すごいな。ここまでやるか。B型肝炎も全員に推奨するのか。
月: 2011年4月
当事者って誰?
ヒヤリ・ハット報告というものが病院にはあって、ネーミングセンスのなさはジャニーズ事務所を笑えないなと思うのだが、まあそれはともかくも、齟齬があったが大事には至らなかった事例を拾い集めて分析することで、破滅的な事故を防ぐというものである。
ことの性質からして、できるだけたくさんの事例を集めることが優先されるべきものだと、私は思うのだが違うんだろうか。
何か私が間違ってるのかな?といつも違和感を憶えるのだが、ヒヤリ・ハット報告において一番根掘り葉掘り聞かれるのが、当事者の属性である。当事者は誰?職種は何?職歴何年何ヶ月(何ヶ月、まで勘定して記載しないと受け付けられない・・・ええと俺が国試に受かったのは何月だったっけか)?そのうちうちで何年何ヶ月勤務?そのとき疲れてた?なんだかんだと。オンラインの入力システムは何ページにもわたって、「それを報告する君は誰なの?本件は誰のせいなの?」と聞いてくる。職歴が何年まではよいとして、何ヶ月?を入力する辺りで嫌になってくる。そのとき疲れてた?とか、ちゃんと寝てた?とか聞かれると、おいおいまだ俺のせいだと決まったわけじゃなかろうよと不愉快になってくる。
そもそも当事者って誰なのよと思う。報告者と同じなのだろうか。それならヒヤリ・ハット報告システムにログインした時点で分かることだろうに。匿名報告も受け付けるためかもしれんが、職歴何年何ヶ月の医師とか、簡単に個人を特定できるだろうから、このような個人の属性を根掘り葉掘り聞いた時点でもう匿名も実名もなくなってるだろうに。
しかし記載するのは必ず当事者に限るのだとしたら、それは事故報告書であってヒヤリ・ハット報告ではない。ヒヤリ・ハット報告なら、傍で見ていた立場であってもあれは危ないと思ったら書くってのが本当だろう。家の窓から火が出ているのを通りがかりに気づいて119番通報したときに、「君って燃えるもの見たらわくわくする?」とか消防署は聞かないだろう。隣家から助けてくれと悲鳴が上がっていると警察に届けた際に、「隣の家に恨みはありますか」とか聞かれたら、届けた俺をいきなり犯人扱いかよと不愉快になるものだろう。黙って見ないことにしておく方がよいってことになるだろう。
それにもまして、ヒヤリ・ハット報告で本当に集めなければならない事例ってのは、「まずいことが起きたけれど、その事例の当事者が自分だとは誰も思わない」ような事例なのではないかと私は思うのだがね。センターとショートとセカンドがお見合いする真ん中にぽてんと落ちるみたいな事例。誰もその事例についてヒヤリ・ハット報告を書くべきなのが自分だと思わないような事例。そういうのを放っておくことが大事件につながるんだろうにね。
紙に記入して出してた時代なら、こういう理不尽な質問項目は白紙で出していたのだが、コンピューター処理だと一項目でも空欄があったら登録できない。いろいろと、やれやれである。
ドーナツ
朝おきて、休日ではあるのだがいちおう回診をと思って病棟へ行く。食卓にドーナツがあったので朝食代わりに食べていったのだが、じつは息子がとっておいたものだったらしい。残念そうにメロンパンを食べていたとのこと。その程度ではパニック起こさないからいいけどねと妻に言われた。
3本で1時間半
3本ローラーで30分×3セット。心拍は120を越えないように。のろのろのろのろとLSD。全部で30kmぶんくらいしか走れてないんで、人に言わせればまだSSDなのだろうが。平均時速は20km/時ていどだ。3本に乗っててこの速度で落ちないんだからだいぶ上達したんだろうとは思う。
乗っている間はひたすらペダリングに集中する。引き脚とか、下死点の通過とか。仕事のことは考えないことにする。といってもちょっと油断すると病棟のこととか頭に浮かんでくるんだけれども。
サドルの位置をこちょこちょといじってみる。だいぶしっくりしたように思う。ガレージで乗っていると、いじっては試し乗りのサイクルをたくさん回せる。
タイヤの空気圧は上げておいた方がよさそう。路上を走るときはだいたい7気圧ちょっとに設定しているんだが、3本にのるときは8気圧くらいが軽く回って良い。
7気圧だと振動も大きい。たぶんタイヤがでこぼこなんだろう。高級なタイヤに換えたらちょっとは改善するかもしれない。
ワクチン再開されてます。
小児用肺炎球菌ワクチン及びヒブワクチンの接種の再開について|緊急情報|厚生労働省
震災ですっかり過去の話になってた感がありましたが、今月から再開です。
3本ローラー
