欠如湿原」の手入れに乗り出されたわけだが、その活動に際して、「まともな」医師が不快な思いをしたのなら申し訳ないと仰った由。他者を評してまともだとかそうでないとか口にする時点ですでに、他者に対して一般に(医者にたいして特別にとは限らず)持ち合わせているべき、いわば社会的常識としての敬意が欠如してるんじゃないかと思う。ああ俺はまともな医者だから首相が言及したのは俺の事じゃないらしいと安堵するような医者がいるだろうか。いたとして、それは首相の言う「まとも」な社会的常識を備えた人物だろうか。いややっぱ、そんな医者を雇うとしたら雇う方の社会的常識も疑うでしょ。やっぱ。
この保護活動にはしかし、意外に世間の支持が集まっている様子である。経済についても勉強せねばとときどき読んでいた「池田信夫ブログ」にも支持が表明されていた。十数年か前にいちど、医師会の偉いさんに上から目線でものを言われたのがその根拠だという。たしかに言われた内容は今となっては噴飯ものだが、この一事をもっていま現在の状況をまるごと切り捨てるのは、いかに高名な池田先生といえども、ちと御免とはいかないことではないか。
医師会には社会的常識が欠落している人が多い – 池田信夫 blog
これは医師に対してではなく医師会に対してだと言い訳めいたコメントがあるが、親兄弟の悪口を言われたあとで「さればとてキミのことではないんだよ」と付け足されたらこんないやな気分になるんだろうと思う。べつに医師会に対して親や兄に対する礼節をこころえねばならんとは思わんが、一族には違いないんだよ。
そういう嫌な気分に対して内田樹先生のお言葉がありがたい。
いいまつがい (内田樹の研究室)
自分はこれまで色々とたてつくような記事も書いてきたけど、やっぱりこの先生は偉い先生だったんだなと思う。麻生首相がこの手の発言をあえてする背景についてまで深く考察してある。思索ってのはそこまで深くないと面白くないんだね。こういう記事を読んで池田氏の記事を再読すると、いかにも底が浅いように思える。内田先生がおっしゃる『前日学校を早退した友人に「昨日はなんで帰ったの?」と質問したときに「電車で」と答えられたような違和感』を私は池田氏の記事に対しても感じる。それに対して池田氏が『「自分はちゃんと問いに答えているのに、どうして世間の連中はそれに対して文句を言うのか」と憤慨』されることも容易に想像がつく。まあしかし、池田先生には内田先生の麻生首相にたいするコメントを、ぜひ我が事として読んでいただきたいと思う。
私としては、やはり多忙ではあるわけだし、池田氏はこの程度の根拠でものごとを論じる人なのだと知り得たということを奇貨としようと思う。彼の経済に関する論評を読む際にも、眉に塗る唾液の量を少々増やすべきなんだろう。というか、もう読むまいと思ってRSSの取得をやめるよう操作済みである。
月: 2008年11月
自転車がこない
土曜日午前中の外来をてんてこ舞いでこなし、ようやく終えてNICUに上がりぎわ、空を見上げるとよく晴れている。こんな陽気の日に自転車で遠乗りしたら気持ちいいだろうと思う。なんも考えんとひたすらペダルを踏むのはどうだろう。やれやれ自転車が早く来ないかなと思う。9月に発注してもう11月だ。10月下旬って言ってたのが11月中旬に伸びたんだよな。でも15日だし、もう中旬だよな。
午後は重症の子があってNICUにえんえん居残り。胸腔穿刺って何回やっても会得した気分になれない。自転車が手に入っててもけっきょくは乗れなかったな。でも自転車はやく来ないかな。待ち遠しいなと思いながら22時ようやく解放されて帰宅。
帰ってみると妻が気の毒そうに、また自転車屋に行ってみたんだけどと言う。何がどうなってるんだか、ぜんぜん入荷の見込みが立ってないんだって、と。ひょっとしたら1月になるかもしれない、って。だそうだ。やれやれ。これだけ待たされると、自転車はいつまで「来ない」のか、かえって興味深くなってきた。これだけ欲しいものはすぐ手にはいるのが当たり前のご時世に、かえって新鮮な経験かもしれない。
