京都府立こども病院の不在について

「京都府立こども病院」が存在しないことについて、ときおり考える。

旧帝大医学部があるほどの土地で、小児専門病院が存在しないのは京都だけである。東京には国立成育医療センターや都立小児総合医療センターがあり、大阪には府立母子があり。べつに旧帝大医学部がなくとも兵庫県立こども病院や滋賀県立小児保健医療センターという病院も近県には存在する。友達の玩具をうらやましがる子供のような言い分だが、京都にはそのような病院がない。

京都では両大学とも病院の小児科病棟を拡充する方針である。しかしそれでこども病院の代替となるかというと疑問である。大学はあくまで教育機関であり研究機関である。小児内科各分野あるいは外科系各科小児部門、児童精神科あるは小児歯科障害児者歯科とまんべんなく小児臨床の各領域を揃えるというものではない。むしろ何らか最先端の医療をやろうと思えば、いま流行の「選択と集中」が求められてしかるべき組織であろう。行政と連携して小児保健衛生あるいは虐待対策などの一翼を担うという性質の組織でもない。法学部や教育学部が関与するなら別次元の実践もできるかもしれんが、現状では絵に描いた餅というにもその絵すらない。病棟看護だって完全看護にはほど遠かろう。

かつて新生児専門医の資格をとるための研修で大学NICUにしばらく通ったのだが、そのさいに2件、新生児患者を他県へ搬送した。1人は兵庫県立こども病院へ、もう1人は埼玉県立小児医療センターへだったが、両病院とも、受入を快諾してくださった管理職医師が、まさに異口同音に、「兵庫の(あるいは埼玉の)子供がお世話になりました」と仰った。新生児医療において各々著明な先生であるからお互い面識はあられるのだろうが、本件まさか申し合わせておられた訳ではなかろう。職責に関する認識が各々にその高い水準に至られたということだろう。先達のこの言葉に接しただけでも研修の意義があったと言うのは俺の個人的な事項としても、子供たちにとってみても、兵庫や埼玉の子供たちはこのような先生がいるというだけで幸せだろうし、この言葉を大言壮語にしないだけの充実した小児専門病院があるというのはなお幸せだろう。

果たして「京都の子供がお世話になりました」と他県に向かって礼を言う立場の小児科医がいまの京都にいるかどうか。俺自身が言うても礼儀には適うだろうが実力が伴わない。両大学の小児科教授だってそのための職位じゃない。行政はその立場は誰だと想定しているのだろうか。想定があればとうぜん、その医師のもとに体系的な診療力をもった小児病院組織を整備する政策があるはずなのだが。

それを考えるひまもなかったほど、歴史の浅い土地だったろうか。ここは。

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