アメリカで地下水を汲み上げて農業を行っている土地で、とうぜん塩害がすすんで農地はだんだん傷んでくるのだが、それでは先行きがダメだろうという問いに農夫が答えて曰く、いや俺が生きてるあいだ保ってくれたら良いんだ、とのこと。いちおう農村地区の出身である私としては、田畑というものは代々受け継いで末永く耕してゆくものだと、なんとなく信じ込んでいたので、この農夫の考え方には意表を突かれた。ネタの出所が不明で恐縮ではあるが、そういう考え方もあるんだという驚きばかりが記憶に残っている。
ジャレド・ダイアモンド著の「文明崩壊」に出てきたエピソードだと記憶していたが、改めて読み返してみるとそれらしき記載に出くわさない。ただこの名著にも、3年くらいの契約で借地して農業をやる人間がむちゃくちゃな土地の使い方をするという記載がある。同様の発想なのだろう。彼国のお百姓の名誉のために付け加えれば、土地を大切に耕す農家もちゃんと登場する。
医師会の偉い人は日本の医療がいつまで保てばいいと思ってるんだろうか。ひょっとしたら、彼らもまた自分がリタイアするまでのあいだくらい保てばいいやと思ってるんじゃないかと、ふと思った。それは決して長くない期間だ。医師会の偉い人なんて相応の年齢なんだし、医師会活動にそこそこの時間を割けるんならそれなりに設備投資の借金も返済して種々の蓄えもしてきてるんだろうし。いちおう医師である私は、いやしくも医師の肩書きを持つ者なら日本の医療を末永く続けさせる意思をもってて当たり前だと、何となく信じ込んでいたのだが、それはちとばかりナイーブに過ぎたのかもしれない。
NICUも救急も、たえず若い人をリクルートできないと当直も組めないことになる。長期的視野での継続可能性の確保が今日明日の業務維持に直結している。その切羽詰まった感覚が、偉い人には共有されていないのかも知れない。夜は寝てればよく年末年始はハワイに行ってればよい人たちにとっては、自分の診療所がまるごと転覆しかねない大変革を避け、そこそこの期間を今の枠組みでそこそこ稼ぎ続けられることこそが重要なのだろう。医療経済が厳しくなればなるほどに、彼らは既得の権益にますます強くしがみつくばかりなのかもしれない。継続可能性の確保は二の次で。
そういう存在を何て言ったっけ。プチブル?中間階層?
月: 2008年12月
君たちは要らない
昨夜はNHKで医療再建云々の特集があったらしい。見なかった。当直明けの日に見て楽しいお話じゃなさそうだからテレビは息子に譲った。見なかったことを喧伝されてもNHKにはいい面の皮かも。でもけっきょくNHKまで出向く暇のある連中が語らってる番組なんだよな。発言中の出演者の携帯が鳴って「あ、すいません呼び出されました」とか言って出て行くようなシーンはなかったのかな。
でも医療の再建がなったとして、その中心にいるのは、いま現在においても医療の最先端にいる面々なんだろうなと思う。崩壊する最前線においても優先的に資源が集まってくる場所で、崩壊なんぞものともせず(あるいは気付きもせず)ばりばりと活躍している面々が、崩壊と再建のあとも医療の中心であり続けるんだろう。崩壊と再建というのはけっきょくは崩壊のあおりを受けてわあわあ言ってる我々みたいな泡沫が洗い落とされるだけのことなんだろう。中心の彼らにしてみれば、自分の仕事は変わらんけれどふと気がついてみると周囲の風景が変わっていた、というだけのことなんだろう。
いまメインストリームを外れている面々が、崩壊後に光が当るってことはないと思う。崩壊後の活躍に備えて今は楽なところにいますと仰るむきもあるようだが。オタク的なたとえで恐縮ながら、戦後に航空自衛隊が発足したときに、「私は九九式艦上爆撃機の操縦の訓練をうけましたが旧軍の崩壊を見越して安全圏で自分の戦力を温存しておりました」とか称する人物が名乗り出てきたとしてもね、いやもう時代はジェット機ですからとお引き取りを願われるばかりじゃないかと思いましてね。最前線で生き残ってきましたってんならまだ評価のしようもあるんだろうけど。
