ジロもそろそろ最終日

そのときコンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)が横に来ていつがアタックすべきタイミングかを耳打ちしてくれたんだよ。

最終日のタイムトライアルで、途中で自転車を降りて昼寝でもしない限り、コンタドールが今回も優勝する。
ライバルたちが次々に「あいつは別格だ」と降参してしまうような、圧倒的な展開だった。
優勝予想キャンペーンも行われていたようだが、サクソバンク・サンガード以外の投票ってあったのだろうか。

たぶんシーシェパードは捕鯨を続けてほしがっている。

NHKスペシャル|クジラと生きる

自宅で観ていてあんまり痛かったので、ジロの中継が始まったのを言い訳にチャンネルを変えてしまったのだけれど、昨夜の当直室でテレビをつけたらちょうどそのときの場面が出ていたので、これは観ろと天上の誰かさんがおっしゃってるんだろうと思った。

シーシェパード他3団体が太地町に入って「反捕鯨活動」をやってるらしいんだけど、彼らにイルカやクジラを守ろうという気持ちが本当にあるんだか、大変疑わしいと思った。太地町や日本国の人に自分らの意見を聞いていただこうという態度はまるで感じられなかった。

たぶん彼らがほんとうに好きなのはイルカやクジラじゃない。彼らが好きなのは反捕鯨活動なんだろう。人を罵ったり侮辱したりして金を貰うのが好きなんだろう。だから捕鯨が廃止になったら彼らは困るんだろうと思った。彼らにとって一番良い筋書ってのは、まさにいま太地町で起きている筋書きなんだろう。精一杯自分たちは反捕鯨活動に邁進しているけれど、日本人の奴らぜんぜん反省せず捕鯨を続けてます、もっと私たちの活動をご支援ください、と言えるような筋書きだ。太地町の人らが粘れば粘るだけ、シーシェパードには募金がどんどん入ってくるんだろう。

だから彼らは太地町の人たちを追い込んでいる。まるで漁師さんらがクジラを湾内に追い込んでいくように。彼らの主張が通るには太地町の人たちが耐えがたい屈辱を味わわなければならないような、そういう作法で反捕鯨を主張する。太地町の人や、あるいは日本人全体が、彼らの行動にダメージを受けつつも彼らの言うことには耳を貸さないような、そういう構図を維持することが彼らの目指すところだと見受けた。

まあ、苦しい立場には違いないかもね。敵を罵りつつも敵の存在が無ければ自分らの存在価値がなくなるのってのは辛いだろうよね。うっかりいま日本が捕鯨から撤退したらスポンサーからのお金は減るんだろうし。長野県に場所を移して「蜂は社会も言語ももった高級動物だ」とか言って反ハチノコ運動をやるのも一興かもしれないけれどもね。

新生児蘇生法講習の修了登録の費用のこと

日本周産期新生児医学会の新生児蘇生法講習会を受講した場合、受講そのものには学会はお金を取らないのだが、修了認定にはお金を取る。8000円で5年間有効。そのお金を病院負担にできないかと画策している。

「当院の周産期病棟スタッフは全員、日本周産期新生児医学会の公認する新生児蘇生法講習を受講し、修了認定を得ております」と、さらっと病院のウェブサイトに書けたら、そうとうの宣伝効果ではないかと思う。というか、そういう点を評価してくださる妊婦さんにこそ、当院でお産していただきたいものだと思う。アメニティも大事だし、マタニティヨガもハーブも結構だけど、そういうことに目を奪われる人ばっかり集まってきては、なにかと詰まらないことで苦労が多くなるような気がする。

しかし今のところ、それをキャッチコピーにする周産期施設はあんまり多くなさそうにも思う。ということはだ、今のうちにそれを謳えたら、それはうちの病院の大きな売り文句になるだろうということだ。今のうちに限る商機なのだろうけれども。何年かすれば極当然の、陳腐なことになるだろう。そのころには、各周産期施設の人事担当者は目の色を変えて、修了者を雇おうと走り回ることになるだろう。

個人に与えられる資格なんだから、個人が出すのが当たり前と、先日知り合いの開業の先生にご高見を頂いた。看護師免許だって自前だろうに。そこに金を出し始めたらボイラーマンの資格だって病院から出すことになるんじゃないか?と。なるほどそれが経営者の感覚なのかと思った。それも道理かもなと思う。その一方で、他院の経営者がまだそういう考えでいるってことは、うちが一歩抜け出すチャンスだってことだとも、思ったりもする。

一方、看護師や助産師たちが言うには8000円は高いとのこと。受講すれば知識や技術は身につけられるし、修了認定を受ける受けないは実力には関係なかろうと言う。それも道理かもしれない。じっさい、私の前任の部長はそう言って、独自の新生児蘇生法講習を行っている。金を出してくれと言う私の稟議書を見ても、あんまり判をつくのに乗り気ではなさそうだ。

