シェーバーの充電器を買った

3年越しに使っているシェーバーが故障した。息子に「値段が高いぞ」*1と指摘されつつ購入した自動洗浄機能付きのものなので、3年と言ってもまるで減価償却できた気がしなかった。

洗浄機のスイッチが入らず、電源コードをシェーバー本体に直結しても充電ができない。これはひょっとして電源ユニットの故障かと思って、楽天で検索したら、1000円ほどで鹿児島県の電気店が出品していた。さっそく購入して付け替えてみたら、無事に動き始めた。よかった。

妙に安いなと思ったら中国製だった。なるほどこういうものを1000円で作るのか。安く作れるのは感心だが、シェーバー本体も洗浄機も壊れないうちにACアダプタが壊れるというのはいかがなものか。もう少しいいものを作るようにしないと、上のレベルにいけないような気がする。

*1:自分が興味のないものに親が大枚をはたこうとしているのを見ると彼は決まってそう言う。

薬を貰いに

根が狭量な性格であるもので、親御さんの言葉尻にひっかかることがある。外来での問診の最終に、「・・・で薬を貰いに来ました」と言われると、貰うって言われても無料配給じゃないですよ、と答えたくなる。今さらいい年してそんなこと口に出しては言わないけれど。

昔はそういうときには「お薬をいただきに」と言ってたんだろうなと思う。よく知らないけど。相手にしてもらうことを有り難く受けるという意味での「いただく」が、次第に、只で貰うという意味での「いただく」に変化して、そのうちつい実も蓋もなく「貰う」という言い回しをするようになったんじゃないかと思う。乳幼児医療うんぬんで健康保険の自己負担分を自治体が肩代わりするようになったこともあり、即物的なレベルでも薬は只で貰えるものになったことが、その背景にあるんだろうと思う。

薬を「貰う」人に、その薬を「くれる」のは、私ら医師じゃなくって、保険料や税金を負担してくださっている世間の皆様なのだけれども。むろん「貰う」人自身も他の多くの場合は「くれる」側に回ってるのだろう。保険料や税金の負担が軽いと思っておられる方はそう多くはないはずだが、自分も含めたその多くの皆様のご苦労を思い浮かべれば、やっぱり、「貰う」という言い方はなかろうと思う。

ひさしぶりに超体出生体重児の主治医をする

ひさびさに超体出生体重児の主治医をしている。

この子らを生かすのは誰の手柄なのだろうと、さいきん思う。自分たちの技術や知識が向上しているのは間違いないと思うのだが、にもかかわらず、俺がこの子らを救ったんだという気が昔ほどにはしなくなってきた。

それは責任からの逃避ではないつもりなのだが。

辺境NICUから

辺境から眺める―アイヌが経験する近代

辺境から眺める―アイヌが経験する近代

アイヌは独自の農業や漁労の体系を持っていたが、松前藩明治政府の支配以降、農業を知らない未開の狩猟社会として認知された。アイヌを狩猟に特化させたのは、松前藩以南の内地の経済的な都合に加え、支配を政治的に根拠づけるためには彼らを未開の民族と位置づけた方がよいという都合もあった。その結果として、アイヌの長い歴史や伝統は故意に忘れ去られた。忘れ去られた後になってみれば、もともと存在しなかったのか忘却されたのか、忘却が自然の成り行きだったのか故意だったのか、それすら問題ではなくなった。シンプルにそれは不在となった。

今の私の勤務先は、京都では初めて認可を得たNICUである。しかしそれすら平成6年だったか、私が医師免許を得るよりは後だった。学部生の時にも私はこの近所に下宿しており、夏休みに病院実習と称して1週間ほどこの病院に来てみたことはあるのだ。そのときはNICUなどなかった。その後に赴任した前代のNICU部長が作り上げたのが、今の勤務先のNICUである。彼はそれまで勤務していた大阪の病院からNICUのノウハウを一式持ち込んで、看護師らをトレーニングして、京都初の認可NICUを立ち上げ、全国最低レベルだった京都の新生児死亡率を中位くらいにまでは引きずりあげた。

というのが、当院NICUの現在のドミナントストーリー。

決してその業績を否定するつもりではないが、しかしこの物語は北海道で言えば明治以降に内地から移住した人々の物語だ。別の物語、アイヌの忘却された伝統にあたる物語もある。いまのNICUが立ち上がる以前にも、ちがった形での新生児医療が行われていた。当時を知るはずの老先生は笑って黙したまま多くを語らない。残っているのは古い人工呼吸器と医療辞書だけ。