まったく乗る暇がないということを思い知らされて愕然とするまでの猶予期間。病院のまどから空を見上げて、瞬時の妄想サイクリングをやってるあいだが、じつはいちばん幸せな時間なのかも知れないね。
医療崩壊で救われること
どんよりと身体の芯に重い疲れがのこり、見るもの聞くものに妙に現実感がない。聞こえるが聴こえない感じ。昨日の帰宅後も、食卓で夕食を待っていて、娘が自室から降りてきて学校の友達のこととかなんやかや話してくれるのを、ふと気がつくと聞き流している。聴いてないってことがうっかりばれたら、それっきり嫁に行くまで話なんてしてくれなくなるんだろうと思うと、冷や汗が出る。
宿題をしていた息子がふと顔を上げて、「機関車列伝」の録画ができていると言い、テレビをつけてくれる。消去できません、とか何とか言っていたところをみると、疲れた父になにか気を紛らすものを観させてやろうという気遣いではなく、たんにハードディスクを空けておきたいというだけのようだが、ぼんやり眺めるにはちょうどよい番組だったので、EF81とかDE10とかの解説を観ていた。娘も、テツな親子はしょうがないなと独り合点してくれた様子だった。
以前、NHKのクローズアップ現代で医療崩壊の特集があったとき、ちょうど当直の夜に放映されたのを観て、翌日の帰宅後にどう思ったと妻に聞いてみた。妻は私以上にあちこちのサイトで医療崩壊について勉強しているので、さぞや深い話が聞けると思ったのだが、なにか複雑な顔をしている。なんだろうと思ったら、その番組を観ていた息子が一言、「僕もお医者さんになりたいんだ」と言った由。そう言えばこのところ学習百科事典の人体の巻を読んでいることがあったので、自閉症児とはいえ中学生だし色気も少々はつくのかなと思っていたのだが、本人は医学の勉強のつもりだったらしい。このときばかりは、医療が崩壊しかかっててかえって救われたような気分になった。
縄文人は太平洋を渡ったか ジョン・ターク著 青土社
縄文人は太平洋を渡ったか―カヤック3000マイル航海記
ジョン ターク / / 青土社
ISBN : 4791762568
米国ワシントン州の川辺から、9000年前のものと推定される人骨が出土した。顔を復元してみると縄文人そっくりであった。著者は、縄文人が北太平洋の海岸伝いに北米大陸まで渡ってきたのではないかと考え、自分でその航海を再現しようと試みた。1年目は両舷にアウトリガーのついた一人乗り帆船で、北海道を出発して千島列島沿いに北上しカムチャッカ半島に到達。2年目にはシーカヤックでカムチャッカ半島の東岸をさらに北上して、ベーリング海に浮かぶ米国領セントローレンス島へ到達する。
逃避のために読んでかえってタフさというテーマを考えさせられた本の一冊である。本書を読むと、十分なタフささえあれば、クールさとかクレバーさとかはそれほど重要ではないのかなと思わされる。著者はひどくタフだ。満足な地図もなく、その日の夕方にうまく上陸できる海岸があるかどうか分らないまま、海にこぎ出していく。その精神力だけでも大したものだと思う。潮流に流されて(オホーツク海と太平洋は深さから何から全然違う海なので千島列島の島の間には複雑な潮流が渦巻く)太平洋に流され、陸も見えないところからGPSを頼りに帆走して生還したりもする。千島列島は北半分は島が小さくなり間隔がひらく。南千島とちがって一日の航海では次の島へ着けない。彼らは同行の二人で互いの船をくくりつけ、30分おきに操船と睡眠を交代しながら3日間まったく陸の見えない航海を完遂する。そうして這々の体でたどり着いた小島には枯れ川しかなくて水が手に入らず、ロッククライミングで崖を登って小さな泉を見つける。延々この手の話が続く。十分なタフさがあればたいていの問題は乗り越えられるという教訓。いやもうそんな教訓レベルを超えている。神は十分タフな奴のみかたをする、というのが本書のテーマかも知れない。
著者はシーカヤックの単独航海でホーン岬をまわったお人だそうだ。実績のあるタフなお方だ。その著者曰く、こういう航海をするのは従来言われていたような、戦乱や飢餓に追われてやむなくといったプラグマティックな動機だけでは不可能だと。そうではない、心の底から沸き上がるような、やむにやまれぬ、半ば正気を疑われるようなロマンティシズムがなくてはこの手の航海は無理だと。なるほど。
