パンクの神様

栗村修氏がサイクルロードレース番組の解説で「パンクの神様」についてよく言及される。曰く、多少パンクすることなく過ごせていても「俺ってパンクしたことないぜ」とか口に出そうものなら即刻パンクするとのこと。それはもう「パンクの神様」がいて、軽はずみな口をたたく人間に天罰を与えているとしか思えないとのこと。

臨床にもそんな神様がおられるのかもしれない。辛い目にあっては、あのとき大口を叩いたせいかと後悔させられる。

ベトナム戦争はあまり自分に関係ない気がする

ロング・グッドバイ」では自分より10歳程度年上の主人公が、自身に個人的に関わりのあることとして、ベトナム戦争を語っている。ベトナム戦争ってそんなに生々しいことだったか?と意外に思って、指折り勘定してみる。たしかに、ちょうど私が小学校に入るころあいに終わった戦争である。私より約10歳年長の二村なら、自分より多少年長のビリー・ルウあたりの世代が参戦していてもおかしくないわけだ。

振り返れば私にはあんまりベトナム戦争って「我がこと」じゃないなあと思った。長崎近郊で生まれ育った私の歴史観って、直近の戦争は原爆で終わってるんだよな。おなじ県内でも佐世保で育ってれば違ったかもしれんが。たとえば村上龍みたいな。でも私の長崎県での生活圏は大村・諫早・長崎の三角形に収まってたしな。米兵なんて見たことない。おそらくは幸いなことなんだろう。

太平洋戦争なら祖父が二人とも兵隊に行ってたんで、ベトナム戦争よりもよほど自分に近い感じがする。原爆とか、わりと実家に近いところに酸素魚雷の試験をしていた施設があったりとか、いろいろネタもあるしで、戦争にまつわる歴史にはセンシティブだと自負していたんだが、でも横須賀や佐世保には進駐軍とかベトナム戦争とかの記憶をより濃厚に残している人々がおられるんだろう。小泉純一郎氏のバックボーンは横須賀の米軍に対するルサンチマンだという内田樹先生のご高見にも、本書を読んで頷けるところがあった。

さらに言えば、むろん当然のことに、沖縄の人たちのご苦労は現在もなお進行中である。

ロング・グッドバイ 

THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ

THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ

仮名書きすれば同名になるチャンドラーの名作へのオマージュである。

「私が初めてビリー・ルウに会ったのは夏至の三、四日前、夜より朝に近い時刻だった。」と書き出され、「アメリカ人にさようならを言う方法を、人類はいまだに発明していない。」と終わる小説が他の何だというのか。ラスト近く、チャンドラー作品でも「少しずつ死ぬ」場面で、「葬式なら、自分のだ」と主人公が言う。

作品のプロットもチャンドラーの作品を忠実になぞっている。チャンドラーの作品を読んでいれば何がどうなったかの予測はつく。しかし二番煎じで質が落ちたわけではない。むしろ細部を全く変えてそれでも同じプロットをきっちり保てているところに作者の力量を感じる。

ハードボイルドは周囲の人物が傷ついたり何かを失ったりしていくなかで、主人公だけが何一つ失わないんで、ご都合主義もいいところだよなと思っていた。医者の目から見ればこれほど毎日飲み放題にしていて脳も肝臓も精神も壊さないってことはあり得ないし、これほど何回も意識障害を来すほどに殴られていて脳がどうにかならないってこともなおあり得ない。「ハードボイルドだど」と茶化して読むのが正しい読書態度だと思っていた。

しかし本書を読んで、なるほど一人称で語るってのは、すべてが終わって、得失の決済がひとわたり終了した時点から振り返って語るから、一見して失うものがなかったように見えるんだなと思った。何も失わなかった訳じゃなくて、主人公はすでに冒頭の時点で失うものをあらかじめ失いきっているのだ。

決済をすませた立場からだと、喪失のその場での痛みも過去のものになる。過去の痛みには超然としていられるように思える。すんだことなのだし。それが目指すべき態度なのかどうかはわからない。そういう生き方をしていると、けっきょく状況を何も変えられないまま独善的に落ちぶれていくしかないようにも思える。

インフルエンザ流行開始

この冬もインフルエンザの流行が始まった。外来はインフルエンザ一色になる。他のウイルスを駆逐する力でもあるんだろうかと思う。

年々、インフルエンザでパニックになる親御さんが減っている。喜ばしいことである。今の親御さんはほんとうに賢明になった。

現代の子育てをあげつらう人は自分が紋切り型に陥ってないかいちど反省してみた方がよい。景気は悪くなっているけれど、人心はよほどまともになっている。

カンフル剤って何ですか?と現役医師が尋ねてみる

医者になって15年以上たつわけだが、カンフル剤なんて見たこともない。小児科だからとは限らない。初期研修で救急病棟をまわっていたときにも、「こういう状況ではカンフル剤を打つんだ」なんて指導をうけた記憶はないし、後期研修で全科当直をしていたときにも、内科の先生から「こうなったらカンフルで云々」と申し送られた記憶はない。

