ちいさなちいさなわが子を看取る

ちいさなちいさなわが子を看取る NICU「命のベッド」の現場から

ちいさなちいさなわが子を看取る NICU「命のベッド」の現場から

 けっきょく本書は小児緩和ケアの不在に関する報告なんだよな。行われた新生児集中治療のお話と言っては、たしょう焦点がずれる感がある。本書を読んでて、新生児科医がいろいろ考えたり苦労したりしているのは分かるんだが(それはまあ同業者だし)、しかし同じスタッフ・同じチームが治癒を目指す治療と緩和ケアとを同時にやるってのは、そもそも構造的に無理なんじゃないかという気がしてならない。新生児科はとことん治癒を目指す、緩和ケアチームが初期から介入して種々の緩和を行う、この担当者を別立てにするのにかなり大きな意味があると思う。

 父が経理の仕事をしていて、子どもの頃から予算とか監査とかといった話を聞かされて育ったんで余計にそう思うのかも知らんけど、集中治療屋が緩和ケアもってのは、予算の執行と監査を同じ人間がやってるようなお話ではないかと思えてならない。端的に言って治った大多数は新生児科の勝ち、治らなかった少数例もじゅうぶん緩和ケアをした新生児科の勝ち、なんて心得でこのままやっていくのでは、僕らに「君ら間違ってるよ」と誰か言ってくれる仕掛けは僕らの仕事の仕組みのなかに用意されてあるのだろうかと、ちょっと危機感を覚えたりする。

 たぶんそれはブレーキのついてないピストバイクをかっとばしながら、俺はペダルを勢いよく踏みすぎてるんじゃないかとか、止めたいときにペダルを止めたら本当に止まれるんだろうかとか、危惧するようなお話で、いやそれって深刻そうに考え込んで見せてもあんまり賢くは見えんよと仰られたらまことに返す言葉もない。じゃあブレーキをつけろよフリーホイールつけろよって話にすぎなくて。

 
 

診療レベルはむしろ上がっているのに

今日もNICU日直で出てきたが、閑散としたNICUから病状の回復した子を母児同室に出したりしてさらに閑散としてしまっている。朝から緊急帝王切開の立ち会いはしたが、着々と蘇生して元気に産科病棟管理となった。というかまあ、あの元気な子のどこをどう間違えばNICU入院になるんだろう。

正期産児の入院期間がとみに短縮しているような印象がある。印象、というのは、このあいだ統計をとってみたら意外に有意差がなかったので印象としか言えないんだけれど。同じ重症度でも昔はもっと長くかかっていたような気がするのだが。気管内挿管して人工呼吸管理したような子でも、翌日抜管して日齢3くらいには母児同室に出していたりする。

診療レベルが向上しているということだろうし、良いことと考えるべきなのだろうが、何が良かったのか今ひとつ分からんと言うのは、何が悪かったのか今ひとつ分からないままに悪くなっていくほど悪いことではないにせよ、けっして、手放しにめでたいことではない。

今では正期産児のNICU入院症例では半数以上が母児同室経由で帰宅する。多くの症例で、赤ちゃんの退院許可を出す時点でまだお母さんが入院中だったりするからであり、また、母児同室を経由したほうが何かと不安が少ないだろうという配慮からでもある。だらだらと入院を長引かせるよりはレベルの高い医療なのだろうけれど、診療報酬が1日いくらで計算されるNICUでは、経済的な実入りは減るのが悩ましいところではある。

しかしそこで小ずるいことをすると、信用が失われる。世間様に言えない小ずるいことというのは、いくら隠そうとしてもどこかの経由で露見するものではある。明示的に露見しなくとも、なんとなく胡散臭いなどといったぼんやりした印象レベルで、施設全体に影を落としてくるものだと思う。

とくに誰からの信用が失われると言って、自分達自身からの信用が失われるというのが最大に痛い。自分のやることは自分がいちばんよく分かっているものだ。いくら隠そうとしてもね。「汚れっちまった悲しみ」ってのが仕事に与える悪影響は大きいと思う。そう思うのは私が経理屋の息子だからか?

周産期医療がサービス業になったのかもしれない

NICUの入院数が減ったまま回復しない。毎年、春先から初夏にかけて減り、夏から回復する緩やかな波はあったのだけれど、この1〜2年の減り方は尋常じゃない。なにか、新たな時代に入った感がある。昨年の入院症例総数は例年の3分の2だ。

今では当地のNICU病床は、需要に対して限られた供給量を分配するといったものではなくなった。需要に対して供給が潤沢にある状況である。こういうときに需要側の便利もシステム全体の効率もいちばん宜しくなるのは「市場経済」と言われるものだろう。ようするにだ、いまの京都の周産期医療は、文字通りのサービス業になっている。病的新生児入院を施設間で押しつけあう時代は過去のものとなり、奪い合う時代になっている。

