自宅のケーブルテレビの機械に、TEDの番組がたくさん自動録画してあって、たまに見るんだが、なんとなく「これはもういいや」という気分がする。どことは言わないけど、なんとなく、もうこういう練り上げられたプレゼンの時代は過ぎたなという気がする。潮目はどのあたりだったのだろう。アップルのジョブズ氏が亡くなった頃だったのかな。
あそこに集まっている人ってふだん何してるんだろう。フィリップ・K・ディックの小説「パーキー・パットの日々」だったか「火星のタイムスリップ」だったかで、映画俳優とかいう肩書きで毎日毎日テレビのバラエティ番組に出演してて、とうてい本職の映画の撮影にあてる時間などなかろうと言われる人々が出てくる。似たようなもんかなと思う。
あるいは、やはりディックの複数の小説で、視聴者が参加するテレビ番組というのが出てくる。家庭に台本が配ってあって、セリフが視聴者の番になるとテレビ出演者が喋るのを止めてカメラの方を見たりする。視聴者は台本にあるセリフを読み上げる。出演者はあたかも視聴者のセリフを聞いたかのようにその後の番組を進める。むろん台本通りであるから話のつじつまはあう。傍からみてると馬鹿馬鹿しい。でもディックの小説世界ではテレビ視聴者はその台本による番組参加に夢中になっている。屋外は開発に行き詰まった火星とか、核戦争後とかで外出困難になった地球ってのもあったかな、何様、そんなもの以外にやることがない世界の話である。とは言いながら、テレビ見ながらツイッターやるのと、それほど違いはないような気もする。想定された台本通りのことをつぶやかないといけないってところなんかが。