でもまあ、前部長の講習は学会の規定に縛られないからと、大人数を寄せて行っている。道具を与えていろいろやっているなかを巡回する形で指導するんだそうだ。助産師学校の何十人かのクラスを一気に指導するにはそうする手もあるんだろう。まあ、それでも受講しないよりは遙かにマシなんだろうけれど、なんだか、お手盛りは堕落の第一歩という実例のような気もする。私の父は経理が仕事で、他者が監査に入ることの重要さとか子どもの頃に聞いて育ったから、なおのことそう思う。

個人に与えられるライセンスなんだけど、みんながそのライセンスをもってるってことは施設としても胸を張れることなんだから、折半というのが世間の相場かも知れない。第三者的な目で見たらそうなんだろうなと思う。

しかし、そこを気前よく全額出すのがこういうときの肝心なところじゃないかとも思う。看護師と病院が4000円ずつとか、いや6000円と2000円だとか、ちまちました値引き合いをしていては、なるほどこの病院はそれだけの額しか出す気が無いんだなとの評価をうけてしまう。世間様とか、裁判長からね。2000円とか4000円とか6000円の補助には、各々2000円とか4000円とか6000円の意義しかないけれど、よっしゃと全額ポンと出す8000円の補助には、心意気で増幅される8000円以上の意義が生じるんじゃないかと思うんだが。

父は夏に背広を着ていただろうか

自分の父が出勤の時に何を着ていたか。むろん今の私のような勝手な格好で出勤できる商売では無かったけれども、でもどう考えても夏には半袖のワイシャツにネクタイだったように思うのだが。彼が夏に背広の上着を着ていた記憶がどうしても出ない。

あのころ、長崎本線ディーゼルカーも扇風機がせいぜいで冷房車なんてほとんど無かった頃、勤め先のオフィスも冷房が入っていたかどうかの頃、そのころのサラリーマンって夏に背広を着てたのか? ちゃんとした人間は夏でも背広を着るなんて迷信は、エアコンが当たり前なんていう贅沢をしはじめたごく近年の産物なのではなかろうか。

夏に着る背広なら、「着ていないときよりも涼しい」背広でなければならないはずだ。汗のにおいを分解しつつ強力に蒸散させて放熱するような背広を、ようするに木の葉よりマシな背広を、作ってみろと言いたい。

そういえば夏ものの背広を持っていないな

昨日の発表も寒かった。内容もさることながら、会場の室温がひどく寒かった。半袖のボタンダウンのシャツで出たんだが。気を利かせた運営側が毛布を配っていたがね。なんで冷房の効いた会場で毛布かぶってなきゃならんのか。

今は何月でここは何処だよと思った。5月の京都だよな。1月の京都でもないし、5月の昭和基地でもないんだ。

やっぱり夏ものの背広を持ってないってのが宜しくないのかもしれない。そういう馬鹿馬鹿しいものが世の中にあるんだなんて、迂闊なことに私は知らなかった。買わなければいけないのかなとも思ったが、今の今までポロシャツで押し通してきててこのご時世にかよと今さら感も強い。デパート業界ではクールビズとやらを売りたくって仕方ないらしいけど、背中がシースルーの上着なんて40過ぎた男が着れるか? このまえ「絶望先生」に出てきた「タンクトップの官房長官」並みの恥ずかしさじゃないか。

いいかげん、暑苦しい格好やめましょうや。

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私はこっちが欲しいんだ。

今のうちに

最近熱心にやっている、新生児蘇生法の講習会について、昨日は機会を得て発表してきた。

京都市北部(だいたい祇園から北)を中心に医師同乗の新生児救急搬送をやらせていただいている*1。この2年間の運行記録をみると市内ならだいたい30分以内で到達している。60分あれば木津川市まで行ってるし、高速に乗れば70分で大阪市まで行ける(これは送り出し搬送だけれども)。この速度をもって、産科の先生方におかれましては当院にお電話一本頂ければあとは何とかしますと公言していたんだけれども、今後もそれでよいのかと、昨日は論じてきた。*2

これからの時代はやっぱりそれではいかんだろうと、昨日は申し上げてきた。むろんお呼びいただくのは構わないが、現在もとめられている新生児蘇生法の水準は出生後30秒刻みの評価と処置のサイクルを回し、最短60秒でボスミンの投与タイミングがやってくる。むろん確実な気道確保はそれより前だ。うちが救急車で駆けつけるのを無手でお待ちいただいては間に合いそうにない。

お産は必ずしも100%安全というわけではないということは、じわじわと人口に膾炙しつつある。「何かあるかも知れないと言うことは分かりました。覚悟します。しかしその『何か』に対する対策はどのようになさっておられますか」と、面と向かって問われる時代がじきにやってくる。それは理の当然というか、ものごとはだいたいそういう風に進むものだろうと思うし、安全神話によりかかって無手だったことのツケを盛大に払わされている実例がまだ福島で地域の皆様や関係者ご一同に多大なご苦労を強いているなかで、時代は災厄への対策に関する説明責任をさらに明確に求める方向へさらに大きく舵を切ってゆくのだろうとも思う。

残念なことだが、すべての分娩時仮死がいわゆる「適切な処置」を行えば救えるというものではない。それはこの十年あまりの臨床経験でつくづく身にしみてきた。脳性麻痺が生じたからには適切な処置がなされなかったに違いないとする、医療の現場と言うよりは法廷やその周辺でご活躍の方々が声高に論じられる議論は、私は行き過ぎだと思う。

