夜が長くなった

夜が長くなったなあと思う。午前6時にもまだ暗いし、午後6時には日が暮れている。
夏に何回か5時起きして朝練習をやったことがあるのだが、午前5時台の北山通りで自転車に乗ってみると、夕方のごちゃごちゃした車道で乗る気がしない。薄暗いしガソリン車は多いし。
でも運動不足はあっというまに身体をむしばむ。自転車に乗り始めて後の、身体の各所をグリスアップしたような、全身が適度に割れた感覚がなくなってきて、どよーんと錆びついて動きの悪い、自転車以前の身体感覚に戻りつつある。よろしくない。
何より宜しくないのは、それとともに機嫌が悪くなることである。もとよりそんなに明朗なほうではないのだが、更に輪をかけて鬱々とした気分になってくる。
ローラー台でも買って乗ろうかという気もする。このあいだ、くりらじのサイクルメカニクルでローラー台の特集をしていた。固定ローラーなんて欲しいねと思った。でもすぐに飽きるんだろうなとも思う。それにうちは狭いので屋内で回す場所がない。庭もガレージも狭いし傾斜しているし。

日本未熟児新生児学会

来月の当直を組むときにはとうぜん、来月末におこわなわれる「日本未熟児新生児学会学術集会」にひとり派遣することも考えなくてはならなかったわけだが。
今回の未熟児新生児学会のテーマは「子どもたちに無限の可能性を与える新生児医療を目指して」ということで、まあ、さようかと、インフルエンザで病欠するまではだが、NICUの面談室に貼られたポスターを日々ながめていた。
なんか気張ったテーマだなと思わなくもなかった。無限の可能性ねえ。医療ってそんなたいそうなもんか?と意地悪く問うてみたくはある。せいぜい、「子どもたちの足をひっぱらない新生児医療を目指して」くらいがほどよいところじゃあないかと思う。場末のあんまりぱっとしない私のNICUではその程度しかできないとか、iPS細胞@山中教授も新造細胞@東博士も実用化してない現代の医学ではその程度しかだめだとか、そんな限定じゃなくて、まあ未来永劫、医学ってのはその程度に心得ておいたほうが宜しいんじゃないでしょうかと、そんな気が、私にはする。
無限の可能性、というと、現代で言えばドーピング、将来的にはなんだか義体化とか電脳化@攻殻機動隊とか、イマジノス細胞@ノヴァ教授とか、そっちのほうに向いていきそうな気がする。そりゃまあ失われた腕の代わりに高性能の義手をつけるのは私も「あり」だと思う。でもそこにサイコガンを仕込むのは「なし」だ。
まあ、新造細胞やサイコガンは専門誌も読まんとSFまんがとか映画とかばっかり観てる私の邪念かもしれんし、あんまり言うと板橋会長を腐しているようで誤解を招くかも知れないが、まあ真面目な話、こういう文脈で言われるところの「無限の可能性」って言葉には、なにか嫌な臭いがするんだ。強く正しく清潔ではあるけれど、なんとなく嫌な臭い、根源のところでなにか違ってる、なにか生分解性の悪いものが混じった臭いがする。
「いのちの輝き」という語にも同系統の臭いがした。
たぶん、だけど、板橋先生が子どもたちのために希求しておられる何らかのものごとを、後進の我々がわずかなりとも実現するべく求めて進むべき先は、この「無限の可能性」という概念が指し示す方向ではないように思える。

闘病記その2

みなさまにはご心配いただいてありがとうございます。
早退して帰ってきた当日は重度の倦怠感と頭痛で一日伏せっていた。二日目は倦怠感がかなり抜けたが頭痛がつづいて不愉快きわまりなかった。三日目、昨日辺りからかなり自覚症状が消えて、いつもの身体の感じにもどった。発熱もなし。病院の決まり事で5日間休むことになっているらしいから、明日までは自宅にこもることになる。
身体がだるいのが日常的な疲労なのか病的な状況なのかを判断するためにも、ふだんの自分の身体がどういう動き方をしてどういう感じがするものなのか、ときどきは意識して記憶にとどめておくべきなんだろうと思う。とすれば、ふだんからゆとりなくぎりぎりまで従業員の心身を酷使しているような企業だと、従業員もインフルエンザにかかったと気づくのが不可能になるんじゃないか、そして一気に蔓延するんじゃないかと思った。ということで、企業のインフルエンザ対策としては、消毒液の買い込みみたいな些末な各論にとどまるんじゃなくて、もっと根源的に従業員が軒昂に働けるような環境作りなんじゃないかなと思った。そういう根源的な意味で、職場にインフルエンザが流行るのって企業にとっては恥ずべきことだろうと思った。
ちなみにいま私は優秀な若い医師に恵まれて、けっこう楽なポジションにいるから、インフルエンザだと気づけて良かったんだけれども。
昨日は一日かけて村上春樹の「1Q84」を読んだ。色々と気持ちに引っかかりを残す作品だった。またインフルエンザで休むことになったら再読するかもしれない。

