京都近郊の辺境

百井もたいがいだけど氷室もまた相当なところだ。沢の上流から杓子が流れてきて人が住んでいるのが判明するといった風情の土地だ。これが政令指定都市なんだからたいしたものだ。

先の日曜日に京見峠を越えにいって、物見半分に氷室へ行ってみて大変な目にあった。途中の坂で立ち往生して2度ほど立ちごけした。自転車が壊れなくて何よりだった。

氷室の水はいったいどっちへ流れてるんだろう。杉坂あたりだろうか。どこへも流れなければ湖ができあがるはずなんで、どこかへ排水されているはずなんだが。

リーダーシップ

チリの落盤事故で、地下に残された33人をまとめているリーダーはたいしたものだと思う。無事に救出された暁には彼国の大統領候補くらいにはなるんじゃないかと思う。もっとも、その時点で「俺がリーダーだった」と言う人がほんとうにみんなをまとめていたのかどうか、論争が起きがちなことではあろうが。

民主党の諸兄も4ヶ月ほど党首選を待ってみたらどうだろうか。あるいは軍艦島あたりの廃坑に33人ほどで籠もってみるというのはどうか。

家郷の訓

家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)

家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)

NICU当直は真夜中の入院1件。すこし眠い。

宵の口は本書を読んでいた。日本の村落での伝統的な教育が失われつつあるとして、宮本常一が本書を著したのが昭和18年だとのこと。

一般向けの書籍であるし、いくら御大宮本常一とはいえ故郷のことではあり多少の美化はあるだろうけれど、それにしても、昔の村落の大人が子どもを育てるあり方には、現代とは次元の違うものを感じる。よく新聞の論説に書いてある、社会全体で子育て云々と言ったお題目の、具体的な例を初めて読んだような気がした。

しかし既に本書において既に宮本が、「他家の子を叱れば、その親がかえって怒るようにまで変わってきた」と述べているあたり、その美風は70年前に既に失われつつあったのだろう。現代の子どもが駄目なのは昔のような教育がなされないからだと、仰るむきも多々あるが、昭和18年当時すでに伝統が失われつつあったというなら、彼ら保守派ご自身、ご自分が思うほど保守的にご立派な教育は受けておられないんじゃないかと拝察したりする。孔子だって自分が生きていたわけでもない周の時代を理想として弟子を教育していたわけだし、それが一概に悪いとは言えないにしても、まあ昭和18年当時すでにそうだったのだねという事実も、記憶されて良かろうと思う。

本書に登場する宮本の祖父や父しかり、また他書に登場する人々にしても、宮本の紹介する人物は、この土地で生きていくしかないと覚悟を決めて粘り強く生きておられる方が多い。もとより優れた人格を備えた方々なのだろうが、それ以上に、その覚悟が人格を練り上げるという一面もあるのだろうと思った。俺もまた今後は京都で生きていくしかないんだなと思うと、普段の自分の軽佻浮薄なセカイ系の発想を反省させられるように思った。

救児の人々

救児の人々 ~ 医療にどこまで求めますか (ロハスメディカル叢書 1)

救児の人々 ~ 医療にどこまで求めますか (ロハスメディカル叢書 1)

NICUの仕事が閑散としていたので、昼間から本書やら医学雑誌やら読んでいた。本書を読むのは3回目くらいだろうか。読後感がよろしいような宜しくないような本だといつも思う。

何かに連載された記事のまとめなのだろうか、本書は冒頭部分と最終章あたりで著者の意見がだいぶ変化しているように思えた。冒頭では著者は新生児に対する選択的医療停止をかなりあからさまに主張しているのが、終わり頃には影を潜めているように思われた。当初の主張が影を潜めた代わりに何かほかの主張が出てきたかというと、そうでもなくて、最後のほうはインタビューの相手が言うことをひたすら筆記することに徹していた。当初の主張といってもずいぶんプリミティブで論拠の浅い主張だったので(自分の体に匹敵する大きさのメスで手術されるのは怖いだろうってのが治療停止の理由になりますか?)、取材を重ねるうちにご自身が取り組んだ問題の大きさ複雑さに圧倒されたのではないかと思った。まあ、それでよいのだが。

自転車三昧の休日

昨日は当直明けに、当直明けなのであんまり上り下りのあるコースは嫌だなと思って、ふだん尊敬して読んでいるブログでみた小関越え〜琵琶湖〜瀬田川天ヶ瀬ダム〜宇治のコースを走ってみた。

北山は峠がつきものだがこのコースはほとんどアップダウンがない。というより延々下り坂のような気がした。エッシャーのだまし絵でもあるまいし、どこかで下ってたらどこかで上ってないとつじつまが合わないのだが。

