SPD-SLペダルと靴を注文してきた

これまでの土曜日は午前中に自院で外来をして、午後から大学のNICUへ顔を出していた。今日はひさびさに、自宅へ帰って何もすることのない土曜午後。

自転車通勤も終了なので、ESCAPEから泥よけを外した。すっきりした。

VIGOREさんへいってSPD-SLペダルと靴を注文してきた。これまではSPDペダルで乗っていた。ロードを買ったときに予想したほどには出先で歩くことはなかったし、歩くにしてもSPDペダル用の靴が歩きやすいとはとても思えなかったので。それは今後なにか趣味が変わってマウンテンバイクとかシクロクロスバイクとか買ったらまた考え直すかも。

夏なのでボトルケージを二つつけたいと思った。そのためには携帯ポンプを外さなければならない。トップチューブにくくりつけるかなと思っていたが、VIGOREさんに深谷産業製のボトルケージの横に取り付けられる細身のポンプが売っていたので買ってきた。こんな細くて華奢なポンプで非常時に空気がちゃんと入るのかとの、一抹の不安は感じるけれども。

GCU加算新設でまたぞろ難民がでないか?という懸念

医療事務|保険診療点数|診療報酬|レセプト|調べるならしろぼんねっと-H22: 第2部入院料等 第3節特定入院料 A303-2 新生児治療回復室入院医療管理料(1日につき)

先日の午後おそく大学NICUにいたら、市内の大手産科医院から新生児入院の申し込みがあった。赤ちゃんや親御さんには失礼ながら、ありふれた病状のように思えた。大学でないと診れない状況じゃない。私の古巣の領域だ。そう大学の当直医に行ったら、いやどうも先生のところからは断られたみたいですよと言われた。

翌日は古巣で当直の日だったので、出向いた折に、なぜ断ったのかと確かめてみた。すると留守居の若手曰く、満床だったからだと。でも軽症ばっかりじゃないかと問い返してみた。本当にこの入院は取れなかったのか? 答えて言うには、いや医師も看護師も余力はあったし取れるには取れたんだが、GCU加算を申請するに当たって定床以上に入院させてはまずいらしいから断らざるを得なかったんです、とのことだった。

これまで新生児特定集中治療室管理料いわゆるNICU加算は頂いてきた。当院の定数は9床。床面積やら看護師の数やらで決まる数だ。しかし病状が回復した赤ちゃんが移動する先のGCUには、そのような条件限定のお金はついていなかった。一般の小児科入院と同じく、出来高払いのお金をいただいていた。そして、NICUを出るほどには回復したがまだ退院はちょっと、という赤ちゃんでいつも形ばかりの定数を超えていた。それは全国いずこも同じで、GCUは定数超過した赤ちゃんが「一人飲み」をしているのが現状だった。

むろんその現状が宜しいものだとは言えない。だから今回、新生児治療回復室入院医療管理料いわゆるGCU加算が新設されたのは全く理にかなったことだ。厚生労働省もこの現状には改善が焦眉の急だというのは分かってるんだ。で、いつもの飴と鞭のやりかたをとった。この管理料新設は、お金は出すけど出す以上はあんまり無茶をやると取り締まるよというメッセージなんだ。赤ちゃん6人に看護師1人以上を常時配置すること。そういうものだろうと私も思う。それは全く正しい方策だし、それが新生児医療の発展ってものだろう。

ただ問題は、だ。みんなでこれから正しいことをやることにしたらすべての赤ちゃんが救えるのか、ってことだ。うちは満床ですからほか当たってください、で済むのか? ほかを当たればどっか空いてるほど京都のNICUベッド数は潤沢なのか? 全国的にはどうなのよ。全国のNICUがGCUの入院数まで法令遵守を徹底したらだよ、赤ちゃんをNICUからGCUに出せないからNICUに新規入院を受け入れられませんって状況がどんどん起きるんじゃないですか?

