なにさま、日本経済がそんなに悪いんならなんで円が売れるんだ?という混ぜっ返しがよく耳に入るのだが、それって、吉原に長逗留して放蕩する若旦那が、俺が駄目なやつならなんでみんながこんなにちやほやしてくれるんだ?と言ってるようなもので、そりゃあ勘違いでしょうよと。おだてられてむしられているだけだよと。そういうものではないのだろうか。
月: 2010年10月
この著者の言うことならまずは聞いてみようと思った

- 作者: 小黒一正
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2010/08/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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1冊1000円もしない本にてんこもりに専門的な概念が詰め込まれていている。しかし決して衒学的ではなく、読んでいると著者がまっすぐ私の顔をみて語っているような気になる。言う内容は難しいがこの人の言うことならとりあえず耳を傾ける価値があると思った。
著者は1974年生まれで、だいたい私の弟妹世代なのだが、そういう若い世代なら、財政難や世代間格差の不利益を自ら被る立場にある。いい加減なことを言っては専門家としての信用を失うばかりか、生活者としても身銭を切って責任をとる羽目になる。そういう当事者感も感じられるように思った。
それにしても内容はやはり難解なのだが。まあ、財政再建やら経済立て直しやら世代間格差の是正やら、そう簡単なお話でもないだろう。適切な難解さだと思う。難しい問題は、せめて難しい問題なのだというコンセンサスだけは得ておかないと、どんどんポピュリズムに堕していく。
鯨肉って好きですか?

- 作者: 渡邊洋之
- 出版社/メーカー: 東信堂
- 発売日: 2006/09
- メディア: 単行本
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本書によれば
- 江戸時代までの日本の伝統的な捕鯨と、明治期以降のノルウェー式を導入して以降の捕鯨はまったく別物。伝統的捕鯨をやってた面々が移行したというわけでもなくて、まったく別系統の捕鯨である。
- この新しく始められた捕鯨には漁民からの反対運動もあり、なかには焼き討ちにまで発展した事例もあった。鯨の解体処理で発生する多量の血液などが海に垂れ流され海産物にダメージを与えるという点に加え、もとより鯨をエビスとして信仰の対象にしていた土地もあったため。
- 明治期以降、第二次大戦前後までの日本の捕鯨も、主目的は輸出用の鯨油の採取であった。鯨肉は副産物であって、その消費は日本の伝統というより捕鯨会社による啓蒙によって明治期以降に広まった(とはいっても西日本に限定的にだが)ものである。
- 大戦中の畜産の壊滅により鯨肉も一時的には消費が増えたが、やがて畜産の回復により鯨肉は歓迎されなくなり、安価に学校給食に回されるものとなった。
そのほか色々。いったい捕鯨が日本の伝統文化ってのはどこから出た話なんだろう。今まで常識と思ってたんだが。裏付けのないことを信じ込んでただけか?
子どもの頃は鯨肉もたまに実家の食卓にのったが、噛み切りにくく飲み込みにくく、あんまり楽しみにする食材でもなかった。ちなみに実家は長崎県なので江戸時代から捕鯨が盛んな地方ではあるのだけれど。
でも鯨油しかとらない欧米の捕鯨と比べて、日本人は肉なども残さずありがたく頂くから善いのだとも聞いていたのだが、本書によれば、日本も遅れて参加したってだけで、鯨油主体の捕鯨に違いはなかったようだ。食べることで生命を頂くのに鯨も鶏も牛も変わらないという見方もあるようだが、それを言うなら四つ足の肉を全般に食べなかったのが日本の伝統なんだよな。
資源量も減少しているし、鯨油の需要も少なくなったしで、欧米各国が斜陽産業に見切りを付けてさっさと手を引く中で、日本だけがずるずると手を引き損ねたというのが真相なのではないかと、本書を読んで思った。むろん戦後の食糧供給が危機的だった頃には鯨肉の供給も意義あることだったろうし、その時代に頂いた鯨肉には感謝しなければならないと思う。そのぶん撤退時期が遅くなるのはやむを得なかったかも知れない。でも、その後の捕鯨は、もう採算の取れなくなった産業を無理筋で温存しているだけなのではないか。中央官庁のその担当部署のメンツや存続も賭かってる、という臭いがぷんぷんする。
