小児科発熱外来

当院では2020年の新型コロナウイルス流行当初の5月より、病院の喫茶室を改装して小児発熱外来を成人発熱外来とは別に設置した。当初は検査対象者もとくに方針を定めていなかったが、同年11月からは初診患者全員にPCRを行うこととした。設置後2年が経過した。早いものだと思う。

喫茶室は病院1階にあり、病院前のロータリーに張り出すかたちの設計になっていた。診察後にコーヒーでも飲みながらロータリーを見ていて、迎えの自家用車なりタクシーなりが回ってきたら出るという発想での行動に便利な設計である。感染防止のため会食制限となっては、病院の喫茶室は真っ先に営業を中止するべきと考えられた。ガラスのはめ込みであった外壁を引き戸に改装して外からの出入り口とし、病院外来ロビーからの入り口をふさぐことで、発熱外来への改装はわりと簡単だった。費用に補助金をいただいたこともあり。内部は最適なレイアウトが判明するまでと思って、人の目線ほどまでの高さの衝立でおおまかに仕切っていたが、換気が大事とわかってきてみると今さら衝立を廃して仕切り壁を設置する気もしなくなった。

外に面した窓に換気扇を3個設置し、診察室の卓上では二酸化炭素濃度を常時モニターしている。おおむね400ppm台である。空気の取り入れ口は出入り口からとなるので、常にすこし開けさせている。出入り口付近に立つと風が吹いているのがわかる。二酸化炭素濃度が600ppmを超えたときはだいたい出入り口が閉まっている。開けるとすっと下がる。

内部には診察ブースを2診、個別の待合スペースを衝立で仕切って7ブースほど(臨時に増やすこともある)、処置スペース。出入り口前にテント待合。たいていの小児科診療所よりは広いのではないかと思う。診察ブース脇の衝立はフィルターと換気扇内蔵で、診察中の子の周囲の空気を吸い上げてフィルターを通して天井方向へ排気している。その排気は窓の換気扇が外へ出す。

診察にあたる医師や看護師はむろん全身防護衣、いわゆるfull PPEである。かつての喫茶室スタッフ出入り口から入り、休止中のパン焼き窯のわきで防護衣他を装着する。手袋は患児ごとに換える。

2年間診てきても(とはいえ実際に小児の陽性者が増えたのは2022年に入ってからだが)、小児では症状所見からCOVID-19とそれ以外の感染症の患者を臨床的に見分けるには至っていない。強いて言えば病歴で、周囲にCOVID-19患者が存在すれば患児自身も陽性となる可能性が高いように思うが、それとて「周囲に風邪は流行っているが誰も検査されておらずコロナとも言われていない」子には応用しようのない問診事項である。どうしようもないので発熱はもちろん、咳嗽や鼻汁、嘔気下痢など、感染症の症状ある受診者はすべて発熱外来に案内している。明らかに周囲に陽性者のいる患児は自家用車中など別途で待ってもらう。

PCRは院内に2台保有しているが、小規模なので受診者全員分はできない。受診受付の早い子から院内PCRを行い、院内分がまんたんになったら検体を保健所へ送る。院内でやれば午後には結果が出るので電話連絡する。保健所に送ればだいたい翌日判明で、保健所が結果連絡までやってくれるが、この場合も我々から発生届を提出しなければならないのはいささか「お役所仕事」だなとは思う。むこうも忙しいのだろうしその方が手間が良いのならこちらで代行することも悪くないと思って協力している。

抗原定量検査「ルミパルス」という機器も院内にはあって、これを使えば小一時間(検査時間は正味30分)で結果が出るのだが、感度80%では5人に1人を見落とすことになるし、低い測定値での陽性のときにPCRで再検すると陰性という、いわゆる偽陽性例も散見されるので、小児科の診療部長である私の一存で小児は原則RT-PCRとさせている。ID-NOWという正味13分の機器もあるが、これも感度はルミパルスを超えないらしい。

小児科で専用の発熱外来施設を持っている病院の話は当院以外には聞かない。わりと贅沢なコロナ診療をさせてもらっていると思う。しかし一番贅沢になったのは非感染症の患児の診療であろう。従来の小児科受診者の大多数を占める感染症症状の患者がそっくり発熱外来に異動したかたちになったので、便秘や夜尿、長く続くなんとはなしの体調不良、起立性調節障害、不登校、このような子らの話を平日午前中の外来で時間をかけて聞けるようになった。コロナ禍の意外な余禄であった。