法令遵守してるからうちはこれでよろしい、とか、監督下にある医療機関が法令遵守してるから当地はこれでよろしい、とか、そういうことを病院や府庁の人らに口にしてほしくないんだ。それで行き先を失う赤ちゃんに対して目をつぶってほしくないんだよ。

このあいだ関東へ送り届けた赤ちゃんの、入院先の先生から丁寧なメールをいただいた。「○○(その自治体の地名)の赤ちゃんをいままでありがとうございました。」と書いてあった。涙が出た。苦労が報われた、というより、この子を幸せな土地へ送ったと思った。こういう熱くて爽やかな台詞をさらっと決めようよ。

長距離であるほど荷物は軽めに

今回は持って行った荷物はほとんど使わなかった。いちおうアンビューバッグとマスクや気管内挿管キット、初期輸液一式など、Timbuk2メッセンジャーバッグに詰め込んで担いでいったのだが。

そんなものを使う状況になるという時点でカタストロフなので、使わずにすむのが最善ではある。一方で、自分だけに限局した話なのか世間一般に通じることなのかよくわからないけれど、準備してこなかったものに限って必要になるというジンクスはある。何度も痛い目にあって、自分の勤務地から出発する新生児搬送では必ず(たとえ院内の手術室までの往復であっても)常に道具立てを整えて充電してある搬送用保育器と付属品一式を持って行くことにしている。御神輿と変わらないなと思いつつ。いや、御神輿で結構。

今回はややこしいことに、研修と称して春から居候していた大学病院が出発地だった。いつも使い慣れた道具類は使えない。それに今回は超長距離で、途中で新幹線など使うので赤ちゃんも抱いていくから、搬送用保育器自体使えない。搬送用保育器に工具箱など取り付けていく普段のスタイルが使えず、背負える分量がそのまま持って行ける分量となる。なんか旧陸軍の歩兵と変わらん。距離は長いのに持って行ける分量はかえって少ない。

でも道中で使う物資が、医者一人が担げる分量を超えるとなると、そんな重症例の搬送を一人でやれるかという疑問が生じる。救急蘇生ABCのAはAnother doctor, CはCall for helpだし。BはBehind the nurseだったかな。まあそれは半分冗談としても、二人して担ぐほどの分量があるなら二人連れでいこうよということだ。

東海道新幹線を利用して赤ちゃんを関東まで搬送してきた。

東京駅から先はけっきょく自動車を使った。今回は東海道新幹線JR東海の利用経験で。

  1. 切符の手配は私(=医師)が電話でJR東海と日程や座席に求める条件の細部を交渉した。JR東海のウエブサイトで調べて車椅子利用申し込み番号にかけてみたら、そこで交渉ができた(ように記憶しているが一度の電話で済んだので記憶が定かではない・・・一般的常識では連絡の一つ一つを記録してのちの役に立てるんだろうけれども)。第2希望まで日時を聞かれたが、第一希望で通った。
  2. 駅までは救急車で来るのか、構内での移動手段は車椅子かストレッチャーか、構内で職員を介助に付けることが必要か、など詳細に聞かれた。ノウハウができあがっている感じがした。最後に人工呼吸器や酸素ボンベを使うかまで聞かれたのは前述の通り。
  3. 家人に切符を買いに行って頂いたが、京都駅はJR東海JR西日本が混在しているので、JR東海側の売り場(八条口側)に来てくれと念を押された。
  4. 当日は多目的室内の座席を指定する形で、席をとってあった。乗車したデッキに女性の車掌さんが待っていて、多目的室に案内してくれた。
  5. 多目的室内は、開けば寝台になる二人がけの座席と、折りたたみ椅子があった。寝台特急で言えばB寝台の個室ていどの寝心地なのでは?と思ったが、そんないいものに乗ったことがないのでよく分からない。息子が購読していた「鉄道データファイル」の記事からの類推である。
  6. 上着をもっていくこと。多目的室の空調は独立していない。冷房がよく効いて、寒いくらいだった。たぶん大部屋で上着を着たまま肩を寄せ合って座っておられるビジネスマーンな方々のための温度設定だ。赤ちゃんは「おくるみ」で難をしのいだ。お母さんは女性の知恵で上着を持っておられた。私はいい年をして背広を着てくる知恵もなく、馬鹿正直にクールビズでシャツ一枚だったのでいちばん凍えた。人目を憚らず白衣を着れば良かった。あとで車掌さんに聞いてみたら、車両全体の温度を上げるという手段もあるとのこと。昔の私ならそれを要求していたかも知れない。
  7. 弁当を持って行くこと。多目的室内にいる限り、車内販売が来てもまず分からない。その一方で、新幹線を降りた後よりも乗っている間のほうが落ち着いて食事ができる。腹が減っては戦ができない。食料と飲料を持参すること。ちなみに今回の赤ちゃんは完全母乳栄養だったので、赤ちゃんの食料は全く自然にまかなえた。
  8. 乗車してまもなく赤ちゃんが空腹そうな様子になったので、母乳を与える間は私は(いちおう男性であるため)デッキに出て待機していた。待機中デッキでみていると、多目的室の向かいにトイレがあり、順番を待つ人がこちらもトイレではないかと勘違いして多目的室のドアを開けようとすることが少なからずあった。車掌さんには中から施錠するようにと言われたが、なるほどと思った。
  9. どのあたりを走っているのかもよく分からない。腰を据えて、日本の鉄道は到着予定時刻きっかりに目的地に着くのだと腹をくくって待つか、あるいは時刻表を持っておくか。またはガーミンあたりから出ている携帯用のGPSを持って行くか。
  10. N700系の加速減速はおそろしく滑らかで、走っているのかどうかも時折分からなくなった。救急車で搬送するときのような、がちがちの固定はしなくても良さそうに思えた。