大本営で参謀とかやってて戦の負け方にそれなりの責任のある人間が崩壊後も商社の偉いさんとか政界の黒幕やってました、なんていう類の人物が医療に関してもこれから登場するんだろうなとも思う。そういうのが一番むかつくんだけど、たぶん私のような下っ端の兵隊には姿も見えないような雲の上の存在なんだろうな。
与太話でした。すみません。
自転車ロードレースを観る
土曜午後からの当直が明けてみると雨だった。自転車でちょっと遠出でもと思っていたのに。明けは寝ておれとの天の声なのだろうか。
ESCAPE R3が届くまでの3ヶ月間、自転車自転車と念じながら暮らしてきた。自転車ロードレース観戦という新しい趣味を得たのは予想外の収穫だった。再放送を録画してではあるがジロ・デ・イタリアを通しで観戦した。続いてツール・ド・スイスも観た。イタリアもスイスも各々に風光明媚でよい土地だ。とくにジロはイタリアを北上するにつれて景色が移り変わり、3週間もあるのに飽きさせなかった。スイスは前半で天気が悪く陰鬱だったが、後半でよく晴れたステージでの光景は格別だった。ただし星野道夫氏が喝破したごとく、その自然はすみずみまで人の手がはいった人工の自然であった。まあ、アラスカみたいな全くのウィルダネスで自転車競技をやろうと思ったらロードバイクではなくてマウンテンでないと走れないだろう。もっとも、そんな自然破壊行為はしてはいけないとは思う。
ブエルタ・ア・エスパーニャも見始めたが、Jスポーツがブエルタの再放送を第6ステージで終わってしまったので、最後までは見れなかった。スペインを南のほうから北上していくコースなので、最初のうちはアンダルシアの荒涼とした風景ばかりだ。駱駝や駝鳥が走ってても何ら違和感のないような土地に一本だけ舗装道路が通っている。ヨーロッパとアフリカの境目ってのはジブラルタル海峡じゃなくてピレネー山脈なんじゃなかろうか。あんまり好きな風景ではなかった。北の方へいけば多少は違うのかな。
アクトヒブ発売のニュース
NHKの朝のニュースでアクトヒブ本日発売と報じられていた。今夏発売のはずだったがずいぶん待たされた感がある。しばらくは発売後調査とか何とかで全例の報告をあげねばならず手間ではあるが、しかしやりがいのある仕事だと思うからがんばって接種するつもり。望むらくは定期接種化を。医者の目からすると費用対効果としてはリーズナブルあるいはお得でさえあるお値段だと思うのですが、必ずしも親御さんが全額負担しなければならないという必然性はない。社会全体で負担するべきだと思う。
ニュースにはこのワクチンの導入推進の運動をなさっている親御さんが登場した。お気の毒にHib感染でお子さんを亡くされたのかなと思ったら、すっかり治って健やかに育っておられるお子さんも登場した。我が子が治ってしまったら喉元過ぎれば熱さは忘れるとばかりに日常生活に戻られるのが当たり前だと思っていたので、こういう偉い親御さんもあるのかと感動した。純粋な尊敬に値する親御さんであると思った。
昔はこういうワクチンのお話がテレビに出るときには、テレビ局でも両論併記の体裁をとる必要があったのか、必ずワクチン反対派の人らを登場させてなにか言わせてたものだが、最近はあんまり見なくなった。麻疹の流行が社会問題になった頃からだったっけか。もうちょっと前からだったか。
文部科学省がNICUをつくる
文部科学省がNICUのない8つの国立大学にNICUをつくるとのこと。突拍子もないことを言い出すものだと驚いた。ノーベル賞の南部博士を招聘して科学忍者隊を結成することにしたくらい言われたらもっと驚いたかも知れないけど。
