衰退するNICUで

NICUの入院患者が2人にまで減った。二人しかいないと静かなものだ。人工呼吸器の作動音も絶えて久しい。覆いを掛けた保育器や人工呼吸器が立ち並ぶ、倉庫のような暗がりの片隅で、赤ちゃんと看護師がひっそり過ごしている。この子らももうすぐ帰る。私は事務仕事も面白くなくてVolpeの新版を読み続けている。

例年は冬になると極低出生体重児の入院が続くものだが、この冬はその増加がまったくなかった。悪い比喩だが、昭和29年、北海道の海にニシンがぱたっと来なくなったときはこういう感じだったんだろうかとすら思う。この数年、減った減ったと書きながら細々続けてきたが、今度こそ本物という感触がある。

鰊も獲られたくないだろうし赤ちゃんだって入院したくはないだろう。ニシンは獲りすぎで資源が絶えたんだろうが、そりゃあ赤ちゃんは生まれるのを片端攫えてくる訳もなし、NICUの入院数が減ったのは産科医療の進歩が効いている。ひと頃は維持不可能だった妊娠が維持できるようになり、今日明日にも早産で分娩だと腹をくくって待機した胎児も、けっきょく危機を乗りきって正期産で元気に産まれ退院していく。赤ちゃんの元気は何より言祝がれることであるし、漁師さんたちを見習って俺たちも他の仕事を探すところなのだろう。そうして時代は過ぎる。当事者には色々の感傷はあれ、時代が過ぎるってのはそういうものなのだろう。

NICUががらがらなのは当院ばかりではなさそうで、京都府の周産期情報ネットワーク情報を参照すると、大半の施設が受け入れ可能の意思を示している。それも複数の空床を提示している。時代は変わるものだ。今夜もし入院紹介があれば府外搬送だと重い気持ちで過ごす当直はもう過去のものになった。生まれる赤ちゃんの1人1人にとっては、これは良いことだ。憂う必要はなにもない。

この状況を懸念するとすれば少子化の面からだろう。少子化が進行し、子供を産む年齢層の女性の数すら減り始めて久しい。世の中の人には、まだそれほど子供が減った印象は持たれていないかもしれないが、この入院数の減少には少子化もむろん影響している。NICUに入院する子供の総数が減ると、少ない入院は総合周産期母子医療センター他の大施設に集約されていく。我々のような末端の施設はまっさきに変化の波をかぶることになる。少子化をもっとも鋭敏に観測できる場所である。

小松左京の短編に、サラリーマンの主人公が営業でたまたま訪れた産科医院で、ふと気がついてみれば赤ちゃんが1人もおらず新生児室が静まりかえっているというものがあったと記憶する。赤ちゃんが生まれなくなったのですと助産師が言う。その帰路、うららかな春の日にも、子供の声が街からほとんど聞こえない。御大の作品としては淡々とした、これといって起伏のない小品であったが、いまの様子は御大の想像どおりだ。

退官する小児科教授を送る

母校の小児科教授が退官されたので先の日曜に祝賀会に行ってきた。翌日、病院に留守居で休日救急をお願いしていた同門の医師に、会はどうでしたと尋ねられ、以下のようなことを喋った。

教授の退官祝賀会の常で、次々に挨拶が立ち、研究のみならず附属病院運営についても業績が縷々讃えられた。とかく優秀な人であったと逸話が並べられた。今後の再就職先も重要な地位で大いに活躍を期待すると。さすがに教授となると送辞も話の規模が大きいなと思った。応えて教授も、優秀な先輩の名をあげて感謝を述べられ、盛況のうちに閉会となった。

教授が退官するときに彼を評する尺度が「優秀さ」であるような、俺たちはそういうところにいるのだなということに、一抹の寂しさは感じた。それは入学したての学生たちが互いを値踏みするときの尺度ではないか。教授まで務めた人の大学生活の終わりに語ることは他にないのか。この期に及んで俺たちは自他の優秀さをまだ問題にせねばならんのか。

他にはと言って、附属病院の発展とかそういうカエサルに返却する部類の些事はこのさい置いておこう。そんな話は経済学部の連中が経団連の集まりにでも語っておればよいのだ。神に返す話、神に預かったタラントにつける利息の話をしたい。

