訪問診療の日によく晴れると、それだけでこの世界も捨てたものではないという気分になれる。カート・ヴォネガットが言うように、天の誰かさんはこの世界を気に入ってもらいたがっているんだという気がする。こういう日々の幸せを幸せと思うことと、信仰とはわりと近いところにある概念なんじゃないかとも思う。
天気がよいので途中で自転車を止めて、休憩がてら先刻の診療のメモをつくる。病院に帰って思いだし思いだし書くよりもさっさとメモを作っておく方が、カルテ記載の効率もあがるので、これはけっしてさぼっているわけではないと強弁する。
NICUに閉じこもって新生児ばかり診ながらたまに病院と自宅のある町内を出るのは新生児搬送で救急車に乗っていくときばかりみたいな生活をしていた頃は、こういう世界のささやかな美しさにとんと意識が向かなかった。肉体は思考と魂の飛翔を妨げる制約因子程度にしか評価していなかった。それが何の弾みにか良い自転車を買い、それに乗って訪問診療をするようになった。訪問先の重症児たちはみな、障害の重い肉体がほんとうに魂を閉じ込める殻でしかないような子たちばかりなのだけれど、彼らを診る主治医の私のほうはかえって自転車を走らせる肉体の快楽とか、晴れた春の日の陽光と新緑の美しさとか、なんのかのと世界って美しいものだったと思い出した。何年ぶりのことか。
NICUに閉じこもっていればこそ、重症の子供たちについて、この重い障害を抱えてこれからの生涯をおくることの意義がどれほどあるのかとか、あのころは正直考えていたのだが、ただこの5月の京都の陽光が美しいものであること、それだけでもその意義とやらには十分ではないかとも今は思う。
訪問診療にかんしては、まずお前自身のために行けと、天の誰かさんの采配なのかもしれない。重い障害をかかえた3人の子供たちのためもむろんあるのだろうけど、まあそう鹿爪らしいことは言うだけ無粋だまずはお前のために行けと。あのとき何故に急に自転車を買うつもりになったのか、たしかどこかの自転車屋の店先でSCHWINNのマウンテンバイクをみてその美しさに後光がさして見えたのがきっかけだったのだけど(そのわりにGIANTのクロスバイクを買ったけども)、あの辺りから既に招かれていたことだったのかもしれない。
そのうえで長崎の海辺の廃村から京都へ出てきて、医者になって場末のNICUに来て、あれこれの苦労もあっての帰着地点が、現在の、3人の在宅医療の重症児たちの診療であったとしたら、まあそれはそれで御心というものだろう。といって別にこれまでのあれこれが今に至るための犠牲というわけでもなく、「神は歴史の終点におられるのではなく、歴史によりそって居られるのだ」ということなんだろうと思う。これは誰の言葉だったか。松田道雄先生が講演で紹介された言葉なのだが、出典を忘れてしまった。
私も何年か新生児医療を行っていましたが、今は病院から御産がなくなり重症児者診療を中心に神奈川の場末の病院で小児科医をやっています。新生児をやっていた頃から先生の記事のファンでした。撤退戦になるかもしれないのは、しんどいですが応援しています。
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