草食系男子という概念には自然科学的な妥当性があるんだろうか

草食系男子なる概念について書かれた書籍を読んで、妻と娘が、これってお父さんのことだよねと言って笑っていた。
私の個人的評価に関しては局所的な話だからまあどうでもいいとして、いったいこの草食系男子なる比喩表現を用いた人々の中に、草食獣というのがどれほど獰猛で扱いにくいものかご存じな人っているんだろうかと思った。草原でおとなしく草を喰ってる従順で無害なやつらと思っておられるのなら、かなり科学的事実とは異なるんじゃないかと思うのだが。どうだろうか。
なにさま、世界にいま飼われている家畜には、みごとに、アフリカ原産ってのが居ないでしょうよ、と、娘相手にジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の受け売りをしてみる。どうやっても飼い慣らせなかったってことなんだからね、と。父親をどう思うかに関しては、まあそれなりに相手してくれてればいいと思ってるけど、自然科学的な観測にもとづかない空想上の比喩を使うような言説のありかたを見習ってもらっては、いちおう理系のつもりの父としては心外なのだ。

朝青龍引退

かねてよりファンの末席に連なってきた者として、朝青龍の引退は衝撃であった。力士の力はただ事ではないから、力士ではない者への暴力沙汰というのはいかにも致命的で、さすがに引退は仕方ないかなとは思う。ただその事実関係の経緯については詳細不明にて何とも。かの第60代横綱双羽黒の引退の騒ぎも、今にして振り返れば双羽黒側にずいぶん不当な経緯だったと聞くし。
けっきょく本人も師匠も周囲も彼の強さを扱いかねていたんだろうと思う。人智を超えて神から授かったとしか思えないような理不尽な強さであった。ただ強いと言うだけで横綱になった、たいへんシンプルな横綱であったと思う。今後も、史上最強の横綱は誰という話題になったら、かならず彼の名前が挙がると思う。
そのシンプルさ故に私は朝青龍が好きだった。弱いんだけど頑張ってますみたいな判官贔屓の必要な強さではなく、本当に彼は強かった。白鵬もかわいそうに、これからいくら頑張っても、ここに朝青龍が居ればという呪詛から逃れることはできない。居ない人は倒せない。
ただその強さを誰も(本人すら)コントロール下に置けなかった。それをコントロールしようと口喧しかった人の職業が脚本家だったというのもなにか象徴的な話だったと思う。彼女は自分の脚本みたいに彼を操りたかったんだと思う。ただ彼女には気の毒だが、彼女が脚本を書いたドラマに、朝青龍が活躍した大相撲ほどにおもしろい作品をひとつも思い出せない。たぶん彼女はその作品に寄らず、朝青龍の天敵として、後世の記憶に残るんだろうと思う。
それをコントロールしようとして、土俵での仕草がどうだとか左利きなのがどうだとかいったあれこれの、およそ大人が大人に対して言うこととは思えないハラスメント的なご指導が幾たびもなされた。それは朝青龍が他の意見に耳を貸さないことに言い訳するネタを与える以上の意義を持たなかった。逆に、彼が再々に渡って稽古場でライバルを負傷させてきたとする醜聞に誰か何か言ったか?と問いたい。何か言うならそこに言えよと思う。それを指導できない相撲界には指導できないだけの事情があるんだろうけれど。いったい大相撲の歴史を振り返って、朝青龍に石を投げて追放できるほど美しいありかたであったか?
なにさま、神が与える力士の強さすらコントロールのもとに置きたがる性根が、ひどく嫌らしいものに思える。人智を超えたものにたいする畏敬の念のなさ。まさにそれを象徴したのが、朝青龍の優勝をまぐれと断じた、かの女性脚本家の態度であった。自分に理解可能な範囲を超えたことを矮小化して片付けようとする態度。いったい国技に対する敬意があるのかと彼女にこそ問うてみたかった。
一頃盛んであった医療バッシングにも通じるものを感じて、朝青龍の攻撃され方には他人事ではないものを感じる。死こそまさにコントロール下に置けないものの代表なのだと思うが、それすらを尊厳死とか何とか言ってコントロールしようとし、予期しない死には医師の訴追を持って報いる、その同じ考え方が朝青龍の強さを許容しなかったのだと思う。
がんばれ朝青龍