宇治から山科を通って蹴上までが、ひどく暑くて辛かった。どこか涼めるところがないかと道々見たのだが、小銭しかもってなくても入れて自転車もそれとなく監視できるところとなると、せいぜいコンビニくらいだった。でも川沿いの歩行者・自転車専用の道を二人乗りの原付が走り抜けていくような土地では、たとえコンビニの窓越しであれロードバイクから目を離す気にもなれなかった。せめて木陰のある公園でもないかなと思ったが見つけきれなかった。懐が寒いと熱射病よけもひときわ困難なのだな。よい教訓だった。

熱射病で行き倒れて、うっかりその辺の救急病院に担ぎ込まれたりしたら、どこの病院の医者だってことになって院長に恥をかかせることになるなあとも思った。鍛え直してやるとか言ってゴルフにつきあわされるような羽目になるのもなんだかなあと思った。

とは言いながら帰り着いてシャワーで体を冷やして一息ついたら、録画してあった「サムライたちの夏 2010」なんて見たりしていた。新城幸也さんのフォームってやまめの学校の堂城賢さんが理想とおっしゃるほど骨盤倒れてるかな?とか思った。骨盤はしっかり立ってるように見えるのだが。

小学生のビワイチ

夕方のニュースで小学生のグループがビワイチに挑戦して2泊3日で走りきったと報じられた。距離は200kmだそうだ。坂道を登るシーンがあったが賤ヶ岳旧道ってあたりだろうか。意外にひょいひょいと登っていく。ヒルクライムの人たちが体重にこだわるわけだな。

今回はあんまり身の丈に合わない自転車に乗ってる子はいなさそうに見えた。悲壮な動機を抱えていそうな子もいなかった。ただ、みんなマウンテンバイクで、例によってブロックタイヤの子もいた。タイヤをスリックタイヤに換えるくらいの手間はかけても・・・と思って、いまさら思い当たったのだが、あれは本物のマウンテンバイクじゃなくて「ルック車」ってやつなのだろうか。フレームからホイールを外すのも一苦労ってやつ。それじゃタイヤがそのままなのも仕方ないかも。

大人はボランティアの大学生だそうだが、なんで野球帽なんてかぶってるんだろう。しかもお揃いの。自分らだけで遊ぶぶんには何も言わないけどね。子どもを引率するときには格好優先じゃなくて子どもの手本になるように考えてほしいんだけどね。*1なんで全行程舗装路なのにフロントサスのマウンテンバイク?とか思ったけど、歩道を走るにはその方がよいのかも。

途中で子どもが3人ほど絡んで落車してしまって、壊れた自転車を押しながらその日のゴールまで歩いてたどり着いたと紹介されていた。大人はゴール地点で拍手して出迎えていた。その場で修理できなかったのかな。子どもはよく頑張った、でほめられるけれど、大人は反省してほしいものだと思う。

*1:とか言いながら、むかし湖西地方で勤務していた頃の記憶をたどっても湖西湖北はそんなに救急医療が潤沢じゃないんで、頭をぶつけても大事に至らない準備はしておいてほしいとは思うけれども。

NHKのニュースに紹介された自転車の少年

朝のNHKニュースで、8歳くらいの少年が、数日かけて全行程320km走る自転車ツアーに参加して完走したと紹介されていた。何でもすぐに諦めてしまって長続きしない性格を鍛える趣旨だそうだ。本人による、お兄さんのような—6歳のとき交通事故で亡くなられたとのことだが—優れた人格になりたいとの趣旨の発言もあった。

走行シーンをみて、かわいそうにと思った。自転車的に間違える可能性のあるポイントはすべて間違ってるんじゃなかろうかと思った。大きすぎるマウンテンバイクに乗せられ、映画のイージー・ライダーみたいな姿勢で走らされていた。タイヤはブロックタイヤで、チェーンやスプロケットはずいぶん黒く汚れているように見えた。ヘルメットは通気穴もなく重そうな通学用白ヘル、手袋は軍手だった。水筒を持っている様子もなかったが、リュックにハイドレーションシステムを仕込んでいたのだろうか。

あれでは自転車も重くて走らせ難いだろう。乗車のフォームは理想にほど遠く、オフロード用のブロックタイヤや汚れたチェーンに余計な力を使わされる。服装は放熱などまるで考慮していない。実際、辛そうだった。汗まみれになって、変な姿勢で、走りのわるい自転車を必死に走らせていた。何度も弱音を吐くが、それでも乗り越えていく姿が健気だった。何がまだ幼い彼をここまで駆り立てるのだろうかと思った。亡くなった兄に対する劣等感に駆動されてのこととしたら哀れだし、そうして自転車を走らせようとする彼の努力のかなりの部分が無知に由来する無駄な努力ときては、これほど哀れな話もあるまいという気がした。

引率者は、ヘルメットも被らない、バンダナの中年男だった。やめてもいいよと何度も水をむけたががんばり通したと少年を賞賛していた。俺の活動は素晴らしいだろうという自己陶酔が透けて見えた。貴様に足りないのは自転車の知識なのか、リアルの他者を思いやる心なのか、それともバンダナと頭皮のあいだに生えているはずのものなのかと、問いただしてやりたかった。三つとも足りなさそうに思えた。