つまるところ「カンフル剤」なんていう語はテレビや新聞でしか聞いたことがない。それも医学記事ではなく、経済記事や政治記事で、駄目になりかけた状況を救おうと意図した一発逆転の方策をたとえてである。それとてたいていはその場しのぎに過ぎないのだが。医学関係においては、医療崩壊をあおる半端記事にすらカンフル剤への言及はみたことがない。

邦文の医学雑誌をほぼ網羅した検索サイトである「医中誌Web」で「カンフル」を検索してみると、2000年からの文献でヒットしたのはたった29件である。蘇生剤としてのカンフルについて言及した文献は皆無である。何の目的でか軟膏として使うことはあるらしいが、およそ軟膏を塗って生き返るってことはないだろう。歯科で使うこともあるらしい。全身作用としては、防虫剤として用いるカンフルを小児や認知症の老人が誤飲して中毒云々の記事ばかりである。

したがってニュースなんかで「専門家」がコメントするときに「カンフル剤」云々と言った場合、なるほどこの「専門家」はちゃんと下調べをしない人なんだなと思うことにしている。むろん、そのご高見はそれなりに割り引いて聞く。

落ち目の政治家が自分の名前とひっかけてブログのタイトルに使っておられるとのこと。自分は時代遅れで役に立たず見捨てられましたと知らず知らずに公言なさっておられるようで気の毒である。あんまり官僚をいじめたから厚生労働省の人もなにも言ってくれなかったんだろう。友達にまともな医師はいなかったのかな。

ムスリムの人工乳

イスラム教徒のかたの赤ちゃんをお預かりすると、原材料に豚を含まない人工乳を調達しなければならない。幸いにそういう銘柄があるんでなんとかなるんだが。

人工乳って牛乳からつくるもんだと思っていたのだが、ナイーブな思い込みだったかもしれない。

鎮魂について

けれども、フッサールハイデガーの死者たちはある意味で「静かに死んでいる」。
ひどい言い方をすれば、「現事実的に有用」なしかたで死んでいる。
それはたとえばハイデガーが帝国のために死んだドイツの若者を顕彰する誇らしげなくちぶりからもうかがえる。

ときおり、自分の疑問に対して内田樹先生がタイムリーに回答をくださることがあって、ひょっとしてお読み頂いているのかな?と夜郎自大的な妄想を持たないでもないのだが、先生にはそれは共時性というものだと一蹴されることだろう。

なにさま、このあいだ読んだ平間洋一著「戦艦大和」における戦死者への鎮魂の作法について言及した矢先に、内田先生のブログで上記の指摘があった。そうそう、まさにそれを言いたかったのだよ、と私は思った。

戦艦大和」における戦死者への言及のあり方は、まさに「現実的に有用」な死者に対する言及のあり方である。いやしくも自衛隊の幹部であった人が、旧軍の戦死者を「現実的に有用」なものとするのは宜しくないと思う。同胞としてのみならず同じ軍人として(あ、自衛隊は軍隊ではないんでしたね、はいはい)あまり美しくない態度だと思う。

戦艦大和

クイズです。右寄りにあって普段は役に立たないけど、ときに暴れ出すとはた迷惑でつまみ出されるものってなんでしょう。

戦艦大和 (講談社選書メチエ)

戦艦大和 (講談社選書メチエ)

左京図書館の書棚にあったので、予約本を受け取るついでに借りて読んでみた。

政治的に中立で客観性を重んじて記載すると宣言する書物の常で、めいっぱい政治的立場が入っていた。大和の建造にあたった人々の機密保持や優れた工程管理を褒め称え、乗組員の「愛国心」をも褒め称えている。特にこの愛国心が戦後軽んじられる傾向にたいして悲憤慷慨の念に堪えない模様である。

しかしその「愛国心」と行っても、それは生存者の戦後の証言や遺書が主な根拠なのだが、いかにも資料収集の段階でバイアスがかかる状況だと思う。大和沈没に際して亡くなった人たちの声なき声を聞かないとなかなか全体像はつかめないんじゃないか。乗組員3000人のうち、自分の死の意義を国家に結びつけて考えるような、海兵卒のエリートがどれだけ居たというのだろう。徴兵されて大和に乗せられ、大和とともに沈んでいった兵士たちの心境はどうだったのだろうか。殺された人の心境について、いや彼らは進んで殺されたのだと述べて称揚することが、鎮魂につながる態度なのだろうか。

むしろ吉田満氏が著書「戦艦大和ノ最期」で述べるところの、高齢や病気のため艦を降ろされる兵士に対する艦内からの無言の羨望こそ、彼らの心境を雄弁に物語っているのではないか。