コロナ禍が「終わった」としてもこの感染症と非感染症を分ける外来運営は続けていきたいという希望がある。コロナによって当院の小児科外来がいちだん向上した感がある。またぞろ発熱や咳嗽で不機嫌な児でごった返す外来に戻り、何となく行動に違和感のある児と他にもなにか言いたそうなその親御さんを早々に退出して貰わないと診療が「回らない」という日々は、過去のものと思い返せばいかにも片手落ちで、あれに戻るのは気が進まない。

撤退戦

 超低出生体重児の入院数が少ないまま年をこした。新年度からは医師数が減ることになった。今後の自分の仕事は撤退戦の指揮ということなんだろうな。

 総病床数が200にも満たない小さな私立病院が、当地ではまったく手つかずだったNICU医療を手がけて、医療的には多くの赤ちゃんをお世話できたし、商売的にはまったく手つかずの市場に一番乗りで濡れ手に粟の収益があがった。たしかこういう状況をブルーオーシャンと呼ぶのだよね。

 しかしその後、「なんだああやればいいんだ」とばかりに大規模病院がつぎつぎNICUに参入してきた。当地に一個もなかったNICU認可病床が、今では厚生労働省の目標とする出生1000あたり3床を上回るほどまで充足された。となると、どうしても、小児外科も心臓血管外科もいつだって緊急手術できます的な、うちでは病院の総合的な体力としてとうてい追いつけない大施設に、主流を奪われる形となった*1

 「お医者様」水準の世間智しか備えない身で、他の業種の商売にはむろん疎いから根拠のない想像だけでこれから先を語るが、おそらく私らがここまでやってきたことはたぶん「ベンチャービジネス」だったのだろうと思う。であれば、他の大規模施設が台頭してきた時点で部門ごと売却して病院には投資した資本の回収を、俺ら職員は新たな雇用先をというのが、いわゆるベンチャービジネスの王道だったのだろうと思う。我々の業界でそのような部門のリストラが可能なのかどうかはよくわからんが。

 主流ではなくても地域周産期母子医療センターとして、地道な周産期医療を着実に継続するというのが次善の策ではあった。しかし少子化の進行が予想よりも早かった。不妊治療における多胎妊娠の抑制や新生児蘇生法の普及など、産科医療の進歩も手伝って、極低出生体重児も新生児仮死も入院症例ががくっと減った。これは世間的には大変に良いことだ。しかし他人様のトラブルをメシの種にする不浄な職業としては、メシのタネが減るというのは、喜ぶにしても手放しではいけない。何らかの対策が必要となる。

 えげつない言い方で多くの読者諸賢にはご飯が不味くなるかもしれず恐縮ながら、もはやうちの施設にとって新生児医療はブルーオーシャンではない。他分野以上に人件費を喰う(3対1看護ですよ。小児科医24時間専従ですよ。)部門ブルーオーシャンではなくなったときに、それでも今まで通りにNICU医療を看板に押し通していくのが良いことなのかどうか。儲からなくなったらベンチャービジネスなんてやってる場合じゃないのではないか。本業の、小児科一般の地域医療の需要にきちんと応えているかどうか足下をしっかり見なおす時機ではないか*2。小児科地域医療の一部門としての周産期新生児医療はなくてはならない部門だが、そこに傾注するあまり他の分野が手薄になってはいないか。新生児専門医以外の面々が傍流に居るような気分を味わってはいないか。そのあたりを見なおす時機なのだろうと思う。

 その当たりを見なおして、ブルーオーシャンを見限って地道な方針に立ち返った場合、傍目には先代が立ち上げたNICUを寂れさせた凡庸な後継者っていうふうに見えるんだろうとも思う。まあ悪名は覚悟しておかんといかん。

 

*1:私自身はうちのNICUの創生期の数年を、先代部長と2人でつくった若手の医師が他施設に去るときに(それは長年のご希望の最先端施設への転勤だったから栄転である)その替わりとして赴任してきて、そのうちに部長職も引き継いで、絶頂期からだんだん日が陰る様子をここまで見てきた。まあ個人的には、「売り家と唐様で書く三代目」じゃなかろうかとの批判は甘受せざるを得ないとは思っている。