駅伝と自転車ロードレース

新春なので病棟では入院患者さん達が駅伝を観ている。
駅伝は残酷なスポーツだと思う。またその残酷さがいかにも日本的なスポーツだと思う。チームの命運を一人に背負わせて走らせるのに、周囲がするのは声援ばかり。実のある援助がないので、選手は孤軍奮闘を強いられる。一人が下手をうつとチームごとリタイヤすることになるから冒険的な戦略も取れない。堅実に、まじめに、耐えて走ることが美徳とされる。失速した選手は落伍者扱いである。彼らのことを語る報道の上から目線ぶりは観ていて痛い。痛くてこの数年ほど駅伝はまともに観られない。
昔はスポーツって一般にそんなものなんだろうとしか思わなかったが(だから体育会系って付き合ってられないんだよねとも思っていたが)、自転車のロードレースを見始めると、こんな考え方をする種目もあったのかと瞠目した。ロードレースではチームが一体となってエースを勝たせようと協力する。エースの前を走って風よけになり、飲み物や食べ物を運び、寒いときの上着を運び、万が一にも接触事故などでエースがこけないように周囲をかためて保護し、云々。チームの命運のかかったエースならみんなで勝たせようじゃないかと、合理的かつプラグマチックなチームプレーが行われる。
まあ昨年のツールでのアスタナみたいな例外はあるかもしれんが、一般的にはそういうものだ。
たとえばレースの序盤でエースの風よけのために前を走り続けて体力を使い果たした選手が後にリタイアしても、それは単に彼が自分の責任をはたしたということにすぎず、彼が未熟だとかいう話にはならない。彼がアシストしたエースが最終的に勝利すれば、その栄誉はアシストした選手にも共有される。リタイアしたからと言って彼に後ろ指をさそうという発想は観るがわにもない。
であればこそ、戦略として序盤にあえて先走って「逃げ集団」を形成するという戦略も取り得る。実力を考えればゴールまでのどこかでメイン集団に追いつかれ追い抜かれることは確実な、いっけん無謀な独走であっても、彼がそうして独走することでチームの戦略にも寄与することができる(らしい。いまひとつ、逃げがチームに具体的にどう寄与するのか私にはピンと来ないのですみません)。少なくとも逃げ集団はテレビ中継によく映るのでスポンサーは大喜びするし、逃げた彼らが最終的にメイン集団に追い抜かれ、力尽き果ててリタイアしたところで、チームが負けることにはならない。
そういう駅伝と自転車ロードレースの精神風土の違いが、そのまま、彼我の風土の違いにもなっているような気がする。先走りも異端も許されず、かといって実質的な応援もあるわけではない孤軍奮闘を強いられ、失速やリタイアはそのまま周辺を巻き込んでの破滅となり二度と浮かび上がれない日本。向こうではどうなのか日本を出たことがない私にはよく分からないけれど、日本で駅伝が精神性の塊みたいに称揚されるのと同じようなありかたで、自転車ロードレースの精神が社会の精神のあり方を象徴しているのだとしたら、向こうでは才覚ある個人の独走をあたたかく見守る雰囲気があるんだろうと思う。その独走が最終的に潰えても、次のレースではまた走ることが許されるんだろうと思う。エース級の人の奮闘にはチームが惜しみなくアシストする雰囲気があるんだろうし、アシストの人たちも自己の犠牲をそれほど自己憐憫することはないんだろうと思う。そうしてアシストされて勝つエースもいたずらに高ぶったり卑下したりすることなく、シンプルに勝利を喜びアシストに感謝するんだろうと思う。行ったこともない社会を理想化しすぎだろうか。
さいきん日本の男子マラソンが世界の水準に追いついていかないのは駅伝という競技が悪いんだとは聞いたことがある。どんどんスピード重視になっていく世界の潮流のなかでは、確実さを極端に重視する駅伝の選手育成方法では世界で勝てる選手は育たないんだそうだ。それは陸上競技に限ったことか?と問うてみたい気はする。