インフルエンザ闘病記

昨日来インフルエンザで寝込んでいた。症状は倦怠感と頭痛。とくに倦怠感がきわめて強く、ただごとでない感じが強くしたので、迅速検査を自分でやってみたらA型が陽性に出た。上司にタミフルを処方してもらって帰ってきた。このタミフル代は俺の健康保険から出すのかな、とかちょっと思った。労災じゃないのかな。それも込みでの給料なのかな。まあ出せないほどの金額でもなし。重症化して人工呼吸器使ったりするようになったあたりから、ちょっと交渉の余地あるかな。
幸いに昨日午前中は外来当番でもなく、NICUの回診は若手がさっさと済ませてくれていたし、出勤はしたけれど患者さんにはほとんど触らなくて済んだ。というか全然触ってないんじゃないか?体調が悪いにしてもちょっとさぼりすぎなんじゃないかね。このところ。
早退して昼ごろ自宅に帰り着き、延々寝込んでいた。昨日はとても立ち上がれる気がしなかった。妻に頼んで自転車用のCCDドリンクをPOLARのボトルに作ってもらって、布団わきに置いて寝ていた。CCDドリンクはこういうときに使うことはメーカー(グリコ)では想定してないんだろうけど。でも甘ったるくなくて飲みやすかった。これでロードバイクだと一口で何メートルくらい走るんだろう。
今日はかなり倦怠感が抜けた。どんよりと頭痛は続いている。でも立ち上がることに抵抗感がなくなった。止せばいいのにノートパソコンをあけてしまって、メールで仕事が追いかけてきてたのでげんなりした。やれやれ、容赦のないことだ。

おんなじことを考える人があったんだなあということで

文部科学省のサイトより。
各都道府県・指定都市教育委員会等宛 新型インフルエンザに関する対応について(第17報)

 ついては、これを踏まえ、学校保健安全法(昭和33年法律第56号)第19条の規定に基づく児童生徒等の出席停止を行った場合などでも再出席に先立って治癒証明書を取得させる意義はないと考えられますので、適切に対応くださるようお願いします。

ということで、読者諸賢におかれましては適切に対応くださるようお願いします。
同じページに「新型インフルエンザによる外来患者の急速な増加に対する医療体制の確保について」という文書へのリンクも張ってあって、そういう問題意識で出された通達なんだなと思います。

東京オリンピックが無くなって

東京でのオリンピック開催がなくなったとのこと。
石原都知事に言わせれば、プレゼンでは勝ってたのにと、ウラでなにか不当な権謀術数が渦巻いたかのような口ぶりであったが、プレゼンがそこまで大事だなんて誰が彼に吹き込んだものやら。そういうことを言って都の予算から多額の宣伝工作費を巻き上げていったプレゼン屋さんたちだろうか。
ものごとには、プレゼンみたいな方法論を越えた、大義ってものが要るんじゃないかと思う。南米大陸に初の五輪をと言われたら、そうだよね日本で2回目っつうよりも南米で初のほうが開催しがいがあるよねと、日本でも肯く人が多いんじゃないかと思う。それは大義とも言えるレベルの説得力だと思う。プレゼンの芸だけでひっくり返そうってのはきつい。たぶん、裕次郎の兄ですって言っても、説得力の上乗せにはならない。
まして、これまでさんざん排斥的な言辞を繰り返してきた彼が、いまさら国外からの好意を得ようったって、それはさらにきつい話だと思う。けっきょくこれまでの彼の言動は大規模な内輪受けの連続だったので、今回はじめて彼は内輪の外に出たってことだろう。あの年で引退前になって「みのほど」を知らされることになるってのも辛いもんだろうけどね。