それもお仕事

入院する子の一人一人にカルテを書く。外来から入院するときには病歴も身体所見も外来カルテと入院カルテに書く。カルテ表紙に病歴を文章で記入したあと病歴要約なる欄にもほぼ同じ内容を書く。入院診療計画書と薬剤指導依頼箋と褥瘡予防計画書を書く。食事箋や付き添い許可書も書く。もしも新生児搬送で迎えに行ったら病院救急車使用願いと搬送経過記録と搬送実績報告も書く。輸液計画書も書く。養育医療意見書も書く。ときには血液製剤の使用同意書も書く。超音波検査の記録も書く。
忙しさにももうすこし充実した形態があるんじゃなかろうかと思う。書類を書くことに充実感を覚えるようなら医者とは違う分野に進むものだ。

ディルーカにCERA陽性だそうだ

ジロ・デ・イタリアで総合2位にかがやいたダニーロ・ディルーカの、ジロ期間中に採取された血液サンプルから、禁止薬物CERAが検出されたとの報道がなされた。
なんとも。
しかし大会期間中にCERAを使用、ねえ。何だか信じられないような気がする。重要なステージの前日に使用したようにCYCLINGTIME.comの記事には伝えられているが、注射して翌日にいきなり血液が濃くなって成績も良くなるというくらいに迅速に利くものなのかね。ようするにEPOなんだし、そんなに迅速に良く効くならNICUで未熟児貧血の対策にこれほど苦労はないように思うのだがね。もうちょっとゆっくり利くものじゃないかと思うがね。たとえばジロに先立つ数週間とか数ヶ月とかの検体で陽性といわれたら、ああジロに備えてのことかと納得もいくのだが。
むろん私はドーピングに専門的な知識があるわけじゃないし、ふだんEPOを合法的な治療目的で多少は他の科よりもよく使っているという立場からの推測に過ぎないが。
ディルーカ自身は使用を否定している。私も濡れ衣であって欲しいと思う。今年のジロで見せた彼の執念には敬服した。それに震災に見舞われた故郷を勇気づけようという彼の意思には、場所こそ違え震災に遭った者のひとりとしておおいに感動したものだった。
もし彼がクロとなれば、これでジロ・デ・イタリアは2年続けて総合2位の選手がドーピングで処罰されることになる。昨年の総合2位リッカルド・リッコに引き続いてディルーカも失格、となると、ジロ・デ・イタリア自体の値打ちがかなり下がるような気がする。

マイヨジョーヌ本命

ツール・ド・フランス第15ステージ。ついにコンタドール君はマイヨ・ジョーヌ獲得。アルプスに入る本格的な山岳ステージの開始なんですが、なんぼなんでももうマイヨ・ジョーヌを獲得してそれなりに働かんとね。
ゴールのときに例のピストルを撃つマネはしたけど、「バーン」と言ってませんでしたね。今までははっきり口が動いていましたが。ちょっと表情が照れていましたね。昔の自分の子供っぽさを恨みに思っているんでしょうね。
そのわりに表彰台でのガッツポーズの繰り返しはしつこいくらいで、まさに「ガッツポーズ」というアナクロニックな呼称がふさわしい行為でしたが。よほどマイヨ・ジョーヌが欲しかったのでしょう。たぶん本人はいつでも獲れるぜと何ステージも前から苛立たしく思っていたんでしょうけど、ランスやブリュイネールが、まだ早いとか今マイヨ・ジョーヌ獲るとアシストが大変な思いをしなければならんとかいって自重させてたんでしょう。
まあ、あとはちゃんと要所要所でバナナを喰ってさえいれば総合優勝は確実でしょう。
ツール観てない大多数の読者諸賢にはどうでもよい話題ですが。

