核実験

「やあ将軍、元気か。困ったときには電話してみろってタローに勧められたんだが。」
「そう言う声はアキヒロだな。元気がないじゃないか。君らは前任者を粗末にするからばちが当るんだぜ。俺みたいに神格化しておけば楽なのにさ。」
「その読み方やめてくれよ。困ってるときにますます滅入るじゃないか。」
「ああ、そういえば彼は気の毒だったな。もうお葬式は終わったかい? 俺も故人の遺徳を偲んでちょっと6カ国協議にでも顔を出してみようかね。」
「恐ろしいことを言ってくれるね。君にそんなことされたらいよいよ俺の立場がないよ。」
「そうだろうね。やっぱり俺に悪役をやれって相談かい?」
「頼むよ。このままじゃ針のむしろだ。」
「しかしテポドンはもう使っちゃったし、だいたい急に言われても燃料詰めるのだって大変なんだぜ。もっと他の奴ってえと・・・あれ使うか。」
「あれって・・・まさか・・・あれかい?」
「ふふふ。そのまさかよ。」
「そりゃさすがにまずくないか? 洒落じゃすまんぞ。」
「案外と小心者なんだな。そこで仲介してポイント上げるのが君の役どころだろうに。」
「そ、そういうものなのか」
「伊達にながいこと独裁者やってるわけじゃないんだよ。まあ、まかせておきな。そりゃそうと君も生れは日本のくせに『泣いた赤鬼』って話は読んでないのかね。これからは独裁者だって教養を問われる時代だぜ。蓄財ばっかりじゃ時代に取り残されるぜ。いい映画を何本か薦めてやるから観るとよいよ」
「まだそんなに貯めちゃいないよ。だいいち俺はもともと金持ちなんだよ。でもなあ。教養ねえ。確かにタローは漫画ばっかり読んでてひんしゅくを買ってるしな。今度のことも彼には言わない方がいいかな」
「まあ、な。それが彼のためかもな。でもバラクには何とか取りなしてくれよ。それだけは頼むぜ」
「ああ。分ってるよ」

会議だった

NICUが閑散としている。紹介がないのだから仕方がない。こういう暇なときに英気を養わねばならない。若い人たちにはこういうときこそまとめて文献を読むのだよとか言い置いて、自分はさて今日は江文峠へ行こうか途中越の手前まで行ってみようかと遊ぶことばかり考えながら定時に医局に戻ってくる。だいぶ日も長くなったし5時過ぎに引き上げてもまだ2時間は明るいぜ。へへ。しかし会議室でなにか会議が開かれている模様で、予定表を見ると各科部長会議だった。俺もNICU部長だから出なければならない。いつも忙しいふりをしてさぼっているけれど、NICUが閑散としているのは偉い人にもばれているから今日ばっかりは逃げられない。
こういう会議も出てみるといろいろ勉強になる。まず狭い会議室に偉い人を集めると加齢臭が凄いことになるというのが教訓だ。臭いから逃げるというわけにもいかないと我慢して座る。集まった面々の中ではまだ若輩者だからいらない口を挟まず偉い人のいうことを黙って聞くことにする。俺ももっと年をとったら目が霞んで点滴が入らなくなるから、その時分にはこういう会議でそれなりに賢そうなことを言えるようになっておかないと病院に居場所がない。なにごとも勉強だ。偉い人ってのはどういうふうなことをしゃべれば良いんだろうと思って聞いてみる。たしかに賢い発言をする人がある。俺が若い頃思っていたほどには年寄りは馬鹿ばっかりではない。しかしその賢い発言に触発されての、俺だって賢い発言ができるんだぜと言いたいだけのあんまり内容的には賢くない発言もあってやれやれと思う。俺が子どもの頃に思っていたほどには大人は賢い人ばっかりではない。

