肺炎球菌・HIbワクチン一次中止 いずれ不安は消えないものならば

厚生労働省:小児用肺炎球菌ワクチン及びヒブワクチンを含む同時接種後の死亡報告と接種の一時的見合わせについて

小児用肺炎球菌ワクチン及びヒブワクチンを含む同時接種後の死亡報告と接種の一時的見合わせについて

小児用肺炎球菌ワクチン(販売名:プレベナー水性懸濁皮下注)及びヒブワクチン(販売名:アクトヒブ)を含む、ワクチン同時接種後の死亡例が、3月2日から本日までに4例報告されました。(概要は別添)
ワクチン接種と死亡との因果関係は、報告医によればいずれも評価不能または不明とされており、現在詳細な調査を実施しています。

このような状況から、「小児用肺炎球菌ワクチン(販売名:プレベナー水性懸濁皮下注)」及び「ヒブワクチン(販売名:アクトヒブ)」については、因果関係の評価を実施するまでの間、念のため、接種を一時的に見合わせることとし、自治体及び関係製造販売業者に連絡しました。

なお、今回のワクチン接種と死亡との因果関係の評価は、医薬品等安全対策部会安全対策調査会と、子宮頸がん等ワクチン予防接種後副反応検討会を、早急に合同で開催し、詳細な検討を実施する予定です。

当直が明けてみると大騒動になっていた。4例のなかには京都で発生した例もあった由。厚生労働省がこう言っているときに、当院では敢えて接種しますというわけにもいかなくて、いったん休止となった。

迅速な対応について、厚生労働省の関係諸氏の仕事を評価する。いきなり2日間に4例の報告とは、偶然にしては多すぎる。因果関係の究明までは、一時的な中止もやむを得ない。私も彼らの今回の処置を支持する。*1

中止を恐れるあまりに模様眺めをしているうちに重大な症例が集積していって、いよいよ追い詰められてから情報公開と接種中止ということになっては、結果的に情報の隠蔽をしたことになり、いたずらに世の不信を招く。それでは、仮に接種再開にこぎ着けられたとしても、接種率の低迷を招くのではないかと懸念する。個別接種を前提としている以上、保護者の信頼を得られなくては立ちゆかない。

信頼と言えば、本件に関する報道は、管見の及ぶ限りではあるが、節制の効いた報道ばかりで、いたずらに世の不安を煽ってよしとするところがなく、マスコミの報道ぶりを見直した次第である。ひと頃の、ワクチンについて言及するときには必ずワクチン反対派にコメントをつけさせていた時代とは、隔世の感がある。

何にしても、ここはひとまず腰を据えて、因果関係についてしっかり究明して、今後の対策をとっていただきたいと願う。

むろん市井の小児科医の立場としては、肺炎球菌についてもヒブについても、ワクチンの再開を切に願うところである。

今回のワクチンと死亡との因果関係は現時点では不明である。これは詭弁ではない。医学的な因果関係の究明というのは時間関係だけで片付くものではない。しかし、肺炎球菌やインフルエンザ桿菌による細菌性髄膜炎や敗血症・急性喉頭蓋炎にかかった場合、それで生命の危険が生じるのは明らかなことである。

とはいえ、4例の症例から因果関係を立証するのは、相当困難なことだと思う。4人の死亡は悼むには多すぎるが、統計的な分析には少なすぎる。むろん、解明のためにはそのような事例がもっとたくさん発生すればよい、と言っているわけではない*2。しかし、疫学的/統計的な側面以外の、個々の症例でのよほど重大な新情報が判明しない限り、明確な結論はなかなか出しにくいだろうと思う。因果関係に関しての結論は、なんとはなくグレーゾーンな、何とでも解釈できるような、この二つのワクチンを接種再開するにしても無期限中止するにしてもどちらの根拠ともなり得るような、読む者に胆力を強いる報告になるのではないかと思う。