ビンディングペダルの練習

当直明けて帰宅。小雨に晴れ間が見えたのでロードバイクを持って出て、自宅前の路地で発進・停止の練習。靴底とペダルが貼り付く「ビンディングペダル」の着脱に習熟することが本旨である。片足をペダルにはめて発進し、もう片足もはめて2~3回回す。それから片足を外してサドルの前方へ降りながらブレーキをかけ、停止すると同時に足を地面に着く。その発進・停止を延々繰り返す。
とくに停止が難しい。ハーフクリップにはだいぶ慣れているが、ビンディングは一段階外れにくい。停止する前に意識して外しておかなければならない。ママチャリのように車輪の回転がとまったときに傾いた方の足を地面に着こうと構えていると、足をペダルにとられたまま転倒することになる。立ちごけというらしい。
いちおう両足とも練習したが、私の場合は左足をペダルに付けたままにして右足を脱着する方が簡単なような気がする。しかも私が立ちごけしそうになるときは、だいたいビンディングを付けたままの足のほうへ倒れそうになる。なんやかやで右足を脱着するよう心がける方がよいのかなと思っている。とりあえず車道のほうへは倒れたくないので。
スポーツに人生への教訓を求めるのは野暮の極みだというのは承知の上だが、練習しながら以下のようなことを考えた。
ウチダ先生のブログで習い事に関する論考を読んでなるほどと思った記憶がある。曰く、人間、失敗するときはその人に特有の失敗の仕方をする。たとえ習い事であれ、失敗のパターンというのは、いかにもその人がしそうな失敗であるという。仕事でそうそう失敗というのは許されないが、習い事で失敗するのは自分の失敗のしかたを精査するという点で役に立つ。
私の失敗のパターンはと考えてみる。おそらく、撤収のための余力を残していないというのが私の失敗のパターンである。ついもう少しもう少しと粘ってしまう。粘れなくなるまで粘って、停止せざるを得なくなってから停止する。たぶんそれは良い方向へ働くこともあるのだろう。学生時代には、とくに高校まではわりと学業の成績が良かったほうなんだけど、勉強にしても試験にしても体力や時間のゆるすぎりぎりまで粘っていたのが大きかったんじゃないかと思う。しかしそれはくたびれ果てたらそのまま寝るなり答案を提出するなりすればよい状況でこそ最善の結果を生む行動方針であって、停止・撤収する過程にもそれなりの労力を要する状況ではときに破滅的な結果につながる。先だって日吉ダムまで行ったときも、帰りの行程を考えずダム湖畔で時間を使ってしまって、帰りはあやうく知らない道を夜間走行するはめになるところだった。
ビンディングを外して止まるということが苦手なのも、スケールは小さいけれど、同じつながりではないかと思う。今までの自分の習性として、止まる寸前までは走ることを考えている。走れなくなったら止まればいいのだと。ロードバイクではそうではなくて、止まる手前のある地点・ある時点から、止めることを意思して止めてゆくことが必要になる。まあ一連の手順を慣れて記憶したらそう大層なことではなくなるんだろうけれども。
いずれNICU施設の集約化が始まる。中小規模の施設は刈り込まれ、大規模施設だけが生き残れる時代が来る。よほど地理的に広い範囲をカバーしなければならないのならともかく、今の京都府南部をカバーするのにいまの施設数は要らない(もちろん病床数は足りないんだけど)。今の施設をすべて生き残らせることと、周産期医療全体のクラッシュを防ぐことと、どちらを優先すると聞かれて迷うほど厚生労働省も新生児学会上層部も馬鹿じゃない。ここは日本なのだから、「自主的な撤退」を指導するというかたちで、刈り込みの波が来るんだろうと思う。それと同時に診療報酬の体系が、大規模施設ほど経営的に楽になり小規模だとどう足掻いても赤字になるように巧妙に変化していくだろうと思う。そして地域医療を計画する地方公共団体の部署が、小規模施設の撤退を遺憾ながらと口だけ言いつつ許可し、撤退した施設の病床数だけ大規模施設に拡大を許可する。そういうかたちで、集約化が水上艦と潜水艦とで攻め込んでくるんだろうと思う。
どこかの時点で、うちのNICUの撤収も考えなければならなくなるんだろうなと思う。総病床数が200に満たない病院のたった9床のNICUには、日赤や大学や徳洲会のNICUを吸収して生き残るという道はとうていなさそうに思える。
今の自分のマインドセットのままでNICUを運営していくなら、何らかの事情で停止を余儀なくされるまでは猪突猛進していくんだろうけれど、それだと停止するときのクラッシュが大きくなる。衝突か立ちごけか。止まった後は撤収しなければならないが、余力を持って明るいうちに家に帰り着けるか、あるいは闇夜の知らない山道を車のヘッドライトに怯えながら走り続けることになるのか。
その始末の付け方次第で、頑張って前進している今の仕事に対する後世の評価も異なってくるんだろうと思う。まあ後世の評価はいま気にしても仕方ないかもしれんが、しかし停止・撤収に際して私に許容できる負担といえば病院の赤字くらいだ。病院上層部とは意見が違うかも知れないけれどね。私は赤ちゃんを殺したくないし、若手医師や看護師にバンザイアタックを命じたくもない。そういう華々しいクラッシュを迎える前に、明確な意思と計画をもってNICUを撤収したいものだと思う。
たぶん私はNICU部長として壮大なチキンレースを戦っているんだろう。あんまり早く撤収にかかったら臆病者だと言われるし、クラッシュするのは愚か者だ。臆病者と愚か者の割合を最適化するくらいのタイミングで撤収にかかるべきなのだろう。

