否定も肯定もしないまま、2週間サスペンド

サスペンド、というサスペンス(あと2週間) – 感染症診療の原則

まあ、予想通りの結論と言えば結論。緊急会議の第一の目的は、この議論を緊急にやるべきかどうか、ということを議論することにあるんだろうから。で、まあまあ腰を落ち着けてじっくり話し合いましょう、ということになったのだというのが私の解釈。

この二つのワクチンを何年待ったことかと考えると、拙速のあまり無期限中止なんてことになったら悔やんでも悔やみきれない。今回の「あわてるな」という結論はまことに時宜を得た結論だと思う。評価する。設定された2週間のあいだに十分に議論をして頂きたいと思う。

こうして待つあいだ、世論もじっくりと腰を据えて待ってくださっているように思えて、世の中は進歩しているのだなと喜ばしい限りである。なにさま、予防接種の副反応を原疾患の危険度と比較して定量的に考えるなんていう議論は、20世紀末の日本では不可能だった。現代の親御さんたちには信じられないことでしょうけど、口にすることすら憚られていた。副反応によって健康を害された人の人権をふみにじる、非道はなはだしい議論だとされていた。いや原疾患で健康を害した人はどうなるの?と言えなかった自分たちにもふがいなさを感じて忸怩たる思いではある。

肺炎球菌・HIbワクチン一次中止 いずれ不安は消えないものならば

厚生労働省:小児用肺炎球菌ワクチン及びヒブワクチンを含む同時接種後の死亡報告と接種の一時的見合わせについて

小児用肺炎球菌ワクチン及びヒブワクチンを含む同時接種後の死亡報告と接種の一時的見合わせについて

小児用肺炎球菌ワクチン(販売名:プレベナー水性懸濁皮下注)及びヒブワクチン(販売名:アクトヒブ)を含む、ワクチン同時接種後の死亡例が、3月2日から本日までに4例報告されました。(概要は別添)
ワクチン接種と死亡との因果関係は、報告医によればいずれも評価不能または不明とされており、現在詳細な調査を実施しています。

このような状況から、「小児用肺炎球菌ワクチン(販売名:プレベナー水性懸濁皮下注)」及び「ヒブワクチン(販売名:アクトヒブ)」については、因果関係の評価を実施するまでの間、念のため、接種を一時的に見合わせることとし、自治体及び関係製造販売業者に連絡しました。

なお、今回のワクチン接種と死亡との因果関係の評価は、医薬品等安全対策部会安全対策調査会と、子宮頸がん等ワクチン予防接種後副反応検討会を、早急に合同で開催し、詳細な検討を実施する予定です。

当直が明けてみると大騒動になっていた。4例のなかには京都で発生した例もあった由。厚生労働省がこう言っているときに、当院では敢えて接種しますというわけにもいかなくて、いったん休止となった。

迅速な対応について、厚生労働省の関係諸氏の仕事を評価する。いきなり2日間に4例の報告とは、偶然にしては多すぎる。因果関係の究明までは、一時的な中止もやむを得ない。私も彼らの今回の処置を支持する。*1

中止を恐れるあまりに模様眺めをしているうちに重大な症例が集積していって、いよいよ追い詰められてから情報公開と接種中止ということになっては、結果的に情報の隠蔽をしたことになり、いたずらに世の不信を招く。それでは、仮に接種再開にこぎ着けられたとしても、接種率の低迷を招くのではないかと懸念する。個別接種を前提としている以上、保護者の信頼を得られなくては立ちゆかない。

信頼と言えば、本件に関する報道は、管見の及ぶ限りではあるが、節制の効いた報道ばかりで、いたずらに世の不安を煽ってよしとするところがなく、マスコミの報道ぶりを見直した次第である。ひと頃の、ワクチンについて言及するときには必ずワクチン反対派にコメントをつけさせていた時代とは、隔世の感がある。

何にしても、ここはひとまず腰を据えて、因果関係についてしっかり究明して、今後の対策をとっていただきたいと願う。

むろん市井の小児科医の立場としては、肺炎球菌についてもヒブについても、ワクチンの再開を切に願うところである。

今回のワクチンと死亡との因果関係は現時点では不明である。これは詭弁ではない。医学的な因果関係の究明というのは時間関係だけで片付くものではない。しかし、肺炎球菌やインフルエンザ桿菌による細菌性髄膜炎や敗血症・急性喉頭蓋炎にかかった場合、それで生命の危険が生じるのは明らかなことである。

とはいえ、4例の症例から因果関係を立証するのは、相当困難なことだと思う。4人の死亡は悼むには多すぎるが、統計的な分析には少なすぎる。むろん、解明のためにはそのような事例がもっとたくさん発生すればよい、と言っているわけではない*2。しかし、疫学的/統計的な側面以外の、個々の症例でのよほど重大な新情報が判明しない限り、明確な結論はなかなか出しにくいだろうと思う。因果関係に関しての結論は、なんとはなくグレーゾーンな、何とでも解釈できるような、この二つのワクチンを接種再開するにしても無期限中止するにしてもどちらの根拠ともなり得るような、読む者に胆力を強いる報告になるのではないかと思う。

