パナレーサー リブモ 試乗

昨日交換したタイヤの乗り心地を確かめるべく、今日は試乗してみた。

MAXXISのDetonator foldableからの換装だが、detonatorの「コーッ」とかすかな音をたてて軽やかに走る感じではなく、ちょっともっさりした感じがした。路面をしっかりグリップしている感じは強かったが、detonatorの新品はどうだったか記憶が薄れている。換装直前のdetonatorと較べたらたしかにグリップはしっかりしているが、それはもう3年たった古タイヤと較べたら当然だろうとも思う。

なんだか採用を変更したことを後悔しているような書きようになったが、今後空気圧を変えてみたらなにかまた違った感想を持つかもしれない。タイヤの剛性が高いので多少低めの空気圧でクッションを効かせるとよろしいみたいなレビューも見たし。

クロスバイクのタイヤ交換

 もう3年ほど使ったことになるのか、街乗りに使っているクロスバイクのタイヤがそうとうひび割れてきたので交換。頑丈でパンクしにくいとの評のあるものにしてみた。これまでは軽さ重視でマキシスのデトネイターフォルダブルを使っていたが、この自転車を使って往診に出るようになって、道中でのパンクを忌避しなければならない度合いが高くなった。
 
 古いタイヤとチューブを外したら、ゴムの材質が変化したのか、タイヤ内面とチューブ外面が互いにべったりくっついていた。何にしてもそろそろ替え時だったなとは思った。

 ビードが固くてなかなかリムに入らんというレビューを多く目にしたが、そうでもないやなと私は思った。こんなもんじゃないかな。手のひら側にゴムの滑り止めがついた軍手をして作業するので、握る力が効率よく伝わるのかもしれないが。

 慣れない作業で時間も取られたし、今日は行くところもないしで、試し乗りは明日以降。

Panaracer(パナレーサー) リブモPT [W/O 700x28] RiBMo Protex F728PS-RB-B

Panaracer(パナレーサー) リブモPT [W/O 700×28] RiBMo Protex F728PS-RB-B

 

普通の人々

普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊

普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊

  • 作者: クリストファー・R.ブラウニング,Christopher R. Browning,谷喬夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: 単行本
  • クリック: 103回
  • この商品を含むブログ (8件) を見る

 ナチが政権を取る前の時代を知っている、ということはナチのもの以外の価値観を知っている面々が、ポーランドの占領地でのユダヤ人虐殺を命じられる。最初こそ心理的におおきな抵抗を感じるが、そのうち積極的に作戦に参加するようになる。ユダヤ人が住む街や村へとつぜん押しかけ、非常線を引き、ユダヤ人を市場などにかり集め、近くの森などへ連行し、射殺する。歩けない者はその場で射殺する。ユダヤ人の隠れ家を掃討し、発見次第射殺する。諸々。

 当初は指揮官自らが動揺を隠せず、部下にも、耐えられない者は申し出れば参加しなくて良いと告げたりする。じっさい、虐殺の命令を拒否したからといって厳罰にってことはなかったらしい。単に他の仕事を割り当てられただけだったんだと。あるいいはできませんと申し出るほどの思い切りがなくても、なんか適当にごまかしたり、もうダメだと離脱したりする者もあったけど黙認されてたとのこと。でもそういう忌避を貫くのはしだいに少数派になっていく。

 虐殺は親衛隊だけの仕事だろうと漠然と思っていたのだが、抹殺するべき人数が多すぎて、親衛隊だけでは手が足りなかったとのこと。もう若くなくて最前線に送るには老兵に過ぎる世代を徴収して、占領地でのユダヤ人虐殺に充ててるんだけど、その世代はナチ以前のドイツも知ってる世代である。ナチ以前の世間知もあって、招集以前には職業にも就いてて、その職業もべつにナチの支持層でもなくて、そんな中年世代。

 なんだかなあ。ちょうど俺世代じゃないかと思う。俺は拒否できるかな。招集されて行った先で、実はずいぶん辛い仕事でこれから民間人を女子供含めて皆殺しにするんだが、それがどうにも嫌でダメだという人は申し出れば良いよと指揮官に言われる。指揮官自身もずいぶん辛そうにしている。そこで一歩踏み出して、俺抜けますと言えるかどうか。

 

1日休めば2日目が欲しくなる

月に1日でいいから休みたいとか思ってて、その休みが過ぎてサザエさん時間帯になると、ああ週休2日って憧れるよなあとか、思ってしまう。でもたぶん土日と休みがとれたら(ってのはうちの病院に勤めてる限りは土曜半ドンなんで無理なんだが)、こんどは毎週末に休みが欲しいなあとか思うんだろう。世間には働く日数が1日減ったら収入が1日分減って困るような立場の人もあるというのに。

でもまあ派遣の人に申し訳ないから土日も返上して働けってのは違うとも思う。

そこに僕らは居合わせた

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶

  迫害というのは、やりたくない行為を嫌々やらされるうちにだんだん抵抗がなくなるものだと思っていたが、どうやらそれは違うらしい。普段は良識に阻まれて実行しようとしないこと、実行を考えることさえ下劣な行為とはばかられるようなことが、欲望のままにできるようになることらしい。ユダヤ人の経営する商店で無理矢理につけで買って踏み倒すとか、連行されたユダヤ人一家の住居に上がり込んで略奪したりとか、連行される直前に一家が摂ろうとしていた昼食を子どもたちと揃って食べたりとか。気高さがみじんも感じられない。

