一人目はためらい悩むものだが

読んだ本をネタにして見てきたようなことを言うのは憚られるべきことではあるのだが。

「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

保阪 正康 / 講談社

旧海軍において特攻の口火を切ったとされる大西瀧治郎中将であるが、本書によれば彼はその決断に際して極度に苦悩したという。当時彼が赴任したフィリピンには米軍が迫ってきていたが、日本軍の航空戦力はほとんど残されていなかった。大西は苦悩のあげく、このとき限りのつもりで、爆弾をとりつけた飛行機による体当たり作戦を決断した。
しかし二人目以降の指揮官が、特攻作戦の命令に際して大西ほどに悩んだという記載は本書にはない。淡々とシステマチックに、あたかも特攻作戦の倫理的問題は大西によってクリアされたと言わんばかりの平然さで、つぎつぎと特攻作戦が続行された。
大西はこの一連の特攻作戦に責任をとるかのように、敗戦直後に割腹自殺している。介錯も救命処置も断って、半日苦悶した果てに死去したという。
じゃあ悩んだ大西が偉くて二人目以降のその他大勢が倫理的にスカだったのかというと、死地に赴かされる部下の立場になってみれば、上司がどれだけ悩んだかなど、まあ些細なことだったかも知れない。そもそも手続き的に何をどうすれば特攻作戦が正当な作戦と呼べるようになるのか、私には見当もつかない。作戦に際して市民や法律家や宗教家を招いて倫理委員会を開けば正当化できるのかというと、それもちょっと的外れだろうと思う。
そもそも論を言い出すと問題が拡散していって非生産的になってしまうが、そもそもあの戦争自体がどれほど正当なものなのかにも、議論の余地がおおいにあると思うし。

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