しかし捕鯨をやめようとも、さらっとは言いかねる。鯨が賢い動物だから捕鯨をしてはいけないというのはむかつく主張だ。そんな主観的で反証不可能な主張をされても、同意か不同意かではなくて屈服か反抗かの選択しかありえない。そんな主張さえなければ、もう採算も合わんし需要もないし南氷洋の捕鯨はもともと日本の伝統文化ってわけでもないしというので、円満な撤退の筋道もあろうにと思う。今の構図では、屈辱を伴わない撤退があり得ないことになっている。
まあ何様、シーシェパードの乱暴な諸君に勝ちどきをあげさせるくらいなら好きでもない鯨肉も食ったろうじゃないかとさえ思う。
exciteブログの広告の消し方
firefoxに adblock plus というアドオンを入れたら広告が消える。消えると言うより見えなくなるだけだが。livedoor wiki に入る広告(ページの前後に入るからexciteよりさらにうるさい)も見えなくなる。読むだけならそれで結構すっきりするが、自分が発信する側になるとそれだけでは済まないので、やっぱり片手落ちかも。
(追記:「Japanese General Filter」を追加する必要があります。)
がき大将を目指さない
手元に文献がないのであやふやな記憶かもしれない。バージョンがたくさんある作品ではあるし。なにさま、自分の記憶によれば、のび太が将来の夢を聞かれて「がき大将」と答えるエピソードがあったはず。
どういう手配でか、大人になったのび太が近所の子供たちをあつめて「がき大将」として振る舞うようになったが、その姿を陰から見ていた子供ののび太が、そのあまりのみっともなさに耐えきれず、大人ののび太を叱りつけてやめさせるという落ちだった。私の記憶では、ですが。あるいは他のエピソードと入れ子になっているかも。でもまあ、そういう話があったと言うことにしてください。
さて。
うちのNICUの今後を、どういう方針を目指していくのかと考えた際に、今の理想を元に考える将来像ってのは、ひょっとして「がき大将」なのではないかと思ったりしている。
今の時点で羽振りの良い他施設を見て、ああなりたいなと思うのは、ジャイアンをうらやましく思うのび太と根が同じだったりしないかと。
どうあっても、今の高額な費用のかかる医療制度が、このまま維持できる訳がないと思う。どこかで大幅な再編があるんだろうとは思う。
その大幅な再編が大規模施設への集約という形をとるかどうかは分からないが。私見では、大規模施設への集約というのは、大和を沈められた旧海軍が大和よりもでかい戦艦を作ろうともくろむような話だと思うのだが。
旧軍の話を始めると止まらないから本題に戻ると、よりよい形の新生児医療と、そこから続く小児医療を目指したいし、よい形の医療ができあがった際にそこに自分の率いる施設を参加させていたいと思う。
しかしそれは子供の集団がさらによい子の集団を目指す訳ではなく、子供はいずれか大人にならなければならず、今の医療も今のままでは継続不可能なのであって、いずれかの時点で質的な変容を迫られることになろう。
その後の自分たちの姿が、現在の時点における羽振りの良い姿の模倣にとどまっていては、たぶんそれは「がき大将」的な姿なのであって、もしその姿を今の自分がみたらかなり恥ずかしく思うだろう。
しかし今の自分の想像力には、のび太が将来の夢を聞かれたときほどにも、成長したNICUの理想像というのが描き難い。それではいけないのだけれど。
まあ、自分のことを差し置いて他の批判をすれば、今さら「がき大将」的な振る舞いをしている隣国があるよね、とか思う。おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの。現代はそういう振る舞いが適切な時代ではなくなったのに。あるいは本当に跡継ぎ息子を「大将」と呼んじゃったりする国もあって、実は馬鹿にされてるんじゃないかと跡継ぎの彼も考えてみた方がいいんじゃないかと思ったりする。
3ステップで象を冷蔵庫に入れる方法
3つのステップで象を冷蔵庫に入れる方法を述べよ、という問題を、どこかで聞いた。
解答は
1.冷蔵庫のドアを開ける。
2.象を冷蔵庫に入れる。
3.冷蔵庫のドアを閉める。
なのだそうだ。