しかし、だ。そういう一部の方々の理想とはまた違った次元で、「適切な処置」の体系が存在するものだと思う。存在しなかったら我々新生児科医や産科医は何をもって自分たちをプロフェッショナルと呼ぶのだ? 患者さんに「何かあったら」と聞かれた際に、おそらくご心配の「何か」の具体的内容はこれこれで、それに対する対策としてはこれこれを準備しています、とお答えするときの、その答えの業界的な合格水準というものがあるはずだ。

「何か」の多くを分娩時仮死が占めることだろうと思う。その分娩時仮死に対しての、これからの業界標準として、「標準的な新生児蘇生法の訓練を受けたスタッフが赤ちゃん担当として立ち会い、実際に仮死が生じた場合には迅速に蘇生法を開始いたします」という答えができればよいのだろうと思う。*3繰り返すが、それをやればすべての新生児死亡や脳性麻痺が生じなくなるというわけではない。減りはするんだろうというのがせいぜいだ。それでも、だ。「何かあったら」と聞かれて黙り込むかごまかすかしかできない、無手の状態よりは、およそ説明責任の観点から見て、大きい進歩だと思う。

面と向かって聞かれる時代までの猶予を私は5年ほどかと見ているのだが、甘いだろうか。このブログで読んだし聞いてみるってことはご勘弁いただきたいが。なにさま、まだ口に出して言われないうちに、なるだけこの日本版新生児蘇生法の講習を受けて終了登録したスタッフを増やしておきたいと思う。次の地震津波がこなういうちに、だ。

*1:市民の皆様には道を譲っていただきありがとうございます。

*2:まあ自分らが公言してきたことに関する討論は自分らの内部でやるものかもしれんがね。それをあえてお天道様のもとでやるってことにも幾ばくかの意義はあろうと思った。

*3:残念ながら一部の自然志向の施設にあっては「自然におきることなんだから何もしません。諦めてください」と答える施設もあるんだろうけど、そういう施設はできればお考えを改めていただきたい。

しんどいときには

状況が悪いときには、せめて、その状況の悪さを正確に把握しておくこと。受け持ち患者の病状が悪い時とか、どうにかしてこの悪い時をやり過ごしたいと思うあまりに、悪い情報をシャットダウンしたり忘却したりしがちなんだけれども、それをやると、状況が好転したときにどれほど好転したのかがよく分からなくなって、状況にかかわらず延々と自分だけ悪い時を過ごし続ける羽目になる。よくなったときの感動を心の底から味わうのは悪い時をじゅうぶん悪く過ごした者だけの特権だと思う。

ジロが始まった

昨夜は新生児蘇生法の講習会を終え、のこった病棟業務を終え、病態の難しい子のカルテを読み返してうんうん唸って、遅く帰った。夕食をとりながら、そういえばと思ってケーブルテレビをつけてみたら、ジロ・デ・イタリアの第1ステージが生中継されていた。

最近、ちょっと疲れてたんだけど、ジロをみてわくわくできるだけの余力は残っている。まだ燃え尽きてはいないなと思った。それだけでもありがたい。

いちどチームタイムトライアルというのを生で見てみたいものだと思う。平均時速54kmとかで走り抜ける自転車の隊列ってどんなものだろう。日本では行われているんだろうか。いちど大原あたりで休憩していたときに、5人組みくらいの隊列が走りすぎるのを見たことがあるのだが、まさに疾風だった。エンジン音がしないんで、いきなりすぐ近くをすり抜けられて驚いた。かなり怖かった。あれより速いんだよな。

震災に苦しむ日本を応援しようと、日本人として唯一出場するTeam Radioshackの別府史之選手が、特注のリストバンドをつけて走っている。自チームや他チームの選手にも配っているとのこと。彼には頑張って欲しいと思う。
ひとりじゃない 〜You are NOT alone.〜 | Life is Live! | 別府史之 Fumy BEPPU Official Site

それにしても。

2009年のジロではデニス・メンショフダニーロ・”キラー”ディルーカが死闘を繰り広げた。無表情なメンショフとは対照的に、ディルーカの形相は、鬼の形相とはまさにこのことかと思った。
“キラー”ディルーカ、いまだ総合優勝をあきらめない : CYCLINGTIME.com

おりしも、イタリアは震災の余波に苦しんでいた。被災した自国民を応援しようという意思をディルーカは表明していた。

アブルッツォ州ペスカーラに生まれたディルーカは、今日の勝利を最近起きたアブルッツォの大地震の犠牲者に捧げた。彼は「今日、俺は故郷のために勝ちたかった。この目標を達成できて嬉しいよ」とコメント。

しかし彼はドーピングをしていた。
ディルーカ、ドーピングを告白 : CYCLINGTIME.com

どの面さげて、と、私ごときが申し上げては不遜に過ぎるのだろうか。いったい、ドーピングして出場したレースの何をもって被災者を勇気づけようと言うんだろうか。犯罪でも何でもやって復興しろとでも言うのだろうか、と、色々と複雑な思いがした。