ツールが終わった

ツールが終わった。パリ・ルーベからツールの終わりまでの、私の大学での研修も今週で終わる。

ここまでなんの役にも立たない医者ってのも、大学の看護師さんはなかなか見たことがなかっただろう。仕事が遅いってのは厳然とした事実だし。だから主な担当医として診た患者さんの数は圧倒的に少ない。呆れるほどに。

多少言い訳をすれば、こりゃあ若い人では持て余すだろうなと思えたら、自分が診るようにするよう、気がけたつもりではある。どちらかと言えば倫理的にとか社会的にとかで泥沼にはまりそうなと思ったら。だから病棟で一番難しい処置をやったのが自分だとは到底言えないが、病棟から外線電話やメールやで外部との交渉をいちばん多くやったのは自分じゃないかと思っている。電話医者。むろんこれは言い訳ではある。はっきり白状すれば、純粋に医学的に難しそうなケースからは腰が引けてたってことだ。

私の常で、辛い期間を早く終わらないかなと過ぎ去るのを待っていながら、いざ終わりかけになって喉元を過ぎた気分になると、いまさらのようにああすればよかったとかこうすればよかったとか、色々と考えている。そういうことを繰り返して年寄りになってしまったら、色々と悔いの残る人生になりそうが気がする。

アンディ君が休養を終えて来年のツールでコンタドールを倒すべく再起する頃には、私も自分のNICUで再起しようと思っている。

今年もコンタドールが総合優勝なのか

この39秒はシュレクが第15ステージでチェーントラブルで遅れたときに、コンタドールが奪ったタイム差とまったく同じ。つまり、もしあのステージで2人が同タイムでゴールしていたら、現時点での総合タイムで並んでいたことになる…

昨日のツール・ド・フランスは実質最終ステージで、個人タイムトライアル。アンディ・シュレックとの死闘を制したアルベルト・コンタドール君が勝利を手中にした。感涙にむせぶコンタドール君の姿が印象的だった。

その勝利を祝福するヴィノクロフ、意気消沈したアンディを励ますカンチェラーラ、ともに、若く優秀なエースを暖かく見守る年長者の姿として好感を持った。とくにヴィノクロフは見かけがなんとなく陰険で、ドーピング疑惑のあった人でもあり、なんとはなく悪い印象を持っていたのだが。ランスも昨年、あんなふうにコンタドール君を励ましてやっていたら、名声がさらに高まっていたろうにと思った。

せっかく勝ったのに

ツアー・オブ・チンハイレイク2010(2.HC)第4ステージ
ステビッチ、ステージ優勝も問題ジェスチャーで失格処分に

なにをやってるんだか。平均標高3000mなんてむちゃくちゃなレースでせっかく勝ったのに。

虐待される自転車たち

大学にはそれなりに良い自転車も止まっているんだけれど、チェーンがきれいな自転車はごく少ない。真っ黒に油と泥で汚れていたり、赤さびていたり。

妻に言わせれば、そんな自転車に手間なんてかけてはいられないのよということなのだが、私に言わせれば、メンテ不良の自転車をぎこぎこと無駄な力をかけてこいで重い目に遭ってるほうが、よほど無駄だと思うのだが。そんなポンコツに我慢して乗ってるなんて、どれだけ自転車好きなんだよと思ってしまう。

携帯電話を洗濯してしまった

うっかり携帯電話を洗濯してしまった。電源は入るが通話ができない。目覚まし時計としては役立ちそうだが、仕事には使えない。修理することにした。

機種変更もちょっとは考えたが、値段が高すぎる。これで契約先がソフトバンクなら、これを機会にiPhoneに変えることも考えるのだろうけれども、他の会社に家族割引で入ってるのでなかなか変更もきかない。それにうちの病院は京都の端っこなので、ソフトバンクは微妙に圏外だという噂もある。

基本的に携帯電話にはあまりファンタジーを持ってない。使用の主目的がNICUからの呼び出しなので、気楽な道具とは言えないし。