その場合、その報告を受けて予防接種を再開するかどうかは、かなりな部分、政治的な判断になるのではないかとも思う。

その判断を下す際に留意して頂きたいのは、これは「副反応の不安を抱えながらワクチンを続けるか、ワクチンを中止して副反応の不安のない生活にするか」という二者択一ではないということだ。そのような単純な二者択一ではない。単純なものではないと言いながら敢えて代案的なフレームワークを提示するなら、「ばくぜんとした副反応の不安を抱えつつワクチンを続けるか、明瞭に立証された肺炎球菌・Hib髄膜炎の不安を抱えてでもワクチン接種を封じておくか」の二者択一なのだ。むろん不安は最小化しなければならない。そのための解明の努力はなされなければならない。しかし事実がこうして生じてしまった以上、不安をまったく消し去ることは不可能である。いずれにしても何らかの不安は抱えつつ進まねばならない。まったく何の不安もない選択肢はあり得ない。どちらが、より理不尽さが少なく、現実化することも少ない不安なのか、冷静な定量的判断が必要なのではないかと思う。

なくなった4人の子どもたちには、心から冥福を祈るものである。

しかし、このまま因果関係も明らかにならずうやむやのうちに、単に関係者の保身目的にこのワクチンを葬り去って、その結果として本邦で細菌性髄膜炎で子どもたちがこれからも亡くなり続けるようなことになるとしたら、それはこの4人の子どもの冥福を祈る作法ではあるまい。それは無作為のうちに、これからの子どもたちに、この4人の子どもたちへの殉死を強いるようなものだ。

*1:例によって、仕事が遅いと彼らを糾弾する向きもあるようだが、3月2日からの報告で4日にはこの通達が出ているのだから、じゅうぶん迅速だと思う。惰性での批判は月並みである。

*2:読者諸賢には自明のことであろうが。

パンクの神様

栗村修氏がサイクルロードレース番組の解説で「パンクの神様」についてよく言及される。曰く、多少パンクすることなく過ごせていても「俺ってパンクしたことないぜ」とか口に出そうものなら即刻パンクするとのこと。それはもう「パンクの神様」がいて、軽はずみな口をたたく人間に天罰を与えているとしか思えないとのこと。

臨床にもそんな神様がおられるのかもしれない。辛い目にあっては、あのとき大口を叩いたせいかと後悔させられる。

インフルエンザ流行開始

この冬もインフルエンザの流行が始まった。外来はインフルエンザ一色になる。他のウイルスを駆逐する力でもあるんだろうかと思う。

年々、インフルエンザでパニックになる親御さんが減っている。喜ばしいことである。今の親御さんはほんとうに賢明になった。

現代の子育てをあげつらう人は自分が紋切り型に陥ってないかいちど反省してみた方がよい。景気は悪くなっているけれど、人心はよほどまともになっている。

冬休み

今日は昨日よりも小児科外来が効率よくまわっている。患者さんが昨日よりも多少すくないことにくわえ、、今日の担当医がベテラン揃いであることもあるのだろう。応援の必要もあるかと思って病院に出てきて、来院の多い午前中をいちおう待機してみていたのだが、帰れそうな気配である。正式な自分の担当の日にも平穏であってほしいと思う。

当地の産科の先生方との席で、講演をさせていただく機会に恵まれた。来年早々なのだが、当院NICUに関して総括とも宣伝ともつかぬプレゼンをさせていただこうと思っている。

前部長の世代にとって、新生児医療はadventureだった。私にとって新生児医療はbusinessである。着実なもの。成功する責任が重いもの。駅馬車時代の西部ではなく、現代のロサンゼルスで仕事をしているつもり。

若い人がよく働くことについて

世間的には仕事納めを終えて、本日から年末年始の休暇に入る。世間様が休む間は、まっとうな小児科医は救急医療にいそしむものである。とか言いながら自分は昨日からのNICU当直中に本年の業績統計をまとめていたりするのだが。

救急外来は例年のように小児でごった返している。電子カルテで見ると小児科に患者さんが殺到している様子なので、応援が必要かと思って外来に出向いてみると、すでに当番の医師+若手2名で小児科外来が3診立っていた。

こうして忙しいときにさっと加勢に入る若手がいるのは有り難い限りである。最近の若い者はというのが世間の爺婆の常套句だが、最近の若い者はほんとうによく働くと感心する。自分の若い時を思うと忸怩たる思いがする。

