ロードバイク初挑戦・初落車

病膏肓に入るということか、ロードバイクを買った。クロモリの105。コンパクトクランク。ホイールはなんだか安価なものになってしまった。高価なほど硬くなります、それに最初は壊すものですし、ということだった。練習をしてから良いのをつけるようにねと暗に言われているんだろうという解釈をした。
昨日の日曜は調子に乗って朽木まで走った。いつのまにやら開店していたローソンで(ちなみにこんな繁盛しているコンビニをはじめて見た)弁当を買って昼食にしたあと、そのまま素直に引き返せばよいものを、調子に乗って山へ入った。能家から小入谷越を越えて、安曇川の本流よりもひとすじ西側の谷を南下し、久多から東に折れて367号線にもどった。
久多からの下り道で、急なカーブを曲がり損ね、カーブの外側に積もった砂に滑って転んだ。でもうっかり転倒し損ねてガードレールに突っ込んでいたら、そのまま崖下に転落していたかもしれず、転べてよかったと思う。
右手の手背と肘・膝をすりむいた。出血はたいしたことがなかったが砂粒が傷にめり込んで往生した。でもここで応急処置ができないようでは職業柄なさけないので、とりあえず洗浄することにした。たまたま水筒には途中で買ったサントリーの「ダカラ」が入っていたが、傷にしみて痛かった。成分のカリウムが痛さを増す原因かなと思った。それで文句を言われてもサントリーは戸惑うばかりだろうけれど。
ダカラってナトリウムが入っていないのな。はじめて知った。病児の経口補液にするには不適切だ。外来でダカラのペットボトル抱えた親子には用心しよう。
帰って傷の処置を終えて一息ついたところで、息子に「泣かんかったか」と聞かれた。やれやれ。

