非常勤で応援にきてくださった京大の先生が、外来に忘れて行かれたので、拝借して読了した。*1
感染症は古来からの問題だけど現在でも重要な分野である。新生児をやってれば特にそうだし、重度心身障害医療に縁があればまたそうだし、この二つを逃げ出して小児科広く浅くになってもなお感染症はついてくる。これはもうお釈迦様の手の上を逃げられない孫悟空みたいなものだ。
しかし本書を読んで、いろんな意味で「違うな」と思ったのだが、それは感染症科の皆様と、自分ら、まあ場末のNICUの新生児科なんだけど専業では食いかねて小児科一般外来と兼業してます*2という立場との、スタンスの違いによるものだろうか。
感染症科の皆様の、困った主治医のヘルプコールに応じてさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていくスタンス、古くは月光仮面やウルトラマン、近くは「ののちゃん」に呼ばれてやってくるワンマンマン*3のようなスタンス。あるいは感染症の診療がつたない主治医に困ったその他おおぜいのヘルプコールがあったりなかったりしてやはりさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていったり行かなかったりするスタンス。常駐がそれ以前と比べて状況を改善しているかどうかは世界各地に駐留する米軍にも似て多少複雑な問題である。けっきょくフセインを退治たことはイラクの人々を幸せにしたのだろうか。
いずれにしても彼らは「お願いされて」現れ「支援する」形で問題に関与するヒーローである。それは本書の、「感染症のプロ」とかカリスマとかが教えるという、タイトルや構成にも現れている。お呼びがかかった先生はアマゾンどっと混むでも感染症関係にずらずらと名前の挙がるカリスマであり、本書には「カリスマ先生、みなさんはどうしてそんなに格好いいんですか?」という趣旨の個人的質問がたくさんついている。
カリスマ、ってそりゃあエビデンスレベルとして「専門家委員会や権威者の意見」ていうやつだろうよと、君らはそれを推奨するのかい?と、小声でちょっと突っ込んでみたりもする。
感染症科に注目が集まってるのは、感染症科の診療や研究レベルの高さとはまた別次元で、こういうカリスマ的な格好良さが、若い人や軽薄な人を誘蛾灯みたいに引きつけてるんじゃないかと、まあ狷介な邪推なんだろうけど、思ったりもする。
新生児科にこういう格好良さはないなあと思う。新生児科は他科にコンサルトを出しこそすれ、出されることはまずない。新生児科の診療は全身管理抜きにはあり得ないので、新生児科が診る患者は全て新生児科が主治医の患者である。紹介された時点で患者の身柄と主たる責任は新生児科に移る。移してもらえなきゃ専門科としては着手すら困難である。自分たちに責任を移してもらって、その後は自分たちからあちこちに「お願いする」のが新生児科の基本スタンスである。
その点において、新生児科は究極的なプライマリケア医の集団である。集中治療のできるプライマリケア医*4。だからプライマリケアの泥臭さは宿命的に抜けることがない。ヒエラルキーとして他科に頭を下げても下げられることはない。
従って、本書にあるような、他科の医師と合わないときはどうしたらいいんでしょうか、みたいな質問がなされ、最終責任は主治医にとらせればよろしいという答えがなされることは、新生児科には存在し得ない質疑応答だと思う。お願いする側の立場としては、先方にこの子を救う技量があると思えば、先方との相性など二の次である。というか人間性
の悪い医師には患者も協力者も集まらず経験が積めないから医師として大成することもまず無いんで、人間性に優れた名医を各科そろえてネットワークを作ることは意外に簡単である。こっちの頭を下げて子どもが救えるなら頭なんぞいくらでも下げる。取るに足りない相手にははなから縁を作らない。医者の仲が険悪になるときと言うのは、つまらない理由であることもあるが、多くは相手の診療内容に信頼が置けないってことが最大の理由だから、わざわざそんな相手にものを頼む道理はない。
新生児科には感染症科の華麗さはない。院内や業界内から感謝されることもあんまりない。もっぱら、この子のためにお願いしますと頭を下げる立場にある。我々に、この子のためにお願いしますと心から頭を下げてくださるのは親御さんだけだとも思う。まあ、それはそれでよいとも思う。