自己弁護をすればだけど、自分の若いときにこんな働き方をしようものならその場の仕事がぜんぶ自分に降りかかってきそうだという懸念があって、危なくて働けなかったような気もする。この若い人たちのやる気に甘えないようにしなければならないと思った。

お願いする人される人

IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

IDATENのプロが答えるそこが知りたかった感染症

非常勤で応援にきてくださった京大の先生が、外来に忘れて行かれたので、拝借して読了した。*1

感染症は古来からの問題だけど現在でも重要な分野である。新生児をやってれば特にそうだし、重度心身障害医療に縁があればまたそうだし、この二つを逃げ出して小児科広く浅くになってもなお感染症はついてくる。これはもうお釈迦様の手の上を逃げられない孫悟空みたいなものだ。

しかし本書を読んで、いろんな意味で「違うな」と思ったのだが、それは感染症科の皆様と、自分ら、まあ場末のNICUの新生児科なんだけど専業では食いかねて小児科一般外来と兼業してます*2という立場との、スタンスの違いによるものだろうか。

感染症科の皆様の、困った主治医のヘルプコールに応じてさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていくスタンス、古くは月光仮面ウルトラマン、近くは「ののちゃん」に呼ばれてやってくるワンマンマン*3のようなスタンス。あるいは感染症の診療がつたない主治医困ったその他おおぜいのヘルプコールがあったりなかったりしてやはりさっそうと現れ快刀乱麻を断つがごとくに問題を解決して去っていったり行かなかったりするスタンス。常駐がそれ以前と比べて状況を改善しているかどうかは世界各地に駐留する米軍にも似て多少複雑な問題である。けっきょくフセインを退治たことはイラクの人々を幸せにしたのだろうか。

いずれにしても彼らは「お願いされて」現れ「支援する」形で問題に関与するヒーローである。それは本書の、「感染症のプロ」とかカリスマとかが教えるという、タイトルや構成にも現れている。お呼びがかかった先生はアマゾンどっと混むでも感染症関係にずらずらと名前の挙がるカリスマであり、本書には「カリスマ先生、みなさんはどうしてそんなに格好いいんですか?」という趣旨の個人的質問がたくさんついている。

カリスマ、ってそりゃあエビデンスレベルとして「専門家委員会や権威者の意見」ていうやつだろうよと、君らはそれを推奨するのかい?と、小声でちょっと突っ込んでみたりもする。

感染症科に注目が集まってるのは、感染症科の診療や研究レベルの高さとはまた別次元で、こういうカリスマ的な格好良さが、若い人や軽薄な人を誘蛾灯みたいに引きつけてるんじゃないかと、まあ狷介な邪推なんだろうけど、思ったりもする。

新生児科にこういう格好良さはないなあと思う。新生児科は他科にコンサルトを出しこそすれ、出されることはまずない。新生児科の診療は全身管理抜きにはあり得ないので、新生児科が診る患者は全て新生児科が主治医の患者である。紹介された時点で患者の身柄と主たる責任は新生児科に移る。移してもらえなきゃ専門科としては着手すら困難である。自分たちに責任を移してもらって、その後は自分たちからあちこちに「お願いする」のが新生児科の基本スタンスである。

その点において、新生児科は究極的なプライマリケア医の集団である。集中治療のできるプライマリケア*4。だからプライマリケアの泥臭さは宿命的に抜けることがない。ヒエラルキーとして他科に頭を下げても下げられることはない。

従って、本書にあるような、他科の医師と合わないときはどうしたらいいんでしょうか、みたいな質問がなされ、最終責任は主治医にとらせればよろしいという答えがなされることは、新生児科には存在し得ない質疑応答だと思う。お願いする側の立場としては、先方にこの子を救う技量があると思えば、先方との相性など二の次である。というか人間性
の悪い医師には患者も協力者も集まらず経験が積めないから医師として大成することもまず無いんで、人間性に優れた名医を各科そろえてネットワークを作ることは意外に簡単である。こっちの頭を下げて子どもが救えるなら頭なんぞいくらでも下げる。取るに足りない相手にははなから縁を作らない。医者の仲が険悪になるときと言うのは、つまらない理由であることもあるが、多くは相手の診療内容に信頼が置けないってことが最大の理由だから、わざわざそんな相手にものを頼む道理はない。