日吉ダムへ往復

日曜朝に病棟へ顔を出したあと、10時出発で日吉ダムまで行ってきた。鞍馬から花脊とか芹生とか、今までは原生林が広がっているとしか思っていなかった地帯を自転車で走ってみて興味を持ち、このところ金久昌業著「北山の峠」全3巻とか澤潔著「京都北山を歩く」全3巻とか読んでいたので、山へ行ってみようと思った。
「京都北山を歩く」は安曇川水系についての記載がない。百井とか大見とか尾越とか葛川とか。この地域についての幻の第4巻があるのかも知れない。ご存じのかたご教示いただければ幸甚です。
往路は清滝道から下六丁峠を越えて保津峡へ降り、水尾・樒原・越畑を越えて神吉から日吉ダムへ到達した。神吉から柿の木峠とよばれた切り通しをとおってダム湖の上流の端に至る。ダムの本体に至るにはダム湖の湖畔を走ることになる。
ダムは梅雨前で水量が落としてあった。昔の棚田の跡が湖面から顔を出していて、なるほど人里を沈めたのだなと思った。湖全体に、自然にできあがった湖とは違ったまがまがしい感じ、現代人に対して敵意を持つ「ぬし」が棲んでいそうな、得体の知れない感じがした。千年以上にわたって人が暮らしてきた歴史を人為的にいきなり断ち切ったのだから、放置しては祟りが生じるのが当然である。きちんと祀るのが大切なんだろうと思った。今の時代に寒中水泳をしたり参加者の身体に墨を塗ったりといった、NHKの地方版のニュースに出るような祭りをやれというのではない。ここにあった歴史と暮らしを淡々と記録し記憶しておくことだと思った。
そういう資料館が湖畔にあるはずだからぜひ行ってみようと地図をみてもくろんでいたが、じっさいに来てみると道沿いには案内もなにもない。ないままにダムが見え、ビジターセンターと称する瀟洒な建物が見えてくる。入ってみたがダムの効能を称揚する展示ばかりだった。森の自然についても褒め称えてあって、ダムは決して自然と対立するものではないと言いたげだった。沈んだ村の歴史についてはちょろっと触れてあるばかりだった。まるで結婚式に呼ばれなかった親戚みたいな扱いだった。
ダムの麓のスプリング日吉という施設で昼食にした。レストランや土産物屋に加えて温水プールや風呂もあった。ダムを造った予算のお釣りでできた施設なんだろうけれども、ダム建設にはでかい金が動くんだなあという感慨をもった。こういう大盤振る舞いができたらさぞや気持ちいいことだろう。まして他人の金を大判振る舞いして自分の手柄にできれば笑いが止まらないだろう。ダム造りを止めさせるのにはパワーがいるわけだと思う。
往路でダム湖の南側を走ったので復路は北側を廻ることにした。北側の道は南側よりも細く、自動車の交通量もはるかに少ない。路面はそれほど荒れていない。落石にさえ注意すれば自転車には北側の方が走りよい。走りよいので橋の名前など目に入る。沢田橋とか。たぶんこの橋がまたいでいる沢にはかつて沢田という集落があったのだろう。水面が下がって現れた湖底に田んぼの跡らしい段々が見える。なんだか痛ましい気分になる。
やっぱり資料館を見ずに帰ってはいかんだろうという気がしてくる。湖畔の展望所だったかで案内を見たら、どうやら南岸の「府民の森」とかいう施設にあるらしい。南側か。ダム湖の中程を南北に縦断する橋を渡ってもういちど南へ戻り、その施設へ行ってみた。高所恐怖症なので橋のたもとで湖面を見下ろしてちょっとたじろいだが、欄干に「ゆめのかけはし」とかいった白々しいにも程がある名前が刻んであったり、沈んだ集落の在りし日の写真が陶板で埋めてあったりしたので、こりゃあ渡らなければ祟りがあっても全面的にこっちの落ち度だという気分になった。
施設には沈んだ天若と総称される地域の模型が展示してあった。手作り感あふれるジオラマだった。いまの湖面が透明なアクリル板で表現してあった。痛ましいほど即物的ではあったが、このそれなりに広い地域が沈んだのだという痛ましい事実をあからさまに表現した感があってなかなか目的に沿った展示物だと思った。
沈んだ土地から移転させたわらぶき屋根の民家が2軒保存してあった。驚いたことに出入り自由だった。縁側に座らせて貰った。目の前のほんらいは庭だったろう場所が芝生なのが殺風景だが、しかし気分が落ち着いた。1800年代の初めにできた家とのこと。のび太からセワシにわたるほどの世代が代々住んだ家ということになるのか。家が人になじんでいて、空気からほどよくカドがとれていた。
休憩しているうち時間が経っていて、気がつくと16時をまわっていた。真っ暗になるまでに京都へ帰り着きたいと思って、地図で最短経路を探した。ダムにそってさかのぼったところにある弓削弓槻という集落から京北の細野へ越す峠道が最短だと思った。弓削弓槻までの道は深い谷で、南側にも高い山が続いており、走りつつも本当にここを越える峠道なんて存在し得るんだろうかと焦ったが、弓削弓槻から南へ入る道は広くて路面も美しく、峠越えにはトンネルもできていた。トンネル内部は広い歩道もついていて、自動車の脅威も感じず楽々と越えることができた。
トンネルからは細野の集落を通る下り道で、162号線の笠峠よりやや北寄りに合流する。合流地点には細野小学校という廃校がある。廃校といってもいやに新しい建物で、まったく煤けた様子がなく、明日の月曜日からまた生徒が登校してきてもぜんぜん不思議ではない印象だった。玄関ロビーの傘立てに笠が2本さしたままになっていたのが目に付いた。今でも土地の人がなにかに使っているのだろうか。管理ついでに何かに使っておかないと、こんな集落の入り口に幽霊屋敷なんてできあがってしまっては集落の存亡にかかわるだろうとは思う。
162号線は交通量が多く、笠峠をトンネルで越えるのも命が縮まる思いがする。難儀なので杉坂口から左折して京見峠を越えて帰ることにする。疲れた足なので峠までの登りはまた泣きそうになったが、後ろから絶えず車に煽られるよりはまだマシだった。京見峠も木が生い茂っていて写真で紹介されるほどには京都の街並みは見えないんだけど、それでもちらっと見えた京都の街並みにはほんとうに安堵させられた。