*2:あえて時機と書く。

てぎわのよい看護師

 午前中の外来で点滴をしたおり、介助の看護師の手際がよかったので感心した。自分が何をするべきかの手順をきちんと記憶している人の動きだった。テープ固定していくスピードも速いし、端がめくれるような不調法もない*1。小児科では、具体的な流儀はいろいろあるにせよ、「怒った子供に引き抜かれないうちに固定し終わる」固定法こそ良い固定法である。今日の処置はたいへんよかった。

 さいきん配属された看護師だが、前任地はさぞかし良い施設だったのだろう。うちの施設は終身雇用がデフォルトになるほどの大施設ではないが、辞めて移った先でなるほどさすがあの小児科から来た人だと感心して貰えるようにはしなければならんなと思った。

 

*1:端がめくれると見た目も雑だし、手持ちぶさたに子供がそこをつまんでテープを剥がそうとする

水痘ワクチンの定期接種化に際して、するべき事と、してはいけないこと

水痘も定期接種となることが決まった。着実に進歩している。

日本小児科学会の推奨では1才のうちに2回接種することになる。肺炎球菌やHibの導入で0才児のスケジュールがかなり忙しくなったのだが、今度は1才児のスケジュールが密になる。個別接種での日程立案はかなり面倒なことだと予測する。今後はおたふくかぜの予防接種もあることだろうし*1

接種率を上げるためには、この面倒くささと闘わなければならない。反予防接種派の皆さんを論破することは二の次である。我々小児科医は、世の中の人は予防接種推進派と反予防接種派にくっきり別れているものと思い込みがちなんだけど*2、実際のところ、世の中の大多数の人たちにとっては、予防接種はけっして第一の関心事ではない。予防接種に子供を連れてこない人たちの多くは、予防接種の利点と欠点を熟慮の上で接種しないことを選択したわけではない。すっかり失念していたか、たまに思い出しはしていたけれどよく分からないんで先送りすることにして頭から追い出していたかというところだ。

だから我々が外来で保護者と語るとき、水痘の予防接種をしていないと判明しても、責め立てたり論破したり喧嘩したりしてはいけないんだ。人間、自分の行動に特に理由がなかったと認めるのはストレスなものだし、予防接種していませんねと指摘されればなぜしていないかを語り出すんだろう。といってそうそう独自の理論を生み出せるわけもなし、どこかで聞いた反予防接種の理屈を持ち出してくることになる。そうしてうろ覚えの反予防接種論を語るうち、単純に忘れていただけの予防接種抜けが、その場で自己生成的に、「予防接種をしない選択」に変容してしまうんだ。誰かに何かを説得したいとき、いちばん有効な手だては、相手自身の口でその何かを語らせることなんだから。

我々が行うべきことは、淡々と予防接種の日程をたて、予約を入れることにつきる。我々の目標はあくまでも子どもたちの健康であり、その実現のための水痘の流行阻止だ。アポロ宇宙船は実は月に行っていないんだという主張をする人たちを論破したところで、宇宙開発が進展するわけじゃないんだ。

*1:ちなみにB型肝炎はDPTPの4種混合にHibとともに統合されることになるだろう。

*2:たぶん眼科医は世の中の人は眼鏡派とコンタクトレンズ派とレーシック派にくっきり分かれているものと思っている。

正規雇用じゃなくて派遣を雇うのはほんとうにお得なんだろうかと思ったこと

負荷試験やるんで早出して、9時からは外来。

私の診察ブースの隣が準備ブースになってて、予診票の受け渡しやら、体温や体重やといった基本的データの入力やら行っているのだけれども、今日はそこに詰める事務員さんがまったく初心者で、看護師があれやこれやと指導する声が漏れ聞こえていた。

外来を進めつつ、漏れ聞こえる声を聞きつつ、こうやって事務員さんを派遣でまかなおうってのは、病院として、ひょっとして損をしているんではないかと思った。

なにさま、こうやって指導を続けることで、配置された事務員さんに加え、看護師さんも指導でそうとう手が取られていた。二人分の人件費が空転したように思える。

それで今後何とかなるんだか、よく分からない。小児科外来の業務は多彩だ。とりあえず次の山は週末の予防接種外来か。数十人を間違いなく切り回さなければならない。

でも事務員さんは、色々苦労して仕事を覚えて、ようやっと円滑に進められるようになったあたりで、交替になる。どういう事情でそういうことになってるんだかよく分からない。私がよく理解できない方面での利害関係か何かで、派遣でおいでの事務員さんが小児科外来の業務に熟達しては困る事情があるんだろう。