 本書を読んで、ユダヤ人を迫害した記憶が語られないのは、民族差別に荷担したことを恥じる等といった形而上的な理由ばかりではなく、こういう、行為自体の具体的な下劣さ自体が、あまりに語るに落ちるからではないかとも思った。迫害とか差別とかを実行するってのは、自分の本性からかけ離れた行為を強制されることではないんだ。心の底ではやりたいと思ってることに対する歯止めが外されて、自分の本性をむき出しにされるってことなんだ。制約を外されていそいそと欲望に従う、そこで露わになる姿こそが本性なんだ。

 お前たちはユダヤ人が逮捕され連行されるのを黙ってみていただろうと糾弾されても、仕方がないじゃないか俺たちだって弱い一般市民だったし何ができたって言うんだと、反論もできよう。その反論には一定の説得力があると私は思う。でもそれなら、俺たちには見ているしかなかったという悔恨の念をもって、記憶を語ることもできるんだろう。しかし、お前達は逮捕されたユダヤ人の家に上がり込んで、食卓のまだ熱いシチューを自分の子供たちに喰わせて機嫌良くなるような奴らだと言われたら、言われた方は恥じ入るしかないし、そういうことをしたという記憶はとうてい語り得ないだろうと思う。救いようがないと私も思う。悪人正機といって法然親鸞が念仏を広めたのはこういう種類の悪を念頭に置いてのことかもしれんとも思う。

 著者の意図するところを汲んだ感想ではないだろうが。

 

息子の舞台はこれが最後らしくて

 特別支援学校の課外活動でやってる和太鼓の舞台が、卒業前なんで今日が最終らしい。山科まで舞台をのぞきに行ってみたら、ソロなんかとってて以外にやるなと思った。そういえば俺も高校の吹奏楽部では課題曲に2小節だけソロがあったな。親子で似たようなことをやってるんだなと思った。

 舞台は障碍児教育の流れじゃなくて、地域のいろんな演芸活動の合同発表会の一演目みたいな様子だった。落語で長屋の面々が長唄やったりする伝統の延長なんだろうかと思った。さすが都はいろいろと文化活動も盛んなんだな。

学校へ行く意味・休む意味

 不登校をめぐって、教育制度の変革や就学進学の率の変化など歴史的経過を主に論じている。いろんな歴史を知らないまっさらな頭の子供が不登校について考えるにはよい本だろうと思う。「なんだってこんなことになってしまったのか」系の本。「それでけっきょくどうなってるのか」の話はあまり書いてない。まあ、それはまだ本当のところ分からないんだからしかたない。

The Silver Sword

Oxford Bookworms Library 4 Silver Sword 3rd

Oxford Bookworms Library 4 Silver Sword 3rd

 じっくりYL3台でとどめて英語多読を重ねてそろそろ90万語ほどになる。だいぶ英語と意識せず文意が頭に流れ込んでくるようになった。

 本書は割と重い内容だった。第二次世界大戦中のワルシャワに住んでいた姉弟3人が、ドイツ軍に連行され生き別れになった両親と再会するべくスイスへ旅するというもの。彼らの両親がスイスで待っているかもしれないという情報をもたらした孤児とともに、4人で旅の苦労を重ねる。日々の食料の苦労はもちろん、姉弟の男の子は呼吸器疾患(たぶん結核)持ってて最後にはほとんど歩けなくなってるし。ポーランド難民は本国へ送還するのが連合軍の方針らしく、捕まらないようにしなければならないし。パスポートも査証もない子供たちがスイスに入国できるのかどうかもわからんし。

 もともと児童書なんだろうと思う。困難な状況なんだけど基本的にハッピーエンド。だけれども、旅程で農作業を手伝ってしばらく食わしてもらったドイツ人農家の老夫婦の、二人の息子が二人ともドイツ軍の兵士として戦死してたりする。双方の重い事情と和解。それでも老夫婦は子供たちの行程を手助けするし、役人も彼らがポーランド難民だと知ってるんだけど「いいか、ポーランド難民は本国に送還しなければならん。ついては明日の昼ごろ連行に来る。明日来るからな。明日だからな。逃げるんじゃないぞ。ぜったい逃げんじゃねえぞ」みたいに、要するに今夜のうちに逃げろと言外に言い置いて去ったりする。

 こういう、状況は苦境だけど基本的に世間は善意で動くから諦めるなという物語をたくさん聞かされて育った子供はタフに育つだろうなと思う。魔法で救われたり秘められた希少な才能が突然開花したりするような物語よりは、よほど。

今月唯一の休日

身内に不幸があって忌引きを頂いたりしたとはいえ、それでも身内の不幸に関して代行を手配しないと帰省できないような業務を休日に抱えていたりはしたわけで、今日明日は今月の週末において唯一、業務を抱えない土日である。土曜午前中の外来を済ませたら、そのまま月曜朝まで義務はない。

土曜午前の外来は11時が受付締切だけど、11時が受付締切の外来は10時50分に駆け込んでくる人があるのは当然のことで、そういう人に点滴をして2時間待ちで帰宅が2時になるのはまあご愛敬。帰ろうかと思っていたところにNICU当直医が新生児迎え搬送の依頼を受けたりして、迎え搬送の間の留守番を、既に帰宅済みの自宅待機番の医師を呼び寄せていてはそれだけ迎えが送れるので私が代行したりして、連れてこられた赤ちゃんの入院時処置に目鼻がつくまでは帰ろうに帰れなかったりして、ずるずると月1回の休暇が削られていく。

医者仕事とはそういうものかもしれない。そういうものだと納得しないような不心得者に医者の資格はないと、お叱りはあるかもしれない。まあ、そういうものだということにしておこう。And so on. そういうものだ。