シルベストサイクル京都店に行ってみた

日曜の息子の学校の説明会はちょうど昼時に終わった。
せっかく四条河原町ちかくの会場なのだから、何か食べて帰ろうと誘ってみた。蕎麦でもどうだと言ったが、息子はあまり気乗りがしないように見えた。昔は好きだったのに。寺町を四条からちょっと上がったら焼きそば屋があった。どうだと言ったら目を輝かせたので入ることにした。
メニューを見せたら「焼きそばとポテトサラダ」と自分で選んだのでそれを二つと頼んだ。息子に注文させてみるのもよかったかもと、後になって思った。
昔は偏食がきつくて、焼きそばも具はぜんぶとりのけて器用に麺だけ食べる子だったが、今は紅ショウガもまぜて全部食べてしまった。偏食が治ったのか食べ盛りの食欲には勝てないだけなのか。
同じものを食べたが、しょうじき胃もたれした。もう息子のほうが良くたべる年齢になってしまった。店の造りもはっきりと若い人むけだったし。周囲の席には私同様の中年世代もいたが、こころなしかことごとくメタボリック体型のように見えた。
終わって寺町通りを北上し、三条通の一筋南である六角通りを西に入って、新しくできたシルベストサイクル京都店に行ってみた。まだ建材の匂いの残る店内に、ロードバイクがたくさん展示されていた。むろん大変に魅力的だった。インターマックスのフレームなんて頭がくらくらするくらい格好良かったが、気がつくと買ってしまっていたということになりそうなので、用心のため目に入らないふりをしていた。
そういうときに息子はよく「値段が高いぞ」と注意を促してくれるので有り難い。
パールイズミのフルフィンガーのグローブをひとつ買った。季節がら風通しの良いものが欲しかったので。でもNICUの仕事上、指先に怪我をするのは御法度だから指切りスタイルは心許ない。店員さんに説明を求めたが、一見さんの私にも丁寧に対応してくれて好感度が高かった。装着するときに手首の部分が多少きつい感じがするのは仕様だそうだ。装着し終わったときに手の平がわにあまり余計なしわが残らない程度がよろしいとのこと。その基準で選んだら私の手はLサイズだった。ちなみに手術用の滅菌手袋は7である。
選びながら他のお客さんと店員さんのやりとりを聞いていた。どの程度に難しい質問だったかはよく分らないけれど、店員さんの即答ぶりが好ましかった。ただ、この店員さんたちにロードバイクについて説明して貰ったりしたら、買わずに出てくるのは少しばかり強めの意思が必要かも知れないとは思った。
買って帰って、つけてみたら右手首前面橈骨がわの縫い目がほころびていた。縫製に難があったのか、こっそり試着した誰かが破いてしまったのか、自分で破ってしまったのかよく分らなかった。ゴム製の滅菌手袋をつけるときの癖で必要以上にめいっぱい引っ張ってしまったのかもしれないし。ウイザード社の冬物も同じ場所がほころびたので、私の手癖に起因する現象という可能性は大いにある。縫えばいいことなので妻に繕って貰って済ませた。お父さん自分で縫えるでしょと娘には言われたが、お父さんが縫うのは縫ったあと自分でくっついてくれるような素材だけなのだよ。
あるいは「UVプロテクション」の製品だし女性用なのかな。男女の手ってそんなに違うものなんだろうか。
メッシュは手の平がわについていたが、つけて走ってみると、かるく手を開くだけで手袋の内部全体に風が通るので熱が籠もらず快適だった。指先もほどよく薄く、財布から硬貨を取り出すていどの作業なら手袋をしたままで可能だった。手の平がわのクッションもほどよいと思ったが、ESCAPE R3のグリップはもとよりクッションの効いたエルゴグリップだから、他の機種に乗っておられる方々には参考程度かも。

総合支援学校の説明会を聞いてきた

総合支援学校高等部職業科の説明会があったので息子を連れて出席した。職業科は就職率がよいので人気が高い。多くの聴衆で会場が埋まった。
京都市内には白河・鳴滝の二つの学校があり、各々の学校の先生や生徒さんにより学校紹介がなされた。とくに生徒さんのプレゼンぶりから、白河は「よく仕込む」鳴滝は「よく伸ばす」校風であるという印象を受けた。白河の先生と生徒さんによるプレゼンは、先生単独・生徒さん単独のセンテンスと二人が声を揃えて読むセンテンスがきっちりと計画されていた。発音の明瞭さには入念な練習のあとが伺われた。その点で彼らが準備したものは「台本」であり「芸」であったと言ったら言いすぎだろうか。対して鳴滝の生徒さんは各々の手持ちメモを通しで一人で読んだ。彼らの準備は「原稿」であった。てにをはを直して通し読みを数回してという以上の手間は敢えて掛けないという意思あるいは心意気を感じた。
・ちなみにこの印象は2年前に参加したときも同様に感じたので、たまたまプレゼンの担当になった先生個人の個性というより伝統的な校風なんだと思う。
・医師としての目で見て、けっして白河の生徒さんが課題の遂行能力において劣るというふうには見えなかった。

