今月唯一の休日

身内に不幸があって忌引きを頂いたりしたとはいえ、それでも身内の不幸に関して代行を手配しないと帰省できないような業務を休日に抱えていたりはしたわけで、今日明日は今月の週末において唯一、業務を抱えない土日である。土曜午前中の外来を済ませたら、そのまま月曜朝まで義務はない。

土曜午前の外来は11時が受付締切だけど、11時が受付締切の外来は10時50分に駆け込んでくる人があるのは当然のことで、そういう人に点滴をして2時間待ちで帰宅が2時になるのはまあご愛敬。帰ろうかと思っていたところにNICU当直医が新生児迎え搬送の依頼を受けたりして、迎え搬送の間の留守番を、既に帰宅済みの自宅待機番の医師を呼び寄せていてはそれだけ迎えが送れるので私が代行したりして、連れてこられた赤ちゃんの入院時処置に目鼻がつくまでは帰ろうに帰れなかったりして、ずるずると月1回の休暇が削られていく。

医者仕事とはそういうものかもしれない。そういうものだと納得しないような不心得者に医者の資格はないと、お叱りはあるかもしれない。まあ、そういうものだということにしておこう。And so on. そういうものだ。

当直明け 暑くて地方会ゆけず

当直明けの朝に院外からの新生児入院が1件、院内での緊急帝王切開がもう1件。多少ばたばたした休日の朝だったが、無事に明けて帰宅した。

小児科学会の地方会があって、うちからも演題が出ているので、行かなきゃならないなと思いつつ昼寝をしていた。蒸し暑いのとだるいのとで起き上がるにも辛かった。結局、せっかく起きたのに自転車の鍵が見つからず、何とはなくスルーしてしまった。若手には申し訳ないことをした。広節裂頭条虫の駆虫のお話なんて、会場からそんなおかしな突っ込み質問はなされないはずではあるのだが。

地下鉄で

東京は行くたびに狭くなっていくような気がする。東京駅で地下鉄に潜り、新宿で上がる。新宿から渋谷、渋谷から品川。何処で上がっても同じような眺め。地形のなかに自分をマッピングできない。なんとはなく土地と切り離されたような。

自分が地理的に移動していると保証してくれるのは、地下鉄のなかで感じる加速度だけ。窓の風景が変わらない地下鉄でしか、移動しているという実感ができない。おかしな町だと思う。

そういえば夏ものの背広を持っていないな

昨日の発表も寒かった。内容もさることながら、会場の室温がひどく寒かった。半袖のボタンダウンのシャツで出たんだが。気を利かせた運営側が毛布を配っていたがね。なんで冷房の効いた会場で毛布かぶってなきゃならんのか。

今は何月でここは何処だよと思った。5月の京都だよな。1月の京都でもないし、5月の昭和基地でもないんだ。

やっぱり夏ものの背広を持ってないってのが宜しくないのかもしれない。そういう馬鹿馬鹿しいものが世の中にあるんだなんて、迂闊なことに私は知らなかった。買わなければいけないのかなとも思ったが、今の今までポロシャツで押し通してきててこのご時世にかよと今さら感も強い。デパート業界ではクールビズとやらを売りたくって仕方ないらしいけど、背中がシースルーの上着なんて40過ぎた男が着れるか? このまえ「絶望先生」に出てきた「タンクトップの官房長官」並みの恥ずかしさじゃないか。

いいかげん、暑苦しい格好やめましょうや。

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私はこっちが欲しいんだ。

しばらく沈黙しています

しばらく沈黙しています。震災に圧倒されて言葉もなかったためなのですが、自分も赤ちゃんの蘇生中(とくに重症な場合)などに傍からわあわあ言われるのをひどく嫌がる性分なので、無用の雑音をたてないようにというつもりもあります。

犠牲となった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

被災地の皆様の生活の安定をお祈り申し上げます。

救援に向かわれた方々のさらなるご健闘をお祈り申し上げます。

福島第一原発でご健闘中の方々や周辺の皆様の被曝が最少となりますよう、お祈り申し上げます。

語り得ないことには黙っていようと思います。しかし、いま自分が語り得ることはどれもこれもひどく些末なことのように思えます。

送り出す

来月のシフトを組みながらまた頭を抱える。回らん。

2年間にわたってがんばってくれた若手を、来月は送り出すことになるわけだが、送り出してしまうとなお回らない。

しかし彼の成長のためには送り出した方が良いというのも事実だ。2年間うちにいて、新生児によくある病気はひととおり診たはずなので、今はひたすら経験の量を重ねて質に転化させるべき段階に来ている。ということで、いよいよ大きなNICUサイトへ向けて送り出すことになった。そこで今以上に幅広くたくさんの症例*1を診てゆくうち、ふと気づくと現時点よりも一段も二段も上のレベルから全く違った世界が見えているということになるはずだ。