あらかじめ「ゆとり」と呼ばれる人々

当直明けに例によって当直室で昼飯を食べていたら、テレビで新卒大学生の就職難について語っていた。ちょうど「ゆとり教育」で育った人たちが新卒大学生として社会に出ようとしている、まさにそのときに就職難が重なってしまったとのこと。
就職難も外在的な要因ばかりではなく、ゆとり教育世代ゆえの内在的な原因もあるとの教育評論家のコメントもあった。いわく、彼らは自分がどうしたらいいか分からないんじゃないかと。これまで大人の意向に逆らわずに生きてきた故にと。
この新卒の人たちも気の毒だと思う。社会に出ようとしたその時点で既に、彼らは「ゆとり教育世代」として語られている。本人の具体的な能力や意思以前に、「ゆとり」というラベルで世代ごと一括されてしまっている模様。スタート時点で自分の責任ではないビハインドを負わされている。なんだかこれは新たな差別なんじゃないかとさえ思う。しかも彼らのゆとり教育と併行して行われた経済政策の結果がいまの不況と財政難だ。
就職難の対策は景気回復とワンセットだろうし、いまの状況で十分な対策が可能だとはなかなか思えないけれど、でもその言い訳に「彼らはゆとりだから」と言われそうに思える。就職難は社会的にも憂慮するべき事態だとは分かってますけど、それ以前にこの世代は使えないから雇わないんです、云々。たとえそのような偏見をはねのけて就職できたとしても、古来から新人は失敗を重ねて成長するものなのに、その失敗すらも「ゆとり」故のこととされて、指導不十分なまま早々に諦められるんじゃないかと思う。その結果、見放されて挫折から回復できないまま早々に職を離れる若者が多発するんじゃないかと危惧する。それもまた「また我慢のきかない根性無しのゆとりが逃げ出しやがる」「仕事はそういうものではない」「不毛な自分探しをしおって」云々と語られるんだろうと思う。
そんな正義感に満ちあふれたことを書く私も、テレビの特集に出ていた若者の顔を見てると、なんだかこいつら使えそうにないなという印象を受けてしまって、あまり偏見から自由ではないなとの自覚はある。今はまだ医学部生であろうゆとり教育世代の皆様には、新生児科ではそういうことは言わず丁寧に指導するからぜひ新生児科に来てくださいね。と多少棒読み気味に付け加えて本稿はおしまい。

東京オリンピックが無くなって

東京でのオリンピック開催がなくなったとのこと。
石原都知事に言わせれば、プレゼンでは勝ってたのにと、ウラでなにか不当な権謀術数が渦巻いたかのような口ぶりであったが、プレゼンがそこまで大事だなんて誰が彼に吹き込んだものやら。そういうことを言って都の予算から多額の宣伝工作費を巻き上げていったプレゼン屋さんたちだろうか。
ものごとには、プレゼンみたいな方法論を越えた、大義ってものが要るんじゃないかと思う。南米大陸に初の五輪をと言われたら、そうだよね日本で2回目っつうよりも南米で初のほうが開催しがいがあるよねと、日本でも肯く人が多いんじゃないかと思う。それは大義とも言えるレベルの説得力だと思う。プレゼンの芸だけでひっくり返そうってのはきつい。たぶん、裕次郎の兄ですって言っても、説得力の上乗せにはならない。
まして、これまでさんざん排斥的な言辞を繰り返してきた彼が、いまさら国外からの好意を得ようったって、それはさらにきつい話だと思う。けっきょくこれまでの彼の言動は大規模な内輪受けの連続だったので、今回はじめて彼は内輪の外に出たってことだろう。あの年で引退前になって「みのほど」を知らされることになるってのも辛いもんだろうけどね。