その時代のことが語られないのは、前部長の奮闘に水をささないためか、たんに時間がたったためなのか。しかし語られなくなったものは忘却される。故意なのか否かは問わず。存在したものが無くなったのではなく、もともと無かったものとして歴史が語り直される。京都初のNICUというのが今のNICUスタッフを支えるドミナントストーリーである。そのストーリーを忘れては、なんで京都の隅っこにある小規模病院が分際にあわないNICUを動かしているのかが分からなくなるんじゃないかと思う。分からなくなったら、たぶん病院の経営陣には、NICUを動かし続ける動機がなくなるだろうと思う。そしたら私は失業だ。それは寂しいことだ。

ホウ酸の毒性は怖がったままにしておいてください

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ホウ酸団子をばら撒いておくとそのうちいなくなってくれます。毒性が怖かったけれど、哺乳類には危険が少ないんですね。

でも人間にはやばいよ、と、小児科医としては一応言っておく。
さすがに最近はホウ酸団子を間違えて食べてしまった赤ちゃんを拝見することは少なくなったけれども。

今日も暇

NICUの入院患者数が少なくて閑散としている。京都府の空床情報を見てるとどこの施設も似たり寄ったりの模様。

午前中は新しく買ったaEEGを試し、午後は時間外外来のあいまに新生児脳波の教科書を読んでいた。外来もどっちが合間だか分からない程度。みなさんお元気なのは何よりなのだが。

誰でも読める新生児脳波―新生児脳波の読みかた&考えかた

誰でも読める新生児脳波―新生児脳波の読みかた&考えかた

たまには医学書も読んでいる。

サマーウォーズ

ネットを通じて世界とつながるつながり方と、昔ながらの家族の縁や社会の縁でのつながり方との、いろいろな水準で人と人とがつながりあって、圧倒的に不利な状況で個別になら撃破されてしまいそうな状況であっても、そのつながりの力に支えられて強くなる。強くなって各々が各々のできる仕事をする。そういう物語だった。

先端的なネットがずたずたになった中で、当主のおばあさんがダイヤル式の黒電話を使ってあちこちへ電話をかけ、励ましたり宥めたりしながら一人一人の心に支えを入れていくシーンが印象的だった。あのような状況であの一本がどれだけ心身を支えてくれるか、私も不肖ながら多少は知っているように思うので、なおさら感動したのかも。偉い人はあれができなきゃいけない。というか、その一本の電話がどれほど人の支えになれるか、それこそがその人の本当の偉さなんじゃないかと思う。

何となく録画してあったのを、昨夜の夕食前に思い出してつけてみたら、娘や妻ともども熱狂してしまった。たいへんによくできた物語だと思った。読者諸賢には、私が素直に誉めるということがどれほど珍しいことか想起されたい。威張って言うことじゃないけれども。

サマーウォーズ [DVD]

サマーウォーズ [DVD]

蛇足かもしれないが、神木隆之介君も桜庭ななみさんもよくやったと思いますよ。アマゾンでは賢しらなレビューアに酷評されてるけど。彼らを起用するという商売の手法は、映画のできばえを制作者自身が信じていないようで、私もあまり感心できないけれども、それで神木君や桜庭さんを責めるのはお門違いかと思う。彼ら自身は与えられた仕事をよくやったと思うけどな。それは映画の登場人物の各々が、互いに支え合って各々の仕事をしっかりこなしたように、周りのスタッフがしっかり支えたのだと思うけれど。

ナラ枯れも猛暑のためなのかな

PASSIONE京都: 紅葉?

確かに毎日暑くはあるけど、ナラ枯れは猛暑のためだったかな。里山に手が入らなくて老木が増えすぎたためだと聞いたような記憶があるのだが。

なにさま、昔の大文字山の絵図には「大」の字を囲む三角形の土地は描かれていなくて、ということは昔の大文字山は全山がいまの大文字火床程度の低い植生しかなかったんではないかと聞いた。

東山も手入れしなければしないで、だんだんと原生林に還っていくのだろうけれど、向こう数百年くらいは色々と移り変わっていくんだろうと思う。ナラ枯れも自然の一部ではないかと。