今後はやっぱり禁酒か?

どうも酒が翌日に残るようになったような気がする。酔った気分良さは消えているのに頭痛と倦怠感だけが残っている。年取れば二日酔もまあ当然かとは思うが、ビールの350缶2本で残られても辛い。
昨日の土曜と本日の日曜は当直も自宅待機もないので自転車で出た。昨日は大原旧道を登って古知平まで行ったところで雨に降られて引き返してきた。雨中走行はロードでは初めてのことだった。
今日は早朝だけで帰ってくるつもりで山中越えに初めてチャレンジした。大津へ行くときは車なら一号線だし、自転車はこれまでは小関越えと途中越は行ったことがあるが、山中越えは狭い道に自動車が多いので控えていた。
山中越えを途中休憩を入れないと越えられなかったのは、もともとそれだけの実力だったのはむろんだが、それにしてもへばるのが早く、やっぱり昨日に不摂生して酒を飲んだのも悪かったかなと思った。
山中越えを越えてはみたが、この道をいまから戻れと言われても無理だと思って(とくに大津側は京都側より急坂なので)、西大津から北上して途中越で帰ることにした。北上するうちに足も回復するだろうと思ったが、車の多い湖岸の道を避けて山のほうを走ったので、細かいアップダウンに悩まされた。おまけに地図を忘れていったもので仰木のあたりで道に迷った。いろいろとひどい目にあった。途中集落にたどり着いたときは故郷に帰ってきたような気がした。
這々の体で昼ごろ帰ってきて、しばらく玄関先で座り込んでいた。座り込みつつ自転車を眺めていて、前輪が裏表についているのに気づいた。タイヤの表面の紋理が前後逆になっている。何の意味があるか分からんけれど何となく気になったので、フレームから外して裏表にして取り付ける。外すときにブレーキをいったん緩めるのだが、よく見ると前後ともブレーキが片効きになっている。これは重大なのでメンテナンスマニュアルを引っ張り出して調整する。ついでにブレーキレバーの引きしろを少し深めに修正。たまには日の高いうちに自転車をいじるのも悪くない。

狼に囲まれたことはあるかと娘に訊かれた

娘に、国語の宿題の一環として、いままで狼に囲まれるような経験をしたことがあるかと聞かれた。いきなり突拍子もないことを聞くものだと驚いて、文脈が分からないと答えようもないと言ったら、宿題のプリントを見せてくれた。その文章に曰く、「大草原の小さな家」のお父さんが血相を変えて帰ってきたので、どうしたのかと家族が訊いたら、狼に囲まれたが這々の体で帰ってきたとのこと。そういう家族の苦難を知れば家族としてのあり方も色々と変わるだろうが、君たちのお父さんも家庭の外ではそういう狼に囲まれるような体験をしているのではないか、それを知れば君たちの家族の中での態度も自ずから変わるのではないかと問いかけてあった。
そういう例文を貼り付けたプリントで娘の国語担当の先生が問うには、そう訊いたらご家族がどう答えるか予想して書きなさいとあった。娘の予想では「重症の赤ちゃんが生まれたときなどそういう気分になる」と答えるだろうと記入してあった。次の設問が最後の設問だったのだが、その予想をした上でじっさいに訊いてみて、なんと答えたか書きなさいというものだった。
娘が予想していた私の回答は、まさに、当初私がそう答えてすまそうかと思ったそのものずばりの回答だった。わが娘ながら親の考えることをそこまで見透かすかと空恐ろしくもあった。ただ、そう答えて済ますのは何だか底が浅くて面白くないようにも思った。
そもそも男が門を出たら7人の敵がいるとかなんとか、うそぶいてみれば格好良くもあろうが、しかしそれは本当のところだろうかと思った。少なくとも自分にはそう多くの敵はいないなと思う。周囲を見回しても、非協力的な人とか愚かな人というのはいるけど、敵はない。ごく稀には暴言とか暴力とかに対峙しなければならないこともあるけど、囲まれるというところまではいかない。それに、そういう連中を狼にたとえたら狼に失礼だろう。
娘には、重症児の治療は狼に囲まれるようなというのとはちょっと違うと答えた。何故といって、上手くいかないときに死ぬのは向こうだからねと。それにみんな赤ちゃんが元気になることを願ってるんだから、敵って言うのとはちょっと違うよねと。幸いなことに、お父さんはまだ狼に囲まれるような経験はしたことがないよ。
言わなかったこともある。まだ医療過誤報道の渦中に巻き込まれたことはない云々とは言わなかった。この秋から冬に予想される新型インフルエンザの大流行では熾烈なリソースの奪い合いになるだろうが、そのときには新手の狼も出るだろう、とも言わなかった。狼に囲まれることに例えられるような状況の具体的な例をあれこれ考えてみるに、どうも娘に対してそういう状況に陥ったということを認めるのが気分良くないような状況ばかりである。狼に囲まれるというのは、囲まれた時点で、喰われる喰われないにかかわらずこっちの負けのように思える。