今日はオンコールだし、春の北山にはスギ花粉が渦を巻いて腐海みたいになってるし、このところ自宅ガレージで3本ローラーに乗り続けている。
今日はロードで1時間、なんとか乗れた。心拍130前後で、時速22〜23km前後で、ケイデンスは70台。見る人が見たら、この数字はたいがいな貧しい数字なんだけれども。誰が花脊峠を越えたいんだって?と聞かれて恥じ入らざるを得ないような。
しかし延々とペダルを回し続けるのは案外と辛いものだ。モッズローラーはペダリングを止めたらあっというまに回転が止まるので、安全ではあるのだが、休めない。道路を走っているときって意外にペダリングを止めて休んでいることが多いんだろうと思う。
乗りはじめはがたがたと振動がした。ローラー台の脚のねじに緩みがあって、がたついていた。ねじを締め込んだら滑らかに走れるようになった。多少残った振動は、おそらくホイールがゆがんでいるのだろうと思う。一段上等のに買い換える頃合いかもしれない。R500なんてゆがみを修整する工賃だけで原価を超えるだろうとも思うし。ペダリングが上達して、転倒したり変な過重をかけたりしてホイールを痛める可能性が低くなったら、ホイールを買いに行くことにしよう。
ガレージでこういう珍しいことをしていると、道行く人との交流がどうしても生じる。先だっては子どもが入ってきて困った。その次はVIGOREのご主人に見つかった。急に前の道で車をとめて話しかけてくるので、誰かとおもったら、自分が乗っているロードバイクを作った本人だった。チェーンステーには彼のサインまで入っている。
こちらはなんとか乗れるようになったところで、とうてい人と話しつつ乗り続けるような余裕もなく、さりとて急に止まると転げそうだったし、あまり満足なご挨拶もできず失礼してしまった。まあ、むこうは専門職だし、余裕がないのは見ればわかったろうとは思う。
そのうえで、このロードをこういう風に使うのは店のコンセプトに沿うのだろうかとは思った。そういう血まなこで乗る系統の自転車ではないような、もうすこし優雅なところを目指すお店のようにも思った。申し訳ないかな。
しかし、なにさま、私としては40過ぎて打倒花脊峠なんて目指してる立場なんで、なりふり構ってはいられない。構わない証拠に、ついにレーパンまで買い込んでフル装備である。フルカーボンの自転車を買うほどの甲斐性や度胸がないところが私の限界かもしれないけれど。
ベテラン
震災復興支援新生児蘇生法講習会1回目終了 対価と贈与について
1回目が終了した。トーキング・ハイから回復するのに1日かかった。
受講生からはしっかり受講料をいただいて、義援金に回す手配をした。なにさま、手持ちのお金を拠出するばかりではなく、復興支援の事業が義援金を増幅するようなシステムを作ってみたかった。むろんそれは車輪の再発明的なことであって、「チャリティー」という概念には今さら感さえあるが、私にとっては、乏しい懐から1回きり義援金を出して義理を果たしたことにするという、それ以上のことをするのは初めてのことだった。
受講料はいささか高めだと思った。正直、俺がインストラクターでこの受講料として、俺が管理職だったら研修費として支出をみとめるかどうか、たしょう微妙だと思った。受講生の皆様にも、それは同じ印象だったのではないかと危惧している。
しかしここで言い訳がましく申し上げるが、受講料は受講の対価ではない(ということでご勘弁いただけませんでしょうか)。そこでお金を払うことが対価ではないということ。これも自分にとっては初めてのことだった*1。対価でないとしたら何か、というと、これは贈与なのだ*2と私は思っている。
受講料は全額義援金に回す。東北地方の皆様には義援金を、受講生の皆様には日本周産期・新生児医学会公認の新生児蘇生法プロバイダー登録を、私にはインストラクターの貴重な経験を、うちの病院には、まあ、業界内での宣伝のチャンスってことになるのかな*3、学会は大喜びで新品の講習会セットを貸してくれて会場セッティングまで手伝ってくれたけど、たぶん震災までは何となく低調だった講習会普及事業がなんとなく活発になる気配を感じているのかもしれない。関係者がいろいろなものを玉突きのように贈与しあったことだった。
そういう、対価ではなくて贈与でつながるありかたというのが、自分にとっては新鮮だった。対価ではないから、フェアとかイーブンとか、相場とか、なにより得と損とか、そういう計算は上品さを欠かない程度に控えめにして、自分が出せるものを出し、受けるものを有り難く受ける。あの場はそういう場になっていたんじゃないかと、首謀者としては思う。というか、そうであって欲しいと願う。
どう考えても一番多くを受けたのは私自身なんで、それもまた申し訳なくはあるのだが。