それはかつて目指した状況ではある。京都中のNICUを見回しても1床も空床がないという状況は過去のものとなった。赤ちゃんにとっては慶賀の至りである。いまお産するなら京都ですよ。

前任者がいよいよ退職し、自分が文字通りのトップになった状況で、さてと思うと、周辺状況がずいぶん変わっている。身も蓋も無い話だが、昔の「入れ食い」時代の感覚では経営的に苦しい。3対1看護をささえる看護師の人件費もたぶん現状では稼ぎ出せてない。どうやったらうちのNICUを生き残らせていけるのか、頭が痛い。

しかし現状を作った責任は自分たちにあるんだと思う。さいきんの診療報酬やなんかが新生児医療に関して手厚くなり、病院経営にとっては新生児は稼げる分野という認識になってるんじゃないか。特に当地では当院のような総病床数200にも満たない小規模病院が、ホスピスやらNICUやら特殊な分野を運営して、それなりにやっていけることを示してしまったわけで。それならうちの病院でもやってみようやと、他の病院の院長先生や事務長クラスが考えてみても不思議じゃあない。要するにビジネスモデルってやつになってしまったんじゃないかと。

職業と家庭の両立とかいうベタなおはなし

現在の日本の学校制度では、医師免許を取得する年齢は最短でも24才。その後に2年間のスーパーローテート研修を経て、26才で小児科研修開始、3年やって小児科専門医試験の受験資格を得る頃には30才目前である。さらに3年間のNICUでの研修を経て、周産期新生児医学会の専門医受験資格を得るのが最短で32才。2〜3年も働けば、妊娠出産すれば高齢出産と言われる年齢になる。うっかり、研究も楽しそうだなとか言って大学院4年とか加算してごらん。

労働集約的な業界の常で、新生児業界はいつだって若い人絶賛大募集中なわけだが、こういう人生の見通しを若い研修医たちに明示してなきゃ詐欺くさいなと思う。

どこのNICUでも、欲しがるのは年中いつでも残業当直OKの人なんだろう。だけれど、女性が新生児科医を目指して、しかも高齢出産とならない時期の妊娠出産をとなれば、専門医研修の時期に産休育休ってことになるし、その後も育児との兼ね合いで残業とか当直とかには制約が多くなる*1

NICUに年中泊まり込んで新生児医療に没頭する時期ってのも、若い頃の研修中には有意義なのかもしれない。研修医に、そういう勉強を可能にする豊富な症例や指導陣や医療機器が揃っていますとアピールするのもよいと思う。でも彼らには、まず職業的に一人前になってからとか言ってるとあっという間に30台後半だよとは明言してやるべきだとも思う。

いま研修医達がどのような医者のすがたを新生児科医の理想と思って/思わされているのかは知らない。だってうちみたいな場末のNICUには研修医なんて来ないし。でも私の想像通りに、日夜NICUに泊まり込むような医者、週2回も3回も当直し自宅待機する医者、休日も自主的に回診にくる医者、そんなワーカホリックな姿をもって、研修医達の理想の姿とされているなら、その姿で一心不乱に働く人生のまっすぐ延長線上には、医者人生の円熟期の理想像はまずありはしない。

子育て云々言ったけれども人生の再考ポイントは育児だけとは限らない。24才で医者になって、65才まで医者をやるとして、その間だいたい40年ほど、徹夜仕事ができるのはそのうち最初の10年ちょっとくらいだ。最近当直が「残る」ようになったなあとか嘆息しはじめる時点で、あるいは当直明けにシャワーあびなくっても肌の脂が気にならなくなったなあとふと気づいた時点で、まだ医者人生は折り返しにすら到達していない。

その後の20年あまりを、どのような医者であろうと志したい/志させたいのか。

それを考えさせず提示もせず、とりあえず2〜3年の期限付きで身を粉にさせる、サターン5型の1段目みたいな扱い方をするのでは、若い人を使い捨てにするも同然だと思う。それをやってる業界が、医師不足うんぬん言うのは、まあ、自業自得ってもんじゃないかとも思う。

*1:夫の育児協力がいまどき当たり前だろって言われる向きもあるかもしれないが、女医さんの夫ってやっぱり医者であることが多いし、女医さん以上に育児参加は困難なことが多い。いったい胸部外科の30台男性医師が「今日は嫁さん当直なんで子守りがあるから緊急手術無理っす」とか言ったら出世コースに残れるものかどうか。医局にすら残れないかもしれない。

クラス運営とか傍目八目とか

 昨日は隣県で(つうか隣「府」でだな)新生児蘇生法インストラクター養成の講習会が行われた。とくに何かの役を仰せつかったわけではなかったのだが、事務局の人に暇なら顔を出すようにと声をかけて頂いたこともあり、お言葉どおりに顔を出して、講習の様子を眺めていた。