大村湾でカヤックに乗る

夏休みを頂いて長崎の実家に帰った。二日間カヤックで遊んでいた。実家の庭で膨らませて、目の前の海に放り込む。庭先が海なのでそういう楽しいことができる。
むろんカヤックなど始めてである。素人が通販でインフレータブルカヤックセット(救命具とパドルとポンプつき)を買って乗るなど無謀もいいところかもしれないが、それでもひっくり返りもせず楽しめた。それほどに故郷の海は穏やかである。
実家は小さな岬のたもとにある。岬の向うからちょっとした川なみの速さで潮が流れているし、その潮や波風にえぐられて岬の突端がちょっとした崖になっているしで、子供の頃は岬の向うに回ってみることができなかった。今回の休暇でこの岬をカヤックで越えることができて、向うはどうなっているのだろうという子供の頃からの疑問がようやく解決できた。三十数年来の胸のつかえがおりたような気がした。
天候にも恵まれた。初日は潮の速さに挫けて、岬の向うへまわる勇気が出なかった。ところが二日目には風が逆になり、岬をめぐる潮の流れがほとんど止まった。幸運だった。たしかに子供の頃の記憶でも、そういう風向きの日があることは覚えているのだけれども、でも珍しいことではあるのだ。
せいぜい私が動いたのは、海沿いに歩くことができれば1時間足らずで移動可能な距離ではあった。本格的なカヤック乗りの人にはお笑いぐさな小冒険なのだろうけど、楽しかった。
こういう楽しい休暇も若手が増えてNICUを留守にできる期間が長くなったからこそである。その点、感謝至極である。もうすこしお土産も奮発するべきだったかもしれない。