自転車のよいところは、頑張れば予想外の長距離を走れるところではない。頑張らなくても予想外の長距離を走れるところだ。乗り始めの自転車乗りに自転車が教えてくれるのは、今の駄目な自分でも頑張ればできるんだという凡庸な教訓ではなく、今のままの自分にも自分自身知らなかった力がこれほど潜在していたのだという自己肯定である。であればこそ自転車に乗るのは希有の体験なのであって、頑張らなくてはきみはダメだとしか言わないのならオウム真理教の勧誘とかわらない。

とくにこの少年には、今のままの君でよいというメッセージが必要だ。8歳になってもなお6歳で亡くなった兄と自分を比べている彼には、君はきみ自身において素晴らしいのだと、まわりの大人が教えてやらなければまずいじゃないか。亡くなったお兄ちゃんに比べてなんと駄目な子だろうと思っている限り、この子が亡くなった兄に追いつくことは今後とも不可能だと思う。そういう面では死者は無敵だ。今のままでは、彼は8歳が18歳になっても80歳になっても、6歳の兄に押しつぶされそうになりながら生きて行かざるを得ないんじゃないだろうか。そもそも何事もすぐに諦めてしまって続かないのも、兄に比べて自分は基本的にダメなのだと思ってればこそじゃないか? 

くどいようだが繰り返す。そんな彼に必要なのは、限界を超えて頑張って何かを達成した(逆に言えば頑張らないと達成できなかった)経験ではなくて、今のふだん通りの彼のままでも意外に凄いことが達成できてしまったという経験だ。今までの俺は確かにダメだったが頑張ればこの駄目さを抜け出せるのだというありがちな教訓ではなく、今までの俺も意外に凄かったじゃないかというシンプルで健全な自己肯定を得ることだ。アクロバティックな要求に見えるかも知れないが、すぐれた自転車はそれが可能だ。今回自転車に着眼したのは誰だか知らないが慧眼だと思う。それだけに、あのバンダナ中年の自己陶酔と無知に由来する少年の無駄な頑張りが、残念でならない。

彼の周囲の大人にお願いしたい。これからは彼を死んだ子の代替品として扱わず、一人前のこどもとして扱って欲しい。そのためにも、まずは今の彼の体格にあった自転車(ロードバイクをとまでは言わないから)と、ほんとうの自転車用ヘルメットを買ってやって欲しい。手袋もぜひ。そして、今のままの彼と、しっかりチューンアップされた自転車とに、どれほどの潜在力があるか、刮目して見てほしい。習い事が続かないといった程度の詰まらんことで生きている子どもを見限るような真似は謹んで欲しい。

バンダナ中年君には、自転車の勉強をしろなどと難しいことは要求しない。せめて、子どもを引率してNHKの取材を受けるときくらいはメットかぶれ。その程度の社会性は持ち合わせてもわるくなかろう。

なんとかMRに会わなくて済む方法はないものか

医局秘書さんから、アポイント希望が入ってますとメールがあった。

【MRアポ】と表題に書かれたメールを見るとどよっと気分が悪くなる。読者所見におかれても、訪問販売が行きたいと言ってますと知らされて心が晴れる人はそう居られないかと思うがどうだろうか。しかも、何を売りたいのか分からなかったりすると、なおのこと。

秘書さん宛に届いた、私とのアポイントを希望する旨のメールが転送されてくるのだが、それならそのメールに用件を書いておいてくれよと思う。読むだけなら1分もかからんのに。詳細を知りたいと思えばメールで問い合わせるし(そのために病院からアドレス支給されてるわけだし)。そのほか95%以上の場合には単純に黙殺すれば済むのに。

喉頭は両目では見えてなかった

蘇生練習人形を相手に気管内挿管の練習をしていて気づいたのだが、展開した喉頭は利き目である右目でしかみえてなかった。試しに利き目をつぶってみたら口の中すら見えなかった。

気管内挿管の時には展開した喉頭に気管チューブを誘導するのが意外に難しいのだけれども、それは片眼視しかできてないのに両眼視しているつもりでいるからかもしれない。遠近感が微妙に狂うんだろうと思う。

これは口の大きな成人領域の挿管でも当てはまる話かどうかは分からない。

やぶ蛇では?

オバマ政権、WikiLeaks 創設者 Julian Assange 氏を手配するよう各国に呼び掛ける – スラッシュドット・ジャパン

「ルパン逮捕だぁ!〜待て待てぇ!〜あれえ、これはどうしたことだぁ!?ルパンを追っていたらおかしなところにでてしまったぞ。これは偽札工場ではないか!(棒読み)」みたいなことにならないんだろうか。米国いよいよ窮地。