究極召喚内閣

こんどの政権交代をいろいろな人がいろいろに言っているようだが、私には「究極召喚内閣」(@FFX)と評したら腑に落ちる感がある。よのなかを救うためには政権交代だか究極召喚だかしか無いとみんなで信じて、じっさいにそれを使って旧来の害悪たる「シン」を倒してみて、いくばくかのナギ節は訪れたけれど、そのうちに使った究極召喚にエボンジュが乗り移って新たなシンとして復活してしまう。
いまはナギ節。あくまでも。永遠に続くかどうかはわからない。
・・・とか書いて投稿して、おもむろに「究極召喚」で過去の記事を検索したらこのネタ一回使ってた。陳腐さは世間も私も変わりないようだ。

コンタドール君の行く末が心配

NHK-BSでツール・ド・フランスの特集番組があった。サイクルロードレースのルールや基本的な戦術に関して、簡潔ながら的を射た解説がなされていた。リアルタイムで観戦していたときには腑に落ちなかったことも、なるほどそういうことだったのかと納得できて、見応えのある番組だった。
番組の大きな柱として、アスタナのアルベルト・コンタドールとランス・アームストロングの確執が取り上げられていた。当初はチーム内で疎外されていたコンタドールが、山岳ステージで実力を発揮しチームの尊敬を勝ち得て、ツール後半ではチーム唯一のエースとしてじゅうぶんなアシスト陣の協力を得つつ2度目の総合優勝を手にした、というストーリーであった。
実情をそれほど大きく外れてはいないストーリーだと私も思う。ただこの語りかただと暗にランスが卑怯な悪者とほのめかされているようで、釈然としない。ランスも当初は自分が総合優勝する気でツールに挑んだのだろう。でもそれはコンタドールの足を引っ張って引きずり下ろそうというような下世話なお話ではなく、シンプルに自分のほうがコンタドールよりも走れると思っていたのだろうし、そのほうがアスタナというチームにとっても良い成績につながると心底思っていたのだろう。ランスにとって自分よりも走れる存在があるということ自体がそもそも想像しにくかったというバイアスも、まあ、あるんだろうけれど。
加えて、緒戦のコンタドールは、ランスの目から見れば、自分がアシストするべきエースというにはどうにも頼りなかったのではないだろうか。あるいはアスタナの他の選手達にとっても。エースというのは、こういう過酷なレースであればなおのこと、チーム上層部がこいつがエースだと言ったからエースになれるというものではなく、チームのみんなの心のそこからの納得を得てはじめてエースになるのだと思う。
番組では、問題がが顕在化したのは第3ステージだったと伝えている。マルセイユを出発して地中海沿岸を走るコースの終わり近く、最強のスプリンターMark “EXPRESS” Cavendishを擁するチーム・コロンビア・ハイロードが強力な横風のなか速度をどんどん上げた結果、選手の集団がおおきく分断された。ランスはその状況に素早く対応し、大きく遅れる前に先頭集団に追いついた。その時点の総合1位でマイヨ・ジョーヌを着ていたカンチェラーラもしかり。またアスタナのアシスト達も(まあ他チームならエースクラスの実力者揃いなんだけど)遅れることはなかった。ただコンタドールだけが、後方集団にひとり取り残された。アスタナの選手達は、ランスも他の選手も誰一人として、コンタドールを前方に引っ張り上げるアシスト仕事をしようとしなかった。
サイクルロードレースでは、同一集団でゴールした選手は同一タイムとして扱われる。錯綜するゴール前での無用な争いと事故を防ぐためのルールである。同一集団でゴールすれば総合成績は変動しないから、追突や落車の危険を冒してまでライバルの前に出る必要はない。逆に、総合優勝を狙うならその時点での総合1位の選手と同一集団でゴールすることが絶対条件である。21ステージ3500kmを走り抜いてさえ秒単位の差しかつかないような勝負では、たった1ステージでも総合一位からタイム差を広げられるような失態を演じては致命傷となりかねない。