うちの施設にとっては、あるいは端的に申して私にとっては、出て行かれるのは痛いことだ。でも、痛いと言ってうちの都合で長居をさせようとしても良い結果にはならないだろう。気持ちよく出て行くか、喧嘩別れして出て行くか、無理やり引き留めていやいや仕事を続けさせるかの三択になりそうに思う。それなら気持ちよく送り出す方が良い。

内田樹先生のご高説にもあるとおり、どうしても欲しいものがある場合に、それを手に入れる唯一の方法は、まず自分からそれを他に贈与することだ。私は内田先生ほどに学識も人生経験も積んでいないが、たぶんこれは本当のことだよなと思う*2。優秀な若手ほど欲しいものは無いとしたら*3、それを手に入れる唯一の方法は、たぶん、うちの優秀な若手を良い時期に他施設へ送り出すことなんだろうと思う。

逆に、実も蓋もないことを言えば、あの施設へ行ったら延々放してもらえず飼い殺しにされるとかいう評判なんぞ立ってしまったらもう救いようがない。

*1:赤ちゃんを「症例」と呼ぶことに不快を感じられる読者諸賢もおありかと思い普段は控えています。すみません。

*2:そうささやくのよ、私のゴーストが。

*3:もちろん優秀なベテランならさらに大歓迎だけれども奇跡とか天変地異とかは語っても仕方ない。

腹囲が5cm増えていた

半年おきの職員健康診断で、腹囲が5cm増えていた。

前回は8月の健診で82cm、今回は87cm。計り直すのも沽券に関わるのでそのまま記入してきた。

前回は4月から7月まで4ヶ月間、ほぼ毎日大学まで自転車で往復していた時期の直後であった。今回は寒いよとか暗いよとか言ってあんまり自転車に乗っていなかった。でもここまで太るか?中年ってすごいなと思った。

体重がほとんど変わっていないのにむしろ危機感を持った。腹囲が5cm増えた分、身体のどこかが減っている。間違いなく筋肉が落ちている。

だんだん日も長くなって、朝夕に自転車に乗る時間もできてくるはず。トレーニングしないと。

再開

いろいろあって毎年この時期はぐだぐだするんだけれども、気を取り直すことにして。と、なにか気の利いたことでも書こうと思ったが、何も出てこない。

新年会

先週末には大学の新生児の勉強会と、地元の医師会の新年会に、続けて出た。むろん大学にしてみれば地元の医師会の催しなどはなから眼中にない。私自身、昨年までは医師会の新年会など平気で無視していたのだが、さすがに対外的なことも考えなければならない立場になった。おかげで勉強会には一人だけ背広にネクタイだった。

医師会の新年会は初めて出たのだが、最初の乾杯がビールではなくてシャンペンだというのが象徴的だった。私世代はまだ小僧扱いである。年配の人が多いのだが、そのぶん皆さん年相応に食欲が上品なようで、その中で一人がつがつするのも憚られた。主だった先生方に現部長から紹介してもらって挨拶して、早々に引き上げてきた。唯物論的にはシャンパン1杯、蕎麦1椀、寿司3個で1万円。参加費は病院からおりるらしいが、これが自腹だと辛いな。

なかにロードバイク乗りの先生があって、自転車の話をした。乗れば乗るほどに確実に強くなるからとアドバイスを受けた。自転車乗りの先達と話をするのは初めてで楽しかった。気持ちの上では黒字な会合だった。

年末の大雪

本日から明日にかけて、京都では雪が降り続くとの予報である。じっさい医局の窓から見える景色は一面の雪景色である。眺めているだけなら風情があっていいが、この中を新生児搬送に呼ばれたら苦労するだろう。眺めの良い土地というのは遊ぶにはよいが住むには向かないことが多い。

ひっそりと一年をふりかえっているわけだが、じつにいろいろなものが壊れた一年だった。テレビも壊れた。風呂のガス給湯器も壊れた。あまり暑くて数年来使っていなかったエアコンを動かしてみたらこれも壊れていたことが判明した。息子のベッドも壊れた。浴室の排水路も詰まって溢れていた。そのほか諸々。大学NICUに研修に行って鼻っ柱を折られたなどという抽象的なものもある。

こうして書き並べてみるとつくづく大変な一年だったと思う。この不景気にこのようなトラブル続きのなかで、なんとか経済的には困窮することなく切り抜けられたのは幸せだった。それになにより、家族や周囲の人々の健康が損なわれなかったことが良かった。実のところは全く無傷というわけでもなく色々奔走したこともあったのだが、一段落してみると一病息災の範囲にぎりぎり納まった。ありがたいことだと思う。不運だったという感覚はほとんどない。むしろこれだけ色々あったのに平穏な年末を迎えることができて幸運だったと思う。本当にありがたいことである。