でも、小児科外来で最初に患者さんの対応をする事務員が、あんまり素人くさい愚鈍な対応をしては、病院の得にはならないような気がする。むしろ損だろう。切り詰めることができた人件費で補って足りるほどの小さな損失なのか、私には分からない。

うちの小児科もけっこう良いチームじゃないかと思う

 仕事じまいの日からNICUの入院が立て込み、そこへ恒例の年末年始小児救急の繁忙が重なって、結局年内は休み無く出勤している。

 仕事じまいの日に早産双胎の帝王切開を二つ連続でやると産科から言われたときには頭が真っ白になった。NICUのベテランに、おい予定のに加えてもう一組双胎だって言ってるよと言ったら、全く動じず「分かりました」と承知して、点滴の準備は何、人工呼吸器は何を何台どの設定でと確認のあと、2件の帝王切開立ち会いに参加する看護師までできぱき手配された。まったくうちのNICUは部長の私が小心者で頼りない分を看護師の度胸で補っているのだなあと思った。

 双胎の早産児(極低出生体重児内外)2件の帝王切開、つまり計4人入院のどたばたを、小児科のほぼ全員が居残って加勢してくれた。明けて年末休業期間の救急も、外来担当の一人だけではなく、ボランティア(いや、もちろん時間外手当は出しますよ)で加勢がついて、けっきょく午前中の患者さんの多い時間帯を3診で乗り切っていた。翌日も、今日もまた。

 けっこう良いチームなんだよなと思った。医者も看護師も。

 そしてまた、午前中に患者さんがごった返すと言うことは、どうせ休業中なんだし何時でも良いだろと横着に構えず、きちっと午前中の時間帯においでになっていると言うことなので、この付近の子供たちや親御さんまで含めて、当院小児科はよいチームなのだと思う。

 感謝しつつ、もうすぐ本年の私の仕事が終わる。皆様良いお年を。

予防接種後進国であることに関して・・・いったい何だってこんなことになってしまったんだというお話

最近、ワクチンに関して本邦は世界に名だたる後進国であることが、世間にも認知されつつある。原子力業界において「それでもチェルノブイリよりはマシ」というのが最後の心の支えであったのと同様、「それでも北朝鮮よりはマシ」というのが、我々の業界内での心の支えであった。後には北朝鮮しかいない、どん尻から2番目の順位ですよというのをあおり文句にしてワクチンを推進している感さえある。

そういう政治的にナイーブなことをやってると後でツケを払うことになるよと思うのだが、そもそもいったい何だってこんなことになってしまったんだろうということをときどき考えてみる。あのころ、麻疹のワクチンすらまともに接種されていなかった頃、俺たちは何を考えていたんだろう。あるいは、保護者の皆様はどうお考えだったんだろう。

保護者の皆様のお考えはこんなふうだったよなと、自分の記憶にかなりぴったり来る文章を見つけたので、以下に参照させていただく。この文章を書かれた方に対する悪意とか攻撃的意思はないことを、まず宣言する。不愉快な思いはなさるかもしれないが、市会議員という公的に重大な責任を負ったお立場で発せられたご意見であって、市井のご婦人の懐古談ではないわけだから、多少の反論はご寛恕賜りたいと思う。

ヒブワクチンと小に肺炎球菌ワクチンの接種、見合わせに: 片山いく子のブログ

私は予防接種を受けさせるかどうかについては、
1 感染率が高いかどうか
2 感染した場合に、重症化する可能性がどのくらい高いかどうか
 を考えて、必要最小限のものだけに限定してきました。

まさにこれこそが、あの頃の賢いお母さんの態度であったと、私は記憶している。

惜しむらくは、災難が我が身に降りかかる可能性をつい低く見積もってしまう人間の心理の常で(福島に大津波が来る可能性をどれだけまじめに考えてた?)、感染率や重症化の可能性については過小評価されがちだった。

麻疹が死ぬ病気であると、当時どれほどの人が考えていたか。「はしかのようなもの」という比喩は、致命的な状況に対する表現であったか。水痘にしても、健常な免疫力のある子には死亡の可能性は低いが、大人は死ぬ可能性がある。免疫不全の子には致命的である。

