クラス運営とか傍目八目とか

 昨日は隣県で(つうか隣「府」でだな)新生児蘇生法インストラクター養成の講習会が行われた。とくに何かの役を仰せつかったわけではなかったのだが、事務局の人に暇なら顔を出すようにと声をかけて頂いたこともあり、お言葉どおりに顔を出して、講習の様子を眺めていた。

 指導に関しても評価に関しても、なんの責任も負ってなかったので、指導者2人と受講者6人、それに見学者1〜2名からなるブースを、さらに遠くからぼさっと眺めていた。こちらから向こうが何を言ってるかはだいたい聞こえるが、向こうからこっちはたぶん意識にのぼらないだろうという程度。たぶんNIDCAPで赤ちゃんとケア者の交流を分析するときってこんな距離のとり方するんだろうなと思った。

 その距離だと、だいたいチーム全体がどう動いているかが一目で見える。こういう距離で指導の現場をただ眺めているというのは初めての経験だった。傍目八目とは言い得て妙なものだと思った。今まで意識もしなかったことがいろいろ見えた。まあ、面白かった。

 受講者が交替に進み出て、あれこれ実演するわけだが、いま自分の順番でない受講者ってのは傍目にはこれだけ遊んでいるように見えるのかと、新鮮に驚いた。むろん彼ら自身にしてみれば自分の順番になったらどうしようかなど真剣に考えておられるのだろうが、直裁に申し上げれば、あの「待ち時間」は客観的にはかなり無駄だと思った。

 我が身を振り返れば自分が主催する蘇生法講習会でも、あのような光景は稀ならず見られるものなので、おそらく私の講習会でも受講者の時間をかなり空転させているんだろうなと思った。どのように受講者全員を絶えず巻き込んでいくかというところに、もっと高次の工夫が必要だ。

 私の講習会はしかし蘇生法の講習会である。昨日観てきた講習会は「蘇生法の指導法」の講習会だった。であれば私の講習会以上に、昨日の講習会は、その講習会自体が、受講者がこれから開催する講習会のモデルになるべき講習会であったはずだ。講義の内容以前に、メタレベルで。平凡なクラス運営でどうするのだ。それは指導法の指導と言えるのか?

 であれば私らはまず小学校や中学校のベテランの先生が、クラス全体を取りこぼさず巻き込むような授業をなさるのを見習うべきなのかもな。子供たちの授業参観に多忙を言い訳にとうとう一回も行かなかったことがいまさら悔やまれる。まあ、1人は自閉症児で特殊学級の個別指導だったんで、クラス運営っていうものではなかったけれども。
 
 まあそれにしても、アポイントもなく押しかけていって、顔パスで入り込んで、一日遊んでいた挙げ句にスタッフ用の弁当までせしめて。俺も厚顔になったものだ。その上にこの言いぐさだものな。まあ失礼千万とは思うが、無益じゃないと思うので記載しておく。

伝統が消え去るということ

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上

低出生体重児の予後を研究するデータベース事業の運営会議で、土曜の午前中に東京に集まって会議できるような殿様たちが、最近「地域」*1が入ってきてるんでデータベースの性質が変わってるんじゃねえかとか仰ってたと知った。畜生。てめえら何万石の大名気取りなんだ江戸城のどこの座敷で喋ってやがるんだと、貧乏旗本か御家人の気分である。

とは言いながら昨今の閑散とした時期には、もう私らの存在意義はないのかもしれんなとは思った。一時の気の迷いってことにしておこう。たしかに当地のNICUは乱立しすぎだ。だからといって私らが認可病床を返上して、スタッフをどっか他所の大病院に転職させたところでだ。私らの仕事がそのまま受け継がれるとは限らないんだ。

私らの仕事の伝統。23週の双胎が緊急帝王切開だと言われて、看護師がパニック起こさず輸液の内容はどうしましょうか人工呼吸器は何を使いますかと指示を仰ぐ病棟だ。このチームを地域医療の経済的最適化とか称して解体することのどこに正義がある。鴨鍋喰いたいからって金の卵を産むガチョウを屠殺するバカがどこにある。

とは言いつつもと逡巡するわけだ。うちのNICUで一番へたれなのは部長の私だからね。仕事がヒマだと定時に帰って、医学書読めば為になるものをこういう文系書読んだりする。で、伝統って虚勢張ってもあっという間に失われるんだよねとも思った。コールデストウインター。最高にお寒い冬の物語。

上巻の主要テーマは開戦時点での米軍の弱さである。ドイツに勝ち日本に勝ってようやく4年しか経たないというのに。1949年の時点でもう一度戦えば勝てたんじゃないかと思うほど*2。たった4年で第二次世界大戦の勉強の成果すら忘れられるんだ。私らも暇をかこって昔の栄光にひたっとるうちに、伝統の賞味期限が切れてしまうかもしれない。

まあとりあえず今は入院数が持ち直している。どうも隣県がオーバーフローしているらしい。とりあえず当地でせき止めるつもりではある。

*1:地域周産期母子医療センターのこと

*2:むろん1年もしないうちに押し返されてもう一度無条件降伏することになるんだろうが。

歴史的責任と引き際について

ひと頃の閑散とした時期は過ぎたようで、比較的重症の入院が続いた。

閑散とした時期が続くといつも、当院NICUは歴史的役割を終えたのではないかと考えてしまう。存在の必然性がない施設が居座ることで、当地の周産期医療の最適化を妨げることになってはいないか。いわゆる「引き際」を心得ない老醜みたいなものを発散していないか。

平成6年だそうだが、当院が当地でははじめてNICUの認可病床を設置した当時は、端的に言えば当地の一般的な産科施設で生まれた新生児が病気になったところで紹介先などなかったと聞く。当時は私は当地にいなかったので伝聞でしかないが、しかし、総病床数200床にみたない私立病院が、認可病床を設置し、新生児搬送用に救急車をあつらえて迎え搬送もするようにしたら、それでビジネスとして成立してしまったわけだから、下世話な表現で恐縮だが、「市場」は「入れ食い」の状態だったのだろうと推察している。

そうやって当院が、私立病院による小規模(当初6床)のNICUがビジネスとして成立してしまうという実例を示してしまったことが、当地の新生児医療の発展する方向を変えてしまったのかもしれない。当地には本来あるべき大規模集約のNICUがなく、中小規模が複数で運営している。NICU病室のハードを整えて、これからマンパワーをそろえにかかろうとしている病院も複数ある。当院よりも病院自体の規模は大きいが、彼らが準備しようとしているNICUは当院のものより小さい。中小規模NICUが今後もますます増えるように思われるが、我々がその嚆矢となったのではないかという、いわば歴史的な責任みたいなものを、感じなくもない。