 指導に関しても評価に関しても、なんの責任も負ってなかったので、指導者2人と受講者6人、それに見学者1〜2名からなるブースを、さらに遠くからぼさっと眺めていた。こちらから向こうが何を言ってるかはだいたい聞こえるが、向こうからこっちはたぶん意識にのぼらないだろうという程度。たぶんNIDCAPで赤ちゃんとケア者の交流を分析するときってこんな距離のとり方するんだろうなと思った。

 その距離だと、だいたいチーム全体がどう動いているかが一目で見える。こういう距離で指導の現場をただ眺めているというのは初めての経験だった。傍目八目とは言い得て妙なものだと思った。今まで意識もしなかったことがいろいろ見えた。まあ、面白かった。

 受講者が交替に進み出て、あれこれ実演するわけだが、いま自分の順番でない受講者ってのは傍目にはこれだけ遊んでいるように見えるのかと、新鮮に驚いた。むろん彼ら自身にしてみれば自分の順番になったらどうしようかなど真剣に考えておられるのだろうが、直裁に申し上げれば、あの「待ち時間」は客観的にはかなり無駄だと思った。

 我が身を振り返れば自分が主催する蘇生法講習会でも、あのような光景は稀ならず見られるものなので、おそらく私の講習会でも受講者の時間をかなり空転させているんだろうなと思った。どのように受講者全員を絶えず巻き込んでいくかというところに、もっと高次の工夫が必要だ。

 私の講習会はしかし蘇生法の講習会である。昨日観てきた講習会は「蘇生法の指導法」の講習会だった。であれば私の講習会以上に、昨日の講習会は、その講習会自体が、受講者がこれから開催する講習会のモデルになるべき講習会であったはずだ。講義の内容以前に、メタレベルで。平凡なクラス運営でどうするのだ。それは指導法の指導と言えるのか?

 であれば私らはまず小学校や中学校のベテランの先生が、クラス全体を取りこぼさず巻き込むような授業をなさるのを見習うべきなのかもな。子供たちの授業参観に多忙を言い訳にとうとう一回も行かなかったことがいまさら悔やまれる。まあ、1人は自閉症児で特殊学級の個別指導だったんで、クラス運営っていうものではなかったけれども。
 
 まあそれにしても、アポイントもなく押しかけていって、顔パスで入り込んで、一日遊んでいた挙げ句にスタッフ用の弁当までせしめて。俺も厚顔になったものだ。その上にこの言いぐさだものな。まあ失礼千万とは思うが、無益じゃないと思うので記載しておく。

伝統が消え去るということ

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上

低出生体重児の予後を研究するデータベース事業の運営会議で、土曜の午前中に東京に集まって会議できるような殿様たちが、最近「地域」*1が入ってきてるんでデータベースの性質が変わってるんじゃねえかとか仰ってたと知った。畜生。てめえら何万石の大名気取りなんだ江戸城のどこの座敷で喋ってやがるんだと、貧乏旗本か御家人の気分である。

とは言いながら昨今の閑散とした時期には、もう私らの存在意義はないのかもしれんなとは思った。一時の気の迷いってことにしておこう。たしかに当地のNICUは乱立しすぎだ。だからといって私らが認可病床を返上して、スタッフをどっか他所の大病院に転職させたところでだ。私らの仕事がそのまま受け継がれるとは限らないんだ。

私らの仕事の伝統。23週の双胎が緊急帝王切開だと言われて、看護師がパニック起こさず輸液の内容はどうしましょうか人工呼吸器は何を使いますかと指示を仰ぐ病棟だ。このチームを地域医療の経済的最適化とか称して解体することのどこに正義がある。鴨鍋喰いたいからって金の卵を産むガチョウを屠殺するバカがどこにある。

とは言いつつもと逡巡するわけだ。うちのNICUで一番へたれなのは部長の私だからね。仕事がヒマだと定時に帰って、医学書読めば為になるものをこういう文系書読んだりする。で、伝統って虚勢張ってもあっという間に失われるんだよねとも思った。コールデストウインター。最高にお寒い冬の物語。

上巻の主要テーマは開戦時点での米軍の弱さである。ドイツに勝ち日本に勝ってようやく4年しか経たないというのに。1949年の時点でもう一度戦えば勝てたんじゃないかと思うほど*2。たった4年で第二次世界大戦の勉強の成果すら忘れられるんだ。私らも暇をかこって昔の栄光にひたっとるうちに、伝統の賞味期限が切れてしまうかもしれない。