科学忍者隊なら5人で済むけど、NICUを回すのにリーズナブルに行くなら一カ所5人じゃ済まないんだよね。まさか今さら当直と超過勤務で回そうとか言わないよね。ギャラクターなみに構成員あつめないと苦しいんだけど、各大学に人は集まるんだろうか。一般小児病棟とはまた別に当直をたてなければならないし、医師の数だけでもそうとう必要なんだけれどもね。
いろいろしんどいことはあっても、なにさまNICUは小児科でももっとも儲かる部門なんだから、今までその土地の大学病院にNICUがなかったってのはなかったなりの理由とか事情があるものなんだろうと思う。マンパワーが足りなくて小児科一般病棟の当直とは別にNICU当直を立てるのさえしんどいというのがかなり有力な「理由とか事情」のひとつだろう。そういう大学病院にかわって新生児に高度医療を提供してきた一般病院が、それぞれの土地にあるんだろうと思う。そういう病院は厚生労働省管轄ではあるけどね。
そういう土地の大学病院で、上から言われたからと急遽NICUを作ろうとしたときに、いちばん懸念されるのは、限られたマンパワーを大学病院にふりむけようとした結果として、それまで地域で頑張ってきた一般のNICUからむりやり新生児科医が引きはがされるようなことにならないかということなんですが。実績も経験もあるような施設が潰されて、頭まっ白な施設が一から出直しなんてことになったら、地域の新生児医療は沈没しますよ。霞ヶ関ではそういうことはきちんと考慮されているのかな。
限られたリソースを可能な限り有効利用しようという精神があるのなら、このように画一的に大学病院にNICUを作るという方法論を先に立てるのではなく、各々の土地での需要とリソースの状況に応じた柔軟性のある対応がなされるべきじゃなかろうかと思う。集約化の必要が叫ばれる現在、たいていの土地での最適解とは、現時点でその土地の新生児医療の中心になっている施設(おそらくは現時点で既に総合周産期母子医療センターになっているはず)に予算を突っ込んでさらに拡充するというものではないだろうか。現時点でまだNICUをもってない大学病院にNICUを新設するというのが答えになる地域もけっしてあり得ないとは言えないが、しかし、それが最適解となる地域はそうそう多くないと思う。すくなくとも、それが最適解ですと現場の新生児科医が答える地域はかなり少ないんじゃないかと思う。その柔軟性がもてないのは、ようするに、厚生労働省管轄の病院群と協調するのは嫌だってことなんだろうけれども、この期に及んでそういう縦割りの縄張り根性で現場を掻き回してくれるなよと切に願う。
たとえば長崎大学病院にはNICUが無かったってのも今回知ってかなり驚いたんだけど、でも離島を抱えた長崎県では航空機が使える大村に総合周産期母子医療センターを置く従来の編成のほうが賢いのではないか。長崎大学病院NICU設立の陰で大村医療センターのNICUが潰れたらばかばかしいと思う。まあ、故郷に新生児科医のポストが増えたら万が一都落ちする羽目になっても糊口をしのぐあてがあっていいかなとちょこっとは思わないでもなかったけど。
なにさま、今回のニュースを聞いてまず連想したのは、旧陸軍が海軍に愛想を尽かして自分で潜水艦とか空母とか作ってみたという故事なんだけれども。こういうメンタリティで旧陸軍も潜水艦の建造に着手したんだろうかねと思いましてね。本で読んで旧軍ってバカだよなと笑ってたんだけど、我が身に近いところで見せつけられると笑いが凍って背筋が寒くなる。崩壊しかかった戦線をなんとか立て直そうとする必死さはわかるが、その必死さの向かう方向が微妙にずれてて滑稽ですらある。滑稽っても他人ごとならすなおに笑えるんですがね。大学病院にもすでにNICUを立派に運用しているところが数多くあるんだから、さすがに個々の施設が旧陸軍の潜水艦同然とは言えないかもしれんが、しかしNICU医療に手を出そうとしている文部科学省は潜水艦や空母を運用しようとした陸軍と精神的にあんまり変わらないんじゃないかな。NICUも潜水艦も単体で造るだけ造ったってそれほどの戦果にはならんのではないかね。それなりの人を乗せて艦隊に組み込んで組織的に運用せんと。もうちょっと歴史を反省して、海軍とよく相談して限りある資源を軍全体で効率よく配分しようというつもりにはなれなかったのだろうか。それとも今回は海軍のほうでも陸軍の潜水艦配備を要望したんだろうか。