新生児科には感染症科の華麗さはない。院内や業界内から感謝されることもあんまりない。もっぱら、この子のためにお願いしますと頭を下げる立場にある。我々に、この子のためにお願いしますと心から頭を下げてくださるのは親御さんだけだとも思う。まあ、それはそれでよいとも思う。

*1:彼らよりは高いお給料を頂いてるんだから買って読めよというご批判はなしで願います。大学ではオンラインで各種医学雑誌がほぼ無制限に読み放題と知って以来、自分の給料が高いとはあんまり思えなくなってきました。

*2:そのうち農林水産省から戸別所得補償が来るんじゃないかな

*3:ライバル新聞社のトップに風貌などがよく似ている

*4:開業後の成功率は新生児科医はかなり高いんだそうだ。

ワクチン

妻が録画しておいてくれていた「クローズアップ現代」のワクチンに関する特集を観ての感想。

ワクチンの定期接種化を「只にする」という文脈だけで語ってしまうのは片手落ちだと思う。定期接種と任意接種の違いは、接種費の負担は二義的なことで、一番の違いは副反応が生じたときの補償の手厚さだ。任意接種のワクチンは一般の医薬品とおなじ扱いだが、定期接種のワクチンの副反応に対する補償はきわめて手厚い。*1

以前は副反応が生じた方々への遠慮が過ぎて、ワクチンに及び腰になるあまり、原疾患で重篤な結果になる方々が無為に増えていくという結果になってしまった。その反動のためか、最近は副反応について語られなくなった。しかし副反応の問題が消え去ったわけではない。

もちろん重篤な副作用が発生する可能性はきわめて低いのだが、なんらかの疾病に罹患した人だけに投与する一般医薬品とは違って、対象となる年代のほぼ全員に投与されることを目指すワクチンは、投与される人数が桁違いなだけに、副反応を無視するのもバランスを欠くことだ。

副反応に対する対策を立てるに際して、

  1. ワクチンを任意接種のままにして保護者の選択とし、副反応が生じても自己責任とする。
  2. ワクチンを定期接種として、副反応に対しては一般医薬品以上の補償を行う。

どっちか選ぶなら、後者の方が倫理的ではないかと思う。そう言う観点での、ワクチンの定期接種化を望む。もうじき京都でもHibや肺炎球菌やパピローマウイルスに対してのワクチンが公費負担されるけど、任意接種の費用を公費負担しますというのでは副反応が生じた際の補償が片手落ちになる。定期接種化こそが王道だと思う。

もちろん、無料化も大事なことではある。公衆衛生は基本的悪人正機であり他力本願である。自ら助ける者しか助けないのでは公衆衛生の施策はまるで進まない。それで余計な病気にかかる子どもが減るのなら、ばしばし無料にすればよいと思う。その銭を社会が出すのかよという問いには、とりあえず、すでに子ども手当とか称して何にでも使える銭を出してるじゃないかよと答えよう。今さらワクチン費用を国から出さないって法はないだろう。とりあえず今のところは子ども手当についてもちろんそのお金で予防接種しますよねと明朗な笑顔で念を押していただきたい。目が笑ってなかったりするかもしれないけれど。

*1:銭さえ出せば副反応が生じてもよいというのかという愚問には応答するつもりはありません。

子供を泣かさないで診療する

北斗神拳の伝承者争いで、師が見守る前でラオウケンシロウが虎と対決するというシーンがあった。虎はケンシロウの前ではおとなしく頭を垂れたが、ラオウには襲いかかった。ラオウは虎を一撃で倒し、虎にすら見くびられるケンシロウではなくて自分に跡目を継がせたらどうだと先代に言った。師の見解としては、虎はラオウの前では死を恐怖したがケンシロウの前では観念した;従ってケンシロウの拳こそ真の暗殺拳だ、とのこと。