過小評価は親御さんを責める資格は我々業界筋にはない。化膿性髄膜炎におびえながら、しかし肺炎球菌ワクチンやHibワクチンの効果について海外での実績を聞き及びながら、それでも今日の自分の外来に化膿性髄膜炎の子がくるかもしれないってことをマジメに考えていただろうか。まじめに考えていたなら、あのころ私らはもっともっとこのワクチン導入をもとめて強く声を上げるべきだった。

予防接種で得る免疫よりも、自然に感染して得る免疫の方が、より抵抗力が強いと思うからです。
つい数年前の若者の間で起こったはしかの流行は、予防接種で修正免疫が得られないことが明らかになりました。

その一方で、予防接種のほうが自然感染よりも副作用がはるかに少ないと言うことは忘れられがちであった。たとえばおたふくかぜにしたって、自然感染後の聴力低下の可能性が従来見積もられていたよりかなり高いことが最近知られてきた。片側であることが多いので見落とされているだけではないか。ステレオで音楽を聴いていないってことに、iPodを買ってもらって初めて気づくことになる。

麻疹の若年者への流行に関するコメントは不正確である。予防接種で終生免疫は得られないんじゃなくて、麻疹に関しては1回だけの予防接種では終生免疫は得られないというのが正しい。昔はまともにワクチンを接種してなかったから、世間に麻疹ウイルスの野生株がうようよしていた。予防接種をしたあとも、ときたま野生株に接触しては、そのつど免疫が賦活化されていたから、発症しなくて済んでいた。近年はワクチン接種が普及し、結果として野生株の流通が減って、野生株に接触する機会が減った。そのために、1回だけのワクチンでは発症を阻止できるほどの免疫が維持できなくなった。それを考慮しての、麻疹ワクチンの接種回数の増加である。2回で終生免疫を狙っている。

終生免疫に関して言わせていただく。片山先生には申し訳ないが、鬱積するものがあってつい表現が荒くなる。一生もんじゃないってのをそれほど言い立てられることが、ワクチン以外にはどれだけあるだろうか。一生勤められる訳じゃないってんで就職を諦めて一生ものの生活保護を受けますとか、一生憶えてられる知識が得られないってんで学校に行くのを止めて一生ニートで過ごしますとか、一生添い遂げられると決まったわけじゃないってんで結婚を諦めますとか、そんな選択があり得るだろうか。およそワクチン以外の選択に関して、単なる商品の購入じゃなくって重大な人生の転機にあってさえ、そういうふうに終生続くかどうかが選択の根拠にされることがどれほどあるだろうか。

 予防接種については、一人一人がリスクとメリットの両方から慎重に判断できるように、正しい情報をきちんと伝えていくことが必要だと思っています。

個人の防疫という観点では、真っ当なご高見である。

しかし、その一人一人の観点での損得勘定には、たとえば麻疹ウイルスの根絶といった公衆衛生学的な視点は入ってこない。麻疹ウイルスの根絶にはワクチン接種率95%以上を確保する必要があるのだが。じっさい、現在のお母さんたちが、愚直に(と敢えて言おう)MRワクチンを接種するようになってから、本邦でも麻疹の患者数は文字通り桁違いに減少している。

しかし当時、このような公衆衛生学的な観点でものを言ったら袋だたきに遭っていたということも、あえて証言しておきたい。社会を守るために子どもを犠牲にするのかと、厳しいおしかりを受けていた。それが怖くて黙ってたという自分たちの業界の臆病さ、触らぬ神に祟りなしということでワクチンには極力触れないようにし、個別接種と言われても自院では関わらないようにし、というのがあの頃の自分たちの怯懦な態度であった。触れないようにするから勉強もしない(他にも学ぶべきことは山ほどあった)。勉強をしないからワクチンの必要性が身にしみない。悪循環。

たとえば、実際のところ夜間救急外来で発熱の小児を診察するということの意義の大半は化膿性髄膜炎の早期診断にあるのだが、化膿性髄膜炎におびえつつ、髄液穿刺をして出てくる膿のような髄液に目の前が真っ暗になりつつ、それでも、これがワクチンで防げる病気だとはあの頃は思っていなかったなと、忸怩たる思いでふりかえっている。

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

みんなの意見は案外正しいってことも、世の中には確かにある。しかし、みんなの意見の総和だけでは見えてこない次元というのも、世の中にはあるんじゃないかと思う。

しかし、昨今の医療状況では、加えて、
「子どもの症状が悪化したとき、すぐ受診できる環境にあるかどうか」
 ということも判断材料にしなければならない、という現実があります。