問題にせねばならんのかと自分に問えば、不惑を過ぎ知命が迫る年になってなお、優秀と評されたいという子供じみた焼け付くような欲望を自覚する。大人になったらがき大将になりたいと言ったのび太を彷彿とさせる。じゃあ優秀さ意外になにかこういうときに退く人の半生を語りうる言葉が自分の中にあるかと探してみて、実はなかったと気づいて愕然とする。そんな大学の新入生みたいな価値観を脱却できないまま、より成熟した大人なら持ちうるはずの眼差しや言葉をいまだ持たないままなのかと、月並みな表現だが忸怩たる思いに駆られる。

大学で何を学んできたのか。医者やってて何か思うところはなかったのか。もうすこし豊穣な言葉で半生を語りうるような成熟は得られなかったのか。そういう俺が明日も発達フォロー外来をする。NICUを退院した子供たちのその後を診察すると言いながら、この子らにこんな人生を歩んで欲しいと思うところはないのか。「優秀になって欲しい」ではNICUでした苦労に比べて貧弱にすぎないか。

俺自身が引退する頃にはそれもわかるようになるのだろうか。

撤退戦

 超低出生体重児の入院数が少ないまま年をこした。新年度からは医師数が減ることになった。今後の自分の仕事は撤退戦の指揮ということなんだろうな。

 総病床数が200にも満たない小さな私立病院が、当地ではまったく手つかずだったNICU医療を手がけて、医療的には多くの赤ちゃんをお世話できたし、商売的にはまったく手つかずの市場に一番乗りで濡れ手に粟の収益があがった。たしかこういう状況をブルーオーシャンと呼ぶのだよね。

 しかしその後、「なんだああやればいいんだ」とばかりに大規模病院がつぎつぎNICUに参入してきた。当地に一個もなかったNICU認可病床が、今では厚生労働省の目標とする出生1000あたり3床を上回るほどまで充足された。となると、どうしても、小児外科も心臓血管外科もいつだって緊急手術できます的な、うちでは病院の総合的な体力としてとうてい追いつけない大施設に、主流を奪われる形となった*1

 「お医者様」水準の世間智しか備えない身で、他の業種の商売にはむろん疎いから根拠のない想像だけでこれから先を語るが、おそらく私らがここまでやってきたことはたぶん「ベンチャービジネス」だったのだろうと思う。であれば、他の大規模施設が台頭してきた時点で部門ごと売却して病院には投資した資本の回収を、俺ら職員は新たな雇用先をというのが、いわゆるベンチャービジネスの王道だったのだろうと思う。我々の業界でそのような部門のリストラが可能なのかどうかはよくわからんが。

 主流ではなくても地域周産期母子医療センターとして、地道な周産期医療を着実に継続するというのが次善の策ではあった。しかし少子化の進行が予想よりも早かった。不妊治療における多胎妊娠の抑制や新生児蘇生法の普及など、産科医療の進歩も手伝って、極低出生体重児も新生児仮死も入院症例ががくっと減った。これは世間的には大変に良いことだ。しかし他人様のトラブルをメシの種にする不浄な職業としては、メシのタネが減るというのは、喜ぶにしても手放しではいけない。何らかの対策が必要となる。

 えげつない言い方で多くの読者諸賢にはご飯が不味くなるかもしれず恐縮ながら、もはやうちの施設にとって新生児医療はブルーオーシャンではない。他分野以上に人件費を喰う(3対1看護ですよ。小児科医24時間専従ですよ。)部門ブルーオーシャンではなくなったときに、それでも今まで通りにNICU医療を看板に押し通していくのが良いことなのかどうか。儲からなくなったらベンチャービジネスなんてやってる場合じゃないのではないか。本業の、小児科一般の地域医療の需要にきちんと応えているかどうか足下をしっかり見なおす時機ではないか*2。小児科地域医療の一部門としての周産期新生児医療はなくてはならない部門だが、そこに傾注するあまり他の分野が手薄になってはいないか。新生児専門医以外の面々が傍流に居るような気分を味わってはいないか。そのあたりを見なおす時機なのだろうと思う。

 その当たりを見なおして、ブルーオーシャンを見限って地道な方針に立ち返った場合、傍目には先代が立ち上げたNICUを寂れさせた凡庸な後継者っていうふうに見えるんだろうとも思う。まあ悪名は覚悟しておかんといかん。