その場合、その報告を受けて予防接種を再開するかどうかは、かなりな部分、政治的な判断になるのではないかとも思う。

その判断を下す際に留意して頂きたいのは、これは「副反応の不安を抱えながらワクチンを続けるか、ワクチンを中止して副反応の不安のない生活にするか」という二者択一ではないということだ。そのような単純な二者択一ではない。単純なものではないと言いながら敢えて代案的なフレームワークを提示するなら、「ばくぜんとした副反応の不安を抱えつつワクチンを続けるか、明瞭に立証された肺炎球菌・Hib髄膜炎の不安を抱えてでもワクチン接種を封じておくか」の二者択一なのだ。むろん不安は最小化しなければならない。そのための解明の努力はなされなければならない。しかし事実がこうして生じてしまった以上、不安をまったく消し去ることは不可能である。いずれにしても何らかの不安は抱えつつ進まねばならない。まったく何の不安もない選択肢はあり得ない。どちらが、より理不尽さが少なく、現実化することも少ない不安なのか、冷静な定量的判断が必要なのではないかと思う。

なくなった4人の子どもたちには、心から冥福を祈るものである。

しかし、このまま因果関係も明らかにならずうやむやのうちに、単に関係者の保身目的にこのワクチンを葬り去って、その結果として本邦で細菌性髄膜炎で子どもたちがこれからも亡くなり続けるようなことになるとしたら、それはこの4人の子どもの冥福を祈る作法ではあるまい。それは無作為のうちに、これからの子どもたちに、この4人の子どもたちへの殉死を強いるようなものだ。

*1:例によって、仕事が遅いと彼らを糾弾する向きもあるようだが、3月2日からの報告で4日にはこの通達が出ているのだから、じゅうぶん迅速だと思う。惰性での批判は月並みである。

*2:読者諸賢には自明のことであろうが。

パンクの神様

栗村修氏がサイクルロードレース番組の解説で「パンクの神様」についてよく言及される。曰く、多少パンクすることなく過ごせていても「俺ってパンクしたことないぜ」とか口に出そうものなら即刻パンクするとのこと。それはもう「パンクの神様」がいて、軽はずみな口をたたく人間に天罰を与えているとしか思えないとのこと。

臨床にもそんな神様がおられるのかもしれない。辛い目にあっては、あのとき大口を叩いたせいかと後悔させられる。

インフルエンザ流行開始

この冬もインフルエンザの流行が始まった。外来はインフルエンザ一色になる。他のウイルスを駆逐する力でもあるんだろうかと思う。

年々、インフルエンザでパニックになる親御さんが減っている。喜ばしいことである。今の親御さんはほんとうに賢明になった。

現代の子育てをあげつらう人は自分が紋切り型に陥ってないかいちど反省してみた方がよい。景気は悪くなっているけれど、人心はよほどまともになっている。

冬休み

今日は昨日よりも小児科外来が効率よくまわっている。患者さんが昨日よりも多少すくないことにくわえ、、今日の担当医がベテラン揃いであることもあるのだろう。応援の必要もあるかと思って病院に出てきて、来院の多い午前中をいちおう待機してみていたのだが、帰れそうな気配である。正式な自分の担当の日にも平穏であってほしいと思う。

当地の産科の先生方との席で、講演をさせていただく機会に恵まれた。来年早々なのだが、当院NICUに関して総括とも宣伝ともつかぬプレゼンをさせていただこうと思っている。

前部長の世代にとって、新生児医療はadventureだった。私にとって新生児医療はbusinessである。着実なもの。成功する責任が重いもの。駅馬車時代の西部ではなく、現代のロサンゼルスで仕事をしているつもり。

若い人がよく働くことについて

世間的には仕事納めを終えて、本日から年末年始の休暇に入る。世間様が休む間は、まっとうな小児科医は救急医療にいそしむものである。とか言いながら自分は昨日からのNICU当直中に本年の業績統計をまとめていたりするのだが。

救急外来は例年のように小児でごった返している。電子カルテで見ると小児科に患者さんが殺到している様子なので、応援が必要かと思って外来に出向いてみると、すでに当番の医師+若手2名で小児科外来が3診立っていた。

こうして忙しいときにさっと加勢に入る若手がいるのは有り難い限りである。最近の若い者はというのが世間の爺婆の常套句だが、最近の若い者はほんとうによく働くと感心する。自分の若い時を思うと忸怩たる思いがする。

自己弁護をすればだけど、自分の若いときにこんな働き方をしようものならその場の仕事がぜんぶ自分に降りかかってきそうだという懸念があって、危なくて働けなかったような気もする。この若い人たちのやる気に甘えないようにしなければならないと思った。