ネットの混沌は滅びません。絶対。

元ORJPの隠れ家に、かつてこのブログにコメントを下さったorjpさんが、ネットのアングラ的な混沌を保つという観点で記事をお書きである。私のことにも言及していただいたので、ありがたく拝読した。この記事はorjpさんへの回答である。氏のコメント欄に書き残さなかったのは、ひとえに私の不器用さによるものとしてご容赦いただきたい。なにさま「コメント欄」の狭さが私には手に負えないのである。
それと、私がもっとも応えたのは、orjpさんのブログの冒頭「どうしてまず、YAHOOとかGOOで調べないんだ?失礼じゃないか?」というご指摘でした。コメント頂いたときに調べればよかった。失礼ご容赦下さい。
以下、本文。
インターネットには、御言及の「ゴミ溜めみたいな部分」は確実に残ると思います。路傍のゴミをいくつか拾ったところで世界中のゴミを消し去れる訳ではないですから。私とて、今後も、世界のゴミ拾いに邁進しようとまでは思ってません。ただ、目に付いたゴミくらいは拾うこともあるかなと思います。病院の廊下にゴミを捨てる研修医は許さないだろうと思います。病室の床に血液の付着した注射針を投げ捨てる研修医は張り倒すかもしれません。
アングラな世界は決して絶滅できないと思います。どうしても絶滅させようとするなら、陽の当たる世界で公認することこそもっとも早道かと思います。マルクス主義を骨抜きにするのにはソビエト連邦や中華人民共和国が多大な貢献をしたわけですし、旧社会党だって与党になったとたんに崩壊したわけですし。アングラなものの輝きは、内容自体もさることながら、その語り口に大きく左右されるのではないでしょうか。マルクス主義は少数の反体制派によって語られてこそのマルクス主義でした。
アングラな言説は少数者が人目を憚ってこっそり語っていてこそ命脈を保てるものではないでしょうか。まだネットに接続すること自体にすら技術的困難が伴った時代なら、ネットで語ること自体が少数者として語ることだったので、アングラなこともそれなりに語れたのでしょうけれども、現代では、もう語る場所がWWWだというだけでは、語る自分は少数派だということの十分条件ではない。WWWで語っただけで、語られた思想のアングラな輝きは失われてしまいかねないと思います。
「プライベートな日記サイトで自らの心の暗部を曝け出す事」に関しても、もはやWWWで不特定多数へ向けて公開していてはプライベートな日記サイトなんて成立しないんじゃないかと思います。それは語りにくいことを語る語り方ではないと思います。休日に自室で下着姿で寝ころんでいること自体はだれも咎めないけれど、でももしも公道から自室が丸見えだったとしたら、カーテンくらいは引けよと言われるもんだと思います。覗いてるんじゃねえよ自室で何をしようと勝手じゃないかと、言われりゃそれがもちろん正論ですよ。でも窓の外の公道をとおりかかった人に覗くんじゃねえよと言うネットよりは、下着姿で寝ころぶときにはカーテンを引くネットのほうが、私は好きです。カーテンの奥で何をしようが自由だと思いますし、その行動に誰か相手が欲しいときには人選のうえで扉から招じ入れればよろしいと思います。そこを敢えてカーテンを開けて寝ころぶのは、疲れたということに関する共感の前に、何かほかのメッセージがあるのかなと勘ぐってしまいます。
私がぶち挙げた内容には是非、「医師を名乗って書くブログでは」という限定条件を省略せずつけて欲しいです。そこがけっこう勘所だと思ってますので。医者というのはネットの外で成り立っている職業だし、医療もまたネットの外にある世界です。例えネット内でも、医者を名乗って医療を語るなら、ネットの外の医者のコードで批判されるものだと思います。ネット内のコードで語られたければ自分をネット内の存在として、ネット内に自立した内容を語るべきです。アジールに守られたければアジールの住民になり切るべきだと思います。orjpさんがごく自然にそうなさっておられるように。
生意気ご容赦下さい。ご批判賜れれば幸甚です。

チャリティ精神と進化論と猫の色

最近になって拝読し始めたMeditationesという読み応え豊かなブログがあって、その中にチャリティに関する記事があった。多いに賛成しエールを送りがてらに追記させて頂く。
私の勤務する病院はアメリカ南部のキリスト教徒が(すみません宗派を言うと私の身元がリアルばれするんで・・・)、戦後の混乱期に接収されたさるお金持ちの別荘を病院にしたものである。ちなみにそのお金持ちはいま精密機器のメーカーになってて、先だってはノーベル賞受賞者も出た。箱を作っただけではなくて、米国から産科医(ちなみに女性だったらしい)や小児科医や内科医など送り込み、看護師もまた送り込み(宣教師はむろんのことである)、病院や看護婦養成所を立ち上げたのである。オイルショックの前後まで約20年ほどは、教会で集めたお金を運営費として継続的に補助して下さったと聞く。
たまに私のような変な医者も勤務してるけど、でもけっこう京都の周産期医療にはお役に立ってる病院だとは思う。二つの大学病院や日赤病院なみの大きさのNICUやってますし。他分野でも、ホスピスだって本邦の最初期からの伝統があるらしいし。
ちなみに進化論を学校で子どもに教えると怒る人も多いといわれる宗派である。でもねえ・・・進化論信じてる日本人で、だれか発展途上国に病院作って継続的に運営費を送ってる人って、どれくらいあるのだろう。良い猫とは白い猫でも黒い猫でもなくてネズミを捕る猫だと言っちゃえばね、他人様にはびた一文出したかねえよっていう了見をお持ちの人が、彼らキリスト教原理主義の面々を頑迷だと論えるだろうかって、思います。