スモールステップに分けたのではなく前後に枝葉末節なステップを付け加えただけじゃないか、とか、まじめに反論すれば色々と言いたいこともできそうだけど、言うだけ野暮なような気もする。なあんだ、と言って笑って済ますのが正しい態度なのだろうと思う。
でも医療なんてこんな話ばっかりだ。象を冷蔵庫に入れよという難問にさいして、冷蔵庫のドアを開ける手配ばっかりしているような。コーディネーターばかりが増えて。引き受け手のない緊急母体搬送症例とか、NICU長期入院の重症児とかの対策として、冷蔵庫のドアの開け方の工夫ばっかりされているような気がするんだが。
世代間格差のこと
年金やなんかで世代間格差が大きい云々。親の世代よりも自分は将来貰える金が少ないという。不当なのかなと何となく思っていたけれど、でも、そうは言っても俺も親に仕送りなんてしてないしなあと思い至る。
もしも親の世代の年金が相応の額でなければ、私は自分の両親と妻の両親とを扶養しなければならなくなる。空恐ろしくなるくらいに扶養家族が増えてしまう。とうていやっていけそうにないような気がする。
それを言えば親孝行を世間の皆様に肩代わりしていただいてるような気がしてくる。世代間格差を攻撃する資格は自分にはないような気がする。というか、世代間格差で自分はまだ得をする側に居るような気がする。
確実に損をするのは私の息子や娘の世代以降だよなあ。彼らのことを考えないと。
てめえらそれでも男か
コンピュータ将棋、初勝利 女流王将を下す 情報処理学会「あから」 – ITmedia News
あえて言おう。
得体の知れない相手と対戦するのにまず女を出すなんて、てめえらそれでも男か?
負けたのは女流だもんねとか言ってれば体面が保てるとでも思ってるのか?
ふつう、そういうのは敵前逃亡っていうんだ。
いい度胸だ、たあ、いったいどの口から出た台詞だ?
スペースシャトル退役でNASAが1200人をレイオフ
スペースシャトル退役とともに NASA で 1200 人規模のレイオフ – スラッシュドット・ジャパン
これは気の毒だが。人ごとでもなかったりして。私も病院がNICUをやめると言い出したら院内には他に行き先がないのだろうし。
日本がものづくりの国だなんて誰がほざいた戯言なのか
[http://kokuhaku.keikai.topblog.jp/blog/10008817.html:title=【シリーズ告白】 (株)メトラン トラン・ゴック・フック氏 – 経営者会報 社長ブログ
メトランの人工呼吸器はうちのNICUでも使っている。タフで安定した機械である。安心して限界まで攻めることができる。その上、大事なことだが、私ら弱小NICUでもそろえられる程度に安価である。
社長さんがベトナム出身だとは知らなかった。引用先の記事を拝読すると、想像を絶する辛酸を舐めてこられた方である。こういう人が世に問う人工呼吸器ならタフなのも当然だろうと思う。製品の吟味も確かだろうし、たとえ不具合が判明したとしても、これまでのご苦労に比べれば不具合の公表など軽いものだろうから、隠蔽などと言う怯懦な所行に走ることもなかろう。今後も安心して使いたいと思う。
しかしこの記事(PDFの1枚目後端から2枚目にかけて)に、気になる箇所があった。
ある大手メーカーに部品供給をお願いしたときのことである。
その会社の製品を高頻度人工呼吸器に使いたいと依頼したところ、社長からこんな言葉が返ってきた。
「何か事故でも起きて、うちの名前が出たら取り返しがつかない。勘弁してほしい」
同じような理由で断られたことは、一度や二度ではなかった。人間の生死がかかる製品に自社の部品を供給して、リスクを負うようなことはしたくないということなのだろう。
で、どこの政府が弱腰なんだって?と聞いてみたくなる。日本がものづくりの国なんて、いったい誰がほざいた戯れ言だと思う。この社長の心意気に答えられなかった時点で、すでに、日本の製造業がベトナムや中国や台湾に喰われてしまう萌芽がみえてたんじゃないかと思う。いつ壊れてもいいようなどうでもいい製品しか作るつもりはございません、なんて態度では、そりゃあ、安い方に仕事を喰われるでしょうよ。
大手に断られたけど技術力があってリスクをいとわない中小には受け入れられた、となったら、もうすこし救いはあるけれども、でもその中小企業をいまばしばしと潰しているところだし。けっきょく日本のものづくりは終わってるってことに変わりはないのかも。