花脊峠・芦生峠を越える

昔は鬱々したブログ記事を書くのに使っていた時間を、今は自転車で外を走っている。
昨日の午後は花脊峠を越えて北へ行き、芦生峠を越えて戻ってきた。むろんノンストップで越えられるほどの脚力はなくて、とくに鞍馬から花脊峠の登りは何回休んだか数えるのもうんざりするくらいだが、それでも押して歩くことはなく、越えるには越えた。
越えて峠の向うへ降りたものか、謙虚に峠からまたこっちへ引き返すべきか、登りつつちょっと迷った。なにせ花脊峠を越えて向うへ下ったら、帰宅するにはどうあってももう一つ峠を越えなければならないはずだから。しかし峠では沈思黙考の間もなく向うへ下ってしまった。峠の向う側(北側ですね)で路面を舗装しなおす工事が行われているらしく、土曜午後で工事関係車両はいなかったものの路面はいちめんに砂埃で覆われていた。それほどがたがたはしなかった。峠の南側の鞍馬から峠までの路面がそうとうひどい道だったし、ESCAPE R3のアルミフレームとクロモリフォークもそれほど振動を上手に処理してくれるものではなし、路面にはあまり贅沢を言える立場ではない。
花脊の山の家には子供たちも学校行事で宿泊に行くので、話はきいていたが、予想以上に大規模な建物だった。あれは数百人くらい泊まれるんだろうなと思った。おそらくは集落の人口の数倍は泊まれるはずなんだが、その人数が排出する環境負荷をこの土地は支えきれるんだろうか。
花脊から先しばらくしてバス停留所の標識の形が変わる。バス会社の表示にテープを貼って消してある。好かしてみると京北町の町営バスらしい。そういえば最近京都市と合併したんだった。
京北町の中心部へいく道と分岐すると、いよいよ本格的に人里を離れていく。芦生峠芹生峠へむかう道の、灰屋という集落を過ぎるともう人は住んでいない模様である。渓流のわきの道であるが、花脊峠と比べてガードレールが少ない印象がある。田舎者なので人がいない道を走るのはあまり苦にならないが、高所恐怖症の気はあるので、ガードレールのない路肩の先がいきなり崖だとあまりよい気分がしない。わりと水量の多そうな渓流の音が聞こえるが、高さどれくらいだろうとのぞき込む気も起こらない。自動車がほとんど通らないのが幸いだと思いつつ登っていく。あまりくねくねと曲がる印象はなくわりと一直線である。休み休みではあるが登れはする。花脊峠の登りはじりじりと勾配が増していって挙げ句の果てにとんでもない傾斜のつづら折りが待っているので、こっちもそうかと思っていたが、案外とあっけなく峠に着く。
芦生峠芹生峠の南側はやはり急坂である。こっちを登ることにしないで良かったと思った。下り道はやはりつづら折りである。ガードレールはやはり少ない。これは路線バスが走ってるかどうかにも関係するんだろうか。花脊峠のほうは京都バスの路線があるし、京都市じゅうの小中学生が宿泊研修に行く施設もあるし。
下っていくととつぜん道が良くなり、なんとなく雰囲気が雅びてくる。なにかなと思ったら貴船の料亭街に入る。納涼床のシーズンだったら、人がいない下り道をかっ飛ばす気分でここへ突入すると危険だろうなと思う。

若い人が来た

この4月から一気に3人も若手がやってきた。ウエブに日記を書き出したころは下っ端生活に倦み、そのうち語尾が「やんす」になってしまうのではないかと危惧していたもんだが。
俺はもう上に対しては自分がなにものであるかを証明しなくていいんだと、さいきん気づいた。彼らはしょせん、俺ごときをNICU部長と奉らねばならないほどに窮した立場なんだ。恐れることはない。俺はむしろこの若い人たちに対して、自分がなにものであるかを証明しなければならないんだ。それはたぶん、上の連中に対して自分を証明するよりも難しいことだ。
うっかり、もう完成された者のような、上から目線の指導言葉でものを言ってしまったら、彼らの目に俺はもう伸びる余地のない人間にうつるだろう。この人はもうここで行き止まりなんだなと思われるだろう。それはよくない。断じてよくない。