マンパワーの確保は喫緊の課題であるが

12日から14日まで周産期新生児学会に行ってきた。昨年度までは当直にくたびれ果ててあんまり行く気も起こらなかったのだが、若手が増えた本年度はさすがにさぼる理由がなくなった。自転車に乗っていたいからというのは理由にならない。いまちょっとSPDの着脱を練習していて新しい局面なんだがね。
名古屋まで新幹線なら40分ほどで行けるというのには驚いた。なんと京阪で大阪淀屋橋まで出るよりも早いぞ。値段は10倍だけど。早朝に京都を出て教育講演の開始に余裕で間に合った。通勤だってできるんじゃないかな。
喫緊の課題としてマンパワーの確保について熱心に語られていた。今年度はうちも人数が増えたのだが、そうそうバブルは続かないというのが世の常だし、マンパワーの確保は過去の話題とはなかなか申せない。かしこまって拝聴してきた。
とはいえその語り方にはいかにも十年一日という感があった。上手くいっている施設や地域の先生が成功体験を語り、事情通の先生がこれからの見通しを語る。地域振興シンポとか称して商工会の青年部がシャッター商店街の店主を集めてIT社長や経済評論家に講演をさせるような図式であった。催し自体としては晴れやかだし開催者の意気は軒昂なんだろうが、聞いてるほうの明日からの仕事につながる訳じゃない。
そのなかで救いがあったのが米国でnurse practitionerとしてご活躍のかたの講演であった。米国ではNICU仕事の多くを、特別に訓練を受けた看護師であるNPの資格をもつスタッフが行う。新生児搬送も、中心静脈カテーテルの挿入も、胸腔穿刺も。じゃあ医者は何もすることがなくなるんじゃないかと日本医師会の諸兄はたいへんにご心配だろうが、じっさいにはその心配はないそうで、なぜなら60床のNICUを医師一人NP一人で診ていたりするんで仕事が尽きることはないのだそうだ。安心して医師法を改正していただきたい。
60床のNICUなんてあったらたとえば京都にはそれ一つで足りるんじゃないか。いまの京都のNICU認可病床数は総計でも50は越えないはず。それを小分けにちまちまとあっちこっちの病院にばらまいてあるから、NICU当直として京都全体で毎晩すくなくとも5人は泊まっていなければならない。それを医師一人NP一人で済ませられたら夢のようだ。マンパワーなんて全然足りるじゃないか。私などむしろ能力不足な余剰人員としてリストラに遭わないように注意しないといけないくらいだ。まあそこまでラジカルな施設の統合なんてぜったい無理だし、そもそも京大と府医大の系列を統合するなんてemacsとXEmacsの開発を統合するくらい難しいことだからね。でも京都のNICUの当直は大半がNPで間に合うんじゃないかと思う。
米国でNPの教育が始まってから制度的に認められるまで11年かかったということだし、本邦ではその前に医師法の改正をしなければならんから(医業を医者以外もしていいよということにしないといけない)、もうちょっと時間もかかるだろうけれども、でも医学部の定員を増やしてから使い物になる医者の人数が増え出すまでにも十数年はかかるのだから、いまさら拙速に走ってもつまらない。腰を据えてラジカルな改革をやらんとね。