 

*1:私自身はうちのNICUの創生期の数年を、先代部長と2人でつくった若手の医師が他施設に去るときに(それは長年のご希望の最先端施設への転勤だったから栄転である)その替わりとして赴任してきて、そのうちに部長職も引き継いで、絶頂期からだんだん日が陰る様子をここまで見てきた。まあ個人的には、「売り家と唐様で書く三代目」じゃなかろうかとの批判は甘受せざるを得ないとは思っている。

*2:あえて時機と書く。

眼鏡を更新したら頭がよくなったような気がした

小さい字が辛くなった。静脈留置針の針先がはっきり見えなくなった。これは新生児科医として現役をつづけるのにかなりな障害になるので、観念して眼鏡を更新することにした。

 

眼鏡の処方を目的に眼科へ行った。説明として、あなたの目は右目が目の前30cm、左目が40cmのところにもっとも焦点がよく合う目だと言われた。近視の病態はそういうものだと眼科の講義では習っていたが、そのとおりの表現をはじめて聞いて新鮮な気分がした。いまの眼鏡はそれが5mのところに焦点を合わせるような眼鏡であるとも言われた。そんな遠く用の、あたかも壁を透視するような眼鏡をかけては手元の作業がしにくいのは当然です、とも。あらためて、1m用の眼鏡の処方を書いて貰った。

 

1m用の眼鏡をかけると、当然のことながら病院内を歩いていてさえ、壁がぼやけて見える(自宅は狭いのであまり関係がない)。にもかかわらず、手にとった医療器具や本はくっきり見える。あらかじめその辺に目の焦点があっているところへ対象物が入ってくるのだから当然の現象ではあるが、不思議な感覚である。

 

本や画面に視線を向けてから、その内容が頭に入るまでのタイムラグが、眼鏡をかえてから実感をもって短くなったように思える。記載の内容が向こうからこっちの脳へ飛び込んできてくれる感じがする*1。がぜん、自分の頭が良くなったような気分になる。

 

良い気分かというと複雑なもので、さいきん本を読んでも頭に入らないしすぐ疲れるし、知性の老化というのはこんなに早くくるものなのかと気が滅入ったりしていたのである。なんだよ老化していたのは目のほうかよと。老化には違いなくとも、まだおおもとが思っていたほどには悪くなっていなかっただけ、まだ宜しいというところ。

 

ちなみに私はいま40歳代半ばなのだが、読者諸賢におかれてはこの年齢付近で「さいきん年取ったかな」という知性の不調を自覚された場合、眼科受診もひとつの方策であるとおすすめしたい。

 

時期的にはちょうど消費税の税率が上がる直前の購入で、周囲は私の眼鏡がかわったのは駆け込み需要だろうと思っているだろう。みみっちい奴だと思われるのがよいか、そろそろ老いぼれてきてるらしいよと思われるのがよいか、決めかねているので職場ではとくに釈明はしていない。

*1:そういう感じがしますよと眼鏡屋の主人に言われたので暗示にかかっているのかもしれない。

1日休めば2日目が欲しくなる

月に1日でいいから休みたいとか思ってて、その休みが過ぎてサザエさん時間帯になると、ああ週休2日って憧れるよなあとか、思ってしまう。でもたぶん土日と休みがとれたら(ってのはうちの病院に勤めてる限りは土曜半ドンなんで無理なんだが)、こんどは毎週末に休みが欲しいなあとか思うんだろう。世間には働く日数が1日減ったら収入が1日分減って困るような立場の人もあるというのに。

でもまあ派遣の人に申し訳ないから土日も返上して働けってのは違うとも思う。

息子の舞台はこれが最後らしくて

 特別支援学校の課外活動でやってる和太鼓の舞台が、卒業前なんで今日が最終らしい。山科まで舞台をのぞきに行ってみたら、ソロなんかとってて以外にやるなと思った。そういえば俺も高校の吹奏楽部では課題曲に2小節だけソロがあったな。親子で似たようなことをやってるんだなと思った。

 舞台は障碍児教育の流れじゃなくて、地域のいろんな演芸活動の合同発表会の一演目みたいな様子だった。落語で長屋の面々が長唄やったりする伝統の延長なんだろうかと思った。さすが都はいろいろと文化活動も盛んなんだな。