しかし著者はクールでもクレバーでもない。とつぜん根室へやってきて日本の役人に「今から国後島へ渡りたいんだが」と言って通じると思っている。南千島の帰属をめぐる問題についてまったく調べもせずにやってきたらしい。やれやれな脳天気ぶりだが、交渉の末に条件つきで渡航を認めさせてしまう。クールさの欠如を補って余りあるタフさ。
しかしロシアに入ったら、ちょうど経済が崩壊していた時期で、行く先々の無法ぶりはクールな理屈の通用する状態ではない。けっきょくは、著者のようにタフなネゴでごり押しはんぶんに乗り切っていくのが、いちばんクールなやりかたでもあった。
ちょうどロシアの経済が崩壊していた時期であったとはいえ、著者が報告する北方領土の社会的荒廃ぶりはひどいものだ。インフラは崩壊し、民間人は大半が引き上げてしまって目につくのは軍人ばかり。残った住民は空き家の壁をはぎ取って薪にしている。持てあますんなら返せよと言いたくなる。おそらく、この悲惨な中に、日本の政治家が「ムネオハウス」をつぎつぎに建てて救世主になったんだろう。彼の路線で行ったら本当にこの土地は帰ってきたかも知らんなと思わされた。なんだって彼は失脚させられたんだったっけ? 彼の失脚で得られた成果といえば社民党の女性代議士が一発芸の才能を披露したくらいしか思いつかない。地元に帰れば彼女はヨシモトに再就職可能だと思う。「総理、総理、総理!」「あなたは疑惑の総合商社」云々、いろいろと使える台詞が耳に残る。最後に「今日はこれくらいにしといたるわ」で締めて引き上げるとなおよろしい。って、何の話だったっけ。
替わりがあるなら大歓迎
土曜日当直。準夜帯にうとうと仮眠したが、 NICUでの急変だとか早朝の緊急帝王切開立ち会いとその後のNICU入院処置だとかで深夜帯はほとんど眠れず。ベッドに入るたびにPHSが鳴る状態。朝からNICU直を若手に引き継いで、病棟回診だとか休日外来とかやって(実際はほとんど動けず周囲にはそうとう迷惑をかけた)、14時頃に帰宅した。ジロ・デ・イタリアの第14ステージをつけてみたが、うとうと居眠ってしまうのであきらめて睡眠。19時頃に娘に起こされて晩飯。風呂に入ってまた寝て、午前5時に新生児搬送で呼び出し。7時にいったん朝飯を食べに自宅へ戻り(徒歩5分なのがありがたい)、8時出勤して短距離の新生児搬送、その後は普通の月曜日の小児科外来。午後も受付時間外の外来をぼちぼち診て、夕方はNICU当直の先生が伏見まで新生児を迎えに行く間の留守番で23時まで居残り。居残り中もぼちぼちと時間外外来を診察する。片道1時間くらいの距離ではあるのだが、ちょっと難しい症例で、迎えに行ってうちで診断つけたあと他施設へ送り出し搬送となったので時間がかかった。日が変わる頃に帰宅して寝て、火曜朝出勤して午前はNICU担当、午後は外来担当、そのまま当直に入り、当直帯にはNICUでの眼科診察立ち会い。有り難いことに眼科診察でくたびれきった未熟児たちも準夜帯のうちに持ち直し、深夜帯の救急受診も急変もなく、いちおう眠れた当直だった。明けて本日水曜。朝から小児科の一般外来。午後ようやくオフ。で、この記録を書いてみた。
最近は医療ブログはほとんど読まない。とくに医療崩壊を扱うサイトはまず読まない。読まなくても崩壊しかかってるのは分っている。こんな勤務が持続可能な業務であるわけがない。加えて、以前しばらくブラウザの表示フォントをHGP創英角ポップ体にしていたことがあって、あのフォントだと深刻な内容もなんとなく暗さ悲惨さ憤激催し度が薄れてしまってすっかりアンテナやRSSブラウザの構成が変わってしまった。
でも墨東病院のこととか、ときにトピックになることがあると、怖いもの見たさ半分でむかし読んでいたサイトとかに手を出してみる。そして、「代わりはいくらでもいる」とか「まず汗を流せ、話はそれからだ」とかいった「一般」の皆様からのコメントを拝読してみる。やれやれと思う。まるで世間は変わっていない。