自転車が届いた
8日にようやく自転車が届いたと知らせがあった。10日の当直明けの午後に受け取りにいってきた。9月11日に注文したからちょうど3ヶ月待ったことになる。まだ金融危機が顕在化する以前のことだったのでずいぶん遠い昔のような気もする。
前照灯と後尾灯をつけてもらった。荷台や泥よけはつけなかったがスタンドはつけた。ほどよく硬派なクロスバイクに仕立て上がった。いや硬派という形容がクロスバイクに当てはまるのかどうかは分りませんがね。硬派な自転車乗りを目指すならロードバイクかマウンテンバイクを買うものかもしれません。むろんマウンテンならスリックタイヤに履き替えるのは堕落というものでしょう。
乗って走り出してみたら異様にスピードが上がるので、怖くなって店に戻ってヘルメットを買った。数分前に意気揚々と出て行った客が血相を変えて戻ってきたので店員さんも緊張していたが、事情を聞いて苦笑いしていた。
買いたての自転車でうれしくて一乗寺界隈を走り回るうち日が暮れた。残念だが帰らねばと思った。そして、ふと、俺は日が暮れてもう遊べない残念だと思ったのは生まれて初めてではなかろうかと気がついた。齢40になっていまさらガキ大将みたいなことを言ってますが、家の中で本を読んでばかりいたし。なるほど世間の皆様はこういう少年時代を送って大人になられたのか。自分のミッシング・ピースをひとつ発見したような思いがした。
尊厳とか輝きとか
6日土曜の午後、大阪で開催された日本小児科学会の倫理委員会公開フォーラム「子どものいのちの輝きを支えるために ー重度障害をもった子どもの人権と尊厳をどのように守るかー 」という催しに参加してきた。午前の外来を終えてNICUを一回りしてから京阪で大阪へ出たので拝聴できたのは後半だけだったが、それでも、さいきん薄れかけたモチベーションを持ち直すのにはよい機会だった。
重症児の医療の歴史は、まったく医療の対象とすらされなかったという先史時代を経て、何が何でも救命延命するという黎明期があり、それはちょっと非人間的にすぎないかというアンチテーゼが公に語られるようになった革命の時代を経て、今に至るというのが私の理解である。
このアンチテーゼ、もう気管内挿管とか人工呼吸とかでやれる治療行為をすべて行って延命一辺倒の生涯を送らせるのではなく、治療行為の内容を選択してでも(その結果として計測される生涯時間は短くなったとしても)他にもっと充実した人生の送り方があるんじゃないかというものだが、このアンチテーゼを、それまでの禁を破って語り始めた世代の人たちが、いまぼちぼちと臨床の実務をリタイアして、仕事の総括がてら後進にものを語る年齢になっている。
この人たちが働き盛りだった時代の最先端の技術が人工呼吸だったらしくて、彼らは重大な選択の岐路の象徴として人工呼吸の開始をやり玉に挙げることが習慣になっている。いったん人工呼吸を開始したら中止するという選択肢はないというのに、生涯を病院の一室で人工呼吸をしたまま長生きするのが人生か?と。
しかしこの「人工呼吸をしない」という選択に対する強烈なカウンターとして、「人工呼吸をしたまま家に帰る」という選択をした患者さんとご家族がある。そういうご家族が、登壇した革命期の医師に対して、先生のご意見は人工呼吸にたいしてひどく否定的ではないかと質問がなされた。
