
人が変わる、組織が変わる! 日産式「改善」という戦略 (講談社+α新書)
- 作者: 武尾裕司,井熊光義
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/01/21
- メディア: 新書
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この改善という考え方そのものはまあよろしいと思うんだ。200年300年たって、日産というメーカーが潰れるなり発展解消するなりして後ろ盾がなくなっても*1古典としてこの考え方自体が残ってるかどうかは怪しいけれども。多分に15世紀ヨーロッパの”mement mori”とか、16世紀末日本の「わび」「さび」みたいな、当時の社会的背景を前提とした考え方として、20世紀末から21世紀初頭の日本に「改善」という概念がありましたってことになるんだろうけれど。「おたく」とか「萌え」とかと並列で。
でも日産という背景があると、その背景の影響を直接受ける人には、この考え方は生臭いだろうなとも思う。「限りないお客様との同期」って親会社に言われた子会社はどうすればいいんだ。おたがい、お客様っていったら自動車の購入者ってのが建前だろうけれど、本音のところ、子会社にとってのお客様ってのは親会社だろうに。その暗黙の了解の元で「限りないお客様との同期」っていうご指導が親会社のコンサル部局から入ってきたらだ、子会社の経営陣としては、親会社として君ら子会社に際限なく要求するよって宣言されたに等しいんじゃないかと思うが。ゴーンの辞書に満足という言葉はないってなもんで。
まあ俺らNICUには日産の親会社がどうあろうと子会社ほどには影響を受けない。それどころかいまうちの病院で使ってる救急車は日産の製品なので、俺らのほうがお客様だ。日産の支配からはわりと自由な立場にある。ありがたく本書など拝読して、改善の参考とさせていただけば良い。*2
参考にするにも知恵は要るだろうと思う。引き写しではまずい。ラインの上手からまずいものが流れてきたらラインを止めます、って、クルマの工場ならそれもいいが、NICUなんてそもそも問題がある赤ちゃんしか引き受けないわけで。
そこに何らかの改善式検討を加えるとしたら、その赤ちゃんの抱えた問題が想定の範囲内でなければならない。所定の類型におさまってくれてないといけない。
なんだかずいぶん粗雑な話のようにも思える。診療ってのはもうちょっと個別化されたものではないのか。とは言いながら、現状の診療だって、いわゆる臨床経験の実際のところは、いかに手元のその「類型」を細やかに準備してるかってことに過ぎないんじゃないかとも思える。このさいその類型の手の内を公開してみようというのも、試みられていいことではある。自分自身にすら明瞭ではなかったりするし。
本当にそのこだわった類型は、区別するだけの効能があるのか?とか考えてみるのもまた良いことではある。別に治療方針に違いがあるわけでなしと言えるような些細な違いでしかないこともあろう。
しかしながら、そういう違いもまた、いずれ新たな病態生理の切り口とか治療法とか見つかってきたら、大きな違いになるかもしれない。そう思うと、実用上の差を生まない違いを無視してしまうのは、将来の進歩の芽を摘むことになるのかもしれない。