怖いもの見たさで見に行って、じゅうぶん怖いものが見れたんだから、まあ目的を達したとは言えるかも知れない。もちろんそんな暴言コメントには腹も立つわけだが、そして私などが受けて立つまでもなく反論はなされているわけだが、しかしまあ、「何言ってるんだいまどき」みたいな怒りは、実は不正解なんじゃないかとも思う。正解の反応とは
「え、ほ、本当ですか? いくらでも代わりはいるですと!? 朗報です。ありがとうございます。すぐ招聘に参ります。ぜひぜひご紹介下さい!!」
ではないかと思うわけだが。もしも本当に代わりが幾らでもいるのなら大歓迎だ。医療が崩壊しているなんて些末な自説はいくらでも撤回する。撤回っていくらでもするものかどうかは知らんが。
週末は土曜自宅待機、日曜日は日直当直。今月も自宅待機と日直当直で週末は全部潰れている。当直は9回。自宅待機は11回。なのに世間には「まずは汗を流せ」と言われるかたもある。その方の日常を拝察すると涙を禁じ得ない。どんな過酷な日常を送っておられる方のお言葉なのだろうと。
エリスロポイエチン
ジロ・デ・イタリア第13ステージ。平坦な170kmあまりのコース。
途中で選手が自転車を止め、路傍の老人を抱擁して、山岳賞の緑色のジャージをプレゼントしてから、おもむろに走り出した。二人とも幸せそうな、よい笑顔だった。実況と解説が、あれはお父さんだなと言っていた。今回のステージのゴール地点のすぐ近くが出身地なんだそうだ。
あのジャージを保持しているってことは彼はこれまでの山岳コースを相当に良い成績で走ってきた、優れた選手の筈だが。自転車を止めてプレゼントをわたして抱擁して接吻して、の一連の流れがいかにも自然で微笑ましかった。成熟した、作為のない親孝行。いいなあと思う。イタリアってこういう国なのかと改めて感心した。
日本ではなんだか不謹慎だとか不真面目だとかいろいろ言われてしまいそうだけど。あるいは逆に息子を待つ父親の周りをレポーターとかお笑いタレントとかテレビカメラとかが取り巻いてわざとらしい感動を演出しようとしているかもしれない。
よい気分になって、アマゾンから届いた自転車雑誌を読んでいると、2008年のジロ・デ・イタリアで山岳賞を獲得した選手が、第3世代EPOの使用が判明してチームを解雇されたと、小さく報じてあった。あの選手なんだろうか。なんだかねえ。親の顔に泥を塗ったようなものだな、とこういうときだけは日本人モード全開で腐してみる。
EPOか。第3世代ってのがどういう種類になるのだかよく分らないが、ようするにエリスロポイエチンだろ、と日常に引き戻される。NICUでは超低出生体重児には貧血の対策として毎週2回皮下注射してる薬だ。よい薬だと思っている。でも彼らスポーツ選手が使うのはドーピングだ。競技風景がおおらかなわりには、ドーピングに対してはむちゃくちゃ厳しいと見える。
この選手の競技生命は終わるんだろうか。おなじページには他の選手で2年間の処罰期間があけて復帰だとかいう紹介もあったし、まだ20代だったから未来はあるんだろうと思う。今はあのお父さんが立ち直らせてくれてるころだろうと願う。
190km走ってきて最後の1kmで転倒する
ジロ・デ・イタリアにはまっているが、サイクルロードレース好きになったのだかイタリア好きになったのだかよくわからない。深夜に放送されるのをケーブルテレビの機械が適当に録画しておいてくれるので、ぼちぼちと観ている。息抜きにはとてもよい。風景はいいし、選手もそれほど苦しそうな顔をしないし。
苦しそうな顔をしないといっても、タイムトライアルでもないかぎり1日で150km以上は走る。第11ステージは決して平坦ではないコースで全長190kmあまりだった。最終的に3人で先頭を競うことになったのだが、その2位につけていた選手がゴール手前800mくらいのカーブで落車した。どうやら石畳の敷石がゆるんでいて後輪を引っかけたらしい。3位の選手も目の前で転倒されたのでいっしゅん足止めされ、1位の選手がそのまま逃げ切った。