その校風の違いに優劣がつけられるわけでもないと思う。生徒の障害の特性によっても異なるだろうし。人当たりが良くても課題がいい加減な生徒には白河のきっちりとした校風で育ったほうが卒業後の職業生活もなにかと上手くいくかもしれない。課題はきっちりこなすが朴訥として引っ込み思案な生徒には鳴滝の校風のほうがのびのびとするのかもしれない。客観的な優劣と言うよりは個々の生徒との縁の良し悪しだと思う。
息子は意外におとなしく聞いていた。退屈すると何のかのと独り言が多くなる子なのだが。各校の校長先生の挨拶まですべてスライドを併用しての説明会だったから、自閉症である彼にも理解がよかったのかも知れない。どちらにするんだと聞いてみたら鳴滝と答えた。校風の違いによる魅力と言うよりも、バスを乗り継いでの通学をしてみたいという動機であるようにも思えた。
両校とも、入学に必須なのはかならず企業就職をするのだという強い意志だと強調しておられた。それがちょっとネックだなと思った。3年後には必ず就職するのだという強い意志をもったりとか、将来はこういう大人になるんだという夢を持ったりとか、そのためにはこの学校に通わねばならんのだという見通しをもったりとか、そういう両校の先生方のご期待に応えられるようなら自閉症とは言わないんじゃないかと。
でも夢や見通しや強い意志がなければ退屈だとか無意味だとか駄々をこねて日々の仕事が続けられないなんて、それって定型発達のみなさんの障害特性なんじゃないかとも思う。小難しい動機づけがなくても淡々と日々の仕事をこなしますというのを長所にカウントするのはダメなんだろうか。いったいうちの息子のように毎朝6時に自分で起床してきて、ゴミの日には家中のゴミを適切に分別して出して、新聞を取ってきて父親も起こしたうえで、片道30分の徒歩通学を無遅刻無欠席の皆勤賞でこなすような男子中学生が世間にどれほどあるというのか。

嵐は分らんけどコンタドールなら知ってるってのは日本人女子としてどうなんだろうか

更新の頻度が落ちた言い訳に興味を持っていただけるほどの人気サイトではないということはよくよく承知の上で、最近あまりブログを書かない言い訳をさせていただけば、昔あれこれ仕事の愚痴を記事に書くのに使っていた時間を、今は自転車に乗ったり自転車雑誌を読んだりサイクルロードレースの中継を観たりするのにつかっているからなのですが。
ジロ・デ・イタリアを今年はほぼリアルタイムで観た。さすがに夜中のライブ放送を起きて観ていては仕事に障るので録画であるが。イタリアは今年も風光明媚である。コカコーラのでかい看板も自動販売機もない。電柱もない(電話線とか電気とかどうやって各家庭に送ってるんだろうね)。各家庭の屋上にアンテナもパラボラもないから空撮の画像もすっきりしている。イタリアの人ってテレビ観ないのかな。
今年の主役は復活したランス・アームストロングかと思ってたけど、ランス大丈夫かというスリルよりもアスタナ大丈夫かというスリルのほうが勝ってしまった。世界恐慌でスポンサーがすっかりやる気をなくしたらしくて、チームジャージからスポンサーロゴがじりじり減っていった。選手の給料も払えないとか。ランスは自腹で参加してるから関係ないらしいけど。
サイクルロードレースとかディズニーチャンネルとか観るんで、うちは地上波はニュースくらいしか観ない。娘は嵐のメンバーの識別がつかない。中学校で珍しがられたらしい。コンタ君とシュレック兄弟が居るからいいのよと言ってやればいいのにとか茶化してみる。ランス様って言っても中学生には年長すぎるだろう。ダニーロ様って言われるとあんな怖い顔の人はやめておけと父は思う。