まあとりあえず今は入院数が持ち直している。どうも隣県がオーバーフローしているらしい。とりあえず当地でせき止めるつもりではある。

*1:地域周産期母子医療センターのこと

*2:むろん1年もしないうちに押し返されてもう一度無条件降伏することになるんだろうが。

歴史的責任と引き際について

ひと頃の閑散とした時期は過ぎたようで、比較的重症の入院が続いた。

閑散とした時期が続くといつも、当院NICUは歴史的役割を終えたのではないかと考えてしまう。存在の必然性がない施設が居座ることで、当地の周産期医療の最適化を妨げることになってはいないか。いわゆる「引き際」を心得ない老醜みたいなものを発散していないか。

平成6年だそうだが、当院が当地でははじめてNICUの認可病床を設置した当時は、端的に言えば当地の一般的な産科施設で生まれた新生児が病気になったところで紹介先などなかったと聞く。当時は私は当地にいなかったので伝聞でしかないが、しかし、総病床数200床にみたない私立病院が、認可病床を設置し、新生児搬送用に救急車をあつらえて迎え搬送もするようにしたら、それでビジネスとして成立してしまったわけだから、下世話な表現で恐縮だが、「市場」は「入れ食い」の状態だったのだろうと推察している。

そうやって当院が、私立病院による小規模(当初6床)のNICUがビジネスとして成立してしまうという実例を示してしまったことが、当地の新生児医療の発展する方向を変えてしまったのかもしれない。当地には本来あるべき大規模集約のNICUがなく、中小規模が複数で運営している。NICU病室のハードを整えて、これからマンパワーをそろえにかかろうとしている病院も複数ある。当院よりも病院自体の規模は大きいが、彼らが準備しようとしているNICUは当院のものより小さい。中小規模NICUが今後もますます増えるように思われるが、我々がその嚆矢となったのではないかという、いわば歴史的な責任みたいなものを、感じなくもない。

入院数急増

連続して入院があり、9床中8床の入院となった。たくさんの空床をアイドリングしておくのも苦しいけど、かといって規模を縮小してしまったら窮地に陥っていたなと思った。こういうときのためにも、なんとか9床を維持していかないといけない。

たとえば規模を縮小して9床を6床にしていたら(3の倍数にするのが制度上効率が良いので)、この2日で2人は院外へ新生児搬送に出さなければならなかった。今は京都じゅうのNICUが空床をあけてるんで、たぶん京都市内でなんとか確保できたと思うが、常にそうとはかぎらない。中小規模のNICUが乱立する京都の事情では、意外に病床のリソースは全体としても貧困なので、1人は何とかなっても2人目はちょっと難しくなるし、3人目がもし出たら市外や府外に搬送となる可能性も出てくる。

でも維持すると言っても、診療報酬だけで運営する私立病院で、空床を開けておく負担はきつい。それは公的病院の役割なのではないかとも思う。あるいは周産期母子医療センターに対する国や地方自治体が、財政的な補助で空床を買うかたちになるのかもしれない。

あるいは、いっそ民間からNICUの病床にスポンサーをつけてはどうかとも思ったりする。保育器の脇腹に京都の老舗企業のロゴが入ってて、「この保育器は・・・の提供で維持されています」みたいな。

入院数が増えない

NICUの入院数が増えない。9床あるうち7〜8床くらい埋まってて、受け入れ余地が1〜2床くらいってあたりが、まあ理想的なところかと思うのだが、このところ4床前後の入院数である。半分以上空いている。

低出生体重児など母体搬送からの入院数はそれなりに維持されているように思うのだが、正期産児の新生児搬送入院が伸び悩んでいる。たまに来る子も、数日の入院でさっさと帰る軽症の子ばかりである。

京都府が出しているNICU空床状況表をみると、どの施設も軒並み空床を出してきていて、京都一円でNICUに空床が余ってきている模様。赤ちゃんたちが、我々に縁なく、健康に過ごしていられると言うことなら、それは幸せなことである。文句を言う筋合いはない。

しかし少子化の影響が予想外に早く現れているとしたら、座視してはいられないことかもしれない。統計的な数字にはまだ現れていないはずなのだが。

何にしても、現時点では京都の新生児医療は供給過剰だ。日本中探しても京都くらいじゃないか。そんなこと言ってるの。

一日に3人救命して翌日

この夏も閑古鳥が鳴くのかなと思っていたら、1日に3件の重症入院。それも緊急帝王切開の立ち会い中に2例目の緊急帝王切開が決まり、その立ち会いをやっているさなかに3人目の心音が落ち、と重複しつつ連続。

いまうちのNICUは熟練度で言えばおそらく全国有数であろうってくらいになってる。専門医クラスの新生児科医3人に、循環器1人、ICD1人。新生児科医は言うに及ばず、他の医師もつぎつぎに分娩立ち会いにはいり、赤ちゃんを蘇生する。この人数いなければ昨日の3人のうち1人以上は死んでたなとも思う。ありがたいことだ。

俺たちは今日3人の命を救ったんだな、とふと思う帰り道。充実感をごほうびと思うくらいは許されるんじゃないかと思った。