殺人者という語は

我が子を殺人者にしない
麻疹による死亡者、大多数は0~4歳、中でも0~1歳に集中するのだが、この死亡者の数だけ、その子たちに麻疹を伝染させた人が居るということだ。麻疹は伝染病である。決して穏便な事実ではない。直視したくないことかもしれない。しかし、事実ではある。
ただ、派手な言葉を使ってぶち挙げておいて今さらこんな事を言うのは逃げている印象を与えるかも知れないが、その伝染させた人たちを責めるのは私の主意ではない。殺人者という言葉自体にその責める響きがこもるという点で、この表現は確かに拙いと思う。我が心の善くて殺さぬにはあらず。既に自分を責めているか、自分から伝染した人が亡くなったことを今は知らずにいるけれど知れば自分を責めることになるか、どちらかであるに違いない人を、得意顔して指弾するようなことはしたくない。だから今後私はオンラインでもオフラインでもこの件に関してこの言葉はつかわないつもりである。
麻疹ワクチンを接種することが社会に対する責任だとの考えは変わらない。
家族は社会の端緒である。もしも麻疹脳炎で障害を遺した弟に日々接する兄が、この麻疹を弟にうつしたのが自分だと知ったら、どれほど苦悩するか。この兄を責める人は誰も居るまい。しかし誰に責められなくともこの兄は生涯この事実を背負って生きていく。人間の心には生来その程度には気高い倫理性が備わっていると私は思う。(ついでながら、うつした相手が肉親ではなくとも、肉親ではないからと知らぬふりができるほど子どもは非倫理的にはできていないと、私は思う。)いたずらにそういう重荷を子どもに負わせまいという配慮もまた、社会責任の範疇に含まれることではないだろうか。
人間の心はその荷を降ろしたくても降ろせないように出来ているというのが性善説の根拠である。降ろせない荷物だったらせめてその一端を共に担おうと言うのが、ナザレのイエスの言葉である。