そんなことはない、といういささか型どおりの回答に続いて(言葉よりもその口調のほうが真意を語るかのような回答ぶりではあった)、自分は長年にわたって重症児の医療にたずさわってきたし多くの親御さんにも接してきたから、皆様がよく頑張っておられることもよくよく存じております、という意味のことを彼女は言った。そしてその上から目線の物言いが当然に惹起する結果として、会場の反発を買った。いやそんな、なんぼお偉い先生ったってそんな他人様の人生を総括評価するような言動はあまりに礼を欠くでしょうよと私も思った。
その医師は回答の締めくくりに、どのようないのちも輝いていなければなりません、だったか、輝きという言葉を繰り返しておられたが、他人の人生の質を云々すること自体の倫理性もさることながら、その語りに美醜の尺度をもってするというのはなおさらどうなんだろうと思わされた。時代が時代ならこの人は若い兵士の死を桜にたとえて顕彰してたんだろうなと思った。
エンデュアランス号漂流
タフさについて考える読書の一環として。本書はさすがに外せない。しかしどうしたことか、本書について記事を書こうとするとエディタやファイアフォックスがフリーズしてなかなか投稿に至らない。なぜだろう。今日はうまくいくだろうか。
本書の主人公であるシャクルトンも、きわめてタフな人物であるが、けっしてクールではない。つまらん自説にこだわって貴重な資源を失ったりする。でも隊員たちはついていく。そして全員生還してしまう。
おそらく、けっして間違いをしないクールさにこだわると、この20世紀初頭の極地探検みたいな一寸先は闇の状況下ではやっていけないんだろうと思う。大事なのは間違ったとしてもタフに修正を繰り返し、結果として致命傷に至らず切り抜けることなのだろう。
エレファント島からサウスジョージア島への1300kmの航海は圧巻である。もちろんGPSなんてない時代だから、六分儀を用いて天測で自分の位置を計測する。その計測がずれていてサウスジョージア島を行き過ぎてしまったら、小さなボートには後戻りする術はない。自分たちも、遺された仲間も終わりである。そういう状況下で自分らの天測を頼りに進む心境というのはどういうものだろう。行き着けると信じる精神力はどこからくるものだろう。
サウスジョージア島に到着しても、島内の人の住む土地に至るには島を横断しなければならない。人跡未踏の高峰を、ろくな登山装備もなく横断することになる。自分ならサウスジョージア島の浜辺でへなへなと気力を失って座り込んでしまいそうな気がする。NICUで徹夜して超低出生体重児の初日管理を乗り切って朝が来たときに、もう一人いまから超未の緊急帝切をやるんでよろしくと言われたような心境。いや、そうやってもう一晩徹夜した夜明けに重度分娩時仮死の緊急新生児搬送の依頼が入ったような心境か。
「縄文人は太平洋を渡ったか」のジョン・ターク氏にしても、このシャクルトンにしても、タフさの本質というのは、そういう「ラスボス戦と思ってた戦いのあとのもう一戦」を戦えるかどうかなんだろう。その戦で重要なことは、正しい戦い方をすることではなく、とにかく戦い抜くことなのだろう。むろんそのもう一戦がほんとうのラスボス戦なのかどうかはわからない、という状況で、それでも戦い抜くことなんだろう。
以下余計な事ながら、シャクルトンたちは食糧が乏しくなると犬を殺してその肉を食い、犬の餌も人間が喰う。犬はまったく物資扱いである。それはそれでいいんだろうけど、それじゃあ日本の第一次南極越冬隊が犬を置き去りにせざるをえなかったときに世界中から受けたというヒステリックな非難はいったいなんだったんだと思う。紳士のために犬が犠牲になるのは当然だが猿が犬を犠牲にするのはバランスが悪いとでも言われていたのだろうかと、人種差別的な理不尽さを感じた。