僭越ながら春日部市民病院のウェブサイトを拝見した。たしかに、24時間の小児救急を維持するのは不可能だろうなと思った。それは春日部市民病院の瑕疵ではなく、この人口規模の市民病院ではそれが当然だ。小児救急はそれほどたやすい事業ではない。すぐ受診できないからこそワクチンで病気をなるだけ防ぐという論であれば、たしかに本件は判断材料となる。

しかし逆に、うちには完璧な小児救急態勢があるからワクチンは要らない、というお話になるようなら、それは間違いだと思う。いくらすぐ受診されても、受診時にはすでに重症化しており、生命の危機や後遺症が避けられないということは、あり得る話である。やはりできるだけの予防対策をとったうえで、それでも発生する緊急事態を小児救急で救うという、何段にも重なった対策がとられるべきである。

 これだけの財源を、小児科の救急体制を整備することに充てたほうがいいようにも思うのですが、そのような議論がされた、という情報は得ていません。

春日部市ウィキペディアによれば人口24万人弱でさいたま市に隣接しているとのこと。そのような自治体で4億円かと、大変勉強になった。

しかし、その4億円を削って小児救急体制整備といっても、小児科医は集まらないんじゃないかと思う。当地の子供たちは肺炎球菌やHibのワクチンは接種してませんから救急外来で化膿性髄膜炎や敗血症やを見逃さず、一人も死なさず後遺症も出さず完璧に治してくださいって言われても、そんな理不尽に恐ろしい土地の小児救急なんて私なら勤務は願い下げだ。

それに4億円で支払うことになるのは小児救急の費用ばかりではなくなるだろうと思う。障害を残した子の障害児者医療や福祉の費用とか、診療を巡って市民病院相手に起こされた訴訟の費用とか賠償費用とか、いろいろ他に出費が生じると思う。*1

金銭で片付かないこともあろう。失われた生命とか、後遺症によって失われたその後の人生の機会とか、そういったことは値段はつかないと思う。小児救急は小児救急で、別口で拡充していただきたいと思う。

我々小児科の業界内においては、こういう損得を勘定したらワクチンの費用対効果比はおそろしく大きいってことになっていて、損得勘定ではワクチンはほとんど無敵であるというのが常識になりつつある。片山先生の仰る「そのような議論」というのが、医療業界内部でなされる議論をさしたお言葉なら、ほぼ決着済みであるとご報告申し上げたい。市議会や当局での議論ということであれば、このような観点からワクチンと小児救急をともにしっかりとやっていただく方向で、片山先生のご活躍に期待したいと思う。

*1:医者相手の怪談話を披露すれば、市民病院で発生したそういう賠償については、市が支払った後、あらためてその診療に当たった医師を懲戒免職にしたり医師相手の訴訟を市が起こしたりして医師個人から回収することになると聞いたことがあるんだが、使えるワクチンも使わないままそんなふうに医師を使い捨てることを前提にした小児救急態勢なんて、なおさら願い下げである。怪談話に過ぎなければよいのだが。

否定も肯定もしないまま、2週間サスペンド

サスペンド、というサスペンス(あと2週間) – 感染症診療の原則

まあ、予想通りの結論と言えば結論。緊急会議の第一の目的は、この議論を緊急にやるべきかどうか、ということを議論することにあるんだろうから。で、まあまあ腰を落ち着けてじっくり話し合いましょう、ということになったのだというのが私の解釈。

この二つのワクチンを何年待ったことかと考えると、拙速のあまり無期限中止なんてことになったら悔やんでも悔やみきれない。今回の「あわてるな」という結論はまことに時宜を得た結論だと思う。評価する。設定された2週間のあいだに十分に議論をして頂きたいと思う。

こうして待つあいだ、世論もじっくりと腰を据えて待ってくださっているように思えて、世の中は進歩しているのだなと喜ばしい限りである。なにさま、予防接種の副反応を原疾患の危険度と比較して定量的に考えるなんていう議論は、20世紀末の日本では不可能だった。現代の親御さんたちには信じられないことでしょうけど、口にすることすら憚られていた。副反応によって健康を害された人の人権をふみにじる、非道はなはだしい議論だとされていた。いや原疾患で健康を害した人はどうなるの?と言えなかった自分たちにもふがいなさを感じて忸怩たる思いではある。