1位の選手のゴール前の感極まった表情が繰り返し放送された。一生に一回でもこういう顔をする経験ができたらそれで人生は成功だと思えた。いい顔だった。36歳だったか38歳だったか、けっして若手とは言えない選手だった。過去の戦績も画面に映ったが、その項目が1997年と2004年だったか。長いことやってきてはいるが目立った個人成績のほとんどない選手のようだった。それでもこうやって大きな大会のメンバーに選ばれて居るんだから、チームの裏方として表に出ないところでずいぶん大きな働きをしてきた選手なんだろうと思った。スポーツに人生訓を読むのは野暮な行動だとは思うのだが、そういう選手が引退間近に(さすがに40過ぎては無理なんじゃないかな)こういう花を咲かせるっていいよねと思う。
11月最後の休日
木曜・土曜と中1日で当直して、昨日は当直明けで午前9時から本日午前9時までオフ。非拘束時間が24時間に達するのは今月ではこの日だけ。本日は自宅待機だが、休日自宅待機の医師は午前中は出勤して回診したり休日午前中の外来をしたりすることになっているので、先ほどまで病院にいた。
木・金・土とそれなりに重症の入院が続いた。三連日で一日一人ずつ救命したってのはけっこうよいペースではないかなと思う。自分が命を救った子どもがどこかで生きているのだよと、ときおりふと思うのはけっして悪い気分ではない。ハードでタフではあるが、そう詰まらない仕事ではないと思う。ということで医学生や研修医の人は新生児科をよろしくねがいます。
帰宅後、テレビをつけるとカナダ・アラスカの国境地帯の自然を特集していた。雄大な氷河と森林・海とザトウクジラ。北米大陸でも屈指の高峰が、氷河の中にそびえ、夜明けには赤い陽光がその頂上付近からオレンジ色に照らしてゆく。静かで荘厳な光景であるが、それが麓の人里からは全く見えないというのがまた良い。人間が北米大陸に到達するよりはるか以前から、夜明けのたびにこの荘厳な光景が繰り返されてきたというのに。蕩尽も天の上のお方がやるとスケールが違う。
先住民のトリンギット族も紹介された。例によって、いかにも政府支給な没個性の建て売り住宅のまえに数人集まって、「民族衣装」と称する装飾の多い非実用的な服を着て、音響の悪い打楽器を叩いて単調な歌を歌っていた。いずこの先住民族もそういう扱いを受けているのだなと思った。
娘が通っている剣道教室が敬老会のだしもので演武をするというので、観に行った。もともと、歴史的に有名な決闘があってその記念植樹も残っている土地で、それなりに剣道はさかんな様子である。道場に通うほどでもないうちの娘のような面々にも、週1回でボランティア運営の教室が開かれていたりする。週1回の稽古にしては、よく竹刀を振れるようになっていた。まだ試合をする水準ではないが、猫背がなおって姿勢が良くなったので父としても嬉しい。
ただやっぱり演武といっても素人芸にはちがいない。体育館に集められてこういう素人芸を見せられるというのは、老いるというのも辛いことだと思う。そこでうんざりするのではなく心から楽しんで手を叩いてやれるというのが年の功というものかもしれない。その水準まで徳を高めておかないと、老いるのは辛いよということだろう。
帰りがけに床屋に寄った。時計をみて、しまったと思った。正午前である。案の定、NHKののど自慢をしっかり拝聴することになった。私はこの番組が嫌いだ。なぜといわれても感覚的に受け付けないのだから仕方がない。素人芸の「痛さ」と全国放送という規模のアンバランスがとにかくいたたまれない。しかし床屋さんという人たちはこの番組がたいそう好きらしい。昼下がりの床屋では必ずこの番組を鑑賞することになる。嫌いだから消してくれと言っていいものかどうか迷う。気を悪くされるのもいやだし、ひどく恐縮されるのも辛いし。もうちょっと早く来るか遅く来るかというのが正解なんだろう。でもそれが正解なら、ひょっとしてこののど自慢は床屋さんが昼ご飯の時間を確保するための策略なのかも知れない。ならば日曜には病院の待合にも流してみるというのはどうだろう。昼に空き時間が作れるかも知れない。