小児科の外来をやってると子どもにひどく泣かれることがある。とくに予防接種のときなど、これでもかというくらい泣かれる。逆に不思議に泣かれないで済むこともある。どういう事情の違いなのかよくわからない。なにかラオウケンシロウの違いのような、こちらの態度が相手に伝染するようなところがあるのかもしれないと、ときには考えてしまう。自分の心身の調子がよいこと、外来がそれほどだれず焦らずのほどよい混みかたであること、など、子どもを泣かさないいろいろな条件はありそうな気がする。

その点、予防接種外来は次々に処置していかねばならないという焦りはある。他の医師の予防接種外来と並行して隣のブースで一般外来をやっていると、隣のブースから殺気が溢れてくることがある。医師や看護師や親御さんや子どもの、焦燥やら恐怖やらあれやこれやの感情が入り交じり増幅し合い、うっかりブースに入ろうとしたら無数の拳に反撃されるんじゃないかと思うほどの結界をつくっている。あれじゃ泣くわと思う。一般外来で診ている子までおびえてしまう。

自分がその渦中にあれば為す術もなくやはり泣かせてしまうんだけど、最近ちょっと考えているのは、平然と当たり前のことをするような態度でいたほうが、子どももかえって落ち着くんじゃないかということ。穏やかな声や笑顔と流れるような所作で、しごく当たり前のことが行われているのだという雰囲気を演出すること。

ちなみに、自分自身の記憶として、転んだあと初めて泣かずに立ち上がれたときのことと、予防接種のあと初めて泣かずにいられたときのこととは、いまだに鮮明に記憶している。そのときの幼稚園の情景、園庭で立ち上がったときに膝小僧に付いていた砂とか、集団接種の行われた教室の壁の棚と流し台とか、絵に描けそうな気がする。泣かずにいられるんだ、という、我がことながら予想外の事態の驚き。痛いことをしなければならないのは実際のところ恐縮なのだが、いろいろな疾患への免疫に加え、そういう成功体験もおまけで持って帰ってもらえたらいいなと思う。

これが百日咳だ

YouTube – Clinical Examples of Pertussis

コメント欄で百日咳についてコメントを頂いたので(TEE様ありがとうございます)、百日咳の典型的な動画を提示してみる。典型的にはこういう咳をする。呼気時に息を吐ききるまで息継ぎできず連続して咳をしていること、吸気時にヒューッと音がしていることに着目。かかってしばらくは普通の風邪と区別しにくい咳だが、なかなか咳が治らないなと思っているうちに数日でこういう咳に変化してくることが多い。

典型的には、というのは、言い訳めいて恐縮だが、典型的ではないことも多々あるからだ。三種混合(ジフテリア破傷風・百日咳)いわゆるDTPワクチンを接種していると、かかっても軽症で非典型的になる。もちろん、だからワクチンを接種してはいけないなどと、どこかの狸じみたことを言っているわけではない。こういう咳をし出したときにはもうマクロライドを飲んでも遅い感がある。ワクチンで予防するのが最善だ。

そういう咳ではありませんかと外来で聞くのは、まねをしてみせるのもなかなか難しい。動画を共有できるサイトはありがたい。外来で「youtubeでよく似た咳を見たんです」とか仰って頂くと参考になるかも知れない。外来の電子カルテ端末から親御さんに見て頂ければいいんだけど、そうするとコンピューターのほうの感染対策が難儀になる。ジョブズ氏のiなんとかを活用するのがよいのかもしれない。

百日咳という語は中国語も共通らしくて、「百日咳」で検索すると中国の偉い先生の解説動画が上位にくる。英語の pertussis で検索したら咳の実例動画が上位にわりと多かった。whooping coughで検索したら意外にも中国同様に偉い先生の解説が多そうだった。

百日咳の注意点というか、医者からの言い訳というか、あれは夜と昼の差がかなり激しい。昼の外来ではけろっとしていても、夜になると1時間おきに咳き込んで吐いたりしている。「夜がきつい」「咳き込んで吐く」はけっこう強いキーワードだったりする。むろんこれも簡単ではなく、喘息もまた夜がきつい疾患なので、鑑別は往々にして困難である。血液検査ではリンパ球優位の白血球増多が特徴的だが、ワクチン後ではこれも出ないことがあるし、そもそもこの所見が出てきた段階ではすでに手遅れ感が漂っている。