私が思うに、大和に関する逸話でもっとも美しい台詞とは、沈没寸前の大和艦橋で吉田少尉(当時)が大和とともに沈もうとしたさい、ある高級士官(森下信衛参謀長だそうだが)に叱咤された「馬鹿、若イ者ハ泳ゲ」という台詞だと思う。今の若い者に愛国心が足りないと嘆くご老人は、国の沈没に際して「若イ者ハ泳ゲ」と、つまりは殉死など考えずとことん生き延びろと、言ってやれる気概はあるんだろうか。むしろ逆に、若い者こそ沈む艦に体を縛り付けて一緒に死ねと言いつつ、これで救命艇の自分の席が確保できるぜへへへとほくそ笑むような、現代を嘆く声にはそういう醜い印象がどうしてもぬぐえない。

救命艇しかり、年金しかり。

以下は蛇足かも知れないが。

  • 大和の巨大な主砲は、生産力の追いつかない貧乏国の海軍が、より長距離からアウトレンジで攻撃するための秘策だそうだ。テポドンかよ。
  • 機密保持に関しては、茶化すようだが、それほど厳重に機密を守られた大和や武蔵が、どうして日本人の心の支えになり得たのかが私には分からない。戦後の(一部の)日本人にとっては大和もゼロ戦も心の支えかもしれない。しかしゼロ戦は終戦間際まで「海軍新型戦闘機」でしかなかったし、大和は存在自体が最期まで軍機だった。「史上最大の46センチ砲を搭載した大和を作ったんだから日本は強いぜ」とおおっぴらに口にしようものならたちまち特高憲兵にとっつかまってたはずだ。
  • 吉田満氏の「戦艦大和ノ最期」にある記載のうち、左舷に集中攻撃を受けて傾いた艦を立て直すために右舷側の機関室に注水するという記載と、満載の救命艇になおもすがりつく兵の手を日本刀で切り落としたという伝聞の記載について、本書では、実在しない話だと断言している。機関室に注水の件に関しては、大和にはそんな機能はないとのこと、日本刀については、救命艇に日本刀を持って行くことはないとのことから、あるはずがないことなのだそうだ。私もこの2点は、本当にあったことだとしたらあまりに辛い話なので、なかったことであって欲しいとは思う。無人の区画に注水するという命令を勘違いしたとか、「日本刀があれば切り落としていた」という仮定の話に尾ひれが付いて実際の話に化けてしまったとか、そういう話であればよいと思う。しかし、「あるはずがないからあったはずがない」という論理の型は、臨床ではまれならずひっくり返される。信じたいこととを信じるという態度は、少なくとも本書では、序文で宣言された態度には矛盾する。
  • そのいっぽうで、本書では米国は世論として日本人を全滅させるとの意思を強く持っており、大和沈没後に漂流している日本兵に対して執拗に機銃掃射を加えたと主張している。なんだか沖縄県民を集団自決に追い込んだ論理が21世紀になっても生き延びているようで、意外な主張だと思った。防大卒(1期だそうだ)で自衛隊でもそこそこ出世した著者が、米国の日本人に対するホロコーストの意図を示唆しているのだ。けっこう重大な主張だと思う。もうちょっと慎重にしたほうがよろしいのではないか。
  • この点について、吉田氏は漂流中、不思議な米軍機が1機上空を旋回しており、この機が邪魔で機銃掃射が控えられたと証言しているのだが、本書ではこの証言に対する言及がない。なんだか都合の良いところばかりつまみ食いしている印象を受ける。

ちなみに冒頭のクイズの答えは「虫垂」ですよ。

新年会

先週末には大学の新生児の勉強会と、地元の医師会の新年会に、続けて出た。むろん大学にしてみれば地元の医師会の催しなどはなから眼中にない。私自身、昨年までは医師会の新年会など平気で無視していたのだが、さすがに対外的なことも考えなければならない立場になった。おかげで勉強会には一人だけ背広にネクタイだった。

医師会の新年会は初めて出たのだが、最初の乾杯がビールではなくてシャンペンだというのが象徴的だった。私世代はまだ小僧扱いである。年配の人が多いのだが、そのぶん皆さん年相応に食欲が上品なようで、その中で一人がつがつするのも憚られた。主だった先生方に現部長から紹介してもらって挨拶して、早々に引き上げてきた。唯物論的にはシャンパン1杯、蕎麦1椀、寿司3個で1万円。参加費は病院からおりるらしいが、これが自腹だと辛いな。

なかにロードバイク乗りの先生があって、自転車の話をした。乗れば乗るほどに確実に強くなるからとアドバイスを受けた。自転車乗りの先達と話をするのは初めてで楽しかった。気持ちの上では黒字な会合だった。