コンタドール君の行く末が心配

NHK-BSでツール・ド・フランスの特集番組があった。サイクルロードレースのルールや基本的な戦術に関して、簡潔ながら的を射た解説がなされていた。リアルタイムで観戦していたときには腑に落ちなかったことも、なるほどそういうことだったのかと納得できて、見応えのある番組だった。
番組の大きな柱として、アスタナのアルベルト・コンタドールとランス・アームストロングの確執が取り上げられていた。当初はチーム内で疎外されていたコンタドールが、山岳ステージで実力を発揮しチームの尊敬を勝ち得て、ツール後半ではチーム唯一のエースとしてじゅうぶんなアシスト陣の協力を得つつ2度目の総合優勝を手にした、というストーリーであった。
実情をそれほど大きく外れてはいないストーリーだと私も思う。ただこの語りかただと暗にランスが卑怯な悪者とほのめかされているようで、釈然としない。ランスも当初は自分が総合優勝する気でツールに挑んだのだろう。でもそれはコンタドールの足を引っ張って引きずり下ろそうというような下世話なお話ではなく、シンプルに自分のほうがコンタドールよりも走れると思っていたのだろうし、そのほうがアスタナというチームにとっても良い成績につながると心底思っていたのだろう。ランスにとって自分よりも走れる存在があるということ自体がそもそも想像しにくかったというバイアスも、まあ、あるんだろうけれど。
加えて、緒戦のコンタドールは、ランスの目から見れば、自分がアシストするべきエースというにはどうにも頼りなかったのではないだろうか。あるいはアスタナの他の選手達にとっても。エースというのは、こういう過酷なレースであればなおのこと、チーム上層部がこいつがエースだと言ったからエースになれるというものではなく、チームのみんなの心のそこからの納得を得てはじめてエースになるのだと思う。
番組では、問題がが顕在化したのは第3ステージだったと伝えている。マルセイユを出発して地中海沿岸を走るコースの終わり近く、最強のスプリンターMark “EXPRESS” Cavendishを擁するチーム・コロンビア・ハイロードが強力な横風のなか速度をどんどん上げた結果、選手の集団がおおきく分断された。ランスはその状況に素早く対応し、大きく遅れる前に先頭集団に追いついた。その時点の総合1位でマイヨ・ジョーヌを着ていたカンチェラーラもしかり。またアスタナのアシスト達も(まあ他チームならエースクラスの実力者揃いなんだけど)遅れることはなかった。ただコンタドールだけが、後方集団にひとり取り残された。アスタナの選手達は、ランスも他の選手も誰一人として、コンタドールを前方に引っ張り上げるアシスト仕事をしようとしなかった。
サイクルロードレースでは、同一集団でゴールした選手は同一タイムとして扱われる。錯綜するゴール前での無用な争いと事故を防ぐためのルールである。同一集団でゴールすれば総合成績は変動しないから、追突や落車の危険を冒してまでライバルの前に出る必要はない。逆に、総合優勝を狙うならその時点での総合1位の選手と同一集団でゴールすることが絶対条件である。21ステージ3500kmを走り抜いてさえ秒単位の差しかつかないような勝負では、たった1ステージでも総合一位からタイム差を広げられるような失態を演じては致命傷となりかねない。
第3ステージでコンタドールがやらかしたのはそのような失態だった。モナコから3日目、まだ勝負が始まったばかりのこの時点でマイヨ・ジョーヌに置いて行かれるか?その時点までなら、アスタナの選手達もまだどちらをエースとして遇するか迷っていたかもしれない。しかしあの横風の中で、アスタナの選手達にはコンタドールに対する失望が広がったのではなかろうか。こいつはアホかと。当然ついてくるものとばかり思っていたら何をしとるんだと。こんな迂闊な奴がマイヨ・ジョーヌ獲れるのかと。アシスト達とはいえツールに出るような選手である。しかも他チームならいざ知らずアスタナのアシストである。彼らに、このアホは俺らの自己犠牲に値するのかという自問自答をさせてしまったのなら、その時点でエース失格である。
むろん、そんなアホでもそいつしかいなければ、アシスト達も後退してコンタドールを取り囲み、護送するかのようにメイン集団まで引っ張り上げていただろう。やれやれとため息をつきながらでも。しかしランスがいる。年齢的限界にさしかかりつつも、かつてツール7連覇の実績のある人だ。今回もきっちり状況を読み切って、勝とうとする選手ならぜったい居なければいけない場所にきちんと居る。やっぱりこの人だよなと、アシストはみんな思っただろう。
あるいは、そこまで厳しく見放してはいなかったのかもしれない。ああもう焦れったい若造だなと呆れ顔くらいで済んでいたかもしれない。そこで反省しておれ、ゴール後のミーティングでこってりお灸を据えてやるからと、年長のアシスト達には暗黙の了解ができあがったのかもしれない。色々と叱るポイントはある。メイン集団を風よけにボサーッと後方を走ってなかったか?その先でコースが直角に曲がってるって分かってたか?曲がった後はこの向かい風が横風になると予想してたか?云々。他にもある。貴様ジロの第3ステージの顛末を観てたか?Cavendishが集団落車に巻き込まれて取り残されペタッキに負けたろ?ちょうど今日のお前さんと同じ負け方だったろ?とか。
コンタドール君にしてみれば、本来のエースである自分をアシストせずみんなで先に行ってしまったのは不当だと思うのが自然である。ランスが横やりを入れてくるからチームがおかしくなってしまったのだと思うことだろう。それは自然だと思う。そして、エースの座が危うくなったのは自らの未熟さが招いた自業自得という側面もあるということは認めたがらないだろう。それも自然だと思う。ただここで自然というのはそれが正しいというのではなく、未熟者の行動としては自然だという事だ。コンタドール君が、チームの方針として俺がエースということに決まってるんだから他の面々はランスも含めて俺のアシストをするのが当然だと思ってしまう程度の未熟者だとしたら、そうやって他責的になるのが自然なことだ。
コンタドールは今期限りでアスタナを去る。来年からヴィノクロフとかいうドーピング野郎がエース気取りで復帰してくるので、アスタナの今の主力選手はほとんどが今期で去る。名監督ブリュイネール氏もランスの新チームに移る。コンタドール君も、アスタナに残る意義も義理も全くない。来年からどこで走るのかは未定らしいが、しかし彼が移籍先のアシストたちの信頼を得られるかどうか、どうにも心許ないような気がする。サストレールとかあだ名されたりしなければいいんだけれど。
ランスもそういうことを言ってるんじゃないかなと思う。彼のツイッターから。

Seeing these comments from AC. If I were him I’d drop this drivel and start thanking his team. w/o them, he doesn’t win.

hey pistolero, there is no “i” in “team”. what did i say in March? Lots to learn. Restated.