当地ではわりと長距離走の大会が頻繁に行われる。今日も高校駅伝の全国大会が行われた模様。そのたびに近くの大通りがコースになり、交通規制が行われる。
この通りをふさがれると、うちの病院から京都市内へ出る道が遮断されてしまう。開催者とすればこんな京都の東の果ての通りなど遮断しても特に迷惑じゃなかろうと思っているのかも知れないが、その東端の通りのさらに東の、比叡山や大文字山の山麓にいる我々は、まるでボルガ川の河畔に押し込められたスターリングラードのソ連軍のように身動きが取れなくなる。
こんなときに新生児搬送の依頼があったらどうしようかと思う。ソ連軍のみなさんがボルガ川を渡河して兵員やら物資やら輸送したことを見習って、東山を越えて大津まで出て山科をとおって市内に戻るという手が使えればいいんだろうけれども。そうするなら道はあるのだが、つづら折りの峠道で、たぶん時間的に遅くなりすぎる。
幸いにこれまで、大会にぶつけて搬送依頼が来ることは無かった。もし来たらどうしようかと思う。交差点で緊急灯とサイレンを回してみたら選手諸君は止まってくれるんだろうか。たぶんそれで止まるような軟派な選手は大学の体育会系のスカウトからは見放されるんだろうけど、赤ちゃんの健康や、あるいはひょっとしたら生命と引き替えに、彼らが駅伝の名門大学に進学して箱根駅伝とか走るような進路を絶ってしまってよいものかどうか。
新生児科としては迷うことはないかもしれんがね。
今後も、そういう衝突が起きる確率は低い。通行を遮断される時間はとても短い。彼らとて都道府県を代表して上洛してくるのだから、それなりに才能にも恵まれ訓練も積んでいるので、先頭と最後尾の時間差もとても短い。今後も確率の神様の思し召しで、こういう真面目なランナーの将来を僕らの救急車が潰すようなことはないだろうと思う。
年間にたった一つ、半日にわたって交通遮断する大会がある。京都シティハーフマラソンとかいう、3月に行われる奴。ものすごく大人数の参加者が走る。最後尾ではへろへろになった選手達が、先頭から数時間も後れて、回収車に乗れと言う説得を断りつづけながらはいずるように進んでいく。沿道の人も、応援の人はもう引き上げてしまって、たいていは道を渡りたいのに渡れずいらいらしているひとばかり。そういう状況で、我々の救急車のサイレンがどれほどの効果をもっているのか、こればかりはなんとも確信が持てない。
月: 2009年12月
あらかじめ「ゆとり」と呼ばれる人々
当直明けに例によって当直室で昼飯を食べていたら、テレビで新卒大学生の就職難について語っていた。ちょうど「ゆとり教育」で育った人たちが新卒大学生として社会に出ようとしている、まさにそのときに就職難が重なってしまったとのこと。
就職難も外在的な要因ばかりではなく、ゆとり教育世代ゆえの内在的な原因もあるとの教育評論家のコメントもあった。いわく、彼らは自分がどうしたらいいか分からないんじゃないかと。これまで大人の意向に逆らわずに生きてきた故にと。
この新卒の人たちも気の毒だと思う。社会に出ようとしたその時点で既に、彼らは「ゆとり教育世代」として語られている。本人の具体的な能力や意思以前に、「ゆとり」というラベルで世代ごと一括されてしまっている模様。スタート時点で自分の責任ではないビハインドを負わされている。なんだかこれは新たな差別なんじゃないかとさえ思う。しかも彼らのゆとり教育と併行して行われた経済政策の結果がいまの不況と財政難だ。
就職難の対策は景気回復とワンセットだろうし、いまの状況で十分な対策が可能だとはなかなか思えないけれど、でもその言い訳に「彼らはゆとりだから」と言われそうに思える。就職難は社会的にも憂慮するべき事態だとは分かってますけど、それ以前にこの世代は使えないから雇わないんです、云々。たとえそのような偏見をはねのけて就職できたとしても、古来から新人は失敗を重ねて成長するものなのに、その失敗すらも「ゆとり」故のこととされて、指導不十分なまま早々に諦められるんじゃないかと思う。その結果、見放されて挫折から回復できないまま早々に職を離れる若者が多発するんじゃないかと危惧する。それもまた「また我慢のきかない根性無しのゆとりが逃げ出しやがる」「仕事はそういうものではない」「不毛な自分探しをしおって」云々と語られるんだろうと思う。
そんな正義感に満ちあふれたことを書く私も、テレビの特集に出ていた若者の顔を見てると、なんだかこいつら使えそうにないなという印象を受けてしまって、あまり偏見から自由ではないなとの自覚はある。今はまだ医学部生であろうゆとり教育世代の皆様には、新生児科ではそういうことは言わず丁寧に指導するからぜひ新生児科に来てくださいね。と多少棒読み気味に付け加えて本稿はおしまい。