第3ステージでコンタドールがやらかしたのはそのような失態だった。モナコから3日目、まだ勝負が始まったばかりのこの時点でマイヨ・ジョーヌに置いて行かれるか?その時点までなら、アスタナの選手達もまだどちらをエースとして遇するか迷っていたかもしれない。しかしあの横風の中で、アスタナの選手達にはコンタドールに対する失望が広がったのではなかろうか。こいつはアホかと。当然ついてくるものとばかり思っていたら何をしとるんだと。こんな迂闊な奴がマイヨ・ジョーヌ獲れるのかと。アシスト達とはいえツールに出るような選手である。しかも他チームならいざ知らずアスタナのアシストである。彼らに、このアホは俺らの自己犠牲に値するのかという自問自答をさせてしまったのなら、その時点でエース失格である。
むろん、そんなアホでもそいつしかいなければ、アシスト達も後退してコンタドールを取り囲み、護送するかのようにメイン集団まで引っ張り上げていただろう。やれやれとため息をつきながらでも。しかしランスがいる。年齢的限界にさしかかりつつも、かつてツール7連覇の実績のある人だ。今回もきっちり状況を読み切って、勝とうとする選手ならぜったい居なければいけない場所にきちんと居る。やっぱりこの人だよなと、アシストはみんな思っただろう。
あるいは、そこまで厳しく見放してはいなかったのかもしれない。ああもう焦れったい若造だなと呆れ顔くらいで済んでいたかもしれない。そこで反省しておれ、ゴール後のミーティングでこってりお灸を据えてやるからと、年長のアシスト達には暗黙の了解ができあがったのかもしれない。色々と叱るポイントはある。メイン集団を風よけにボサーッと後方を走ってなかったか?その先でコースが直角に曲がってるって分かってたか?曲がった後はこの向かい風が横風になると予想してたか?云々。他にもある。貴様ジロの第3ステージの顛末を観てたか?Cavendishが集団落車に巻き込まれて取り残されペタッキに負けたろ?ちょうど今日のお前さんと同じ負け方だったろ?とか。
コンタドール君にしてみれば、本来のエースである自分をアシストせずみんなで先に行ってしまったのは不当だと思うのが自然である。ランスが横やりを入れてくるからチームがおかしくなってしまったのだと思うことだろう。それは自然だと思う。そして、エースの座が危うくなったのは自らの未熟さが招いた自業自得という側面もあるということは認めたがらないだろう。それも自然だと思う。ただここで自然というのはそれが正しいというのではなく、未熟者の行動としては自然だという事だ。コンタドール君が、チームの方針として俺がエースということに決まってるんだから他の面々はランスも含めて俺のアシストをするのが当然だと思ってしまう程度の未熟者だとしたら、そうやって他責的になるのが自然なことだ。
コンタドールは今期限りでアスタナを去る。来年からヴィノクロフとかいうドーピング野郎がエース気取りで復帰してくるので、アスタナの今の主力選手はほとんどが今期で去る。名監督ブリュイネール氏もランスの新チームに移る。コンタドール君も、アスタナに残る意義も義理も全くない。来年からどこで走るのかは未定らしいが、しかし彼が移籍先のアシストたちの信頼を得られるかどうか、どうにも心許ないような気がする。サストレールとかあだ名されたりしなければいいんだけれど。
ランスもそういうことを言ってるんじゃないかなと思う。彼のツイッターから。

Seeing these comments from AC. If I were him I’d drop this drivel and start thanking his team. w/o them, he doesn’t win.

hey pistolero, there is no “i” in “team”. what did i say in March? Lots to learn. Restated.